2章 春風のヒロイン

2-1

 数日経った。


 授業が開始され、高校生として新しい門出に立った僕達の生活がようやく出航した。

 クラスメイトである男子三名はいつも固まって行動し何かしら事件を起こし騒いでは教室を賑わせている。時々女子と揉める事もあるが、徐々に親交を深めているようだ。


 冴香や花咲さんもそれなりに友達を作った様で、昼食時などは何人かで席を囲んでキャッキャウフフしている。

 まだ学校が始まって日は浅いものの、クラスは徐々にだが、確実にその団結を固めているらしかった。



 僕以外は。



 入学式から浮いていたが、ヤンキーを追い払った一件でクラスメイトとの壁はより一層分厚くなっていた。

 花咲さんいわく、決して敬遠されているわけではないのだが、ヤンキーにリンチされても傷一つ負わず、むしろ手を出してもいないのに相手を負傷させたと言う伝説は僕の存在を覇王として神格化させているらしい。


「覇王立花はいわゆるこのクラスのマスコットキャラクターなのだよ。もはや覇王立花の名は全校生徒に認知されていると言っても過言ではない」


 花咲さんの言葉に皆が無言で頷く。そうだよな、覇王はこのクラスの守り神だもん、いるだけで雰囲気あるって言うか、話すなんて恐れ多い、覇気で溶けそう、目線で死ぬ、皆が一様に同調して声を出す。そうなのかと僕が視線を向けると彼女たちは俯いて沈黙した。なんだ貴様らは。


「全校生徒に認知されている、か……」


 おかげで何をやっても悪目立ちしてしまうわけだが。




 ある登校時、体育館前の掲示板を眺めているとオハロローンと世にも奇妙な声が聞こえた。


「覇王じゃん。何やってるんだいこんな所で」

「ああ、花咲さん。おはようございます。いえ、この間の体力測定の結果が出ていたので」

「なるほど、覇王としては気になっちゃうところですかな。おや……?」


 僕の横から結果を覗き込んだ花咲さんは怪訝な顔をする。


 掲示板には先日行われた体力測定の順位が男女別に貼り出されていた。

 共学になって今年が最初。男子はまだ全校で二十数名しかいない。


 長座体前屈や上体起こし、握力や反復横飛びなど基礎的な能力が問われる測定では結果を出せていた。だから僕の順位は全体で第二位に位置している。


「へぇ、覇王でも一位じゃないんだ」

「ええ、まぁ」


 いくら孤高の筋肉トレーニングを行ったとは言え、スピードや持久力が求められる競技ではずっと運動部を続けていたしなやかな筋肉の持ち主には勝てなかったのだ。こればかりは引きこもっていた僕にはどうしようもない。


「一位は四組の江崎美鶴君か。まるで女の子みたいな名前してるねぇ」

「その点は僕も幸久ですから、女の子と勘違いされる事だって」

「ないな」

「はい」


 僕が結果を眺めていると、花咲さんが顔を覗き込んで来るのが分かった。そんなに凝視しないで欲しい。何故その様な軽率な行動が男子を勘違いさせると気づかないのだ。


「僕の顔面の形状がそんなに気になりますか」

「まぁその人間離れしすぎている肉体が生まれた経緯は非常に気になるところだがね。そうじゃなくて、なんか妙に嬉しそうだから」

「そうですね」

「悔しくないの? 負けちゃって」

「悔しさがないといえば嘘になりますけれど」


 それより僕はうれしかった。

 約三年前、僕は死を決意していた。もう二度と誰かに何かが認められることはないと思っていたのだ。それでも、今こうして結果を出せている。それは生きていたから出た結果だ。自分が死に物狂いで努力したから出せた結果なのだ。僕はその事を実感していた。


「覇王よ、そろそろ授業が始まるから行かんかね」


 時計を見るとなるほど、予鈴が鳴る五分前だ。うなずくと僕達はその場を後にした。昇降口に入り、靴を履き替える。僕の下駄箱だけ何故かブーツ仕様で縦長だ。


「そう言えばこの間覇王が救った女子だけどね」


 階段へと差し掛かったあたりで花咲さんが話しかけてきた。


「怪我がなかったみたいで良かったです。でも彼女、どこかで見覚えがあるんですよね」

「そりゃそうだよ。聞いて驚きなよ? 実は彼女、この学校の」「立花君っ!」


 声を掛けられ、振り返ると階段のふもとに息を切らしてひざに手をつきながら生徒が立っていた。噂をすれば影。先日僕が助けた女子生徒その人だった。僕の姿を見て走って追いかけてきたのだろう。


「この間の……」

「そうだよ覇王。彼女こそこの学校の生徒会長さ」

「生徒会長?」


 花咲さんは頷く。女子生徒は顔を上げる。


「三年、生徒会長の古寺正枝(ふるでらまさえ)先輩だよ。校内の有名人」


 なるほど、通りで見た顔だと思った。助けるほんの二、三時間前に壇上で眺めていたその人ではないか。覚えていなかった自分がどうかしていたのだ。


「あ、あの、ずっとお礼が言いたくて、私」


 彼女は一段、また一段と階段を上がってくる。走って火照った顔でまっすぐ目を逸らさずにこちらを見つめてくる様は妙に艶かしかった。


 これが、高校三年生の魅力。

 抗えない。


 まずい、落ち着かねば。僕はゆっくりと深呼吸をした。丹田に火が灯る。横から花咲さんが「覇王、殺気出てる殺気!」と小声で言ってくる。


「あの時は本当にありがとう」


 彼女はまた一歩、近づいてくる。非常に距離が近い。一段しか差がなくなった。


「ずっと気になってたんです、あなたの事。だから、友達になれないかと思って」

「僕と、ですか?」


 友達に? どういうことだ? 美人局じゃないのか? ネタになりそうな奴をからかって僕をハメようと言うのでは? いや、しかしだましている様子はないし一体どういうことだ? 美人局じゃないのか? ネタになりそうな奴をからかって僕をハメようと言うのでは? いや、しかしだましている様子はないし一体どういうことだ? 美人局じゃないのか? ネタになりそうな奴をからかって僕をハメようと言うのでは? いや、しかしだましている様子はないし一体どういうことだ? 美人局「覇王! 殺気殺気!」


 その時、最良のタイミングで予鈴が鳴った。そこで古寺さんは僕の横を通り過ぎる。踊り場で振り返った彼女は、窓から射す日差しのせいで後光が射して見えた。


「良かったら今日、お昼ご飯を一緒に食べましょう。食堂のテラスで待ってます」


 駆け抜けた彼女は正に春風だった。


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