第二話 魔法理論入門 後編
セノスおじさんの家に着くと、既におじさんが家の前で待っていた。
「おぉ、セレスさんにリーザ。待ってましたよ」
「セノスさん、今日はこの子をよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
先生が隣で頭を下げるのに合わせて、わたしも頭を下げた。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。リーザ、家の裏が練習場になってるから、先に行ってなさい」
「分かった」
おじさんに促され、わたしは一足先に練習場へ向かう。
「終わる頃に迎えに行くからね」
後ろからセラ先生がそう呼びかけてきた。わたしは一度振り返って先生に手を振り、再び練習場への道を進んでいった。
そこに着くと、既に先客がいた。
「お! リーザじゃねぇか!」
「シヴくん……?」
わたしの友達の一人、シヴくんだった。
切り株に座っていた彼は立ち上がり、わたしに向かってきた。
「そうか……ここに来たってことは、お前も十歳になったってことか。お前も成長したなぁ」
彼が変に生意気なことを言ってきたので、わたしは少し腹が立ってしまった。
「ちょっと、何先輩面してるのよ。あんたとわたしは同い年でしょ?」
「まぁまぁ、落ち着け。この世界は年功序列なのさ。俺の方が誕生日が早く来る。よって、俺の方が偉い!」
「全く、調子良いのは相変わらずなんだから……」
呆れ返ったわたしはシヴくんを無視し、近くの切り株に腰掛けた。彼はそれでも誇らしげにわたしに構ってくる。
「俺は一応お前の先輩だからなぁ。何だったら、俺が教えてやってもいいぜ?」
「そういうことは、一回でも的に矢を中ててから言いなさい」
「げっ! セノスおじさん!」
いつの間にか、おじさんはシヴくんの背後をとっていた。先生との話はもう済んだようだ。
「くっ、おじさん、そうやって人の背後に回るのは趣味が悪ぃんじゃねぇか? それと、さらっと余計なこと言いやがって」
余計なこととは、シヴくんがまだ一度も的を射たことが無いということだろうか。あれだけ先輩面していてそんな体たらくでは、立つ瀬が無いというものだ。
「シヴ、そうやって無駄に見栄を張るのはお前の悪い癖だぞ」
「ふんっ! いいんだよ。実力はすぐに追いついてくるんだから」
「またそんな調子良いこと言って……」
セノスおじさんが呆れている。シヴくんはずっとこんな調子だろうし、おじさんは大変だなぁ。
「じゃあ、そろそろ始めようか。君達の弓を持ってくるからちょっと待っててね」
そう言うと、おじさんは小屋の中に消えていった。
弓、か。見たことはあるけど、実際に触ってみるのは初めてだ。矢を射るってどんな感触なんだろう。少し興奮する。
しばらくして、おじさんが弓を二張持ってきた。
「ほら、君達の弓だ」
わたしとシヴくんはそれぞれ弓を受け取った。
初めて触る弓の感触。木の滑らかな手触りと、ピンと張った弦。
「リーザは初めてだから、最初に基本を教えよう。済まないが、シヴ、ちょっとの間待っていてくれるかな?」
「まあ、仕方ねぇな」
そうだった。シヴくんはまともに的に中てられないようだけど、一応わたしより先に習い始めているんだった。基礎はちゃんと習っていることだろう。
「じゃあ、リーザ、こっちへ来て」
「うん」
おじさんに呼ばれたので側に行くと、そこの地面には横にした細い木が半分埋まっていた。その先を見ると、的が三つ横に並んでいた。どうやら、今いるところからあの的を射るらしい。
「いいかい? 弓の構えには二種類あるんだ。一つは弓を縦に構えるもの、もう一つは横に構えるものだ。とりあえず、最初は横に構えるほうからやってみようか」
「分かった」
おじさんの言う通りに弓を構えてみる。まだ矢すら持っていないのに、気分は既に狩猟者だった。
「うん、いいよ。じゃあ、そのまま矢を番えてみようか」
おじさんから一本の矢を持たされた。それを指示通りに弓に番える。
「よし、じゃあ一回矢を放ってみよう」
「わ、分かった」
弓を思いっ切り引く。意外に弓が硬く、引くには結構な力を込めなければいけなかった。
矢を顔の横まで十分に引き、そして放った。
矢は鋭い音を立てて前方へ飛んでゆき、的を通り越して壁に突き刺さった。
「あぁ、はずれちゃった……」
「最初だから大丈夫。これから練習して上手になるんだから」
おじさんはそう慰めてくれるけど、わたしは思いの外的を外したことが悔しかった。きっと、これが獲物を逃したときの狩猟者の気持ちなんだろう。
