第四話 司祭が来た 前編

 ウンザリするような毎日だったけど、気づけば時間はあっという間に過ぎてゆき、遂に今日、村に教会が完成した。

 建築士の人たちは、自分たちの仕事が終わるなりさっさと帝国に帰ってしまった。あの人たちにとって、この村は辺鄙過ぎたのだ。きっとこの村にいる間中、帝国での暮らしが恋しかったんだろう。

 とにもかくにも、無事に教会は完成し、あの無駄に態度のデカいおっさん達は村から消えた。わたしはそれが嬉しくて仕方なかった。きっと村のみんなも同じ気持ちだと思う。

 こうして平和な日常を取り戻したわたしは、今日も北の森で魔法の練習に精を出していた。


「ほら! 見て、セラ先生! 水が浮いてるよ!」

「すごいわね、リズ。練習の賜物ね」


 初めて魔法が使えるようになった日からおよそ九十日。わたしの魔法は結構上達したと思う。多分。

 初めは小さな火を出すだけだったのが、今では焚き火ほどの大きさの火を出せるようになり、他にもそよ風を吹かせたり、今やっているように桶一杯分の水を操れるようになった。わたしとしてはかなりの進歩だ。まぁ、セラ先生にはまだまだ及ばないけど。


「リズ、そろそろご飯にしましょうか。お腹空いたでしょう?」


 先生にそう言われ、お腹に手を当てる。すると、思い出したかのようにわたしのお腹が鳴った。


「うん、お腹空いた」

「ふふっ。さぁっ、家に戻りましょう」


 わたしは先生に手を引かれ、家へ帰っていく。

 気がつけば既に辺りは暗く、空に浮かぶ月がわたしたちを照らしていた。


 ***


 晩ご飯を済ませ、お風呂にも浸かった後、先生は必ず紅茶を淹れてくれる。わたしと先生は並んでソファに腰掛け、それを楽しむのが日課だ。

 この時間が、わたしにとって一番安らげる時間なのかもしれない。今日一日どころか、ここのところずっと感じていた疲れも瞬く間に吹っ飛んでいくようだ。

 紅茶の香りを楽しみながら、わたしは先生に話しかけた。


「あの建築士のおっさんたち、やっと帰ってくれたね」

「そうねぇ」

「はぁ~、せんせいするね」

「全く……リズ、そういうことは、例え心の中で思っていても、口には出さないものよ」


 先生はそう言うけれど、その口調と声色からはわたしを諭そうとする意図は感じなかった。きっと先生も、心の中ではあのおっさんたちがいなくなって嬉しいんだろう。

 少し、そこを突いてみよう。


「でもでも、先生だっていやなことの一つや二つされたでしょ? あのおっさんたちに」

「えぇ……まぁ」


 先生は少し遠い目をしながら答えた。

 先生の歯切れの悪い返事に対し、わたしは若干の好奇心を抱いてしまった。


「やっぱり。一体何されたの?」


 先生は少し口ごもったが、やがて静かに呟くように言った。


「何度か……お尻を触られたわ」


 その直後、先生は自分の体を抱いて身を震わせた。きっとその時のことを思い出して怖気立ったんだ。

 その様子を見た途端、わたしの中に怒りが沸々と湧き上がってきた。

 先生に、わたしの先生にそんなちょっかいを出していたなんて! あの汚い手で先生に触れるなんて許されるはずがない!


「あぁっ! やっぱりあいつらのご飯に下剤の一つでも混ぜてやるべきだったんだ!」


 わたしが激しく怒りを顕にする一方で、先生は落ち着き払っていた。


「リズ、女の子なんだから言葉遣いには気を付けなさい? 『あいつら』とか言わないの」

「うぅ、でも……」


 先生はとっても綺麗で、乱れた言葉遣いをしなくて、そして魔法が使える。そんな先生がわたしの憧れであり目標なんだ。だからわたしは、先生を汚そうとしたあのおっさんたちが許せない。

 その時、先生がわたしの頭を撫で始めた。突然のことで反応できずにいると、先生がわたしの目を見て囁きかけた。


「わたしのために、そんなに怒ってくれてるのね。ありがとう、リズ」

「せ、先生……」


 わたしはティーカップを机の上に置き、先生の懐に飛び込んだ。


「先生、大好きだよ」

「あら……もう、リズったら。よしよし」


 わたしが甘えると、先生は再び頭を撫でてくれた。それが、とても心地よかった。


「そういえば、帝国から派遣されるってう司祭の人はいつ来るのかな?」


 先生の腕に抱かれながら、ふとそんな疑問が浮かび上がった。


「多分、明日中には着くんじゃないかしら」

「えっ、明日!? 早くない? だって、教会は今日完成したんだよ? 建築士のおっさんたちが帝国に帰って報告して、それから司祭の人が来るまでを一日で済ますなんて……」

