第一話 魔女見習いになる 後編
大変な畑仕事も終わり、その後の家での薬学の勉強も一区切りついたので、今わたしは居間のソファの上でくつろいでいた。
それにしても、薪割りに作物の収穫と、今日は結構動いたなあ。明日は筋肉痛に違いない。疲れた腕をもみながら、そんなことを考えていた。
「今日はいろいろと大変だったでしょう? はい、紅茶淹れたから」
「ありがとう、先生」
くたびれた様子のわたしを見て気を遣ってくれたのか、セラ先生が紅茶を淹れてくれた。わたしはカップを受け取り、一口飲んだ。
「……おいしい」
先生の淹れてくれる紅茶は、もうこれまで随分と飲んできたけど、いつ飲んでも美味しく感じる。きっとそれは、毎回同じ紅茶ではないからだろう。
先生はいつだって、その場その時に応じた紅茶を淹れてくれる。飲む人のことを考えて、毎回茶葉のブレンドを工夫しているんだ。
紅茶をもう一口飲み、深く息をする。
思い返せば、わたしはなんてつまらないことに腹を立てていたんだろう。
先生がわたしの誕生日をうっかり忘れていたくらいで、約束一つを忘れていたくらいで、どうしてわたしはあんなにも怒っていたんだろう。
どちらも大したことないことなのに。一言、わたしから言えばよかっただけなのに。「今日はわたしの十歳の誕生日だよ。先生、わたしに魔法を教えてくれるって約束憶えてる?」って。
それなのに、わたしは先生に期待してたんだ。先生ならわたしから言わなくても憶えていてくれるって。先生だって暇じゃない。忙しい日々を送ってるんだ。そんな中でちょっと何かを忘れることだってあるだろう。それが、今回は偶々わたしの誕生日と例の約束だったってだけ。
そんなことにも気づかずにぷんすかと一人で怒っていたわたしは、やっぱり子供だったんだ。
一人で反省しながら、紅茶を飲む。紅茶はあっという間になくなってしまった。
「リズ、ちょっといいかしら」
薬棚を漁ってた先生がわたしを呼ぶ。紅茶を飲み終わったところだし、丁度良いか。
わたしはティーカップを机の上に置き、ソファを立った。
「どうしたの?」
「悪いんだけど、一つ頼まれてくれない?」
「頼みごと? 良いよ、何?」
「実はね、トッテモキチョウダケを切らしてるの。わたしはこれからちょっと用事があるから、代わりに探して採ってきてくれないかしら?」
トッテモキチョウダケ。習った覚えがある。滅多に見かけない希少なキノコ類。さまざまな薬の素材として利用される。
ここらへんの地域にのみ自生しているらしいから、採りに行くなら北の森の奥地だろうか。そこなら安全に採取できるから。
「うん、いいよ。トッテモキチョウダケだね」
答えに迷うことはない。先生の役に立てるのなら、わたしは嬉しいから。
わたしの返答を聞いて、先生はどこかほっとしたような表情を浮かべた。
「ありがとう、リズ。助かるわ。ところで、見分け方は大丈夫?」
「大丈夫、ちゃんと憶えてる。先生が何度も教えてくれたでしょ?」
「そうね。じゃあ、お願いね」
そう言い残すと、先生はそのまま玄関の方へ向かった。
しかし、先生は玄関の手前で足を止め、わたしに振り返って言った。
「もし採れなくても、日が沈む頃には帰ってきなさいね?」
「うん、わかった」
「じゃあ、いってきます」
そして、今度こそ先生は玄関のドアを開いて外へと出て行った。
「さて、わたしもキノコを探しに行こう」
一度高く伸びをした後、わたしも家を後にした。
***
家を出てから、村とは反対方向へとずんずん進んでいく。出来るだけ木の密集しているほうへ、木漏れ日の少ないほうへと。
キノコたちは日光を嫌う。だから、トッテモキチョウダケを見つけるなら森の奥深くが最適だ。
しかし、その道中でもちゃんと目を効かす。目的のキノコに気がつかずその場を通り過ぎるなんてことは御免だ。何と言っても、目的はあのトッテモキチョウダケ。滅多に見かけないだけに、少しでも可能性があるのなら、その道中でもしっかり探さなければ。
