5-2
夕方、プロテインを購入しに行った。しかしレジを打っていたのは古寺さんではなく、見た事のない別の若い女性だった。新しいアルバイトだろうか。
古寺さんは高校三年生だ。そして季節はもう夏。受験対策で忙しいのだろう。レジ打ちなんてしていられないのは当然の事だ。
あの日以来、古寺さんとはゆっくり話をしていない。学校でも時々すれ違った時に会釈するくらいだ。江崎君のことも気になるが、古寺さんも何か悩んでいる気がする。薬局で会えるならまた深い話をする機会もあるだろうと思っていたけれども、どうやらそう上手くはいかないらしい。
「立花君だ」
古寺さんかと思って振り返ると、江崎君だった。
「江崎君」
「奇遇だね、こんなところで」
帰りですか、と尋ねようとして彼が制服姿である事に気がついた。僕達みたいに帰宅部の生徒が制服姿でうろつくには少し遅い時間だ。
「どこか寄っていたんですか?」
尋ねたは良い物の、なんとなく気付いてはいた。
「ちょっとね。昔の知り合いに誘われて」
「以前駅前にいた人達ですか?」
「よくわかったね」
「最近よく一緒に居るみたいだったので。一度、街中で彼らと一緒に歩いている姿を見ました」
「あいつら派手だからね。性格もひねてるから、今の学校で友達が出来ないんじゃないかな。よく誘われるんだ」
江崎君はそう言うとそっと視線を巡らせる。夕陽が彼の顔にかかり、その表情に影が差す。
何か声を掛けるべきだろうか。迂闊な事を口にしない方がいいのは分かっていた。心配されるのと、詮索されるのはまるで違うからだ。
「立花君、少し時間あるかな」
「ええ、大丈夫です」
「良かった。じゃあ折角だし、少し歩こうよ。なんだか帰る気分になれなくてさ」
江崎君は先導するように僕の前を歩く。ゆっくりとした足取りに少し涼しさを含んだ風がそっと突き抜けた。夕陽に照らされた街はオレンジがかっていて、なんだかいつもとは異なる風景に塗り替えていく。
しっかりしていて、芯が強く見える人だから言葉にしない事だってきっとある。
江崎君が何か悩みを抱えているのは分かっている。
でも、それを解決する為の助力を人に求めるだろうか?
ただの余計なお世話かもしれない。
「立花君、何か浮かない顔だね」
「えっ?」
声を掛けられてハッとした。深く考え込んでしまっていたらしい。
「悩んでるって言う感じでもないのかな」
「まぁ、悩みがないと言えば嘘になりますが。……江崎君こそ、何か悩んでいることがあるんじゃないですか?」
「僕? どうして?」
「実を言うと、僕は君が何か悩みを抱えているのではと思っていました。そして自分には何が出来るのだろうと、思案していたのです」
「そんなことを考えてくれていたのか」
「ええ。出すぎたマネだとは思いましたが」
僕は夕陽を見つめた。なんだか無性に綺麗だ。
「僕は、人には皆適切な距離感があると思っています」
「距離感?」
「居心地の良い位置関係で居さえすれば、相手の事なんて知らなくても良いんじゃないかと」
「へぇ、面白い意見だね」
「……でも、やっぱり気にならないって言ったら、嘘になりますね。考えても仕方がない事を、つい考えてしまいました。どうすればその人にとって最良の選択なのかなんて、誰にも分からないのに」
僕の言葉に、何故か薄笑いで江崎君はポケットに手を突っ込む。
「付き合いは短いけれど、何となく分かってきたよ、君の事。凄くお節介だ。でも嫌じゃない」
江崎君はそう言うと、何か決意したようにまっすぐな視線を向けてきた。
「……あいつらの事は心配しなくていいよ。何か確執があるわけじゃないんだ。少なくとも、僕との間には」
また気になる言い方をする。とがめるつもりはなかったが、視線を察したのか「ごめん」と江崎君は頭を下げた。
「……昔、サッカー部でイジメがあったんだ」
イジメ、と聞いて僕は少し息を呑んだ。過去の記憶が、瞬間的に脳裏をよぎる。
「後輩が一人、無理なトレーニングを強いられて膝を壊して選手生命を失ったんだ」
苦い表情だった。
「トレーニングを強制してたのはあいつらだ。でも誰もそれを止めなかった。似たようなしごきは僕が入部した時もされたから。通過儀礼だと思ってたんだ」
「でもそれでサッカーが出来なくなるなんて、大事になりそうな物ですが……」
「そうだね」
江崎君は頷く。
「サッカー部が活動休止にならなかったのは、怪我をした後輩が話を伏せてくれていたからだ。迷惑をかけて申し訳ないとすら言っていた。信じられない話だろ? 自分達がしていた事が悪い事かどうかすら曖昧に濁されたままで、後味の悪い結末だった」
「江崎君の友達は、その事についてどう言ってるんですか」
「気にもしてない」
平坦な声だった。
「でも、僕にはあいつらを責める事なんて出来ない。自分は何もしなかった罪悪感もあるし、気にしながらも抜け抜けと中学卒業までサッカーを続けたって言う背徳感もある」
僕は何となく中学の時の三枝さんが思い浮かんだ。
彼女に言われた言葉は、今でも覚えている。
「ごめんね、助けてあげられなくて」
きっと江崎君の抱えている物と一緒だ。三枝さんはイジメられている本人に助けない事を許してもらう事で、自分の中の免罪符にしたんじゃないだろうか。
「軽蔑したかい? こんな僕を」
僕は確かにイジメられていたけれど、イジメた人間を恨んでいるのかと言うとそうではない。イジメがなければ今の僕はなかった。でも、許すのは違う。イジメていた張本人に対してですらそう思うのだ。それを傍観していた人をどうしたいなんて、まるで見当がつかない。
「いや、軽蔑とかそういうのはないです。ただ」
「ただ?」
「着地点がない話だなって」
「僕も、正直自分がどうなりたいのか、どうしたいのか全然分からない。あいつらと縁を切りたいのか、そうではないのかも。色々」
きっとその答えは、これから彼が自分で見つけないといけないのだろう。
「指し示す、か」
「えっ?」
「いや、何でもないです」
当たり前に関われる存在。
人の迷いを解決する糸口を見つける手伝いが出来る存在。
それが、教師なんだと思っただけだ。
夕陽が沈み、夜の帳が降りて来た。
丁度僕の家と駅との別れ道で、江崎君は帰るよと言った。
「今日はありがとう。悪いね、何だか暗い話しちゃって」
「いえ、聞いたのは僕ですから」
「立花君の言う距離感、君はちゃんと体現化してるんだね」
実際はろくに友達もおらずクラスのコミュニティからも外れてしまっている現状だが。
「じゃあ、また」
江崎君は軽く手を振ると、駅の方へと踵を返す。
徐々に小さくなる背中には、先ほどまでの危うさは薄れて見えた。
「江崎君!」
気がつけば、叫んでいた。
「僕は何かアドバイスをしたり、手助けになるようなアイディアは出せないかもしれません! でも、話を聞く事はできます!」
静かな住宅街に僕の声が響きわたる。
「どんな話でも、何度でも、投げてください!」
蝉が驚いたようにどこかへ飛んでいった。
「ははっ」
江崎君はおかしそうに笑った。
「大きいよ、声」
その屈託のない笑みに、初めて人の心根に触れた気がした。
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