終章

懐古

 今は昔、まだ帝国が魔法を認めず、魔術師を迫害していた頃、ある村に一人の魔女がいた。

 彼女は大変に美しく、聡明であり、魔法の腕前が他の者と比べて群を抜いていた。

 彼女は人々から疎まれるべき存在でありながら、その力を人々の為に遺憾なく発揮した。日照りが続けば雨を降らせ、神が怒り稲妻を落としたならばこれを防ぎ、人々が深い傷を負えばこれを瞬く間に癒してみせた。

 帝国からの脅威に晒されながらも、彼女は人々の為に己の力を行使し続けた。そんな彼女を周囲の人々は認め、そして慕うようになった。

 平和な日々が続いた。彼女も、その周囲の人々も、そんな日々がずっと続いていくと思っていた。


 しかし、そのような毎日は長くは続かなかった。ある日、迫害に耐え切れなくなった魔術師達が、帝国を襲ったのだ。被害は大きくはなかったが、これによって魔術師の立場は更に悪くなっていった。魔術師を見つけ、そして殺す為に、帝国から司祭達が派遣されたのだ。


 司祭に見つかれば死の危険があった。しかし、その魔女は人々の為に魔法を使うことを止めなかった。それだけではない。彼女は、自分を殺す為に派遣された司祭にさえも、魔法の恩恵を授けたのだ。これに司祭は心を動かされ、彼女の村に派遣された司祭は、彼女の存在を認めたのだ。


 それから更に年月の過ぎたある時、帝国は滅亡の危機に瀕していた。長年の厳しい迫害に耐え切れなくなった魔術師の一団が、帝国を滅ぼさんと画策していたのだ。

 そしてとうとう、その一団が帝国へ攻め入った。が、かの魔女によってこれは阻まれた。長年帝国から疎まれ続けていたが、それでも彼女は、身を挺して帝国を滅亡の危機から救ったのだ。


 彼女は帝国に住まう人々から賞賛され、感謝され、存在を認められた。また、これを切欠にして、徐々に魔術師の存在が帝国に認められていったのだ。


 そして遂に、彼女の善行によって、帝国に再び魔術師の居場所が確立された。魔法の脅威を恐れる帝国民と、帝国からの迫害に怯える魔術師。彼女は、そのどちらともを救ったのだ。


 ***

「それが、おばあちゃんの先生のおはなし?」


 右隣に座る孫娘のアレサが、そう尋ねつつ大きな瞳でわたしを見上げる。わたしはそれに対し、柔らかい笑みを浮かべた。


「えぇ、そうよ。わたしの先生……セレス先生のお話……」


 アレサへ顔を向けつつ、しかし、わたしの視線はその遠くへと向けられていた。あぁ、今でも鮮明に思い出される。先生と過ごした、まだわたしが子供だった頃の光景を。

 そうして、一人で懐古の情に浸っていたが、それは突然阻まれた。わたしの左隣に座っていた孫のルークが、大声と共に立ち上がったのだ。


「すげぇ! 昔の帝国が魔術師を嫌ってたってのは知ってたけど、まさかそれを変えたのがばあちゃんの先生だったなんて!」

「うん。今、わたしたちがこうして生活できるのも、おばあちゃんの先生、セレスさんのお陰なんだね」


 興奮で目をキラキラさせているルークに続き、アレサも言葉を繋げた。それを聞き、わたしはまた遠い目をしながら答える。


「ふふっ、そうね。あの人には、いくら感謝してもし足りないわ」


 わたしは静かに瞳を閉じる。朗らかに晴れた空からは暖かな光が降り注ぎ、周囲の木々は風に葉を揺らし、心地の良い音を響かせる。あぁ、その全てが、懐かしい記憶を呼び覚ますようで……。


「ねぇねぇ、おばあちゃん」


 裾を引っ張られ、わたしは再び現実に引き戻される。そちらへ視線を向けると、アレサがわたしを見上げていた。


「わたしね、将来はお医者さんになりたい。おばあちゃんやセレスさんみたいに、病気にかかったり怪我をした人を助けたいの。なれるかなぁ?」


 そうか、この子はわたしやセレス先生の背中を見て、その道を志そうというのか。そうだとすれば、何と嬉しいことだろう。思えば、わたしが医者になろうと決心したのも、先生に憧れたからだった。そんなわたしが夢を叶えられたのだ。この子に出来ない筈が無い。


「あぁ、アレサ、お前ならきっとなれる。誰もが認める、立派なお医者さまにね」

「えへへ、そうかな」


 そうして、わたしはアレサの頭を撫でる。すると、アレサは目を細め、口許を緩めた。


「オレだって、父さんみたいな格好良い騎士になるんだ!」


 今度はルークが自分の夢を語る。騎士、かぁ。男の子なら、一度は憧れる職だろう。わたしが恋したあの人も、それはそれは素敵な騎士様だった。


「そうか、ルークの夢は騎士か。あぁ、なれるともさ。お前の父さんや爺さんも、そうであったのだから」

「あぁ、絶対になってやる。それで、国のみんなを守るんだ!」

「ふふっ、それは頼もしいわね」


 わたしがそう言うと、堂々と胸を張っていたルークは、若干気恥ずかしそうにはにかんだ。

 間違いない。この二人は将来、きっと素晴らしい大人となるだろう。ルークは国民の生活を守る騎士に、アレサは国民の命を救う医者に。わたしたちがそうであったように、この子たちもまた、多くの人々の力となり、そして慕われることだろう。

 そんな、未来の孫達の姿を夢想し、わたしはつい口許を綻ばせた。


「……それにしても、ここってとっても素敵な場所ね」


 アレサが周りを見渡しつつ、ふと声を漏らす。


「……ここに、セレスさんは眠ってるんだよな……」


 それに続き、ルークもまた声を漏らした。

 わたしの故郷の、北に位置する森の中。ある開けた場所に、今、わたしたちは居る。嘗てわたしとセレス先生が共に過ごした家は既に無く、代わりに一基の墓がその中央に据えられている。その慎ましい墓石の表面には『セレス・ウルフィリアス』の名が刻まれている。そして、その周囲には、嘗て先生が愛した花『セレシア』が咲き乱れていた。

 思い出の場所で、思い出の花に囲まれながら、先生は安らかに眠っているのだ。


 嘗ての日々に思いを馳せる中、木々に間から優しい風が通り抜けてゆく。風は木の葉を揺らし、花を躍らせ、その香りをわたしたちの元へと運んでゆく。

 その時、わたしは一瞬はっとなる。花の芳香の中に、それとは違った、かの懐かしい香りを感じたから。だが、そんなことは有り得ない。きっとこれは、昔を懐古するあまりに感じた幻なのだろう。


「……きもちいいね」

「……えぇ、本当にねぇ」


 隣のアレサが、わたしに寄りかかりつつそう呟く。わたしもまた、遠い目をしながら声を漏らす。

 あぁ、本当に心地良い日和だこと。こんな日が、これからもずっと、ずぅっと、続いていくことだろう。何故なら、このような穏かな日々こそが、先に逝ってしまったセラ先生の残した、最後の贈り物なのだから。

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北の森の魔女先生 ほろほろほろろ @horohoro_hororo

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