それにしても、先生は随分な無茶を言う。目的のキノコを、わたしはこれまで両手で数える程しか実物を見ていない。それほど、そのキノコは貴重なのだ。
それでも、わたしはきっと見つけられる。そんな根拠の無い自信が、胸の中に宿っていた。
木々の合間を縫い、草を掻き分け、辺りは薄暗くなってきた。頭上を木の葉っぱが覆っているので、日の光がここまで直接届かないのだ。
ここなら、きっとある。わたしはそう確信し、本格的にキノコ探しを始めた。
木の根付近を一つ一つ入念に見ていく。いくつもキノコを見つけたが、どれも目的のものではなかった。
次々に木の根を調べていく。何本も何本も調べ、自分が今何本目を調べているかわからなくなった頃、その時はやってきた。
「あっ! あった!」
目の前には目的のトッテモキチョウダケ。それも一本だけではない。それはもうたくさんのキノコが生えていた。
「こんなにたくさん持ち帰ったら、きっと先生驚くだろうなぁ」
わたしは先生のびっくりする様子を想像して思わずニヤけてしまった。
「さぁ、さっさと採ってかえろう」
わたしは目の前のキノコの山に飛びかかると、一つ一つ丁寧に採取していった。
***
キノコ採集に夢中になるあまり、気づいた頃には辺りは一層暗さを増していた。日が傾き始めているのだ。
そういえば、日が沈む頃には帰ってきなさいって先生が言っていた。まだすべてを採り終えていないけど、わたしの手に持つ袋はキノコがパンパンになるまで入っている。もう十分だろう。
「えへへ、先生、きっと喜んでくれるだろうなぁ」
わたしはほくほく顔で帰途に就くことにした。
***
家が見えてくる頃には、もう日が落ちかけていて、森の中に建つ我が家は夕闇に包まれようとしていた。家の中から灯りが漏れていないので、まだ先生は帰ってきていないんだろう。
何だかんだで今日は疲れたので、早く休もうとわたしは駆け足になって家に向かっていく。
家に着き、玄関のドアを開いた、その時だった。
「っ! 眩しいっ!」
わたしの目の前に突然、光が満ちた。目がくらんだわたしはしばらく手で光を遮っていたが、少しするとだんだん目が慣れてきた。
薄目を開き、一体何が起きたのか確認しようとする。すると、わたしの目の前には……。
「リーザ、お誕生日おめでとう!」
セレス先生がいた。
先生が、わたしにお祝いの言葉を投げかけていた。
いまいち状況が掴めないわたしはぽかんとしてしまう。それでも、なんとか言葉を絞り出そうとする。
「せ、先生? これは……?」
「何寝ぼけたこと言ってるの? あなたの誕生日パーティーじゃない」
そう言われゆっくりと家の中を見渡すと、さまざまなところに装飾が施され、居間の机にはわたしの好物の魚料理がたくさん並べられていた。
「わたしの、誕生日パーティー……?」
「そうよ。さっ、主役がそんなとこに突っ立っててどうするの? はやくこっちに来なさい」
先生がこっちに来いと言いながら手招きをする。わたしはそれに誘われるようにふらふらと歩いていった。
「リズ、あなたにプレゼントがあるのよ」
先生の前まで来たところで、彼女はソファの後ろの陰から何かを取り出した。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがと……」
手渡されたのは、麻袋に包まれたものが二つ。一つは小さく、もう一つは細長かった。
「な、中身見てもいい?」
「えぇ、もちろんよ」
わたしは恐る恐る袋から中身を取り出した。その中に入っていたのは一着の紺のローブと、一本の杖だった。
「その、今日から魔女の見習いになるわけだから、マナナさんとセノスさんにお願いして作ってもらったの。わたしじゃあ、ちょっと技量不足だったから」
わたしはようやく、一体何が起きていたのかを理解できた。わたしはずっと、勝手に早合点してただけだったんだ。