後ろを振り返ると、シヴくんがニヤニヤしながらこっちを見てきた。けどそれだけで何も言わないのは、自分もまともに中てたことがなくて、ここでわたしを馬鹿にすれば墓穴を掘るってことが分かっているからだろう。
「基本を一通り教えたことだし、シヴもそろそろ練習しようか」
「おう!」
待ってましたとばかりに良い返事をするシヴくん。腕は無いけれど、その何処からとも無く湧き上がる自信に満ちた表情はまさに彼らしい。
「じゃあ、二人とも並んで。僕が合図したら矢を放つんだぞ」
「はい」
こうして、しばらくの間シヴくんと二人で弓矢の練習をした。
***
日が傾き始め、村全体が茜色に染まり始めた頃、長いようで短かった弓矢の練習が終わった。
練習中、結局わたしは一度も的に中てられなかったが、シヴくんはなんと一回だけ中てたのだ。そのときの彼の顔ったら……思い出しただけで憎たらしい。
そんな嫌なことを思い出しながら、セノスおじさんの家の前で先生が迎えに来るのを待つ。シヴくんは先に帰っちゃったし、おじさんは用事か何かで出かけてしまったので、わたしは一人だった。
切り株に座って、遠くの夕日を眺めながら口笛を吹いていると、遠くに一つの影が見えた。セラ先生だ。
「せんせ~い!」
わたしは先生に向かって走ってゆき、そのまま先生に抱きついた。先生はちゃんとわたしを抱きとめてくれた。
「どうだった? 弓矢の初めての練習は」
「うんとね、楽しかったけど、全然的に中らなかった」
「そっか、まあ最初はそんなもんよね」
わたしたちは手を繋ぎ、そのまま家路についた。先生の温かい手を握ると、頭の中に浮かんでいたシヴくんの憎たらしい顔はすぐどこかに消えてしまった。
「あら、あれは……」
二人並んで歩き、村の大きな広場に差し掛かったとき、前方を村長が何やら急ぎ足で歩いていた。
そういえば、昼頃帝国騎士が村長の家を訪ねていたなぁ。あれは一体何だったのだろう。
再びその疑問が湧き上がり、村長に聞いてみようと思ったところで、隣にいる先生が先に村長を呼んだ。
「村長さ~ん」
その声に村長はこちらに気づいたようで、向きを変えてこちらへやってきた。
「おぉ、セレスさんにリーザ。こんにちは」
「こんにちは。すみません、突然呼び止めてしまって。実は一つお訊きしたいことがるのです」
「いえいえ、構いませんよ。何でしょうかな?」
「今日の昼くらいに村長のお宅で帝国騎士を見かけたのですが、何かあったのですか?」
先生の問いに村長はすぐには答えず、少し考えた末に口を開いた。
「そのことについてですが、村人全員にまとめて話しましょう。今ちょうど皆をワシの家に集めているところなのじゃが、お二人にも手伝っていただけませんかのぉ」
「えぇ、もちろんです」
「では、村の東側を頼みます。ワシは西側をあたりますので」
「はい、分かりました」
先生は快諾し、わたしたちは村長と別れて村の東側へ向かう。
それにしても、村長の家でみんなに話す、か。
昼間に感じた嫌な予感が、再びわたしを襲った。
***
村人全員が一同に村長の家に集まった。
みんな口々に今回集められた訳を話し合っている。いろんな推測が立つけれど、そのほとんどがよくない報せばかりだった。
こうしてみんなが村長の家に集められることは滅多に無い。集められる時と言ったら、なにか重大な報せがあったり、村人全員に関わる何かについて話し合って決めたりするときだ。
前回村人たちがこうして集められたのはいつだったかな。確か、セレス先生が北の森に引っ越してくるという旨の手紙が届いた時だったかな。あの時はみんな、村人が増えるって大喜びしてたなぁ。
わたしも先生も何も言わず、他もみんなの言葉を静かに聞いている。そうしているうちに、村長が家の奥から姿を現した。
「おぅ、村長。今回は一体何だって俺たちは集められたんだ?」
この村一の荒くれ者であり、騎士団長のアレルおじさんが開口一番にそう言った。
「まあ、アレルよ。そう急かすでない」
村長は椅子に腰掛け、村人全員を見渡した。
「一部の者は知っていると思うが、今日帝国から遣いの騎士が来た」
遣いの騎士? それって、昼に見たあの騎士のことだろうか。
「その者たちの話によると、帝国の命令により、帝国周囲の村々に司祭を派遣するのだそうだ。勿論、この村も例外ではない」
「司祭を派遣?」
「また何で急に……」
「静粛に……!」
みんなが疑問の声を上げるが、村長がそれを制した。
