第六話 疫病の果てに 前編

 昨日、セレス先生が魔女だということが司祭の男にバレて、先生は帝国に連行されていった。あれは夕暮れでの出来事だったから、そろそろ帝国に辿り着く頃合だろうか。そこで、先生は処刑される。自らが魔術師である罪を問われ、人々の前で殺されるんだ。


 もう、先生は帰ってくることはない。

 わたしのいる、この村に。

 分かってる。ほんとは分かってるんだ。

 けど、心のどこかで、わたしは待ってる。先生が村に帰ってくるのを。

 数日経てば、けろっとした顔をしながら、わたしの前に再び先生が現れるんじゃないかって。そして、またいつものように薬学や魔法を習ったり、一緒にお風呂に入ったり、先生の淹れてくれる美味しい紅茶を飲んだり。そんな毎日がまた始まるんじゃないかって、心のどこかで思ってる。

 わたしは、そんな馬鹿な期待を捨てられずにいる。

 昨日起きたことは全部……いや、司祭がこの村に来ることになったときからが、すべて夢だったんじゃないかって。ふと目を覚ませば、それはわたしの十歳の誕生日の翌日で、わたしの隣には相変わらずの綺麗なセラ先生がいるんじゃないかって。

 わたしは、そんな馬鹿な幻想を捨てられずにいる。


 でも、そんなことは現実には起こらなかった。

 目を覚ましても先生は隣にいなかったし、北の森の家には誰もいなかった。

 もうセレス先生は帰ってこない。もうセレス先生には会えない。

 その事実を実感させられ、わたしは押し潰されるような思いだった。


「リーザよ、少しは食べなさい」


 少し遅めの朝ごはんを摂るため、村長と机を囲む。しかしわたしは、全くご飯が喉を通らなかった。


「……いらない。食欲がないの……」

「食欲がなくても、何か腹に入れておいたほうが良い。スープだけでも飲みなさい」

「……」


 村長がわたしのことを思って言ってくれているのは分かる。けれど、そんな優しい言葉のすべてが、今のわたしにとっては耳障りだった。

 分かってる。先生が司祭に連れて行かれたことを、誰かのせいにするってことが間違いだなんてことは。

 昨日のあの状況で先生を庇えば、それだけであの男に殺されていただろう。無駄に死人が増えるだけだ。だから、先生を庇う人がいないなんてのは当たり前のことなんだ。

 そんなことは分かっている。それでも、誰も先生の味方をしなかったことが許せないんだ。

 あの時村中が一丸となって司祭たちに立ち向かっていれば、先生を連れて行かせずに済ませることが出来たかもしれない。きっと、こんなことにはならなかったはずだ。

 こんな勝手なことを思うわたしは、きっと、このことを誰かのせいにしたいだけなんだ。


 本当なら、わたしが一番に先生を庇ってあげなきゃいけなかったんだ。誰よりも先生と長く過ごしたわたしが。誰よりも先生のことを大切に思っていたわたしが。

 けど、わたしは怖かった。殺されるのが怖かったんだ。だから、あの時わたしは何も言えずに、ずっと村長の背中に隠れてたんだ。

 そんな自分のことを棚に上げて、誰かに責任を押し付けようとする。わたしの前から先生がいなくなったのは、お前のせいだって。

 ……こんなにも、わたしは嫌な奴だっただろうか。


「おぉ、そうじゃ。クッキーをこの前焼いたんじゃが、食べるかのぉ?」


 わたしがどんなことを考えているか知る由もない村長は、尚も優しい言葉を掛けてくれる。そのことに、ますます自分が嫌になる。


「……」


