第七話 先生になる 後編
気持ちの良い程に澄み渡った朝空の下、わたしはリーザを連れて村の北西の小高い丘にある集団墓地へ向かった。
墓地に着くと、多くの墓標の合間を縫って進み、リーザの両親の墓を探す。この前村長に教えてもらったばかりなので、それはすぐに見つかった。
「リーザ、これがあなたの両親の眠るお墓よ」
まだ作られて間もない墓。切り出されたばかりでつやのあるその表面は、朝日を反照して眩しく光っている。
そして、墓石の表には二つの名が並べて刻まれている。リーザの両親の名だ。
「おとぉさん、おかぁさん……」
リーザは墓の前に両膝をつき、その小さな指で刻まれた両親の名をそっとなぞる。その横顔は、溢れる涙を懸命にこらえている顔だった。それでも、一つ、また一つと、堪えきれずに涙が頬を伝ってゆく。
リーザは両目を閉じ、墓の前で手を合わせる。心の中で、きっと両親に挨拶をしているのだ。
一陣の風が吹いた。わたしたちの頬を優しく撫でては、遠くへ流れてゆく。まるでそれは、幼い少女の流した涙を乾かすように。
風が吹き止むと、リーザは目を開いた。その大きな瞳には、確かな決意の色が見えた。
彼女は立ち上がり、隣に立つわたしを真っ直ぐに見上げた。
「おねーさん」
「何かしら?」
「わたし、絶対に立派な薬師になる」
彼女は、凛々しく、そして力強い声で将来の夢を高らかに宣言した。
「たっくさん勉強して、たっくさん修行して、お母さんみたいな立派な薬師になる。けど、わたし一人だと、立派な薬師になる頃にはきっとおばあさんになっちゃうと思うの。だから、おねーさん。わたしをおねーさんの弟子にしてください!」
そう言うと、リーザはわたしに向かって深々と頭を下げた。
驚いた。まさかこの子からわたしに師事しようと、こうして頭を下げられるとは思いもしなかった。
確かに、薬学や医学は独学では難しい。師に教えを請わなければ、この子の言った通り、習得するのに何十年かかるか分からない。
それに、この子の覚悟は本物だった。ならば、わたしに許された返答は一つのみ。
「ふふっ、わたしで良ければ、あなたの先生になってあげる。けど、わたしの修行は厳しいわよ」
わたしの返答を聞いた途端、リーザはぱぁっと花が咲いたように笑顔を見せた。
「ほ、ほんとに? ほんとにおねーさんの弟子にしてくれるの?」
「どうして嘘を言わなきゃいけないのよ」
リーザに対して笑顔を返しながら、わたしは一つの妙案を思いついた。
「あっ、そうだ。折角だからわたしの家に住みなさいな。その方が、沢山勉強できるわよ」
「うん! おねーさんの家に住む! お引越しする!」
さっきまでの凛々しいリーザはどこへやら。わたしの提案を聞いた途端に、リーザは気持ちいいくらいにはしゃぎだした。
その様子を見て、わたしは心底嬉しかった。彼女は両親の死という壁を乗り越え、前へ進むための初めの一歩を踏み出した。わたしの選択は、間違ってはいなかったのだ。
「よし! じゃあ早速、引越ししましょうか」
「はーい!」
***
リーザがわたしと一緒に住むことを、村長は快く認めてくれた。
彼が言うには、わたしがこの村で一番あの子から好かれているのだそうだ。
「余程、セレスさんの魔法が気に入ったのですな」と笑う彼の表情には、安堵の色が濃く見えた。リーザが両親の死を受け入れ、前へ進もうとする姿勢に心底安心したのだろう。
わたしたちはそれから、リーザの私物やらを我が家へ移動させていった。数はそこまで多くはなかったものの、ベッドやドレッサーなど重いものがその大半を占めていた。お陰で、わたしは腰を痛めてしまうところだった。
そんな荷物運びも昼頃には終わり、わたしは今疲れた体をソファの上で休ませている。
「あぁ~~、つかれた~」
「もぉ~、おねーさんったらおばあさんみたいだよ」
「余計なお世話よ」
リーザはわたしとは対照的に元気な様子。それもそのはず。まだ自分が小さく非力な幼女であることをいいことに、荷物のほとんどをわたしに運ばせたのだから。
「ねぇねぇ、勉強はいつ教えてくれるの~?」
くたびれたわたしを心配する様子を微塵も見せず、リーザが勉強を教えろとせがんでくる。
「うるさいわね、リズ。頼むから少しは休ませて」
わたしは手を振り、あっちに行けとジェスチャーする。しかし彼女はその場を動かなかった。
「リズ? わたしの名前はリーザだよ?」
「うん? あぁ、そんなこと知ってるわよ。さっきのは愛称よ、愛称。」
「あいしょう?」
「仲良し同士で呼び合うときの名前ってこと。これから一緒に住むんだから、いいでしょう?」
そう説明すると、リズの顔に笑顔が咲いた。
「うん。じゃあ、おねーさんにもあいしょう、つけてあげる」
