第一話 変遷 後編
「すみませ~ん」
「……は~い」
村長の家に着いたわたしは、玄関のドアを鳴らす。すると、少し遅れて返事と共にドアが開かれた。
ドアの奥から現れたのはこの村の村長だ。髪は白く、背も大分丸まっている。身長は既にわたしの方が高かった。右手には杖を持っている。歳のせいか、足腰が結構弱っているのだ。
「おぉ、リーザか。薬を持ってきてくれたのか?」
「うん」
「そうか。そりゃぁありがたいのぉ」
「いいよ、これくらい。じゃあ、上がらせてもらうね?」
村長の家に上がったわたしは、村長の手を取って居間へと歩いてゆく。
村長を居間の椅子に座らせたところで、わたしは家から持ってきた包みと水筒を取り出す。包みを開けば、そこには数粒の錠剤が入っていた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
薬と水筒を手渡し、村長はそれを一粒ずつ飲み下す。その動作はゆっくりで、彼が大分老いてしまったことを痛感させる。
すべての薬を飲んだところで、わたしは村長の体調について尋ねてみた。
「村長、体の調子はどう? 間接はまだ痛む?」
「リーザの届けてくれる薬のお陰か、大分痛みは取れたよ」
「そう、それはよかった」
わたしはほっと胸を撫で下ろした。
いくらか前のことだった。ある日村長が足の関節の痛みを訴えたのは。まあそれは仕方の無いこと。何せ村長はもう九十歳を越えてる。ここまで長生きしていながら体の不調が足の関節痛だけとは、村長は大分健康な方だろう。
その痛みを抑えるため、わたしはこうして毎日薬を届けている。因みに、この薬はわたし自身の手で調合したものだ。こうしてわたしの薬が誰かの役に立てるというのは、なんとも嬉しいものだ。
「村長、他に体の調子が悪い所はない?」
この歳だ。他に体の不調を持っていてもおかしくは無い。念のため、わたしはそう尋ねた。すると、村長は元気そうに声を立てて笑った。
「ほっほっほ、足腰意外はすこぶる快調じゃぞ。この調子なら、もう十年は生きられるわい」
「もう、村長ったら」
本人は冗談のつもりで言ったのかもしれないが、この人がそれを言うと本当にあと十年生きそうな気がする。まあ、長生きは良いことだ。
わたしは残った薬の包みと水筒を手に立ち上がった。
「元気なことは結構だけど、無理はしちゃだめだよ? 体の調子が少しでもおかしいって思ったら、すぐにわたしかセラ先生に言ってね」
「うむ、分かっておる。その時は、お前達の世話になろう」
「それならいいの。じゃあ、また明日来るからね」
「うむ、またのぉ」
村長に別れ告げ、わたしはその場から去った。
***
村長の家から帰る途中、訓練場の方から掛け声が響いてきた。あれは……シヴくんの声だ。きっと剣術の練習に精を出しているんだろう。どれ、ちょっとばかし顔を出すとしよう。
「はああぁぁぁっ!」
訓練場に近づくと、一層激しい掛け声と共に木剣のぶつかり合う乾いた音が響いてくる。どうやら誰かと模擬試合をしているらしい。
そこへひょっこり顔を出すと、丁度試合は終わったのか、音が鳴り止んだ。見ると、シヴくんの木剣が相手、ウルカおじさんの喉笛に突きつけられていた。
「俺の勝ちだぜ、おっちゃん」
「あぁ、お前の勝ちだよ……」
「いよっしゃあぁぁぁ~!」
シヴくんの声がうるさく響き渡る。シヴくんが喜ぶ一方で、ウルカおじさんはがっくりと肩を落としている。シヴくんに負けたことがそれなりに悔しかったらしい。
それにしても驚いた。シヴくんがウルカおじさんに勝っただなんて。わたしの知る限り、シヴくんがこれまででおじさんに勝ったことはなかった。だとすれば、これはまさか初勝利か? それならば、彼の喜びようも分かる。
一人でそう納得していると、シヴくんの下へ誰かが駆け寄っていった。ミーナちゃんだった。彼女はタオルと水筒を手に持っていた。
「お疲れ様、シヴくん。はい、これ」
「おう、あんがとな!」
ミーナちゃんからそれらを受け取ると、彼はタオルで流れる汗を拭い、乾いた喉を水で潤していく。その様子をミーナちゃんはきらきらした眼差しで見つめていた。
「……」
なんだろう。あの二人を見ていると少しだけ心がむかむかしてくるような、そんな気がする。
「おっ、リーザじゃねぇか。そんなとこで何してんだ?」
わたしの視線に気づいたのか、急にシヴくんが振り返り、わたしはあっさりと見つかってしまった。見つかった以上、みんなのところに行かない訳にはいくまい。
わたしは何食わぬ顔でみんなの前に進み出た。
「あ~、ちょっと散歩しててさ、掛け声が聞こえたから少し寄ろうかなって」
「おう、そうか。それより聞いてくれよ! 俺、初めて模擬線でおっちゃんに勝ったんだぜ!」
あぁ、まあ、丁度終わった所を見たから知ってる。けど、ここは調子を合わせることにしよう。
「へぇ~、すごいじゃない」
「あぁ、本当にな」
わたしが自然にシヴくんを褒めると、それに続いてウルカおじさんの声が聞こえた。気づけば、シヴくんの後ろにウルカおじさんが立っていた。
「現騎士団長の俺を負かしたってことは、お前がこの村で一番強いってことだな。なんなら、騎士団長の肩書きもくれてやろうか?」
「なんだよおっちゃん。冗談はよしてくれ。今回はなんとか勝ったけど、次も同じようにいくとは限らない。これからも鍛錬を積んで、おっちゃんを完全に越えるまでは、その話はおあずけだ」
「まったく、立派に成長したもんだよ」
そう言いながら、おじさんが息を漏らす。
