第五話 さよなら、先生 前編
あれからまた更に時は過ぎ、今夜、再び欠けない月が昇る。つまり、今夜は二度目の説教があるのだ。
きっと前回みたいに根拠の無い神様の話と、まるでセラ先生を侮辱するような話をされるんだろう。そう思っただけで、わたしの心は深い海の底に沈んでしまったかのような気分になる。
しかし、いつまでもそんな気持ちでいるわけにもいかない。これから何度だってあの男の説教を聞かないといけないし、信じているわけでもない神様に祈りを捧げなきゃいけないのだから。
だからわたしは、そんなことに気を散らしている場合じゃない。
わたしはブンブンと頭を振り、余計な考えを排除しようとする。
「どうしたの? 分からないところがあった?」
真向かいに座る先生がわたしの顔を覗き込んできた。
机の上を見ると、そこには薬学の本が数冊開かれていた。そうだった。今は薬学の勉強中だった。
「あ……ううん、だ、大丈夫だよ?」
「そう、ならいいわ」
顔の前で手を振り大袈裟に否定すると、先生は何もなかったかのように授業を再開した。
危なかった。大切な薬学の勉強中に余計なことを考えていたと知られたら、先生に呆れられてしまう。しっかり、しっかり集中しなければ。
再び気合を入れなおしたところでふと外を眺めると、丁度日が真上に到達するところだった。
「あっ! 先生、時間だよ!」
「時間……?」
窓の外を指差しながら先生に訴えかける。しかし、先生はわたしの言わんとすることを察していないようだった。
「もぅ、先生ったら、何言ってるの。魔法の練習の時間だよ」
「あぁ、魔法ね」
わたしの言葉に、先生ははっとしたような顔をした。しかし、何か気にかかることでもあるのか、どこか神妙な面持ちで先生は答えた。
「……いいえ、今日は魔法の練習はしないわ」
「えっ!? ど、どうして!?」
これまでこんなことは無かったのに、先生は急にどうしたんだ? まさか、本当はわたしが薬学の勉強に集中していなかったということを知っていて、その罰として魔法を練習させてもらえない……とか?
しかし、先生は肝心なその理由を答えてくれなかった。ただ一言「とにかくだめ。今日はこのまま薬学の勉強を進めるわよ」と言っただけだった。
あぁ、やっぱりそうだったんだ。勉強にちゃんと集中できない子には、魔法の練習はさせてあげませんってことか。ここは素直に諦めて、今日だけは薬学の勉強に専念しよう。
そう心に決め、勉強に再び取り組もうとした時だった。突然、玄関のドアが叩かれたのだ。
「誰か来たみたいね。わたしが出るから、リズはそのまま勉強を続けなさい」
「は~い」
そう言って、先生は玄関のほうへ歩いていった。
先生は勉強していなさいと言ったけど、一体誰が来たんだろう。気になってまたもや勉強に身が入らなくなってしまう。
好奇心には勝てず、わたしは勉強の手を止めて耳を澄ます。すると、玄関のほうから話し声が聞こえた。
一つは先生の声、もう一つは……何だろう。聞いてるとすっごく苛立ってくる声だった。
話の内容は聞き取れなかったが、しばらくして二人分の足音が近づいてきた。どうやら先生はその人を家に上げてしまったらしい。
少しして、居間のドアが開かれた。そのほうへ目を向けると、そこにはにこにこ顔の先生が、その後ろには、なんと司祭の男がいた。
「あ……あぁ……」
「どうしたの? リズったら、そんな怒りと恐怖の入り混じったような顔をして」
まさに先生言う通り、わたしは今、怒りと恐怖を同時に感じ、何も言えずに固まっていた。
司祭がこの家に来た!? ってことは、もしかして先生が魔女だってことがバレたのか? いや、それはないか。もしそうだとしたら、単身で先生の家に来るはずがない。
なら、一体この男は何をしに来たんだ? 単純に遊びに来ただけなのか?
わたしがいろいろ考えを巡らす内に、先生は居間に男を通した。男は一度居間を見渡すと、わたしのほうへ歩いてきた。
冷や汗が止め処なく流れる。まさか、わたしも魔法を使えるということを知っていて、わたしのことも殺しにきたんじゃ……?
