三章
第一話 変遷 前編
穏かな日差しに、柔らかなそよ風。そして、楽しそうに弾む小鳥達の歌声。
平和な春の日和の下、わたしは原っぱに仰向けになりながら、そのひと時を楽しんでいた。
「いいお天気ねぇ、リズ」
「うん」
そうわたしの名前を呼ぶのはセレス先生。彼女も、わたしの隣で同じように仰向けに寝転がっていた。
先生は日差しに目を細めながら、空に向かって腕を伸ばし、人差し指を立てる。すると、周りを舞っていた綺麗な羽を持つ虫が一匹、誘われるようにして先生のその指に留まった。虫の色鮮やかなその羽は日の光に映え、その色を先生の頬に落とす。その様子に見とれるように、わたしは眺めていた。
「どうかしたの?」
わたしの視線に気がついた先生が、わたしに顔を向けて尋ねてきた。その顔は今までとなんら変わらず、美しいままだった。
「先生ってさ、変わらないよね」
「……変わらないって?」
あれから矢が飛ぶように時間は過ぎていった。わたしは十八歳になっていた。村の大人達もみんな歳をとったし、村には新しい子供も産まれたりした。
時の流れと共に、いろんなことが変わった。だけど、先生は何も変わらなかった。その美しさが色褪せることはなかった。まるで……。
「まるで、先生だけ時間が止まってるみたい……」
そんなおとぎ話のようなことを思ってしまう。
先生は再び空を見上げる。先生が軽く指を動かすと、その先に止まっていた虫は再び羽を動かして周りを舞い始めた。
「言わなかったかしら……」
遠くを見つめながら、先生は言葉を紡ぐ。
「わたし、不老不死なのよ」
「……」
そんな話を、わたしがまだほんの子供の頃に聞かされたような気がする。確かあの時、先生は四百歳は越えてるって言ってたっけ。あの頃はそんなこと信じられなくて、てっきり嘘を吐いてるんだと思ってた。けど、今ならそれが本当なことなのだと分かる。これまで十二年近く先生と一緒にいるけど、先生は何も変わらなかったのだから。
「その不老不死っていうのも、先生の魔法なの?」
わたしの尊敬する先生のことだ。不老不死の魔法くらい使えても驚きはしない。
そう思って尋ねたが、先生の答えは意外なものだった。
「いいえ、違うわ。これはわたしの魔法じゃない。これは……」
「……それは?」
「……報い、よ」
そう答える先生の目は、どこか後悔の色を滲ませているような気がした。
報い? それは一体……。
わたしがそれについて訊こうとしたとき、先生は急に体を起こした。
「さっ、休憩は終わり。魔法の練習の続きをしましょう」
「う、うん」
先生に差し伸べられた手を取り、わたしも原っぱから起き上がる。
報いだと、確かに先生はそう口にした。それは一体何なのか。魔法とは違うのか。そうだとしたら、何故先生はその報いとやらを受けているのか。
いくつも疑問が浮かぶけれど、当の本人はそのことについて話す気は無いらしい。さっきだって、誤魔化すように急に話を切り上げた。先生からしたら、触れて欲しくない話題なのかもしれない。
それなら、わたしも何も言うことは無い。例え先生が過去に何かを抱えていたとしても、先生が先生のままでいてくれるなら、わたしはそれで十分だから。
***
家に着いたわたしは、早速魔法の練習を始める。
わたしの目の前の机には、茎に傷を付けられた鉢植え植物が一つ。今から治癒魔法でこの傷を癒すのだ。
治癒魔法の練習はかれこれ一年くらいしてきた。それでも、安定して使えるようになったのは最近になってからだ。治癒魔法とは、それほどまでに難しい魔法なのだ。
火を熾したり、水を操ったり、そういった魔法は、言ってしまえばあまり丁寧である必要はない。多少荒っぽくても、それらの魔法は使う分には問題ないのだ。
しかし、治癒魔法は違う。治癒魔法とは、対象の体に直接作用して、その治癒能力を高めて傷を癒す魔法。このとき、もし少しでも間違えば体に影響を与えてしまう恐れがある。治癒魔法であるにも関わらず、逆に傷つけてしまうかもしれないのだ。
故に、治癒魔法は第一に繊細さが求められる。そのため、治癒魔法は高級魔法の中でも上位に分類されるのだ。
「さぁ、リズ。やってみなさい」
「うん!」
目の前の植物に向かって手の平をかざす。そして意識を集中させる。
想像するんだ。傷が塞がる感覚を。
傷口の周囲が仄かな光に包まれる。そして、徐々に徐々にその傷が塞がっていく。小さい傷が、長い時間をかけて消えてゆく。
そして遂に、植物の茎から傷は無くなり、元通りの元気な姿を取り戻した。心なしか、植物も元気そうだ。
「ど、どうかな……?」
「ふぅ~む」
先生は鉢植えを持ち上げ、傷のあった場所をじっくり確認する。
今回は自分からしても中々出来たほうだと思うので、どきどきしながら先生からの評価を待った。
しばらく植物と睨めっこした末に、ようやく先生は口を開いた。
「……えぇ、いい出来よ。これならまあ、及第点ってとこかしら」
「ほ、ほんとう!?」
思わぬ評価に驚き、先生に詰め寄る。
「本当よ。嘘なんて吐いてもしょうがないでしょう? 治癒魔法、初めは全然だったけど、最近はそれなりに安定してたし、練習の賜物ね。がんばったわね、リズ」