おじさんの言う通りだ。数年前のシヴくんに是非とも聞かせてやりたい台詞だ。
「それで、これからどうする。疲れたろう。少し休んだらどうだ?」
おじさんがそう提案するが、シヴくんは首を横に振った。
「いや、俺はまだやれるぜ。おっちゃん、もう一試合頼む!」
「……お手柔らかに」
シヴくんのお願いに対し、おじさんは気が引けている様子。それもそうだ。おじさんだって若くないんだから。だが、おじさんには可哀そうだが、ここは未来ある弟子の為に頑張ってもらうとしよう。
「そうだ。リーザ、暇なら俺とおっちゃんの試合見ていけよ」
唐突にそんなお誘いを持ちかけてくるシヴくん。その目はとても真っ直ぐで、勝つ気満々と言った感じだ。この様子なら、勝負の結果は見なくとも分かる。
「ううん、わたしはいい。もう帰るよ」
「おう、そうか。んじゃ、またな」
「またね、リーザちゃん」
「またね~」
二人と別れの挨拶を交わし、わたしはきびすを返す。訓練場から去るわたしの耳には、ウルカおじさんとシヴくんの熱い掛け声が響いてきた。
***
夜、先生と並んでソファに腰掛けながら、静かに紅茶を楽しむ。今回は自分で淹れたのだが、これは中々美味しく淹れられたと思う。まあそれでも、先生のに比べたら負けるだろうけど。
「美味しいわ、リズ」
「えへへ、ありがと」
けれど、先生から直接褒められては、わたしは心が浮つくのを隠せない。
はにかみながら、紅茶を一口飲む。紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。あぁ、なんて平和な時間だろう。この時間はいつになっても変わらずに、わたしの身も心も癒してくれる。
思えば、ここ数年で村の様子はがらりと変わった。子供たちは皆等しく成長したし、大人たちは皆等しく歳をとった。新しく子供が産まれたりもした。
歳のせいか、アレルおじさんが騎士団長を辞めた。かつては手の付けられない荒くれ者といった印象だったが、それが今では少し丸くなったような気がする。今日は川釣りをしていたが、以前のおじさんなら、魚など手掴みで捕らえていたことだろう。
司祭のクリスさんも大分変わった。村にやってきた当初は本当に嫌な奴だったけど、今では立派な村の一員だ。魔法のことも認め、村のみんなのことを見下すこともない。そんな彼は、今ではみんなから好かれている。
他にもたくさんもことが移ろっていった。過去はすべて白黒の歴史として皆の記憶に刻まれ、懐かしむことでしかそれに触れることができない。それが、時間の流れと言うものなのだ。
けれど、この家ではその感覚をつい忘れそうになる。
時間が流れようとも、この家ではほとんど何も変わらない。先生は美しいまま歳をとらず、今でもこうしてわたしと一緒に紅茶を楽しんでいる。子供の頃から変わらない風景だ。
だから時々、わたしは村の中で、一人過去に取り残されたような気がしてくるのだ。まあ、それもいいのかもしれない。こうしていつまでも先生と一緒に紅茶を楽しめるのなら。
そういえば、村で変わったことの中で最も大切なことを忘れていた。シヴくんとミーナちゃんの関係だ。どうもあの二人、怪しい気がする。何だか最近はずっと二人一緒にいる気がするし、互いに接するときの態度が友達の範疇を越えている気がする。
わたしは二人が付き合ってると思うのだが、それについて先生はどう思っているだろうか。
「ねぇ、先生。シヴくんとミーナちゃんって、付き合ってるのかな?」
「また唐突な話題ねぇ」
先生はソーサーにカップを置き、天井を見上げながら答えた。
「そうねぇ……二人ともとっても仲が良いし、そう言う関係でも不思議じゃないわね」
「そっかぁ……」
やっぱり先生もそう思うのか。なんだろう、この気持ち。少しだけ、悲しい気持ちになる。
そんなわたしの様子を見て、先生は少しからかうような口調で言った。
「あなた、もしかして嫉妬しちゃった?」
「嫉妬!? そんなわけないでしょ」
わたしが色恋沙汰に関して嫉妬だなんて。そんなことあるはずない。二人とも大切な友達だし、これからも仲良くしたいって思ってる。わたしはただ、二人に置いていかれてしまったように感じて少し寂しいだけなのだ。
「ま、冗談は置いといて……リズ、あなたもいい歳なんだから、誰かいい人見つけなさいな」
さっきのは冗談だったのか。
ってか、誰かいい人を見つけなさい、だって? それこそ冗談でしょ?
「先生、この村にわたしと同年代の男はシヴくんしかいないよ。そんな状況で、どうやってその『いい人』ってのを見つけるのよ?」
「それもそうだったわね。でも、早いとこ誰か見つけないと、気づいた頃にはおばさんになってるわよ?」
「むっ、余計なお世話よ。わたしは、今は恋愛とか結婚よりも、薬学の勉強や魔法の練習の方が大切なの!」
そうだ、わたしは少しでも早くセラ先生みたいな魔女になりたいんだ。だから、男の人に現を抜かしている暇なんてわたしには無いのだ。
「そう、それは残念だわ。孫の顔が見られないだなんて」
そう言うわりに、先生の顔は穏かなままだった。これも冗談というやつだろう。
わたしに恋だの何だのなんて要らない。わたしには目標があって、目指す場所があって。それだけで、わたしは十分なのだ。
だから、わたしは変わらなくていい。いつまでも変わらない先生の隣で、いつまでも変わらない夢を追い求めるんだ。
いつの日か、その夢に手が届くと信じて。
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