エピローグ

9-1

「覇王、あんた女の子泣かしたらしいね」

「嬉し泣きです」

「あんたの脳内ではそうなってるのか」

 職員室で前嶋先生は呆れたように息を吐くと、進路調査書を眺めて改めて僕に視線を向けた。

「で、この進路で本当に良いの?」

 その質問に、僕は頷く。

「私に言われたからって無理に選んでない?」

「きっかけは先生でしたけど、選択したのは自分の意思です」

「ふぅん」

 前嶋先生は僕の進路調査書を眺めると、嬉しそうに不敵に笑った。

「おもしろいじゃん。覇王教師」

「まずは受験に合格しないと」

「なれるよ。あんたなら。こっちも全力でサポートすっから。やるだけやってみな」

「ありがとうございます」

「後は空気読めるようになるだけだ」

「頑張ります」


 古寺さんを助けたあの時。

 自分を信じてくれた人を、自分に関わってくれた人を失いたくないと思った。

 その感情は、僕に一つの目標を抱かせた。

 何かを守る事。

 自分の経験から、人を導く事。

 そんな役割を担う事が出来れば、僕のちっぽけな人生にも少しは価値が出るんじゃないかと、そう思ったのだ。

 だから進路志望調査の際、僕は迷わず選択する事が出来た。


 職員室を出ると「立花君」と声をかけられた。

「古寺さん。お久しぶりです」

「どうしたの? 職員室に呼ばれたりして」

「ちょっと進路について確認されてまして」

「進路?」

「遅いよ、お兄ちゃん」

 廊下に居た冴香が不機嫌そうに声を出し、古寺さんを見かけてハッと表情を変えた。

「先輩居た! 皆、来て!」

 冴香が叫ぶとどこからともかく花咲さんや瀬戸さん、それに江崎君までもが顔を出す。

「古寺先輩! うちの愚兄が誠に申し訳ございませんでした!」

 そして始まる、一斉の土下座。

 古寺さんはギョッと驚いた表情をした後、僕の方をチラリと見ておかしそうに笑った。

「皆、どうしたの。顔上げてよ」

「いえ、うちの糞脳筋が先輩の一世一代の行動を無に帰したとあっては顔向けすら出来ません」

「皆知ってるんだ……」古寺さんは顔を赤くした。「ごめん、顔上げて。逆に恥ずかしいから、お願い」

「そうですか……恥の上塗りをさせるわけにはいきませんね」

 冴香の発言を合図に、四人がおずおずと顔を上げる。

「私は別に気にしてないし、大丈夫だよ」

「そうは言っても、何とお詫びすればいいのやら」

 四人が各々頷く。

「本当に大丈夫だから、気にしないで。それに……」

 古寺さんは僕を見上げる。いつもの、イタズラっぽい笑みを浮かべて。

「まだ私、諦めたわけじゃないから」

 その意気や良し!

 僕は古寺さんの手を取った。彼女の体が瞬間、硬直する。

「そうですよ古寺さん。筋トレの道はまだ始まったばかりです。共に頑張りましょう!」

「テメーは黙ってろ出目金!」


「ふぃー、強い人で良かったよ。助かったぁ」

 帰り道、校門を出たところで冴香がホッと胸を撫で下ろす。何故彼らが土下座などしたのかは分からないが、きっと深い事情があるのだろう。

「冴ちゃんもこれで反対するに出来なくなったね」

 ヒヒヒと笑う花咲さんをジロリと一瞥した後、冴香は「うん、まぁ」とため息を吐いた。

 僕は何気なくポケットから進路調査書を取り出す。先ほど前嶋先生に渡された物だ。

「進路について?」

 尋ねてきた江崎君に僕は頷いた。

「意識確認程度ですけど」

「覇王の進路、気になります」

 瀬戸さんも真剣な顔で尋ねてくる。

「そう言えばお兄ちゃんから進路の話って聞いたことない」

「立花君は進路、どうするの?」

「覇王、教えてよ」

「教えてください」

「そうですね。じゃあ──」

 ふと前を見ると、向かい側から女子高生の団体が歩いてきた。制服が違うので、恐らく他の学校の生徒だろう。

 その中に、一人だけ見覚えのある顔が居た。

 僕は、足を止める。

女子生徒と目が合う。視線を逸らさなかった。多分、お互い引っ掛かりを覚えている。不思議そうな顔をしている。

「三枝さ……」

 声に出そうになって、飲み込んだ。

「お兄ちゃん、どうかした?」冴香が僕に声を掛てくる。

 僕の顔を見つめる皆を見て、僕はそっと首を振った。

「大丈夫。何でもない。行こう」

 僕が再び歩き出すと、女子生徒も首を傾げて明後日の方向へ歩いていった。

 そう。多分、もう大丈夫。


 かつて孤独だった僕の周りには、返事を待ってくれている人がいる。今、こうして一緒に居てくれる人がいる。

 もしかしたら僕はイジメに屈して引きこもったあの日、一度死んでいたのかもしれない。

 そう思えるくらいには、自分は変化した。身体だけじゃなく、考え方も。

 生きることに必死だった。目の前の事をこなしているうちに、僕はいつしか過去を糧とするようになった。

 死ぬしかないと考えていたあの頃の自分に言いたい。

 生きることに向き合っている限り、何が起こるかなんて分からないと。

 絶対に人と、自分と向き合うことをやめてはいけないと。

 だから僕はこんなに大切な人と一緒に居られるのだと。

 今は、心からそう思える。


 ──了 

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覇王立花の日々 @koma-saka

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