第六話 疫病の果てに 後編

 時は過ぎ、寒い寒い冬がやってきた。

 森の木々はその葉を落として代わりに白い雪を被り、獣たちは温かさを求めて穴蔵の中に引きこもる。

 わたしも、そんな獣たちと同じように村長の家に篭りきりになっていた。

 わたしは毎日、薬学の勉強と花の世話を繰り返すだけ。他の子供たちが外で雪に塗れて遊ぶ中、わたしは部屋の中でただただ花を愛でていた。


「リーザよ、外に雪が積もっておるぞ。シヴやミーナたちと遊んでおいで」


 そんな状態のわたしを見兼ねてか、時々村長がそうやって声を掛けてくれる。しかしわたしは、その度に生返事を返すだけで一切外に出ようとはしなかった。

 この冬の、わたしたち村人の生活は特に厳しかった。

 日差しの弱く、かつ凍えるような土の上では作物は育たず、森の中を出歩いている獣はほとんどいない。それに加え、結構前に食料庫から火が出た。そのせいで、食料庫の中に蓄えられていた食べ物の半分くらいは焼けてしまったそうだ。

 冬の間は新たに食料を確保することが難しいので、普段は蓄えられた食料を少しずつ出しながら食いつないでいた。しかし、今年はそうもいかない。何せ食料庫の中に十分な食べ物が貯蔵されていないのだから。


 冬の間、わたしたちの食事はとても質素なものとなった。わたしはそれでも構わなかった。もとから食欲など湧かなかったから。

 それでも、村の大人たちにとってはとても苦しいようだ。子供たちに優先的に食べ物を分けるので、大人たちは随分ひもじい思いをしていたようだ。

 それでも遂に限界が来たようで、ある村の大人たちが司祭の男に交渉を持ちかけたそうだ。その内容は、たびたび帝国から送られてくる物資の中の食料を分けて欲しいとのことらしい。


 冬が来て食料が心許なくなってくると、司祭の男は帝国から送られてくる食料をすべて独占し、医者の女と帝国騎士とで分け合っていた。その上、村の食料も自分らの分け前分はしっかりとせしめていた。そのため、厳しい冬の間であってもそいつらは飢えを感じることがなかった。そいつらはそれを、さも当然であるかのように振舞っていた。

 そんな奴らが、わたしたちのことを野蛮人だと見下している奴らが、わたしたちの願いを聞き届けてくれることがあろうか。いや、そんなことあるはずがない。

 村人たちは耐えた。飢えをじっと耐え忍んだ。冬が過ぎ春が再びやってくるまでの辛抱だと、自分たちに言い聞かせていた。


 そんなある日のことだった。

 わたしがいつものように村長の家の一画でセレシアの花を愛でていると、玄関のドアを叩く音が聞こえた。村長はその時家におらず、わたし一人だったので、仕方なくわたしが出ることにした。

 玄関のドアを開くと、そこにはアレルおじさんが立っていた。その顔は苦痛のためかひどく歪んでいた。おじさんはいつもの覇気に満ち満ちた声ではなく、まるで深手を負った獣のような声で言った。


「おぉ、リーザ。済まねぇな、急に」

「ううん、いいの。それで、どうしたの?」

「それがよぉ、少しばかり体の調子がわりぃんだ。ちょいと診てくれねぇか?」


 そう言葉を絞り出している間も、おじさんは苦痛に顔を歪めたままだった。これは只事ではないと、直感的に感じた。


「分かった。とりあえず上がって」

「おう、済まねぇな」


 いつになく弱っているおじさんを、わたしは客間に連れて行った。

 布団を敷き、そこにおじさんを寝かせる。横たわると、おじさんの顔から苦悶の色が少しだけ薄くなった。

 紙とペンを用意し、わたしはおじさんの横に座った。


「じゃあ、おじさん。具体的な症状を聞かせて?」

「えぇと、まず熱がひでぇんだ。そのせいか、頭がぼぉーっとしちまってよぉ」


 おじさんの額に手を当てる。額は、高熱はあろうかと言うほどの熱を持っていた。


「ちょっと待っててね」


 わたしは立ち上がり、タオルと水の入った桶を用意する。タオルと水に浸し、程よく絞っておじさんの額に当てた。


「あぁ、ありがてぇ」

「いいよ。それで、他の症状は?」

「体中の間接が痛むんだ。それもけっこうな痛みよ。そんなんだから、歩くのも辛くて仕方えぇ。それと、手とか足の先が痺れるんだ。まだちゃんと動くけどよ、その程度が段々酷くなってるような気がするんだ」

