覇王立花の日々
坂
覇王立花の日々
プロローグ
0-1
筋肉だ。筋肉を鍛えるのだ。
そのような神命が下ったのは僕がまだ中学生の頃だった。
当時の僕は体が弱く、やせ細っていてあだ名はゴボウと呼ばれていた。
ゴボウは徐々に弱体化し、やがてはモヤシと呼ばれるようになった。
走れば骨が折れ、歩けば捻挫し、座れば骨盤が粉砕すると揶揄される。
当然ながら僕の扱いは悪化し、揶揄はやがてイジメへ至り、トイレで水をかけられたり廊下で訳もなく殴られたりしていた。
僕の青春はまさに泥のようなものだった。
小学校の頃はそんな事なかった。
何故なら僕には一つ年下の妹がいたからだ。
彼女は頭が良く、更には非常に気が強かった。僕は彼女に守られていたのだ。
あの女の兄貴だ、だから手を出すと後でやられる。
僕に手を出す人間はいなかった。出されたとしても、妹が助けてくれた。
「
「いいよ、別に」
助けてもらったあとお礼を言うと、いつも彼女は侮蔑とも悲哀とも取れない表情を浮かべた。
僕は兄としてたまらなく情けなくなった。
そんな僕が守護神を失ったのだ。
中学でイジメられたのは、もはや必然だったのかもしれない。
イジメと言う理不尽を必然で片してしまうのもどうかと思う。
だが、入学して半年もすれば、もはや理不尽も理不尽とも思わなくなった。
全てに疲れていたのだ。
それでも学校に通い続けた。
その理由は、一年経てば妹が入学してくるという希望があったからだ。
登校拒否をせずともいずれ妹が復讐してくれる。
そう信じていた。
ところで僕には好きな人がいた。
名前は三枝 円(さえぐさ まどか)と言う。
黒髪に、緩くパーマがかかったロングヘアー。背が高く顔が丸い。優しい顔立ちをしていて、眼元にある涙ボクロは妙に淫靡だった。
三枝さんは僕に話しかけてくれる学内唯一の女性だった。
僕が怪我をしていたら「大丈夫?」と声をかけてくれた。
実際問題イジメを止めるために何か尽力してくれたわけではない。
だが、話し相手が微塵もいない僕からすれば彼女の存在は十二分に光となりえた。
もちろんただ心配してくれるから好きになったわけではない。最初は警戒だってした。
イジメられっ子が人を好きになったら、実は陰で酷い事を言われていた。
そんな話はドラマやアニメでよくある。
そして現実はそんなフィクションの世界より、はるかにえぐみがある事を僕は当時十三歳ながらにして何となく悟っていた。
だが、よく観察してみると三枝さんは性根から優しい人だった。
授業終わりの黒板消しを始め、プリントを配るのも、号令をするのも、基本的に面倒くさい事は自ら引き受けていた。
荷物を抱えている生徒がいたら半分持ってあげていたし、誰に対しても気さくに笑顔で接していた。厄介ごとの解決に進んで頭を突っ込んだりはしないが、誰に対しても平等に優しかった。
はにかんで笑う彼女の笑顔や、美しいその顔立ちや、細やかな気配りや、人当たりのよさ。
それらの要素は日を追う毎に僕の脳髄奥深くへと雪の様に積もり、やがて三枝さんを観察していたつもりの僕はいつしか自然と彼女を目で追い、ため息を吐き、心臓を高鳴らせるようになっていた。
ある放課後。
いつものようにクラスの男子に引きずりまわされボロボロになり、保健室で治療してもらった帰り道。
教室に鞄を取りに戻ろうと歩いていると廊下の向こうから日直の仕事を終えた三枝さんが一人でやってきた。
彼女は絆創膏をいくつも貼られた僕の顔を見て息を呑んだ。
「大丈夫? 酷い事やられたね」
「あはは」
あははってなんだよ、もっと気の利いた言葉は言えないのかよ、自分を攻め立てる声は暴風雨の如く渦巻いて鳴り止まない。
でも仕方がなかった。人と接していなさすぎたのだ。どのように会話すればよいか分からなかったし、ましてそれが女子となれば尚更だ。
「どうして抵抗しないの?」
「いや、ちょっとわかんない」
質問にきちんとした答えを返せていない。
これがコミュニケーション障害、略してコミュ障かと僕は自分を呪った。
「ずっとイジメられちゃうよ?」
「うん、そうなるかも」
「ごめんね、助けてあげられなくて」
「仕方ないよ。いいよ」
無理やりはにかむと彼女も苦笑していた。
その時初めて、僕はこの子が好きなのだと自覚した。
気付いてからが本当の地獄の始まりだった。
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