むっ、これは面倒な流れだ。へんてこりんな呼び名をつけられたら堪ったもんじゃない。
「えぇ? 別にわたしはいいわよ」
「だめだめ、わたしもつけるの~……」
どうやら折れてはくれないようだ。リズは考え込むようにうんうんと唸る。しかし、中々思いつかないようだ。
しばらくして、リズは目を見開いた。何か思いついたのだろうか。わたしは少し緊張しながら、リズの口許を見つめた。
「……そいえば、おねーさんの名前って、何だっけ?」
「……」
言葉が出なかった。
これだけ長い間付き合ってきたにもかかわら、ずわたしの名前を知らないとは。確かに、今思えばリズからはずっと『おねーさん』としか呼ばれていなかった気がする。わたしは一つため息をついた。
「よく聞きなさい。わたしの名前はセレス・ウルフィリアス。あなたの先生の名よ」
「わかった。じゃあ、おねーさんはセラおねーさんだね」
「こらこら、おねーさんじゃなく、先生と呼びなさい」
「はーい、セラ先生」
リズにそう呼ばれ、わたしは胸が温まるような気持ちになった。
どんな妙ちきりんな愛称が生まれるかとひやひやしていたが、思いの外気に入ってしまった。愛称で呼ばれるとは、中々嬉しいものだ。
「あ、あのね、セラ先生。一つ、お願いがあるんだけど……」
先ほどの態度とは打って変わり、リズが急にしおらしくなる。
「お願い? まあ、言ってごらん」
「わたしにね、勉強だけじゃなくて、まほうも教えてほしいの」
そう懇願する彼女の目は真剣そのものだった。
魔法を教えてほしい、か。
「前に本で読んだことがあるの。練習すれば、だれにでもまほうが使えるようになるって。
昨日の夜のこと、わたし覚えてる。たくさん怪我したわたしを、先生が魔法で助けてくれたんだよね?
わたし、将来は立派な薬師になって困ってる人を助けたい。その時にね、まほうが使えたら、もっとたくさんの人を助けられると思うの。
だから、お願いセラ先生。わたしにまほうを教えて?」
「……」
わたしは返答に困っていた。
確かに、魔法は修行を積めば、人によって差はあれど使えるようになるだろう。そして、魔法を使えば救える人が多くなるのも事実だ。
しかし、魔法は人を救うだけでなく、殺すこともできる。使い方を誤れば、多くの人々を傷つけることになる。かつて帝国を襲った、あの悲劇のように。
「リズ、こっちへいらっしゃい」
わたしはソファをぽんぽんと叩き、リズを隣へ座らせる。
「なに? セラ先生」
「一つ、お話を聞かせてあげる」
「おはなし?」
「えぇ、そうよ。しっかり聞きなさい」
隣で小首を傾げるリズに、わたしはゆっくりと語りだした。
***
「むか~しむかし、ある大きな国に、一人の魔女が住んでいました。
その魔女はとても賢く、さらに並外れた魔法の才能を持っていました。
彼女はその魔法の力で、国に住む多くの人々を救っていきました。
彼女の尽力によって、国は更にどんどん大きくなっていきました。
その国とあまり仲の良くない国とは……ちょっと喧嘩しちゃったりしたけど、魔女のお陰で仲良くなって、お互いに協力し合うようになりました。
誰もが幸せだと感じていました。
そして、誰もがこの時間が続くと思っていました。
ある夜のことです。突然国中から火の手が上がりました。
人々は火を消そうと必死でした。ですが、いくら水を掛けても全く火は消えませんでした。
人々は例の魔女の名を呼びました。彼女ならこの火を消してくれると思ったからです。
しかし、いくら呼んでも彼女は姿を現しませんでした。
彼女に、助けを呼ぶ声は届いていました。しかし、彼女はそれを聞かぬ振りをしていました。
魔女は空の上にいました。
国中が炎に包まれ、人々が次々と倒れていくのを眺めていたのです。
そう、国中に火を放ったのは彼女だったのです。
夜が明ける頃には、すべてが変わっていました。
国に住む人々のほとんどが死んでしまい、生き残った人も住む場所や食べ物を失いました。
魔女はその光景を眺めると、満足してその場を去ろうとしました。
しかし、天は彼女の行いを許しませんでした。
魔女は神の使いに捕らえられ、天へと連行されました。
そこには、幾百もの神々の姿がありました。
彼女は神の裁きを受けました。
彼女のもたらした災厄に見合う罰を受けたのです。
その罰により彼女は……自らの名を失ったのです。
魔女は天から開放され、気づけば国の外れに立っていました。
しかし、彼女の大切なものは天に残されました。
彼女は何も憶えていませんでした。
自分が一体誰なのか、これまで何をしてきたのか、そのほとんどを忘れてしまったのです。
しかし、ただ一つだけはっきりと憶えていることがありました。自分が祖国を滅ぼしたということです。
