第三話 初めての魔法 前編

「……あれ? セラせんせぇ?」


 目を覚ますと、隣のベッドにセラ先生の姿はなかった。辺りを見回しても、わたしの先生の姿はどこにも見当たらない。


「せんせぇ、どこ行ったんだろう」


 わたしはベッドから起き上がると、まだ寝ぼけた頭を引き摺りながら寝室を出た。

 先生の姿を探して居間に出ると、先生はそこにいた。一人机に向かい、何かの本を読んでいた。本に集中しているせいか、まだ先生はわたしが起きてきたことに気づいていない。


「せんせぇ、おはよ~」

「あら、おはよう」


 声を掛けると、先生はようやくわたしに気がついてくれた。

 それにしても、今日の先生はやけに早起きだ。いつもはわたしの方が早く起きて、先生を起こしていたのに。

 そこでふと、昨日の夜のことを思い出した。先生は昨晩、行き先も言わずに勝手にどこかへ行ってしまったのだった。

 先生は一体どこへ行っていたんだろう。


「ねぇ、先生」

「なあに? リズ」

「昨日の夜、どこに行ってたの?」


 そう尋ねると、先生は目線を本から外すことなく答えた。


「帝国よ」


 帝国……?

 確か昨晩、先生は箒を持って出て行った。つまり、箒に乗って、帝国まで飛んでいったんだろう。でも、魔法で飛んでいったとしても、帝国まで着くのに数刻はかかったはず。それなのにもう家に帰ってきているということは、先生は昨晩は一睡もしていないのだろうか。

 いや、そんなことよりも重要なのは、先生が帝国に何をしに行ったかだ。

 それをまさに先生に尋ねようとした。が、先生はわたしの考えがまるで分かっているかのように、先に答えを示した。


「帝国にね、少し調査に行ってきたのよ」

「ちょうさ……?」

「えぇ。昨日村長から、帝国からこの村に司祭が派遣されるっていう話があったでしょう?」

「うん、憶えてる」


 この村に教会が完成するおよそ百二十日後に、帝国から司祭が派遣される。でも、その理由は教えてもらえなかったらしい。

 魔術師を嫌う帝国に、神様という良く分からないものを信仰する司祭。どんな理由にしろ、わたしはその人がこの村にくるのを歓迎できそうにない。

 そして先生は、昨日の夜遅くにその理由を探りに行ってきたようだ。


「数日前にね、帝国がある一団に襲われたらしいの」

「襲われた? あの大きな帝国が?」

「そう……魔術師の一団に、ね」

「魔術師が帝国を……? でも、どうして?」

「帝国は魔術師を嫌ってる。昔は彼らを無条件に処刑してしまうほどに。ここしばらくはそんな過激なことはしなかったんだけど、それでも魔術師に対する差別は横行していた。今回帝国を襲った彼らは、そんな生活に耐えられなかったのよ」


 魔術師を差別。この村ではそんなこと一切ないのに。みんなセラ先生に優しいし、先生も村のために魔法を使う。でも、外の世界ではきっと違うんだ。


「魔術師の一団は皆処刑された。この件を重く見た帝国の教会は、一つの命令を下したの。『我らが帝国から、魔術師を一人残らず殲滅せよ』って。

 そして、帝国はありとあらゆる周辺の村に司祭を送り込むことにした。その目的の一つは、魔術師の捕獲。捕獲された魔術師は帝国に連行されて、処刑されるみたい。

 もう一つは、村人の魔術師に対する意識の操作。つまり、魔術師の悪口をいっぱい言って、彼らに味方する人をなくそうってことよ」


 そんな、酷いことを……。何も悪いことをしてない魔術師の人も大勢いるはずなのに。でも、そんなことはお構いなしに、魔術師は見つかり次第殺されちゃうんだ。

 先生は読んでいた本を閉じ、わたしと向き合った。その目は真剣そのものだった。


「リズ、良く聞きなさい。これはとっても大切な話よ」

「う、うん……」


 先生が何を言おうとしているのか、わたしには分かる気がした。しかし、わたしはただじっと、先生の言葉を待った。


「リズ、魔法は諦めなさい」

「……」


 やっぱりだ。先生は、わたしの予想した通りの言葉を口にした。

 先生はしゃがんでわたしの手を握り、必死に訴えかけてくる。


「帝国は本気よ。使える魔法の程度によらず、見つかれば即刻処刑なの。あなたはまだたったの十歳。未来ある子供なのよ。そんなあなたを殺されたら、あなたを知る皆が悲しむわ。村のみんなも、あなたのご両親も、そして、わたしも。