「熱に関節痛、それと手足の痺れ……」


 この症状の組み合わせを引き起こす病気を、わたしは知らない。これまで勉強した中でこんな病気を習ったことがない。である以上、わたしに出来ることはひどく限られてくる。


「おじさん、ごめんね。おじさんの罹ってる病気の治療法、わたし知らないと思う」

「そうか……まぁ仕方ねぇよな。お前さんだってまだ立派な医者になったわけじゃねぇからな」


 わたしの言葉に対し、おじさんはあっけらかんとしている。得体の知れない病気に罹り、不安で一杯なはずなのに。それなのに、自分が何も出来ないことに落ち込むわたしを元気付けるように、おじさんは明るく振舞った。

 立派な医者、か。そういえば、この村には帝国から派遣された女の医者がいるはずじゃないか。


「おじさん、帝国から来たあの医者のところでは診てもらったの?」

「あの医者か。あぁ、行ったよ。けどよぉ、あの尼、診察を適当に済ませたと思ったらよ、ほっときゃ治るとか言って鎮痛薬だけ寄越しやがるんだ」

「そうなんだ……」


 あの医者の女がしっかり診察をしなかったり処置をしなかったのは、本気で治す気が無いからだ。

 帝国から来た奴らはみんなそうだ。技術が自分達の方が勝ってるからってわたしたちを野蛮人だと侮蔑して、わたしたちに施すものは何も無い。

 あの女からしてみれば、村人が病気に罹ることなど他人事なのだ。たとえ同じ村に住んでいても。


「案外、あの尼もこの病気の治療法を知らなかったりしてな。ガハハハッ!」


 そう言って豪快に笑うおじさんは、見ていてどこか悲しかった。なんだか、自分の抱えてる不安を紛らわそうと必死になっているような気がして、わたしは見ていて辛かった。

 だから、わたしは……。


「おじさんの病気、治してみせるから!」


 おじさんの手を取り、そう宣言した。


「治療法をなんとか見つけて、それできっと、治してみせるから!」


 わたしの宣言を聞いたおじさんはさっきまでの豪快さを忘れ、わたしに小さく微笑んだ。


「ありがとうな、リーザ」


 ***


 アレルおじさんの罹った病気の治療法を探すため、わたしは北の森にあるセレス先生の家に向かった。

 あの家の地下は書庫になっており、大量の学術書が所狭しと詰め込まれている。その中には、薬学に関するものも多い。

 その本たちを調べていけば、きっと治療法が見つかる。しかし、逆に言えば、そこから見つけることが出来なければ治療法はわからないということになる。

 実際に書庫に入ってみると本の量は凄まじく、薬学の本だけでも読破するのに膨大な時間が掛かりそうだった。しかし、ここで気圧されてはいけない。例の病気を必ず治すと宣言したのだから。


 こうして、先生の家と村長の家を往復するうちに二日が経った。

 アレルおじさんの病状はあまり進行していないようだったが、新たな問題が発生した。おじさんの奥さんであるマナナおばさんと、ウルカおじさんがアレルおじさんの病気と全く同じ症状を訴えたのだ。

 まさか、この未知の病気は伝染するのか? だとしたら大変だ。既に村中に原因であるものが広まっている可能性がある。潜伏期間があるためにまだ発症していないかもしれないが、既に全員が感染しているという可能性だってあるんだ。