先生に褒められた。初めてだった。治癒魔法で及第点だと言われたのは。
本当に長かった。この魔法の練習にかけた時間は。だからその分、嬉しさもひとしおだ。
初めの頃は失敗ばかりだった。練習のためにいくつもの植物を枯らした。その度に、わたしには無理なんじゃないかと思ったこともあった。でも遂に、わたしは先生に認められたんだ。
「じゃ、じゃあ先生。わたしも、この治癒魔法をみんなに使ってもいい?」
「えぇ、今のあなたの実力なら、きっと問題もないでしょう」
「やったぁ!」
また一歩、近づけたんだ。わたしの憧れの、セレス先生に。
思えば、わたしが魔女を志そうと決めたのは、わたし自信が先生の治癒魔法で命を救われたことが切欠だった。そして今、わたしはその魔法を使えるようになった。今度は、わたしがみんなの傷を癒す番なのだ。
「一度認められたからって、練習を止めたりなんかしちゃだめよ? 認めたっていっても、及第点なんだから」
「もう、先生ったら、そんなことわかってるよ~」
嬉しさのあまり浮かれるわたしに、先生が釘を刺してくる。
わたしがまだまだだってことは分かってる。わたしが今使った治癒魔法だって、先生のものに比べたら足元にも及ばない。もっと練習して、もっとすごい魔法を、酷い傷でもすぐに治せるような魔法を使えるようにならなきゃ。それが、わたしの目標なんだ。
しかし、この達成感にひとときだけ浸るくらいは許してもらえるだろう。
わたしは鉢植えを元あった部屋の隅に戻し、ソファに腰掛けた。高級魔法だけあって、一回使うだけでも結構疲れるのだ。
「あら、もうこんな時間」
急に先生が驚いた声を上げる。ソファに体を預けながら横目に先生を見ると、彼女は窓越しに外の風景を見ていた。どうやら日が傾き始めたらしい。
「リズ、村長にいつもの薬、届けてもらえる?」
「薬? あぁ、そうだった。今日の分、まだ届けてないんだった」
わたしはソファから立ち上がると、薬棚へと向かう。そして、その中から一つの包みを取り出した。その包みと水の入った水筒を手にし、玄関へと向かう。
「じゃあ、先生。薬、届けてくるね」
「お願いね。いってらっしゃい」
先生の声を背中に受け、わたしは南の村に向かうべく、家を後にした。
***
村に着いたわたしは、早速村長の家に向かう。その道中、村の風景をぼんやりと眺めていた。
遠くの広場には、一組の夫婦がまだ小さい子供と遊んでいる。その近くを流れる川の縁には、アレルおじさんがあぐらをかきながら川に釣り糸を垂らしている。またその川の下流では、レァハおばさんが洗濯をしていた。
いつもと変わらない風景だ。そんなことを思いながら、わたしは歩みを進める。
「おっ、村長へ薬のお届け物かい? 毎日ご苦労さん」
「あ、クリスさん」
教会の前を通りかかったところで、不意に声をかけられた。その声を方へ振り返ると、そこには司祭のクリスさんが立っていた。彼は雑巾と桶を両手に持っていた。どうやら教会の窓拭きをしていたらしい。
クリスさんは雑巾と桶をその場に置き、わたしの方へと歩み寄ってきた。
「どうだい? 魔法の調子は」
「はい、練習の成果か、中々順調ですよ。あ、そうだった。驚かないで下さい? ついさっき、先生にわたしの治癒魔法を褒めてもらったんですよ!」
先程の出来事を思い出し、わたしはついつい興奮してしまう。すると、その興奮が彼にも伝染したかのように、クリスさんは目を見開いて声を上げた。
「何!? それはすごいじゃないか! 治癒魔法は君の目標の一つなんだろう? 本当に、頑張ったんだね。私も嬉しいよ」
そう言うと、クリスさんは目の端に涙を浮かべていた。
「ちょっと、どうしてクリスさんが泣くんですか~」
「ぐすんっ、何故だろうね? きっと、嬉しいからかな?」
嬉しいからって。そこまで感極まられると、こっちも嬉しくなってしまう。クリスさんが、そこまでわたしの成功を祝福してくれるのだから。
「そこまで言ってくれるなんて、わたし嬉しいです。でも、セラ先生に比べたらまだまだですよ。これからもっともっと練習して、先生みたいな魔女になるんですから」
わたしがそう宣言すると、クリスさんはますます涙を溢れさせた。
「リーザ、なんて立派なんだ。応援してるからな。君がいつかセレスのような魔女になれるよう、応援してるからな」
「もぅ、分かりましたから、これで涙拭いて下さい」
クリスさんにハンカチを一枚手渡す。それで涙を拭いながら、彼ははっとしたように口を開いた。
「そういえば、君は村長への薬を届けるところだったな。いやはや、邪魔をして悪かったな。このハンカチは後で洗濯してから返すよ。さっ、村長のところへ行っておいで」
「はい。またね、クリスさん」
「あぁ、またな」
軽く手を振り合い、彼と別れる。
クリスさんは教会の清掃に戻り、わたしは薬を届けるために村長の家へと続く道を進んでいった。
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