 だから、お願い。あなたは魔女じゃなく、普通の薬師を目指しなさい。もう、魔法のことは諦めて」


 その熱のこもった声から、今の先生がどれほど辛い思いをしているのかが分かる。先生は、わたしのためにわたしの夢を諦めろと言っているんだ。

 わたしは、先生みたいな立派な魔女になりたい。この思いは四年前からちっとも変わったりはしてない。むしろ強まるばかりだ。

 先生もそれは知っているはず。だって、わたしはこれまで散々先生に自分の夢を語ってきたのだから。先生はわたしの憧れであり、夢そのものだって。だから、先生は辛いはずなんだ。わたしの思いがどれほど強いかを知っていて、それでもその思いを諦めろと言うことが。


 確かに、先生の言う通りにきっぱりと夢を諦めたほうがいいのかもしれない。そうすれば、魔法を使うことができるという理由で帝国に処刑される恐れが無いのだから。一方で魔法を諦めなければ、帝国に処刑されるという恐怖が一生付きまとうことだろう。帝国から司祭が派遣されるということも、その恐怖を一層増大させる。殺される恐怖から逃れるためにも、魔法を諦めたほうが賢いのかもしれない。

 それでも、わたしは先生のお願いに対し、『うん』と頷くことができなかった。


「……そんなこと、できないよ、先生」

「リズ……」


 確かに、世の中には人を傷つける魔法があるかもしれない。けど、これまででわたしが見てきた魔法は、セラ先生が見せてくれた魔法は、全部優しさに満ちていた。

 日照りが続いて川が枯れそうになったときは雨を降らせ、村に稲妻が落ちようとしたときにはその軌道を逸らし、村人が獣に襲われたりで大怪我をしたときはその傷を癒した。どれも自分のためじゃない。村のために、先生は魔法を使ってきた。

 かつてわたしも、先生の癒しの魔法で命を救われた。今度はわたしが、その優しさに満ちた魔法で誰かの助けになりたい。だから、わたしは……。


「わたしは、魔女になる夢を諦めないよ」

「……」

「いつかセラ先生みたいな、人のために魔法を使える魔女になる。そして、たくさんの困ってる人たちの助けになりたいの」

「……」

「それに、わたしのことは先生が守ってくれるでしょ?」

「……」


 先生は何も言わなかった。その目は悲しさで潤み、しかし口許は笑っていた。


「ふふっ、あなたってそんなに頑固な子だったかしら」


 先生は立ち上がると、わたしの頭を荒っぽく撫でた。


「わかった。そこまで言うんなら魔法を教えたげる。ついでに帝国から守ってあげる」

「ありがとう、セレス先生」

「だから、約束しなさい。絶対にその夢、叶えなさい」

「うん!」


 わたしは帝国から脅かされる道を選んだ。けど、きっと大丈夫。わたしには先生がついてるから。そしていつの日か、先生みたいな魔女になる。そして、たくさんに人々を救うんだ。