先生はわたしの誕生日も、あの約束のことも、全部憶えててくれたんだ。それでいて、先生はわたしをびっくりさせようとして、今までそのことに触れずにいたんだ。
「あぁ、リズ、どうしたの? もしかして気に入らなかった?」
急に先生があたふたし始めた。気がつけば、わたしは涙を流していた。
「ううん、違うの。先生、わたし、すっごくうれしいの。だってわたし、先生がわたしとの約束、忘れちゃったんじゃないかって思ってて……」
涙で視界がぼやけていく。いくら拭っても、溢れる涙は止まらなかった。
「わたし、朝先生に酷いこと言っちゃった。ごめんなさい」
泣きながら謝るわたしの頭を、先生が優しく撫でてくれた。
「わたしの方こそ、ごめんなさいね。あなたを驚かせようと思ってただけなのに……不安にさせちゃったわよね?」
「うん。でももういいの。だって先生、わたしのためにそうしてくれたんでしょ? だから、わたし嬉しいの」
そこまで言って、わたしはとうとう耐えられずに先生に抱きついた。
「セレスせんせぃ、大好きだよ」
「ふふっ、わたしもよ、リーザ」
わたしはしばらく、先生の腕の中で優しい涙を流し続けていた。
***
「あっ! そうだった!」
しばらくして落ち着いたわたしは、例のことを思い出した。先生に頼まれていたトッテモキチョウダケをたくさん採ってきたんだった。
わたしは腰につけた袋をつかみ、先生の前へ突き出した。
「はい、先生。キノコ採ってきたよ」
「まあ、本当!?」
先生はそれを見て、まるで本当に採ってくるとは思っていなかったかのような声を上げた。まあそれもそうだろう。何たって滅多に見かけないはずのキノコを袋一杯に詰めてきたんだから。
袋の口を開き、先生は中身を確認していく。驚きのあまり声も出ないようだ。わたしはその隣で鼻高々になる。
「リーザ……? これ……」
「すごいでしょ? それでも全部じゃないんだよ。森の奥でたくさん生えてるとこを見つけたんだ!」
わたしは誇らしげに言った。が、先生は微妙な表情をしている。まるで言いたいことがあるけど言いにくい、みたいな。
「どうしたの? 先生」
わたしが促すと、先生はおずおずと口を開いた。
「その、とっても言いにくいんだけど……これ、トッテモキチョウダケじゃないわ」
「えぇ!?」
驚きのあまり変な声が出てしまった。
先生は袋の中のキノコを一つずつ取り出し、机の上に並べていった。
「ほら、カサの裏がみんな黒いでしょう? これはトッテモマギラワシイタケ。カサの裏が白いのが、トッテモキチョウダケよ。何度も教えたじゃない。さては、確認せずに採ったわね?」
図星をつかれてしまった。たしかにあの時、あまりにたくさん生えてたものだから嬉しくってつい確認するのを忘れてしまっていた。
そうか。あの時の苦労は水の泡か。確かに、今思えばそうだよね。滅多に見かけないはずのキノコが集団で生えてるわけないよね。
「あら、これ……」
わたしが悲しみに暮れていると、先生が一本のキノコを持って絶句していた。そのキノコのカサの裏は……白色だった。
「そ、それ……」
「えぇ、トッテモキチョウダケね……」
トッテモキチョウダケを採ってきていた。そう知った途端に、わたしの鼻は再び高くなった。
「ほら! 言った通り採ってきてたでしょ?」
「もう、調子良いこと言っちゃって。でも、ありがとうね」
「えへへ……」
誇らしげに胸を張るわたしの頭を再び撫でられる。それが嬉しくて、ついはにかんでしまうのだった。
***
今日、何だかんだでいろいろあったけど、これで一つの節目を迎えた。
わたしはまだまだ子供だったし、先生はやっぱり先生だった。
ほとんどのことは変わらない。けど、一つだけ変わったことがある。
わたしは今日から、魔女見習いになったのだ。
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