 時間がない。新たに増えた患者の看病をしつつ、わたしは資料探しを急いだ。


 数日後、また患者が増えた。今度はレァハおばさんとシヴくんが同じ病気を発症した。それに加え、病気の発症が早かった人は、その分症状が重くなっていた。

 急がなければと思う一方で、肝心の資料はまったく見つからなかった。既に書庫の本の半分を調べ終えていた。

 この状況を重く見た村長は、医者の女にしっかり治療をするようにと願い出たが、女はまったく取り合おうとしなかった。

 なんとか女を説得しようと司祭の男にも事情を話したが、あいつはただ「これは神より与えられし試練だ。ただ耐え、そして祈れ」と訳の分からぬことを言うだけだった。


 そのまた数日後には、さらに患者が増えていた。村人の八割が病に侵され、その中には村の男たち全員が含まれていた。

 動ける人間の数が激減し、狩りに出かけられる人数は極々限られた。既に食料庫に蓄えられていた食料は底をつき、村人たちは十分な栄養を摂ることが出来なくなっていた。

 書庫で治療法を探す傍ら、少しでも食料を得るために、わたしは狩りに出るようになった。

 弓矢を携えて南の森へ入っていくが、そのには獣の姿は全くなく、一日中駆け回っても一匹も仕留められない日なんてざらだった。

 この頃から、司祭の男や医者の女が僅かな食料を分捕るようになった。恐らく、帝国から配給された食料が尽きたのだろう。それから、帝国騎士が馬を駆って村の外に出て行くこともあった。もしかしたら、帝国まで自分達の分の食料でも買いに行っていたのかもしれない。そういえば、最近帝国騎士の内の一人を見かけない。いや、わたしが彼らを見分けられないせいで、きっとそう感じるだけだ。

 村の誰もが痩せていった。病はどんどん広まっていった。村人たちは病気の症状と飢えを、床の上で必死に耐えていた。

 そんな状態のみんなを支えるため、わたしは村中を看病して回り、それが終わればすかさず狩りに出かけた。しかし、わたし一人で村人全員分の食料を調達するなんてことは不可能だった。


 ***


 ある日、まだ病に伏していなかったわたしは、ようやく先生の家の書庫の本をすべて調べ終えた。村に蔓延る病の治療法は、遂にどこ本からも見つけ出すことができなかった。

 他の村人は皆病に侵されていた。わたしだけがまだ動くことができた。しかし、もはや治療法を見つけることはできない。わたしに出来るのは、何とか食いつなぐために森へ出かけることだけだった。


 その日の夕方、わたしが狩りから戻ってくると、司祭の男が村を覚束ない足取りで彷徨っていた。何事かとそれに近づくと、わたしに気がついた男はこちらに向かって走ってきた。


「おい、娘! お前は医者だったよな!?」


 血走った目をしながら、男はわたしに縋りついてきた。男は苦悶に満ちた顔をしていた。


「この病気を今すぐ治せ! 体中が痛くて痛くてしょうがないんだ! 早く、早く治せっ!」


 この男がわたしにそんなことを言ってくるということは、あの女でも治せなかったのか。きっと、あの女も今頃は床の上で苦しんでいることだろう。

 そうか……。自分が病気に罹らないうちは適当なことをみんなに言っておいて、いざ自分が病気だと知れば手の平を返すようなことを言う。しかも、その傲慢な態度は変わらない。

 あぁ、そうか。そういうことだったんだ。


「ははっ、あはははっ」

「な、何を笑っている……!?」


 何をって、こんな無様な姿を見せられたら、笑わずにはいられないよ。

 笑いの止まらないわたしを見て、男は気味の悪いものでも見るような顔をした。


「こんな状況で何がそんなに可笑しい……!? まさか、気でも違ったのか!」


 男にそう言われても尚、わたしは込み上げる笑いを堪えることが出来なかった。


「気が違った……? わたしが? くふふっ、逆だよ、逆。今のわたしは冴えてる。だから、分かったんだ」


 わたしの言葉を理解できず、男は呆然としている。その男を見下ろし、わたしは言った。


「当ててあげるよ、お前達に何があったのか。初め村人数人がこの病気に罹ったとき、お前達はまるで他人事のようにそれを無視した。わたしたち野蛮人の治療をするような情けはないってね。