「理由はワシにも分からん。遣いの者たちは理由を教えてはくれんかった。ともかく、司祭がこの村に来る。そして、その司祭のための教会を建てるのだそうだ」
司祭? 教会? わたしの知らない事柄がたくさん出てきて、わたしは村長が何を言っているのか良く分からなくなってしまった。
「近々帝国から建築士が教会を建てるためにこの村にやってくる。今の予定では、百二十日ほどで教会が完成するらしい。つまり、百二十日後この村に司祭が来るということじゃ。
費用は帝国側が負担するとのことじゃ。まあ、金の無いワシらからしたら嬉しいことじゃの」
そんな軽口をたたき、村長がこの場の雰囲気を和ませる。みんなの顔からも、緊張に色が薄くなった。
「ってこたぁつまり、村人が増えるってことだな。そりゃぁいいことだ」
「うんうん、こんな風にもっと住む人が増えるといいわね」
みんながその司祭っていう人がこの村に来るのを喜んでいる。その人がどんな人かは知らないけど、多分いい人なのかもしれない。
「では、これで集会は終わりじゃ」
村長のその一言を切欠に、村人は次々と自分たちの家に帰っていく。
「リズ、わたしたちも帰ろうか」
「うん」
わたしたちもその流れに乗って村長の家を出ようとしたときだった。
「セレスさん、少しいいですかな?」
先生が村長に呼び止められた。
「……何でしょうか?」
「この村に帝国から司祭が派遣されるという話、ワシはどうにも心配なのじゃ」
「……」
先生は何も言わない。村長はそれに構わずに続けた。
「帝国は魔術師を嫌っておる。帝国から来るという司祭も、それは同じじゃろう。帝国周囲の村々に突然司祭を派遣するようになったのは、もしかしたら魔術師に関係する理由故かもしれません。
セレスさん、どうかお気をつけください。奴らは、あなたの命を狙っているのかもしれません」
先生の命を狙ってる? そんな、先生が何か悪いことをしたわけでもないのに?
これは村長の推測だけれど、本当だったら大変なことだ。
しかし、当の本人である先生は顔色一つ変えずにこう言っただけだった。
「はい、その言葉、しっかり胸の中に留めておきます」
***
村長の家を出てから家に帰る途中、わたしはいくつかの質問を先生に投げかけてみた。
「ねぇ、先生。村長が言ってた、司祭ってなに?」
「司祭? ええと、そうねぇ。神様を畏れ敬って、その信仰を他の人にも広める人、かな」
「神様? それって誰?」
「うぅんと、この空高くに住んでるって言われてる、不思議な力を持った人たちのことよ」
不思議な力。先生がそう言うってことは、きっとそれは魔法よりもすごい力なんだろう。
「じゃあ、その神様を敬ってどうするの?」
「神様を敬うとね、自分が危ない状況に陥ったときとかに、その不思議な力で助けてくれるの。まぁ、本当に助けてくれるかどうかは知らないけど」
助けてくれるのかどうかも分からないのに、その司祭っていう人は神様を敬うのか。わたしには、その人たちの気持ちが分からない。
敬うのなら、自分を救ってくれるかどうか分からない神様よりも、絶対に救ってくれるセラ先生を敬うべきなのに。
「先生、教会って何?」
「教会はね、司祭の家でもあり、人々が神様に感謝を捧げる場所よ」
「感謝? その人たちは神様に助けてもらったの?」
「う~ん、そうじゃない人もいるし、そうだと信じてる人もいる、かな?」
「ふ~ん、ヘンなの」
ますます、神様を敬う人の気持ちが分からなくなる。
ここで、わたしは村長が言っていたことを思い出した。帝国は魔術師を嫌っている。この村に司祭が来るのは、先生の命を狙っているからかもしれない、と。
「ねぇ、先生」
「なあに?」
わたしは、恐る恐る訊いた。
「帝国は、どうして魔術師のことが嫌いなの? その司祭っていう人は、村長の言ったように、先生の命を狙ってるの?」
先生は一度深く息を吐いた。
「リズは知らないんだっけ? 帝国はね、一度滅ぼされたの。ある魔女の仕業でね」
「ほろぼされた……」
そんな話を昔聞かされたような気がする。一人のすごい魔女がいて、初めは帝国のためにがんばってたんだけど、どういうわけか最後に帝国をめちゃめちゃにしちゃう話。
「それ以降、帝国は魔術師を忌み嫌ってる。四百年以上経った今でもね。だから、帝国から来た人が魔女であるわたしの命を狙っていてもおかしくはないわ」
そんな、先生は悪い魔女じゃないのに。この村のことをたっくさん助けてくれたのに。
そんな先生に意地悪するような人は、わたしが許さない!