 いたたまれない気持ちになったわたしは無言のまま立ち上がり、そのまま村長の家から逃げるように出て行った。


 ***


 あての無く村の中を歩くわたしの足は、自然と小高い丘に立つ集団墓地に向かっていた。

 周りより高い位置にあるこの場所はよく風が通る。この地に眠る人々は、この風に吹かれながら村を見渡し、生前を懐かしんでいるのだろうか。


 いかなる理由で死んだ村人も、皆この地に眠る。たとえ村の外で死んでしまっても、最後は村に帰ってこれるんだ。

 けど、帝国で処刑された後、先生はどうなるんだろうか。遺体は村に返されるんだろうか。

 きっと、そんなことはない。遺体はきちんと処理されず、無造作に捨てられることだろう。

 先生は帰ってこない。この村を見渡せる、この丘に眠ることもできないのだ。


 気がつけば、両親の墓の前にわたしは立っていた。

 わたしが六歳の頃、わたしを置いて勝手に死んでしまった両親。それを知った時のことを、今でも覚えている。

 わたしはひどく泣いていた。現実が受け入れられなくて、受け入れたくなくて、それでもお父さんとお母さんは帰ってこなくて、わたしは泣いた。

 そんなわたしの涙を受け止めてくれたのが、セレス先生だった。わたしが泣きじゃくる間、先生はずっとわたしを抱きしめていてくれた。


 それから四年間、わたしはずっと先生と一緒だった。わたしにとって先生は、もう一人のお母さんだった。

 あれから、たくさんの思い出を作った。楽しい思い出も苦い思い出も、そのすべてがわたしの宝物になった。

 こんな日々が永遠に続くんだと思っていた。これからも先生とたくさんの思い出を作っていくんだと信じて疑わなかった。

 けど、先生もわたしの前からいなくなってしまった。もう会うとこは叶わない。

 これまでの日常は終わったのだ。

 ふと、涙が頬を伝った。

 一度零れたら、もう止まらなかった。


「……うぅ……せんせぃ……」


 両親の墓の前で、わたしは泣き崩れた。けれど、今度の涙を受け止めてくれる人は、わたしの周りにはいなかった。


「……ぐすんっ……えぐ…………は、花……?」


 大粒の涙で視界を霞ませながら、両親の墓に二輪の花が添えられているのに気がついた。どちらも、わたしが添えた花だ。

 花……そういえば、先生も一輪の花を大切に世話していた。

 どこか先生に似ていたその花は、先生がいない今、放っておけばいつか枯れてしまうだろう。


「花……ぐすんっ、お世話、しなきゃ」


 先生の大切な花、先生に似ている花。わたしは、あの花を枯らしてはいけないと思った。

 わたしは縋りたかったのだ。先生を思い出させる何かに。

 涙が止まらぬまま、わたしは立ち上がる。

 辺りを吹いていた風はすっかり止んでいた。


 ***


「ただいま……」


 セレス先生の家のドアを開きつつ、無意識にそんな言葉を漏らす。もちろん返事は返ってこない。

 静寂に包まれた家に、わたしはそっと足を踏み入れる。


 家の中は全く変わっていない。それもそのはず。先生が司祭の男に連行されたのは、つい昨日のことなのだから。

 それでも、先生がいないというだけで、昨日までわたしが住んでいた家とは程遠いもののように感じる。

 先生が本を読むときに使われた椅子や机、柔らかなソファ、薬や薬草の蓄えられた棚。かつてこの家を彩っていた物たちは、一晩見ないうちにすっかりその色を失ってしまったかのよう。まるで、彼らにとって何か大きなものを失い、失意のどん底にでも叩き落されてしまったかのようだ。

