第二話 魔法理論入門 前編
その翌日から、遂にわたしの、魔女見習いとしての修行が始まった。
これからいっぱい修行して、セレス先生みたいな立派で、人のためになる魔女になるんだ。
そして今日、その初めの一歩を踏み出すんだ。わたしの胸は将来への期待と夢で満ち満ちていた。
長く感じた日課の畑仕事と薬学の勉強も終わり、ようやく待ちに待った時がやってきた。わたしは昨日貰ったばかりの紺のローブを身に纏い、杖を手に取って先生の下へ向かった。
「さぁ、先生! 魔法の修行しよう!」
わたしはキラキラ光る目を先生に向ける。ソファでくつろいでいた先生は開いた窓越しに外の景色を一瞥すると、ほぅっと息をはいた。
「そうね。そろそろ休憩はやめにして、始めましょうか」
徐にソファから立ち上がると、先生は玄関の方ではなく、別の方向へと歩き出した。わたしの頭の上にはてなマークが浮かんだ。
「あれ? 先生、魔法って外で練習するんじゃないの? どこ行くの?」
先生の背中に問いかけると、先生は足を止めて振り返った。
「もしかして、リズ、初日から魔法の練習ができると思ってたのかしら?」
「え!? 違うの!?」
思いがけない返事に唖然としていると、先生はやれやれと言いたそうに首を小さく横に振った。
「リズ、あなたは素材のことを良く知りもせずに薬の調合をするの?」
「し、しないけど……」
「でしょう? 魔法も一緒よ。魔法を練習する前には、しっかりその基礎を学ばなくちゃ」
「魔法の、基礎……」
なんてことだ。楽しみにしていた魔法の修行は出来ず、今日はただの勉強だなんて。
「だ、だったら、わたしのこの準備万端な格好の意味は……?」
わたしは両腕を広げ、着ているローブと手に持った杖を強調する。それを見て、先生は小さく笑った。
「まぁ、意味は無かったわね。そもそも、魔法を使うのにそのどちらも必要ないのだけれど」
「……」
衝撃の事実。わたしのこの準備万端だと思っていた格好は、魔法を使うことと関係が無かっただなんて。この格好は、わたしにとって、人々を華麗に救う魔女への憧れの姿だったのに。
わたしが呆然と立ち尽くしていると、見かねた先生が口を開いた。
「さぁ、そんなとこで突っ立ってないで、席に着きなさい。わたしは必要な本を取ってくるから」
そう言うと、先生は床の一部を取り外し、地下の書庫へと潜っていってしまった。
わたしは気の抜けたまま、先生に言われた通りに席に着いた。
しばらくすると、先生が地下から這い上がってきた。その手には一冊の本を持っていた。
「お待たせ。はい、これ」
先生がそれをわたしに差し出してくる。上製本でそこまで厚さはないそれは、随分古そうな印象をわたしに与えた。
「……何これ?」
「何これって……書いてあるでしょう? 『魔法理論入門』よ」
「まほう……りろん」
魔法を練習する前に、魔法について勉強する。これがその教科書になるのか。
わたしはその本を受け取り、ページを軽く繰ってみる。初めに感じた古そうな印象とは裏腹に、意外と中身はしっかりしていて日焼けなどもあまりしていなかった。地下の書庫にしまってあったし、きっと保存の仕方が良いんだろう。
少し感心しながらページをめくっていくと、最後のページに行き着いた。そこにはほとんど何も書かれておらず、端のほうに僅かに何か書かれているだけだった。
良く見ると、そこには『セレス・ウルフィリアス』と書かれていた。
セレス・ウルフィリアス……セレス先生?