***
気づけばわたしたちはもう家に着いていた。橙がかった空は既に暗くなっていた。
家に入り、わたしは早速ソファの上に寝転がる。今日もいろいろと疲れた。
しばらくしたら先生がいつものように紅茶を淹れてくれるだろう。先生の紅茶、早く飲みたいなぁ。
そう思っていたが、一向に先生は紅茶を淹れてきてはくれなかった。少し気になってあたりを見渡すと、先生はいつものローブから普通の服に着替え、何か準備をしているようだった。
先生がローブ以外の服を持っていたことに驚きながら、わたしは先生に声を掛けた。
「先生、何やってるの?」
「あぁ、リズ。わたし、今からちょっと出かけてくるから。わたしがいないからって、夜更かししちゃだめよ」
「え? 出かける? ちょっと待ってよ、どこに行くの?」
「あと、寝る前にはちゃんと灯りは消して、戸締りも忘れないでね」
「あぁ、ちょっと!」
わたしの質問に答えることなく、先生は玄関に置いてあった箒を掴んでそのまま家から出て行ってしまった。
***
セラ先生がいきなり一人で家を出て行ってしまったので、わたしは退屈していた。
夜ご飯も一人、お風呂も一人。夜は小鳥も小さな獣も家に来ないので、話し相手すらいなかった。
いつも寝る時間より早いが、一人では何もする気になれないので、わたしはもう寝ることにした。
家の所々を照らす蝋燭の火を一つずつ消してゆき、遂に家の中は真っ暗になった。
夜目を凝らしながら、寝室に向かう。寝室にも、やはり誰もいなかった。
……一人で寝るのは初めてだ。
わたしが寝るとき、隣にはいつも誰かがいた。初めはお父さんとお母さん。次に村長。そして今はセレス先生。だから、夜はいつも寂しくなかった。
でも、今日は誰もいない。先生が勝手に家を飛び出してしまったから。
わたしはベッドに潜り込んだ。
部屋の中は真っ暗で、今自分は目を閉じているのか、それとも開いているのか、良く分からない感覚を覚えた。
わたしは急に不安を感じた。いつも一緒にいいてくれる人がいないだけで、こんなにも不安になるなんて。
わたしはベッドから這い出て、窓を押し開ける。夜空高くに輝く月がわたしを照らした。
ふと隣を見ると、同じく月明かりに照らされた一輪の花が優雅に、そして静かに咲いていた。
それは、セラ先生がとても大切にしている花だった。
わたしがこの家に来たときから、その花はずっと先生の枕元で咲いていた。
何も言わずにひっそりと佇むその花を、先生もまた何も言わずに愛でていた。
先生の肌のように白く透き通るようなその花びらは、小さく夜風に揺られ、とても美しい。
何故だろう。この花を見ると、セラ先生のことを思い出す。先生が側にいてくれるときの温かみを感じる。
不思議にも、わたしの中の不安は姿を消していた。
わたしは再びベッドの上に横たわる。そして、名も知らぬその花と向かい合いながら、そっと目を閉じた。
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