「いえ、それは違うわ。実は、完成の目処が立った頃に帝国に一人報告に向かったの。だから、帝国は教会が今日完成するって知ってるのよ」

「そっかぁ……」


 明日には、また帝国から人が来る。そして、その人はずっともの村に居座るんだ。

 同じ帝国出身の人なら、司祭の人もあのおっさんたちと同じように威張り散らしてくるに違いない。帝国出身であることが偉いことなんだと勘違いしてるに決まってる。

 それだけじゃない。今度来るのは司祭。先生の敵なんだ。あのおっさんたちよりたちが悪い。

 やっと取り戻した日常に再び陰りが差すんだ。そしてもう二度と日が昇ることはない。


「あぁもう! 司祭なんて人来なければいいのに!」


 先生の胸の中でそう訴える。しかし、先生はそれに同調してくれなかった。


「もう、だめよ、リズ。村人が増えるのだから、そこは喜ばなくちゃ」


 先生はまるで危機感を抱いてないかのようなことを言った。それを聞き、わたしの言葉に熱がこもる。


「先生はなんでそんな能天気なこと言っていられるの? 司祭って人は先生の命を狙ってるんでしょ? だったらその人は敵だよ。村の仲間じゃない。敵がやって来るのに喜べるはずがないよ」


 先生はわたしの体を起こし、わたしと目と目を合わせながら言った。


「わたしの心配をしてくれるのね。ありがとう、リズ。けどね、いつからあなたは誰かを守れるほどに強くなったのかしら?」

「えっ?」


 先生の言葉は、わたしの想像より遥かに重いものだった。


「あなたはまだ子供よ。体力も無く、知恵も浅く、武術の心得もほとんど無い。魔法が使えると言っても、戦いの中ではあなたの魔法はまるで役に立たないわ。


 そんなあなたが自分の心配じゃなくわたしの心配をする。わたしより弱いあなたが、あなたより強いわたしを心配するなんて、可笑しな話だわ」


「わ、わたし……そんなつもり、なくて……」


 厳しい先生の言葉に、わたしはすっかり弱ってしい、まともに声も出なくなってしまった。そんな状態のわたしを、再び先生は抱きしめてくれた。


「わかっているわ、あなたの気持ち。だけど、心配は要らないわ。自分の身は自分で守れる。帝国の司祭が何人来ようが関係ない。だから、リズ。あなたは何も心配しなくていいの。わたしがあなたも守るから……」

「うぅ、先生……」


 先生の言う通り、わたしは無力だ。自分はまだどうしようもなく子供で、誰かを守れる強さを持っていない。わたしがセラ先生の心配をするなんておこがましいことだったんだ。

 わたしはいつか、誰かを守れるようになれるだろうか? 先生がわたしを守ってくれるように、わたしもいつか、大切な誰かを守れるようになれるだろうか?


 ***


 その翌日の夕方、わたしと先生が家でのんびりしていると、突然玄関のドアが叩かれた。わたしが玄関を開けると、そこには騎士の一人、ウルカおじさんが立っていた。おじさんは大分急いで来たらしく、肩で息をしていた。


「おぉ、リーザか」

「どうしたの? おじさん」

「あ~、セレスさんは中にいるかい?」


 用件を尋ねるが、おじさんははっきりとしたことを言わなかった。


「うん、いるけど」

「じゃあ、急いで二人で村に来てくれ。それじゃっ」


 そう言い残すと、ウルカおじさんは村の方へ走っていった。

 一体なにを急いでいるんだろう。おっと、それよりも、先生に村に行くよって伝えなきゃ。

 わたしは居間に行き、机に向かって分厚い本を読んでいる先生の袖を引っ張った。


「ん? どうしたの?」

「さっきね、ウルカおじさんが来てね、村に急いで来いって」

「村に……あぁ、はいはい」


 先生は納得したように本を閉じ、席を立った。わたしは先生の考えが気になったので訊いてみた。


「先生、何か分かったの?」

「えぇ、多分、司祭が村に着いたのよ」

「司祭……っ!」


 わたしはその単語に過剰に反応してしまった。きっと、わたしは恐れているんだ。帝国から魔術師を捕まえに来たという司祭を。


「ふふっ、大丈夫よ、リズ」


 先生がわたしの手を優しく包む。わたしの中の恐怖が少し和らいだ気がした。


「大丈夫だから。さぁ、行きましょう」

「……うん」


 先生に手を引かれ、わたしたちは村へ向かった。


 ***


 村に着くと、教会の隣に設けられた小屋に一台の馬車が留まっていた。その装飾の中には、かつて見たことがある帝国のシンボルがあしらわれていた。昨日先生が言っていた通り、村には本当に司祭が来ているようだった。


「おぉ~い! 二人とも~! こっちだ~!」


 村長の家の前でウルカおじさんがわたしたちを呼んでいる。村に他の村人の気配はないので、多分みんな既にあそこに集まっているんだろう。


「少し走りましょうか」

「うん」


 先生はそう提案し、わたしたちは村長の家まで走っていった。


 ***


 村長の家に入ると、その広い居間には既に他の村人たち全員が集まっていた。馴染みのある顔ぶれに、わたしは安心感を覚える。

 しかし、その中に異彩を放つものが三つあった。普段村長が占めるはずの場所に白い人が3人いたのだ。

 中央には白いローブを纏った若い男が、その両脇には白っぽい鎧を纏った騎士が立っていた。

 あの中央の男の人が司祭か。そう察した直後、その男が口を開いた。


「今入って来た女と娘よ、お前たちは礼儀という言葉を知らぬのか……?」


 ……は?