「娘、何をしている」
「はっ、はひぃ!」
突然横から声を掛けられ、驚きと恐怖のあまり声が上ずってしまった。わたしは答えようとするが、何故か声は出ず、手は小さく震えていた。
そんなわたしの様子を見た男が、小さく舌打ちをしたのがわかった。
「娘、何をしているのかと訊いたんだ!」
横から男の手が伸びてくる。その迫り来る手を横目にしながら、しかしわたしは動くことが出来なかった。
「薬学の勉強ですよ、司祭様」
後ろから先生の声が聞こえ、男の手は既の所でぴたりと止まった。後ろを振り向くと、お盆を持った先生がにこにこ顔で立っていた。お盆の上にはティーポットとティーカップが三個載せられていた。
「司祭様、紅茶を淹れましたのでお召し上がりください」
「ふんっ、そんなものは要らん」
先生の厚意を司祭の男は冷たくあしらった。特に、そのことに対して悔しくは無かった。この男に、先生の淹れたおいしい紅茶を楽しむ権利なんて無いのだから。
先生は変わらぬにこにこ顔のまま、机の上にお盆を置き、紅茶の入ったティーカップを一つ、わたしの前に置いた。
「あ、ありがとう……」
未だ震える手のまま、カップを持とうとする。しかし、わたしの手がカップに届く前に、先生の手がわたしの手を包んだ。
「ふふっ、勉強がんばってるから、少し休憩にしましょう」
そう言うと、先生は机の上に広げられた本を閉じ、脇に除けた。わたしの手の震えは止まっていた。
「さぁ、司祭様。どうぞお座り下さい」
先生に促され、男は返事をすることなく、わたしの斜め向かい側の椅子に腰掛けた。先生はわたしの隣に、男と向かい合って座った。
「司祭様、それで、お話とは……?」
先生が問うと、男は少し小馬鹿にするように言った。
「あぁ、話か。なぁに、大したことではない。私はこの村の管理、統制をする立場にある。故に、村の家々を、こうしてわざわざ自ら出向いて視察しているという訳だ」
「そうでしたか。それはそれは、お疲れ様です」
先生が労いの言葉をかけるが、男は全く意に介する様子もなく、再び家の中をぐるりと見渡した。
「それにしても……この家は村から離れた所に建っているのだな。それは何故だ?」
明らかに怪しんでいる目で男は尋ねた。しかし、先生は相変わらずの表情のままだった。
「はい、実はわたし、村で医者をしております。なので、薬をよく調合するのですが、それには濁りなき水が欠かせません。村に流れる川の水は使えず、この近くで唯一使用可能なのが、ここから少し北に進んだ先にあります泉の水なのです。村まで運ぶのでは少々負担が大きいので、わたしはここに家を構えているのです」
嘘だった。確かに綺麗な水は必要だし、川の水を直接使うことは出来ないけど、ちゃんと処理をすれば問題なく使えるのだ。
しかし、男はそれに気づいた様子も無く、再び質問を投げかけた。
「ところで、この娘はお前の子か?」
自分の話題が上がったことで、少しどきりとしてしまった。その一方で、先生は全く動揺を見せることなく答える。
「いえ、わたしの娘ではありません。この子は……村の前任の医者の娘です。この子は、親と同じ医者を目指しているんですよ」
「そうか。だから薬学を学んでいたのか。……では、この娘の親はどこだ? 村のほかの家は既にすべて回ったが、そのような者はいなかったぞ」
わたしの両親。騎士だったお父さんと医者だったお母さんは、東の森で盗賊に襲われて死んだ。わたしはそう聞かされた。それは、先生がこの村に来るより前のことだった。
「この子の両親は……既に亡くなっております。今は、村の墓地で安らかに眠っていますよ」
先生はすべてを話さなかった。
「そうか」
自分で訊いておきながら、さして興味を示さない様子で男は答えた。
この男の真意が見えない。一体この男は何のためにここに来たんだ? 本当にただの視察なのか? それとも隠れた目的があるのか? もしかしたら、こうしていろいろ質問することで、魔術師なのかどうかを探っているとか?
「それにしても……」
三度、男は先生に質問を投げかけた。
「お前のその服装、変わっているな。見た限り同じ種類のものを毎日来ているようだが、何故それを着ている?」
わたしはまたもやどきりとした。先生の着ているそれ、紺のローブは魔術師の着るものだと先生が言っていた。まさか、この男はそれが分かっていて……?
わたしが心の中で狼狽する一方、先生はやはり眉をピクリとも動かすことなく答えた。
「これですか? そうですね……司祭様がその白いローブをお召しになる理由と同じでしょうか」
「私と同じ?」
「えぇ、司祭様は司祭という職業故に、その白いローブを着る。わたしの場合、医者ですから」
「……帝国の医者はそのような服装をしないが?」
「場所が違えば、様式も異なりましょう」
「ふん、そうか」
先生から答えを聞くと、突然男は席を立った。
「どうかされましたか? 司祭様」
先生がそう尋ねると、男はこちらへ目を向けることなく答えた。
「もうここに用がなくなっただけだ」
「では、玄関までご案内致します」
そう言うと、先生も席を立ち、男を先導していった。居間にはわたしだけが残った。
わたしはティーカップを手に取り、紅茶を一口飲んだ。男がいる間にぬるくなってしまったが、やっぱり先生の淹れてくれる紅茶は美味しかった。
ほっと一息ついたところで、先生が帰ってきた。さっきまでのにこにこ顔ではなく、ちょっと疲れたような顔をしていた。
「先生、大丈夫?」
「えぇ、大丈夫よ」
先生は再び椅子に座り、紅茶を一口飲んだ。その動作から、先生が疲れているということが見て取れた。
「リズ、今日の勉強はここまでにしましょうか」
「え、いいの?」
また勉強を再開するとばかり思っていたので、わたしはつい聞き返してしまった。
「えぇ、村でミーナたちと遊んできなさい」
「うん、分かった」
きっと、先生も勉強を教える気力を失ってしまったんだろう。だったら、先生がちゃんと休めるように、わたしは大人しく村で遊んでくることにしよう。
「先生、行ってきます」
居間のドアの前で振り返ってそう言うと、先生はこちらを見ることなく、代わりに手を振ってわたしを送り出してくれた。
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