「ねぇ先生、この本ってもしかして……」
その文字を指差しながら先生を見上げると、先生はちょっと誇らしげに胸を張った。
「そうよ。これはわたしが書いたの」
「え!? ほんとに!? 先生すご~い」
「ふふん、そうでしょう。何たってわたしは一流の魔女なんだから」
「おぉ~」
まさか先生がこんな本まで書いていたなんて。先生が薬を研究して本にしてるところは何度も見たことあるけど、ちょっと意外だったな。
「さっ、お喋りはここまでにして、早速始めましょうか」
「はい! 先生!」
わたしは気合を入れる。この勉強も、先生みたいなすごい魔女になるための一環なのだ。疎かにはできない。
わたしは教科書の初めのページを開く。
「突然だけど、リズ、あなたは魔法を使ったことがあるかしら?」
わたしの向かい側に座った先生がそんな質問を投げかけてきた。
一体なんでそんな質問をするんだ? 使ったことがない、使えないから今からこうして学ぶんじゃないか。
「もぉ、先生ったらヘンだなぁ。魔法を使ったことないから先生に教えてもらうんでしょ?」
「そうね、あなたはまだ自分の意思で魔法は使えない」
先生はなんだか意味深なことを言う。
「でもね、あなたは無意識に魔法を使っているのよ」
「……そ、そんなまさか」
無意識に魔法を? それは例えば、夢の中で魔法を使うとか? そんなおかしなことを、先生は言っているのか?
そんなわたしの思考を悟ったかのように、先生はおかしなものを見たときのように笑った。
「うふふっ、でもね、これは本当のことよ」
先生は一呼吸おいて再び話し出した。
「魔法はね、突き詰めればある一つの事柄に辿り着くの。それは『スペクターの形態変化』」
「す、すぺくたー? けいたい?」
「リズ、どうして人はご飯を食べるのかしら?」
また突拍子もない質問をされた。
「えっと、ご飯を食べないと、栄養とかエネルギーとかがなくなっちゃって、死んじゃうから?」
「そうね、わたしたちは栄養やエネルギーを得るためにご飯を食べる。でも、栄養はともかく、エネルギーって目に見えるのかしら?」
「多分……見えない」
「そうよ。でも、わたしたちはその見えないものを取り出すことが出来る。それを可能にするのが魔法なの」
「そ、そうなの? ってことは、今もわたしの体の中で魔法が使われているの?」
「そうよ。エネルギーは実はスペクターの形態の一つ。そして、魔法とは『スペクターの形態変化』のこと。わたしたちは食べ物の中のスペクターを、自分たちが使える形態に変化させているの」
「おぉ~、この本にも同じこと書いてある~」
魔法を遠い存在だと思っていたが、そんなことは無かったのか。だって、他でもないわたし自身が無意識に魔法を使っているのだから。
先生の語りはまだまだ続く。
「この世界はスペクターに溢れている。わたしたちが一般的に呼ぶ『魔法』とは、自分の体の中じゃなく、その外側のスペクターに意図的に干渉すること」
外側に干渉する。それは例えば、火を熾したり、水を操ったり、風を吹かしたり……ん?
「ねぇ、先生。良く分からないんだけど」
わたしは右手を挙げて話の流れを止めた。
「何かしら?」
「スペクターって見えたり触ったりできるの? ほら、水って触れたり見えたりできるでしょ? 火は見えるし、風は触れる。さっきのエネルギーの話だと、それはできないみたいな感じだったけど」
質問すると、先生は嬉しそうに微笑んだ。
「良い質問ね。確かに、エネルギーは見えないし触れない。けれど火や風、水はそんなことはないわね。実はね、スペクターの形態には触れたり見えたりするものもあるのよ」
「じゃあ、水を風に変えたりとかできるの? 魔法はスペクターの形態変化だっていうんなら」
「それは出来ないわ。スペクターにもいくつか種類があるの。同じ種類でなら変換できるけど、違う種類への変換はできないわ。まあ、ここらへんの話は難しいから、またいずれね」
「は~い」
ふ~む、魔法の概念とは中々難しい。目に見えたり、見えなかったりする魔法の素、スペクター。それの形態を変化させることが魔法。しかし、スペクターには種類があって、同じ種類のもの同士じゃないと変化はできない。わたしが思っていたより、魔法には制限が多いのかもしれない。
「さて、スペクターの話もしたし、次に具体的にどうやって魔法を発現させるのかについて話すわね。例えば、目の前の空間に火を熾したいとする。魔法はスペクターの変換だから、その空間の中にあるスペクターを火という形に変換するわけね。