 けど、そうも言ってられない事態に陥った。帝国騎士の一人がその病気に罹ったんだ。こうなるとあの女も治療しない訳にはいかない。

 女は必死に帝国騎士に治療を施した。けどだめだった。女にはこの病気の治療法が分からなかったんだ。

 だから、帝国に遣いを出した。この病気の治療法を求めてね。けど、収穫は無し。あの帝国もこの病気の治療法を知らなかった」


 男は何も言えず、その場に膝をついた。しかし、その目は尚もわたしに向けられている。

 風が吹きすさぶ中、雪が降り始めた。それは吹雪となって、わたしたちの体から熱を奪っていく。


「この病気を治す術がなく、食料が底をついた今、わたしたちに生き残る道はもう無いよ。今、まともに動けるのはわたしだけ。けど、わたしみたいな子供に一体何が出来るわけ?

 帝国に助けを求めようにも、馬たちは飢えてもう動けない。わたしだって、いつ病気の症状があらわれるか分からない。

 一人目の患者が現れたときからちゃんと対策を講じていれば、せめて飢えだけは防げたはずよ。それなのに、お前達は自分たちのことばかりで村のために何もしてこなかった。……もうお終いだよ、この村は」

「で、でもまだ何か……」


 男はそれでも、しつこくわたしに縋りついてくる。わたしはそれを力一杯突き飛ばして言った。


「だったら祈りなよッ……!」

「……なっ?」

「祈りなよ、神様に。助けてくれるんでしょう? 救いの手を差し伸べてくれるんでしょう? だったら祈ればいい。これまで散々わたしたちにそう言ってきたじゃない、お前自身が。

 ほら、神様はわたしじゃないよ。だからわたしに何かを求めたところで無駄。さぁ、祈りなよ。何もしてくれない、空想の神に。そうすれば、せめて助かる夢くらいは見られるかもしれないね」

「……」


 男は何も言わずに、わたしを見上げるばかり。わたしはもう何も言わず、その隣を通り過ぎる。男は追っては来なかった。

 腰にくくり付けた痩せた小型の獣、こいつを早く捌いてみんなに食べさせなきゃ。でもこれだけじゃ全然足りない。一度全員の容態を診て回ってから、もう一度狩りに出よう。

 早足になって歩く。踏みしめる雪は厚く、わたしの足を絡めとろうとする。

 それに抗うように、わたしは必死に足を動かした。吹雪いているはずなのに、体は燃えるように熱かった。

 熱さで頭がクラクラしてくる。それでも構わずわたしは前へ進む。もうすぐ、もうすぐで家に着く。そうしたらこの肉を調理して、みんなに配って、また狩りに出ないと。


「……あれ?」


 不意に視界が回転し、体中に冷たいものを感じる。目の前が真っ白だ。体が熱い。体が痛い。体が動かない。

 もうすぐなのに、体は前に進まなかった。手を伸ばしても、掴めたのは雪だけだった。

 わたしも例の病気に罹ったんだ。朦朧とする意識の中、そんなことを思っていた。

 それも良いのかもしれない。だってこれはきっと『罰』なのだから。


 先生を殺した罰。先生を助けなかった罰。

 セレス先生は、わたしたちのことを恨んでいるだろうか……?

 きっと恨んでる。

 だから、これがもしも罰であるのなら、わたしたちは認めなければいけない。この死を受け入れなければいけない。

 それで、先生の恨みが晴れるのなら。


 村のみんな、助けてあげられなくてごめんね。

 セレス先生、あの時先生の味方になってあげられなくてごめんね。

 先生、大好きだよ。きっと、もうすぐそっちに行くからね。

 雪の積もる地面に伏したまま、わたしはゆっくりと目を閉じた。激しい吹雪が、わたしの体を覆い隠してゆく。雪に包まれ寒いはずなのに、何故か冷たさは感じなかった。

 この吹雪はしばらく続く。それが止んで眩しい日が空に昇る頃には、きっとこの村には誰も残ってはいないだろう。

 わたしたちはこの雪の下で、永遠の眠りに就くのだから。

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