第四話 司祭が来た 後編
祈祷とは、なんとも滑稽なものだった。
教会に集められた村のみんなは、大きな部屋の奥に設置された良く分からない石膏像を前に跪かせられた。男が言うには、その石膏像は神様をかたどったものなんだそうだ。
一同はそれに向かって手を合わせ、目を瞑り、男の後に続いて何かの台詞を言わされた。どうでもよかったので内容はあまり覚えてないけれど、確か、神様を信じてますとか、神様を愛してますとか、そんな感じだったと思う。
その光景がまさに滑稽だった。神様でも何でもないただの石膏に、みんな手を合わせて語りかける。こんな面白可笑しな光景なんて今までに見たことがあっただろうか。
まさか、帝国の人たちはいつもこんなことをしているのか? 見えないものを信じ、見えないものを敬い、見えないものに縋る。全く訳が分からない。
まぁ、そんな訳の分からない行事も何とか終わり、わたしとセラ先生は家に帰ってきた。辺りは既に暗かった。祈祷が日の入りにあったのだから当然だけど。
「もう、信じられないよ!」
家に入った直後、吐き捨てるようにわたしは言った。
「信じられないって、何が?」
わたしとは対極的に落ち着き払った様子の先生はソファでくつろぎ始めた。わたしも先生の隣に座った。
「何がって、先生冗談でも言ってるの? あの男のことだよ。司祭の人。散々訳の分かんないこと言って、まるで自分が一番偉いみたいな態度とっちゃってさ。あんなのっておかしいよ。先生もそう思うでしょ?」
そう言って詰め寄ると、先生は口許に手を遣って考える素振りを見せた。
「そうかもしれないけど……あっ、でもあの子、中々悪くない顔してたわ」
「か、顔!? そんなことはどうだっていいでしょ!? いくら顔が良くったって、中身がまともじゃないと意味無いの!」
「うふふっ、リズは厳しいわねぇ」
そう言って、先生はいつものように上品に笑っている。どうして先生はそうしていられるのか、わたしには分からなかった。
「ねぇ、先生。きっと、あの男が来たせいでわたしたちの生活はすっかり変わっちゃうよ。わたしたちは魔法が使い辛くなるし、毎朝毎夕ヘンなのに祈らないといけないし、数十日に一度あの男の説教を聴かなきゃいけない。これからこんな訳分かんない生活が待ってるっていうのに、先生はどうしてそんなにも落ち着いていられるの?」
「ん~そうねぇ。まぁ確かに、これからいろいろ大変だとは思うけど、きっと何とかなるわよ」
「……その根拠の無い自信はどこから湧いてくるのさ。もぉ、先生ったらヘンに楽観的なんだから」
わたしはそんな先生を見て呆れかえるばかりだった
***
司祭の男が村に来てから数日が経ち、初めての欠けない月が昇る夜がやってきた。
欠けない月が昇る夜、あの男の決めた通り、わたしたち村人が訳の分からない説教を受けるのだ。
一体何についての説教を垂れるのか知らないが、あんな性格の男の言うことだ、まともな内容であるはずがない。
村のみんなも、わたしと同じことを思っているようだ。夜、教会に集まった村のみんなは、数十本の蝋燭が薄暗く照らす中、声をひそめながら口々にあの男について文句を言っていた。
わたしもそれに加わりたい気もしたが、相変わらず文句の一つも言わないセラ先生の顔を見たらその気も失せてしまった。
わたしはただ、先生の隣に寄り添い、男が来るのを待った。
しばらくして、男が自室から姿を現した。さっきまで村のみんなが散々奴の悪口を言っていたので、もしかして聞こえていたんじゃないかとヒヤヒヤしたが、どうやらその様子は無い。わたしは一人、胸を撫で下ろした。
男は教壇の上に立ち、高い位置からわたしたちを見下ろす。その奴の目が、わたしは嫌いだった。まるで、虫でも眺めているかのような目だから。
男は一通りわたしたちを見下すと、突然語りだした。