 そうして人々を幸せにする魔法が広まれば、世界はきっと良い方向に向かうはず。わたしはその切欠の一つになるんだ。


 ***


「さて、今日もしっかり魔法理論を学びましょう」

「は~い……」


 教科書を前に席に座るわたしは、いまいちやる気のない返事を返す。理論が大事と言うのは分かるけど、やっぱりわたしは早く魔法を使ってみたいのだ。


「昨日は魔法が一体どのようなものか、どのような仕組みをしているのかについて軽く話したわよね? なので今日は、『術式』について話しましょう」

「じゅつしき?」


 のっけからまた良く分からない単語が飛び出してきた。


「術式とは、いわば魔法の設計図ね。魔法はスペクターの変換を意味していたわよね? 術式は、どれくらいの量のスペクターを、どのスペクターに変換するのかを決定するの」

「ってことは、魔法を使うときは毎回その術式が必要なの?」

「そうよ。まぁ設計図って言っても、難しく捉える必要はないわ。低級魔法なんかはほとんど感覚的に使えるから。つまり、魔法が簡単なうちは設計図も簡単だけど、難しい魔法になるにつれて設計図も複雑になるってこと。だから、高級魔法を使うときは、ちゃんと術式を理解しなきゃいけないのよ」

「へぇ~」


 術式か。これはすごく難しそうだ。いつか、わたしも使えるようになるのだろうか。

 それにしても、毎回魔法を使う度に術式を組むのって面倒そうだなぁ。


「ふふっ、毎回術式を組むのって面倒そうって顔に出てるわよ、リズ」

「え!?」


 時々まるでわたしの心の中を読んだようなことを言うから、先生は人の心を読む魔法でも使えるのかと少し思っていたけど、単にわたしが分かりやすいってだけだったのか。


「安心しなさい。実は術式を毎回組まなくてもいい方法があるの。それが『詠唱』よ」

「えいしょう……」


 多分これは知ってる。先生が魔法を使うときに何かを呟くときがある。そのとき、きっと先生は詠唱をしていたんだ。


「普通に術式を組むと、一回使っただけでそれは壊れてしまう。けれど、少し工夫すると術式を固定化することができるの。固定化された術式は使っても壊れない。誰かがそれを破壊するまでは、ね。

 そして、その固定化された術式を使うのに必要なのが詠唱なの。言うなれば、固定化された術式は不完全で、設計図の一番初めの部分が抜け落ちてるのよ。その状態で詠唱をすると、設計図が完成して魔法が発動するの」


 難しい魔法でも、術式を一度固定化してしまえば詠唱一つで何度も使うことができる。そんなことができるのか。


「術式の固定化の利点はもう一つあるの。術式は『物』に対して固定することができる。術式を固定された物は『魔法道具』と呼ばれ、その魔法は原則的に誰でも使うとこができるの。その『誰でも』っていうのは、勿論魔術師以外の人も含めるわ。魔法を発動させる切欠である詠唱さえ間違わなければ、誰でも魔法道具を使うことができるのよ」