彼女は一目散に逃げ出しました。国の生き残りの誰かが自分を見つければ、酷い目に遭わされると思ったからです。
しかし、生き残った人々が彼女を見つけても、彼らは何もしてきませんでした。彼らもまた、魔女のことを全く覚えていなかったのです。
魔女は国を去りました。
彼女は一人になりました。
彼女は誰も知らぬ土地で、自分が誰なのか分からない恐怖と、祖国を滅ぼしたことへの罪悪感に苛まれながら、一人静かに暮らしました」
***
「はい、おしまい」
「……」
わたしの横で、リズは難しい顔をしていた。こんな小さい子には、わたしが伝えたかったことは分からないのかもしれない。
しばらく考えても納得がいかなかったのか、リズが手を上げて質問を投げかける。
「どうして、そのまじょさんはそんな悪いことをしたの?」
「ん~そうね、きっと、彼女は自分の名前を世界中に轟かせたかったのよ。わたしが世界で一番強い魔女だぞ~って。だからこそ、神様は彼女から名前を奪ったのよ」
「そっかぁ」
リズはすっきりしたように、晴れた表情を浮かべた。
「つまり、先生が言いたかったことって、まほうで悪いことしちゃダメってこと?」
「えぇ、その通りよ。魔法は薬とおんなじ。人のためにあるものよ。だから、魔法で悪いことをするのは絶対にいけないこと。リズ、あなたは守れるかしら?」
「うん! やくそくするよ!」
わたしの問いかけに、彼女は気持ちのいい返事を返してくれた。
この子ならきっと、道は踏み外さないだろう。何より、わたしが傍にいるのだから。
「よし! なら、あなたに魔法を教えてあげる」
「やったー!」
よっぽど嬉しかったのか、リズは両手を挙げて喜んだ。
魔法を教える。それ自体は結構だが、やはりまだこの子は幼すぎるような気がしてきた。
「リズ、あなた何歳だったかしら?」
「わたし? 六さいだよ」
「そっか……あなたまだ小さいから、そうね……十歳になったら、魔法教えたげる」
「えぇ~~! 先生ひど~い! うそついた~!」
「嘘はついてないでしょう? あ~もう、そんなに拗ねないで」
そう言って、リズはほっぺを膨らまして拗ねてしまった。そして、しばらくの間は口を利いてはくれなかった。
***
その夜、わたしとリズは肩を並べて、家の隣の露天風呂に浸かっていた。
「はぁ~~、極楽極楽~」
「もぉ、セラ先生ったらおばあさんみたい」
「またあんたはそんな失礼なことを……」
相変わらず口の減らない嬢ちゃんだ。まあ、おばあちゃんみたいというのは、自分でも自覚している部分はあるけど。それでも、この子の遠慮の無さは目に余る。
「ねぇ、先生は何さいなの?」
またこの子は何のためらいもなく失礼な質問を投げかけてきた。淑女に年齢を尋ねるとは、何とも無礼極まりない。
「……一応訊いておくけど、どうしてそんな失礼な質問をするのかしら?」
「うんとね、何さいになったら先生みたいなすごいまじょさんになれるのかなって思って」
あら、そういうことだったのね。
本当のことを言ったら嘘だと思われるかもしれない。まあしかし、だからといって隠す必要もないか。
「う~ん、そうねぇ。あまりよく憶えてはいないけど、四百歳はとうに越えてるわね」
「えぇ~~! うっそだ~! そんちょーだって八十さいなんだよ?」
リズが驚きの声を上げる傍らで、わたしは自慢げに胸を張った。
「ふふん、わたしからしたら、村長もまだまだ子供ってことよ。言っておくけど、これは本当よ。所謂、不老不死ってやつね」
「ふろーふし?」
リズが小首を傾げる。単語が少し難しかったか。
「年をとらなくて、死なないってことよ」
「ってことは、先生はもうとっくの昔からおばあさんなんだね」
この子は何と口の減らない娘だろうか。わたしは若干呆れながらも反駁する。
「あんた何てこと言うのよ。見た目が若いんだから、わたしはまだお姉さんなのよ。決してお婆さんじゃあないわ」
「でもでも、さっきおばあさんくさいこと言ってた~」
「あぁ、もう。あんたがそう思いたいんなら勝手に思ってなさい」
一々リズの無礼な質問の相手をするのに疲れたわたしは、片手を振って話しを切り上げた。しかしその時、自分の口調とは裏腹に、わたしの口許は緩んでいた。
何気ない会話。それが、わたしにはひどく懐かしく感じる。
今日から毎日、こんな日が続いていくのだろう。
可愛い弟子、リーザがいて、勉強を教えたり、こうして一緒に風呂に入ったり、一緒に遊んだりする、そんな幸せな日々が。
これからわたしの、いや、わたしたちの、新しい毎日が始まるのだ。
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