じゃあ、その変換を離れたところにいるわたしたちはどうすれば実現できるのか。それは、スペクターを変換しなさいっていう命令をそこに飛ばしてあげればいいの。わたしたちの頭から、ね。
でも、命令を飛ばす以上その命令を伝えるものがないといけない。実は、空間を満たしているスペクターが命令伝達の役割を担っているの。だから、スペクターが少ない所だと魔法は使いにくいわね」
「……」
「どうしたの?」
ぽかんとしていたわたしを見て、先生が声を掛けてきた。
あまりにも先生の言っていることが良く分からず、自分でも知らないうちに考えるのをやめてしまっていたらしい。
「先生、全くわかりませ~ん」
そう言うと、先生は口許に手をやって少し考える素振りをみせた。
「……確かにそうかもしれないわね。魔法はどちらかと言うと、理屈よりも感覚寄りなところもあるし……」
「ねぇねぇ、もうこんな良く分かんない勉強はやめにして、魔法教えてよ~」
これはチャンスとばかりに先生にお願いした。しかし、先生は考えを改めないようだ。
「だめよ。わたしの生徒でありながら魔法の基礎を知らないだなんて、そんなことは許されないわ」
「えぇ~」
「つべこべ言わずに、次いくわよ」
こうして、良く分からない授業は良く分からないまま進行していった。
魔法やそれにまつわる事柄が新しい概念なだけに、わたしの頭では理解が中々追いつかなかった。
教科書をパラパラめくってみても、表紙の入門の文字とは裏腹に途中から数式なんかが現れて、もうハチャメチャだった。
でも、少しだけ、ほんの少しだけ、魔法のことを近くに感じられるようになったのは良かったかな。
***
「あら、もうこんな時間」
魔法理論の授業を必死になって受けていると、先生が窓越しに外を見るなりそう呟いた。
昼はとうに過ぎ、しかし日が傾くにはまだ時間がある頃だった。
「リズ、今日の授業はこれでおしまいよ」
「え!? もう終わっちゃうの? まだ夜ご飯の時間じゃないよ?」
一秒でも早く魔法を使えるようになりたいわたしは、早く前置きである理論の部分を終えたかった。しかし、わたしの願いは叶わなかった。
「今日はこれでおしまいよ。もしかして、あなた忘れてるの? 今日は弓術の練習もあるでしょう?」
「あぁ、そういえばそうだった」
この村では農作よりも狩猟に頼って生活している。だから、この村に住む人たちは、みんな狩りのために弓や罠とかを学ぶのだ。そして、村の決まりで十歳になった子供は弓の練習を始める。
わたしは昨日十歳になったばかりなので、例に漏れず弓の練習をしなければいけない。生き物を殺すために弓を構えるのは抵抗はあるが、自分たちが生きるためなのだから、ちゃんと練習をしなければ。
わたしは魔法理論の入門書を本棚にしまい、ローブから普段の服に着替えた。さすがにローブのまま弓を引くのは大変そうだから。
「リズ、準備できた?」
着替え終わったところで、後ろから先生が声を掛けてきた。
「うん、ばっちりだよ」
「じゃあ行きましょうか」
先生がわたしの手を取り、二人並んで歩き出した。
***
弓は猟師のセノスおじさんが教えてくれることになっている。なんでも、おじさんはその道二十年の大先生らしい。きっと教えるのも上手なんだろう。
村に着いたわたし達は、そのままセノスおじさんの家へと向かっていく。しかしその途中、わたしは変わった光景を見かけた。
「なんだろう……あれ」
ふと、そんな言葉が口から漏れた。
わたしの目に映るのは、村長の家の前に見慣れない格好をした人が二人いて、村長と何やら話しをしていた。どうやら、ちょうど訪ねてきたところのようだ。
わたしはその人たちを指差しながら、隣を歩く先生の袖を引っ張った。
「ねぇ、先生。あの人たち何かな?」
「ん? どれどれ……」
わたしの指差す先を先生も見つめる。しばらく目を凝らした後、先生はゆっくり口を開いた。
「あれは……帝国騎士ね」
「帝国?」
「えぇ、鎧に帝国のシンボルが彫られてるもの」
「へぇ~」
帝国騎士、どうしてそんな人たちがこの村に? こんな村には何にも無いのに。
そうこうしているうちに、騎士達は村長に促されて家の中へ入っていった。
「先生、帝国の騎士様がこの村に一体何の用があるのかな?」
「さぁ、わたしにも分からないわ。まあとにかく。今は弓術の練習よ。行きましょう」
気を取り直し、先生はわたしの手を引いてセノスおじさんの家へと向かう。その間、わたしはなんだか嫌な予感をひしひしと感じていた。
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