 魔法道具。わたしは見たことがないけど、どんな人でも魔法の恩恵が受けられるっていうのはとっても素敵なことだと思う。

 あぁ、魔法理論を学べば学ぶほど、早く魔法を使いたくなってくる。


「ねぇ、先生」


 わたしは右手を高く挙げて先生の授業を止めた。


「どうしたの? 分からないところがあった?」

「ううん、違うの。先生、わたし早く魔法を使ってみたい。だからさ、お願いだから魔法の練習をさせて?」

「……言ったでしょう? 理論も大事だって。そこをちゃんと理解しないまま練習をさせるわけには……」

「勉強しながらでもいいから。ねぇ、お願い」


 若干の上目遣いで先生を見上げる。少々あざといが、この方法で先生を落とせなかったことは今までに無かった。


「……はぁ、分かったわ。そこまで言うんなら練習させてあげる」

「やったぁ!」


 何だかんだ言って、先生はわたしに優しいんだ。そんな先生の期待を裏切らないようにしなければ。


「けどね、一つだけ約束して」


 手放しで喜んでいたわたしに、強い口調で先生が迫ってきた。わたしは少しだけ気圧されてしまった。


「な、なに?」

「魔法の練習は、必ずわたしが見てるときだけすること。勝手に一人でやっちゃだめよ」

「わ、分かった。約束するよ」

「それならいいわ。じゃあ、早速はじめましょうか。外に出るわよ」


 そう言うと、先生は玄関の方へ歩いていく。わたしは嬉々としながらその後をついて行った。


 ***


 家から北に少し進んだ先にある綺麗な湖の畔に、わたしとセラ先生は来ていた。

 わたしの前には一本の蝋燭が置かれている。そして、わたしと蝋燭が睨めっこしている様を先生が横から見守る。


「さぁ、その蝋燭に火を点けるのよ!」

「むむむぅ~!」


 必死に蝋燭の先っぽを睨みつけ、火よ点け火よ点けと心の中で念じる。しかし、一向に変化が起こる気配はない。


「想像するのよ! 燃え盛る炎を! その炎に蝋燭の先をほんのちょっとつけるだけよ!」

「むむむぅ~!」


 燃え盛る炎、燃え盛る、炎!

 蝋燭よ! 火を点せ~!

 何度も念じるが、やはり火は点かない。

 先生の抽象的な助言の効果もなく、ただ時間だけが過ぎていく。


「だぁ~! できない!」


 わたしはそのまま後ろへ倒れ、芝生の上に仰向けになった。

 ……本当に魔法が使えるようになるんだろうか。わたしには素質がないんじゃないのか。そんな不安が急に押し寄せてきた。


「先生、わたしって素質ないのかなぁ?」

「まだ始めたばかりでしょう? それに、魔法は理屈じゃなく感覚で操るもの。慣れないうちは苦労するものよ」

「……理屈じゃないって言うんだったら、理論を勉強する必要って無くない?」

「それとこれは別よ。いいから、諦めないでやってみなさい」

「はぁ~い」


 わたしは起き上がり、再び蝋燭と睨めっこをする。

 この蝋燭に火が点くまでにどれだけかかるかは分からない。けれど、これは初めの一歩なんだ。これを乗り越えなければ先生みたいな魔女になるだなんて夢のまた夢。

 わたしは諦めない。どれだけ時間が掛かったとしても、必ずこの蝋燭に最初の火を点してみせる!


 ***


 結局、今日の練習中に蝋燭に火を点すことは出来なかった。

 それがわたしには結構応えたようだ。わたしはベッドの上でうつ伏せになりながら微動だにしない。


「誰だって初めはそうよ。練習し始めたその日から魔法を使える人なんて、本当に素質のある人だけ。だからそんなに落ち込まないで?」


 隣のベッドに腰掛けた先生がわたしを慰めてくれる。

 本当にそうなのかな。わたしは本当に素質が無いわけじゃなく、練習を続ければちゃんと魔法を使えるようになるのかな。

 わたしは体は動かさず、顔だけを先生に向けた。


「先生はさ、魔法の練習を始めてどれぐらいで使えるようになったの?」

「わ、わたし? そうねぇ、初めからかしら」

「は、初めから!?」


 昔のことを思い出しているのか、先生は遠い目をしている。


「小さい頃はね、魔法を使いたくなくても勝手に出てきちゃうなんてことが多かったわ。今となってはちゃんと制御できるけど、あの時は大変だったなぁ」


 そうか。これが素質、才能の差か。

 わたしは体を起こし、何となく窓から外を眺める。とうに日は落ち、辺りは月明かりに仄かに照らされている。もうそろそろ寝る時間だ。

 不意に、わたしの目に一輪の花が映った。

 月の光を受け、幻想的な輝きを放つ白い花。名も知らぬその花は、先生の枕元で静かに佇んでいる。

 先生がずぅっと大切にしてる花。これまで気にかけたことなんてなかったはずなのに、昨日と同じくやけに眩しくわたしの目に映った。


「先生、その花ってなに?」


 白い花を指さし、先生に尋ねる。


「これ? これはね、セレシアって呼ばれる花よ」

「セレシア……」

「そう、わたしにとって、とても大切な花……」


 先生はその細く綺麗な指先で白い花びらを撫でる。花を見つめる先生の瞳は、何かを懐かしんでいるように思えた。


「どうして、その花が大切なの……?」

「あら、聞きたい?」

「うん」

 先生は優しい目でわたしを見つめる。しかし、やがて悪戯っぽく笑ってこう言った。

「また今度ね。さぁ、もう寝ましょうか」

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