「私は帝国教会の中でも上位の座に就く司祭だ。その私が、このような辺境の地までわざわざ出向いてやったのだ。お前たち野蛮人に神の教えを説き、救済する為にな。

 しかし、お前達二人はこの私を出迎えないどころか、こうしてここに待たせた。お前達にそうする権利など無いと言うのに!」


 この男は、一体何を言っている……?


「詫びろ! 今この場で! 頭を深々と垂れて!」


 メチャクチャだ。私たちを救済? 野蛮人? 権利? 訳が分からない。

 わたしたちは救済なんて求めてない。野蛮人だって言われる筋合いだってない。権利のある無しはお前の決めることじゃない。

 それなのに、どうしてわたしたちが謝らなくちゃいけないんだ!


「何訳のわか――」

「すみませんでしたっ」


 わたしが反抗しようとしたとき、咄嗟に先生がわたしの頭を掴み、無理矢理下げさせた。先生も同じく深く頭を下げている。


「司祭様、この通りです。先ほどまでのわたし共の無礼を、どうかお許しください」


 どうして、どうしてこんな奴に頭を下げてるの……? わたしたち何も悪いことしてないのに。

 しかし、わたしは今の気持ちを言葉に出来なかった。もし言葉にすれば、きっとあの男はわたしたちを許さないだろう。さっき先生はわたしの言葉を遮り、今はわたしにこうして頭を下げさせている。それはきっと、わたしを守るためなんだ。

 どれくらいそうしていただろう。しばらくして、男は再び口を開いた。


「ふんっ、良いだろう。今回だけは特別に許してやる。私の寛大な心に感謝するんだな」

「はい、ありがとうございます」

「ありがとう、ございます……」


 頭を下げたまま感謝の言葉を述べ、ようやくわたしたちは頭を上げた。男は村人一同を見渡し、まるで高い山の上から物を言うように話し出した。


「先ず、お前達野蛮人に言っておく。これ以降、私の下す決定には必ず従え。私の決定は帝国の決定。私に逆らうということは帝国に逆らうということだ。もし、私の決定に従わない場合、その者は国家反逆罪によって厳しく処罰される。そのことを、その卑しい頭に叩き込んでおけ。

 次だ。日の出と日の入り時、教会で祈祷が行われる。祈祷とは、我らが神に祈り、そのご加護を賜うことだ。お前達はこれに参加する義務がある。故に、日の出と日の入り時には教会に集まれ。時間に遅れた、ないし参加しなかった場合、その者は異端者として厳しく処罰される。例外は無い。

 次だ。欠けることのない月が昇る夜、教会にて私がお前達に直々に説教をしてやる。お前達に拒否権は無く、遅れた、ないし参加しなかった場合、その者は異端者として厳しく処罰される。例外は無い」


 男が話す間、誰も物音一つ立てない。でも、その話を聞くみんなの顔は真剣なものではなく、必死に怒りを隠そうとしている顔だった。


「以上だ。くれぐれも決まりを破らないことだな、野蛮人共」


 最後にそう締めくくると、男は居間の真ん中を突っ切って歩く。その後ろを二人の騎士が鎧の音をうるさく立てながら続く。

 やがて、男がわたしたちの隣にまで歩いてきた。男は一旦立ち止まり、セラ先生を睨みつけた。先生は小さく頭を下げた。それを見た男は、鼻を鳴らしてそのまま村長の家から出て行った。


「くそっ! 何なんだ、あの小僧!」


 男が出て行ってしばらくした後、騎士団長のアレルおじさんが机に拳を叩きつけながら言った。


「野蛮人だの何だの言いたい放題言ってくれやがってぇ! 帝国の奴らはあんな下衆共しかいねぇのか!?」


 アレルおじさんの言葉に、村のみんなが賛同する。そして、みんな口々に不満を漏らし始めた。

 よかった。みんなも同じ気持ちなんだ。そう安心していると、わたしたちの所にレァハおばさんがやってきた。


「セレスさんに、リーザちゃん。さっきは災難だったわね。でも、あんなの気にする必要ないのよ?」

「えぇ、分かっていますよ」


 レァハおばさんはわたしたちを心配してくれているようだ。その優しさが、わたしは嬉しかった。

 その後、わたしたちは解散することなく、日の入りを待った。男の決定が今日から適応されるのなら、日の入りに行われる祈祷とやらにわたしたちは参加しなければいけなかったから。

 嫌な気持ちが募っていく。これから毎日、いるかどうかも、助けてくれるかどうかも分からない神様に対して祈りを捧げ、何日かに一度、されたくも、される必要も無い説教をされなければいけないのだ。

 どうして、どうしてこんなことをしなくちゃいけないのだろう。

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