 きっとそれは、わたしも同じ。彼らが先生を失ったことで色をなくしたように、わたしも先生を失ったことで、わたしの行く末を照らす大きな光をなくしてしまった。

 わたしにとって先生は憧れであり、家族であり、わたしを照らす大きな光だった。それを失った今、わたしの手元に残ったのは、大きな罪悪感と喪失感だけだ。


 わたしは家中を見渡しながら、とぼとぼと寝室に向かった。

 セレス先生のベッドの枕元に、それは変わらぬ美しさのまま咲いていた。

 家中の物が自らの色や輝きを失う中、その花だけは己を失うことなく、ただ一人たおやかに咲いていた。

 華奢な茎に薄く細長い葉。そして、目が眩むほど白い花びら。その気高き花は、窓を閉め切った薄暗い部屋の中で小さく揺れ、仄かに光を放っているかのようだった。


「せんせぃ……」


 反射的にそう呟く。しかし、その花は小さく揺れるだけだった。

 小さく真っ白なその花びらに、そっと指を添える。すると、花は揺れるのを止め、わたしの指先にそっとその頭を傾げた。

 先生の大切な花。名前は確か、セレシアと言ったか。この儚く、そして美しい花に良く似合う、綺麗な響きの名だ。、

 先生にとってこの花がどうして大切なのか遂に知ることはなかった。けれど、この花に込められた思いは、きっと枯らさないよ。


「さぁ、行こうか……」


 セレシアの植えられた鉢植えを両手に包み、花に向かって囁く。花はまるで頷くように、その頭を一度だけ大きく揺らした。


 ***


 それから二日後の夕暮れ時、村に司祭とその一行が帰ってきた。

 直ちに村人たちは村長の家に集められ、司祭の男からの話を聞かされることとなった。

 興味など微塵も無かったので、あいつの話の内容は覚えていない。けれど、男の隣に見たこと無い女が立っていたのは憶えている。薄く開いたつり目をしており、その瞳は侮蔑の色で染まっていた。

 それと、帝国から何やら物資を配給してもらったらしい。内容は食料や衣服、木材、鉄材、お金なんかもあった。恐らく、魔術師を捕らえたことへの報酬だろう。

 物資はしばらくの間定期的に村まで配給されるらしい。貧乏なこの村としてはありがたいことだろう。

 しかし、その代償がセレス先生の命だなんて重すぎる。集まった村人たちの中で喜ぶ人など、一人もいなかった。


 それからまた、新しい日常が始まった。

 日の出と日の入り時には祈りを捧げる振りをし、日中は畑仕事と狩りの手伝い。それから薬学の勉強に、残りの時間はセレシアの花を愛でて過ごした。

 魔法の練習はしなかった。

 帝国の奴らがいる中で一人で魔法を使うこと自体が危険だったし、何より先生がいない今、わたしに魔法を学ぶ気力などは一切無かった。


 ある時ふと村の中を散歩していると、かつてわたしの住む家であった病院に帝国から来た女が居座っているのを見かけた。どうやらあれは医者らしい。

 セレス先生はこの村の医者をやっていた。がしかし、彼女はもういない。よって、帝国は代わりの医者としてあれを派遣したのだろう。あの女からしたら良い迷惑なことだ。

 それから時間は矢が飛ぶように過ぎていった。あれから何度も欠けない月が夜空に浮かび、司祭の男から説教を聞かされた。その度にわたしは心の中で男を呪った。

 きっと他の村人たちもそう。真剣にあいつの説教を聞く人なんかいない。なぜなら、あの男のせいでセレス先生は殺されたんだから。


 みんな先生のことが大好きだった。先生もわたしたちのことが大好きだった。だから、先生を殺したあいつの話に聞く耳を持つ人なんかいないのだ。

 帝国から何度か物資の配給もあったようだ。けれど、その物資の一部を除き、帝国側の人間である司祭の男と医者の女、それと帝国騎士二人がそれを独占した。

 誰もそれに逆らうことは出来なかった。なぜなら、司祭の男は帝国の力を持っているからだ。もしあいつの決定に異を唱えれば、その人は厳しく罰せられる。だから村のみんなは、あのアレルおじさんでさえも自分の感情を押し殺していた。


 そんな状況でもなんとかやっていけたのは、あの男の独断の範囲がそれほど広くなかったからだ。

 男は村人たちに神の愛やらについて説くことに関しては熱心だったが、それ以外にはあまり口出ししなかった。だから、わたしたちが真剣にあいつの説教を聞く振りをしただけで男は満足げだった。

 なので、わたしたちは男に対して面従腹背であり続けた。

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