3-6
「ただいま」
靴を脱いでリビングに入ると、テーブルに牛乳を置いた。部屋に居るのは冴香一人で、風呂場からは母の鼻歌が聞こえてくる。この時間であれば恐らく風呂掃除でもしているのだろう。父は自室に居るようだ。
テレビには今流行のアイドルグループがコントに挑戦しており、画面上がにぎわっている。ソファに寝転びながらテレビを見ていた冴香が声を掛けてきた。
「おかえり。遅かったね」
「ちょっと夜風が気持ちよかったから散歩しててな」
「ああ、確かに。今日は過ごしやすいよね」
冴香は確認する様に窓の外に視線をやる。カーテンが緩やかに揺れ、どこか遠くから虫の鳴き声がかすかに聞こえてきた。
「お兄ちゃん何かあった? 表情が浮かないけど」
「えっ」
図星だったので一瞬ビクリとする。だが僕は瞬間的に深く息を吐き丹田に力を込めると鬼のメンタル力ですぐに動揺を消し飛ばした。窓が覇気でガタガタと揺れ、僕を中心に部屋の空気が外へと押し出される。
僕はスッと表情を正した。
「別に何もないよ」
「あったんだ」
「はい」
「まぁ、言いたくないなら無理には聞かないけど」
相変わらず察しが早い。家族だれど、そのあたりはしっかりと気を回してくれる。そのことがありがたく、申し訳なかった
「なぁ冴香」
「何」
「置かれている状況や立場が違うだけで性格まで変わることなんて、あるんだろうか」
「えぇ?」
冴香は一瞬訝しげな表情をこちらに向けたが、すぐに何か察したのか膝を抱えてテレビへと視線を戻した。
「あるんじゃないかな。友達によってキャラを変えたりとか、振る舞いを変えたりとか」
「冴香も身に覚えが?」
「身に覚えって言うか……」冴香はそこで少し言いよどむと、言葉を続けた。「中学の時は私もやっぱり暗くなっちゃって、友達、まともにいなかったから」
グサリと来る言葉だった。
僕達は今まで自分達が過ごした中学時代についてあまり触れる事がなかった。だからこうして、いざ冴香の口から内情を打ち明けられると心臓を握られたような気持ちになる。
「すまん」
「やめてよ。そう言うつもりで言ったんじゃない」
「そうだな」
話をここで切り上げようかとも思ったが、僕はあえて尋ねた。
向き合っておきたかったのだ。逃げたくなかった。
「中学の頃、冴香はどういう気持ちで毎日過ごしてたんだ?」
そう尋ねた声は少しだけ震えていたかもしれない。
しばらくの間を挟んで、冴香はゆっくり口を開いた。
「こんなの自分じゃないって思ってたよ。本当の私はもっと別の場所にいるんだって。ここにいる私は偽者なんだって、そう思ってた」
「偽者……」
「でも、今だから思うけど、それって甘えてるだけなんだよきっと。弱い自分が表に出てたんだと思う。状況を変えようともせず、たいした行動も起こさず、色んなことを周りのせいにしてたんだよ」
「そうか」
僕は多分そんな風には思えない。そこまで自分に厳しく居られる事に、尊敬の念すら覚える。
「冴香は、すごいな」
「別にすごくない。でも、お兄ちゃんがそうやって誰かを認める事は、きっと救いになるんじゃないかな」
「救い」
冴香は少しだけ潤んだ目でこちらを見上げた。「だって私が今そうだから」
テレビを見ている妹と話す平穏な日常。
実はそれが、とても特別なものなのだと僕は悟った。
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