「遥か昔、この世界には命も、大地も、海すら存在しない『無』の時代があった。
あるとき、その『無』の空間に神が産まれた。その神、マーサベーレ様は、女性の姿をした大変に美しい女神だった。
マーサベーレ様は、ご自分が『無』の空間にお一人であることを悲しみ、涙を零しなさった。その涙は空間を漂い、集まり、やがて大きな海を成した。
海はマーサベーレ様の御心を癒した。マーサベーレ様は海を漂われ、お一人であることの寂しさをしばしの間お忘れになった。
しかし、その海であっても、マーサベーレ様の溢れゆく悲しみを受け止めきれるほど深くは無かった。再び、マーサベーレ様は涙を零しなさった。
その涙が海に触れたとき、それは1つの島と成った。いくつもの涙が零れ落ち、いくつもの島と成った。やがてそれらは繋がり、広い大陸と成った。
大陸はマーサベーレ様の御心を癒した。マーサベーレ様は大陸の上を走られ、お一人であることの寂しさをしばしの間お忘れになった。
しかし、その大陸であっても、マーサベーレ様の溢れゆく悲しみを受け止めきれるほど広くは無かった。再び、マーサベーレ様は涙を零しなさった。
その涙が大陸に触れたとき、それは1つの獣と成った。いくつもの涙が零れ落ち、いくつもの獣と成った。やがてそれらは栄え、大陸は獣で溢れた。
獣はマーサベーレ様の御心を癒した。マーサベーレ様は獣と戯れられ、お一人であることの寂しさをしばしの間お忘れになった。
しかし、その獣であっても、マーサベーレ様の溢れゆく悲しみを受け止めきれるほど賢くは無かった。再び、マーサベーレ様は涙を零しなさった。
その涙が獣に触れたとき、それは一人の人間と成った。いくつもの涙が零れ落ち、いくつもの人間と成った。やがて人間は集い、文明を築いた。
マーサベーレ様はご自分と同じ姿をした人間が生まれたことを大変喜ばれた。マーサベーレ様は我々人間に愛を施し、人間はマーサベーレ様を畏れ敬った。
マーサベーレ様は、ご自分の愛に報いる人間たちに道を示しなさった。時に助言を施し、時にその御業で以って我々をお守りくださった。人間はその度に、より深くマーサベーレ様を畏れ敬った。
マーサベーレ様は今でも、世界中の我らの同胞たちを見守って下さっている。そして、我々が危機に陥った時、必ず我らに救いの手を差し伸べて下さる。故に、我らはその愛に報いなければならない。
畏れよ、我らがマーサベーレ様を! 敬え、我らがマーサベーレ様を!」
はんっ、全く可笑しな話だ。神様がこの世界を作ったって? そんな馬鹿な話があるか。そもそも、人間が生まれるより遥か以前のことをあんたは一体どうやって知ったっていうのさ。ははっ、聞いてて笑いが込み上げてくるよ。
「しかしある時、我らがマーサベーレ様を畏れ敬わぬ輩が現れた。奴らは悪魔に己の魂を売り、マーサベーレ様の愛を忘れ、あろうことか我らが神を憎んだ。奴らを、我々は『魔術師』と呼んだ。
奴らは怪しげな術を操ることで作物を枯らし、家畜を殺し、人々を欺き、子供を喰らう。まさに人に害をなす存在である。
マーサベーレ様はこれを大変悲しまれた。しかし、マーサベーレ様はその何よりも深い愛によって、例え魔術師であってもお手に掛けなさることはできなかった。
故に、我らが神の代わりとして、我々が魔術師を討たねばならぬ! 神の愛を裏切り、世界に混沌を呼び寄せる奴らに、裁きの鉄槌を下さなければならぬのだ!」
そう言い放った後、男は再びわたしたちを見下し、終わりの言葉を告げることなくそのまま自室に引っ込んでしまった。
「お、終わったのかな……?」
「その……ようね」
隣に座るセラ先生に小声で尋ねると、あまり自信の無い返事が返ってきた。
***
「くそっ! 腹が立って仕方ねぇ!」
教会から出るなり、アレルおじさんがその怒りを顕にした。隣に寄り添うマナナおばさんがなんとか彼をなだめようとする。しかし、おじさんの怒りは消えない。
「お前ぇらもそうだろ? あの小僧が言ってることはメチャクチャだ」
村人の中からぽつぽつと賛同の声が上がる。
「そうだよな。神だのなんだのって、急に言われても困っちまう」
「それに、魔術師が敵だなんて……まるでセレスさんを悪く言っているようで気分が悪かったわ。セレスさんはわたしたちに悪さをするどころか、助けてくれるのに」
「そうだな。俺たちからしちゃぁ、何もしてくれねぇ神なんかよりも、セレスさんのほうがよっぽどありがてぇってもんだ」
その通りだ。いくら魔術師のことを悪く言おうが、この村に先生を非難する人はいない。あの男の思い通りにはならない。
「セレスさん、あんな奴の説教なんか気にすることはない。あんたは俺たちのために魔法を使ってくれたし、俺たちはその恩を忘れない。あいつが何と言おうと、俺たちはあんたの味方だ」
「えぇ、ありがとうございます、アレルさん」
アレルおじさんの言葉に、先生は小さく頷きながら答えた。
しばらくみんなが自分の意見や男の悪口を言い合っていると、村長が進み出て言った。
「今日はもう遅い。もう家に帰り、休んだほうが良いだろう。さぁ、皆家に帰りなさい」
その言葉に、わたしたちは今が深夜であることを思い出した。
***
家に帰っても、腹の立つ説教をされたせいか、わたしは全く眠気を感じていなかった。それは先生も同じなようで、ソファに座りながら一息ついていた。
わたしも先生の隣に座り、さきほどの男の説教を聞いてから疑問に思っていたことを訊いてみた。
「ねぇ、先生。あの司祭の男が言ってた魔術師が操る怪しげな術って、魔法のことだよね? 魔法ってちゃんと仕組みがあって、理論があるのに、どうしてあの男はそれを怪しげな術なんて言うのかな?」
「……帝国は……いえ、教会はね、魔法の存在を理論的なものだと認めていないの。あの人たちからしたら、魔法は神の御業と対極をなすものであり、禁忌なのよ」
「でも、昔は帝国にも魔法があったんでしょ? それがどうして今みたいになっちゃったの?」
「もう、四百年も経っちゃってるからね。かつて帝国にあった魔法に関する書物は全部焼き払われちゃったし、それに、帝国では教会が力を持ちすぎた」
教会……魔術師を滅ぼそうとする人の集団。彼らが力を持ち、発言権を持ち、帝国に住む人々はその思想に染まったということか。
「あの司祭の子、言ってたでしょう? 魔術師は悪魔に魂を売って、その見返りとして魔法の力を得たって。そんなはずないのに、けれど帝国の人々はそれを信じ込んでる。
だから、魔法を使える人はそれを隠そうとする。けれど、それが出来ない人もいるの。魔法の適正が高い人は、ちょっとした拍子に魔法を発動しちゃう時がある。それを誰かに見られたら最後、その人はずっと差別に苛まれながら生きていくの。
それに耐え切れなくなって、彼らは前に帝国を襲ったのね。まあ、結果として事態は悪い方向に向かっちゃったみたいだけど」
「そう……なんだ」
かつての帝国では魔法が発展した。それがいつからか禁忌とされ、今ではそれを滅ぼそうと躍起になっている。
すべては、四百年前に帝国を滅ぼしたという魔術師が悪いんだ。一体何の目的があってそんなことをしたのかは知らないけど、その人のせいで今では多くの魔術師たちが死の危機に瀕している。その一人にセラ先生だっているんだ。
「さぁ、リズ、そろそろ寝ましょうか。明日も早いのだから」
先生の声に、わたしははっとなった。そうだ、明日の朝も祈りの時間があるんだった。もし遅れたりしたらあの男になにされるかわからない。
先生と並んで、一緒に寝室に向かう。ふと、先生の顔を見上げると、その顔はどこか暗く沈んだ表情を浮かべていた。
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