5章 夕焼けの心根

5-1

 数ヶ月が過ぎた。

 いつの間にか季節は移ろい、夏休みがそろそろ顔を覗かせていた。

 三年生はポツポツと部活動を引退し、校内は近付く長期休暇に色めき立つ。

 僕は相変わらず窓際一番後ろの席だった。席替えが行われたにもかかわらず席を移動させてもらえない。

「何故ですか前嶋先生」

 期末テストが終わった数日後、疑問を抱き放課後に職員室を尋ねた。

「何故僕だけ、席を移動させてもらえないんですか」

「……本当に分からないの?」

「いえ、実は、僕も薄々分かってはいます」

「言ってごらんなさい」

「浪人生だか」「違う」

 言葉を被せられる。

「例えばだけれど、目の前に視界を遮る巨大な障害物があるとするじゃない」

「はい」

「あんたならどうする?」

「壊します」

「そうか……」先生は何か考えあぐねている様だった。「じゃあ、壊せない人はどうすればいいと思う?」

「やはり、壊せるように身体を鍛えるべきかと」

「うん、間違っちゃいない、間違っちゃいないのよ」

 先生はしばらく何か思案していたが、やがてどこか諦めた顔をするとため息をついた。

「景観」

「えっ?」

「覇王が私から見て右側奥にいると景観が良いの。私的に」

「……なるほど」

 なにやら腑に落ちなかったが、先生がそれを望むのであれば仕方がない。

「それより覇王、学校には馴染めた?」

「どうなんでしょうね……。それなりに話せる人は出来ましたが、やっぱりまだ特別扱いされている気がして。球技大会も、何故か僕だけずっと審判でしたし」

 球技大会は一年生が団結する初めての行事だった。種目はバレーボールだったが、何故か僕は一日中審判をしていた。

「たしかあなた、審判が公平すぎて最後の方全ての試合を審判していたわね」

「審判長と言う役職をいただきました」

「素晴らしい事だと思うわ。とてもね」

 前嶋先生はそういうとどこか遠くを見つめた。

「あなたの出場に関しては職員会議で決まった処遇なのよ」

「職員会議で?」僕は眉を潜めた。大事だ。

「練習のスパイクでボールを破壊する化け物を我々は野放しにしておく事は出来ないの」

「そうですか……。加減したつもりだったんですが」

 僕が肩を落とすと前嶋先生はふっとあきれたように笑い声を漏らした。

「覇王は生徒っぽくないし、こっち側に来るべきかもね」

「こっち側?」

「教師。向いてると思うよ。包容力も先導力もあるし。成績だって良いんだから」

「買いかぶりすぎです」

「んなことない。担任として言うけど、あんた、自己評価よりずっと周りからは頼りにされてるよ。興味があったら勉強してみれば? うちは私立大学教育学部の指定校推薦枠もあるし、平均評定が良かったら国公立の公募推薦受験も出来っから」

「まだ僕は一年生ですよ?」

「進路決めるのは早いに越した事ないよ。ま、無理強いはしないけど」

 普段は緩くて力が抜けている前嶋先生だが、この誘いは本気なのだと分かった。それだけに、当惑した。高校生活だって手探りでやっている状態なのに進路の話だなんて。

 ずっと先のことだと思っていた。どこか遠い、御伽噺のような気さえしていた。それくらい僕にとって進路と言うのは現実味がない話題だった。たった今までは。

「どうしてそんな話を僕にしたんですか」

 気になって尋ねた。すると前嶋先生はくっくと笑った。

「だってあんたみたいな教師、居たら絶対おもろいから」


 席替えの話をしていたらいつの間にか進路の話になっていた。上手くすり替えられた気もするが、いつの間にか教師と言う仕事について気になっている自分がいた。

「僕が人に何かを教える、か……」

 まるで想像がつかない。

 前嶋先生の言葉は僕の中に引っかかっている。色あせない残響だ。ずっとこだましている。多分僕自身が、何か引っかかるものを覚えたのだ。

「どうしたのお兄ちゃん? 浮かない顔して」

 次の日の昼休み、暇だったので教室で昨日先生に言われた事について考えていると冴香が声を掛けてきた。先ほどまで近くの席でクラスの女子達と楽しそうに話していたはずだが、僕の様子が気になって抜けてきたらしい。

「いや、ちょっと考え事をな……」

「考え事?」

 冴香が首を傾げるのと、廊下から「立花さん!」と声がかかるのはほぼ同時だった。二人で同じ方向を見る。他のクラスの男子が数人、廊下からこちらを手招きしていた。

「誰だろ? 知ってる人?」

 冴香の問いに僕は「ああ」と頷く。

「他のクラスの男子だよ。男子運動部をいくつか立ち上げたらしいんだけど、先生が忙しくてあまり指導してもらえないらしくてな。種目別に効果的なトレーニングを教えてくれって頼まれてるんだ」

 ちょっと言ってくる、と僕が立ち上がると冴香は嬉しそうに僕の肘を叩いてきた。

「なんだ! お兄ちゃん上手くやってんじゃん! なんだなんだ! やるじゃん!」

 そう言う冴香は妙に嬉しそうで、その姿がこそばゆくて、むず痒い。

「頑張ってね」

「ああ、ありがとう」

 冴香を残して教室を出ると、僕は男子達と合流した。

「すいません、お待たせして」

 しかし男子達は僕の謝罪に応える事なく、チラチラと冴香の方を見ていた。

「立花さんの彼女さんですか?」

「えっ?」

 突然の言葉に驚いて言葉に詰まる。

「かなり可愛いな」

「確か陸上部の子だろ? 走ってるの見た気がする」

「教えてくださいよ、立花さん」

 皆が楽しそうに期待の目をこちらに向ける。こうなったらもう言わざるを得ないだろう。

「あれは」

「あれは?」

「僕の妹です」

 その瞬間全員がドリフの様に頭から窓に突っ込んで行ったのでその日の講習会は中止となった。

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