8-3
「立花君」
「ああ、古寺さん。どうもお疲れ様です」
「何やってんの? 椅子なんて立てて」
「ディップスです」
「ディ、えっ?」
「ご存じないでしょうか。上体のスクワットと呼ばれる大胸筋を鍛えるのに最適な筋トレなのですが」
「栄華祭なのに」
冴香を見送ってから適当に学内をぶらついていたが、異様に人から見られる気がしたので居たたまれなくなって人気のない教室で佇んでいたのだ。あまりにも時間が経たないので筋トレをしようと思っている時にこの出会いである。
近くの椅子に座る彼女に事のあらましを伝えると、またおかしそうに笑った。
「そっか、人の視線集めちゃって居心地が悪いんだ」
「僕の自意識過剰だとは思うのですが、どうにもそんな気がして。やはり世間は浪人に厳しいのですね……」
「それは全く関係ないと思うけど、まぁ立花君の姿だと目立つかもねぇ。妹さんは? 一緒に栄華祭巡ったりとか」
「友達と回ってます。誘ってもらったんですが、気を使わせそうな気がしたので断りました。高校生ですし、あんまり兄妹でべったりって言うのも良くないんじゃないかと。そう言えば、古寺さんはどうしてここに?」
「私は見回り……って名目の校内散策かな。ナンパされた子が連れ込まれたりしないよう一応人気のないところも見て回ったりとか」
「そういうのも生徒がやるんですか? 警備がいるって聞きましたけど」
「うん。別にしなくてもいい。私が勝手にやってるだけ。実際は時間つぶしてる」
「古寺さんこそ友達と巡ったりとかされないんですか?」
「なかなか時間合わなくて。私はほら、クラスの出し物と生徒会活動もあるから。受付とか、イベントの運営とか、部活動と協力してスケジュール管理とか。空いた時間って言ってもがっつり遊べる訳でもないし」
古寺さんはそこまで一気に話すとふと黙り込んで、逃げるように視線を逸らせた。
「ごめん、本当は立花君の事探してた」
「僕を?」
「何してるのかなって、気になって。そしたら空き教室で筋トレしてるんだもん。笑っちゃった」
「どうして僕を探してたんですか?」
尋ねると古寺さんは一瞬狼狽した様子を見せた後、視線を彷徨わせた。
「えっと、ほら、あれだ、ええと」
古寺さんはぶつぶつと呟くと、椅子から立ち上がった。
「栄華祭回ろう、立花君」
「えっ?」
「ほら、この間のお礼、まだ出来てないしさ」
「ちゃんとお礼は言ってもらいましたけれど」
「そうじゃなくて、言葉だけじゃ足りてないって事。ほら、早く」
彼女は僕の手を引く。抗えず、そのまま引かれる。
「せっかくの栄華祭なんだから楽しもうよ」
見回りと称した栄華祭巡りは楽しかった。生徒会長のボディーガードと言う名目で歩くと何故か誰もが納得した様子で頷いてくれた。
「君はもっと自分のキャラクターを理解すべきだ」
古寺さんはあっけらかんとした口調で言う。
「君は思っている以上に有名で、思っている以上に信頼されてる」
「古寺さんのおかげだと思いますよ」
色んな人から信頼されるほど人と交流した記憶はない。
古寺さんは『この間のお礼』と称して度々模擬店の物を僕に奢ってくれた。アルバイト代が貯まっているらしい。そんなお金をわざわざ僕の為に使わせるのは気が引けたが、譲ろうとしないので仕方がない。
あまり違和感を抱かなかったが、古寺さんに以前の様な淑やかなお嬢様の気配はなかった。すれ違った人に挨拶をする時も、僕に話しかける姿も、お店で何か買う時も、彼女は自然体だった。
古寺正枝と言う人の人物像は二種類あった。
生徒会長としての古寺正枝。
薬局の店員としての古寺正枝。
二つの像は、徐々に融合していく。
一通り屋台を巡ると随分と時間が経っていた。夕暮れが近付こうとしている。不意に古寺さんの携帯が鳴って、彼女はバツが悪そうに顔をしかめた。
「うわ、さすがにサボりすぎた。生徒会の子から結構メール来てるし、もう行かないと」
「いろいろご馳走していただいてありがとうございました」
僕が背筋を曲げないよう腰を引くように四十五度のお辞儀をすると「いいんだよ」と古寺さんは笑った。
「立花君、二日目も暇?」
「クラス展示の受付役が午前に終わるのでその後は特に予定は入っていませんが」
「そっか。じゃあさ、嫌じゃなかったらなんだけど、生徒会の仕事、手伝ってくれない?」
意外な誘いだ。
「僕なんかで大丈夫ですか? 何も分からないので返って邪魔になってしまうんじゃあ」
「いいんだよ。受付で案内配ったりする程度だから。あとは出来れば私に同行してもらえると嬉しい。君が居ると心強い」
彼女はそう言うと「それにさ」と付け加えた。
「会長としてやってきた最後の仕事、見届けて欲しいんだ」
その視線はどこか切なさを孕んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます