2-2

 教室に入ると先に到着していた冴香が怪訝な顔をした。


「お兄ちゃん、随分遅かったね」

 そして視線を僕から花咲さんへと移す。

「春ちゃんも一緒だし」


 二人はもはや名前で呼び合う仲だったのだと、僕は今この時初めて知った。


「そこで会ったのだよ。いやぁ、面白いものが見れた」

「面白いもの?」

「何でもないよ」僕が言うと冴香は何故か訝しげな目でこちらを覗き込む。

「お兄ちゃんなんか顔赤くない?」


 ハッとして思わず顔面を押さえた。しまった。心は律したはずなのに。修行不足か。一体どの様にしてごまかそうかと画策していると、花咲さんが口を開く。


「実はね、つい今しがた覇王立花は生徒会長から交際を申し込まれたのだよ」


 予想外に大きな声だったらしく、クラスの空気が止まった。冴香も。物凄い表情でこちらを見ている。


「誤解です」つぶやいた。

「うおー! 覇王ヤベー!」


 クラスの男子、ドレッドヘアーの安藤隼人が叫ぶと堰を切ったように教室は色めき立った。覇王すごい、生徒会長を物にしちゃうなんて正に覇王ね、これでこの学校は覇王の物ね、次は隣町を狙いましょう、時は満ちた我が覇道に光射し、口々に言葉が練成されていく。


「誤解です」

「どういうことなの? お兄ちゃん!」

「ヤバイねー、みんな覇王に興味深々だよ? あ、ここまで来るともう魔王か」

「誤解です」

「お兄ちゃん! 訳を話してよ! 私のいないところでいかがわしい事でもしてたの?」

「誤解です」

「すごいねぇこの騒ぎ。お祭り状態だよ」「ごか」「お兄ちゃん!」


 僕は壁を殴った。しかし壁はまるで豆腐の様に抵抗がなく、僕の腕は肩までめり込む。隣の教室から誰かの悲鳴が聞こえた。教室は一瞬で静寂に満たされる。

 今がチャンスだ。僕は切実さを出すため、真顔で言った。


「誤解です」


 うつむいたクラスメイト達は、静かにうなずいた。


 僕は交際を申し込まれた訳ではない。食堂にあるテラスで一緒に昼食を食べようと、そう言われただけなのだ。恐らく助けてもらったお礼がしたいのだろう。そんなもの、僕には必要ないというのに。


「だから交際を申し込まれたと言うのは花咲さんの早とちりなんだよ」


 僕がチラリと花咲さんを見ると彼女は目線を逸らしてタハハと笑った。


「いやぁ、悪かったよ。でもね、あの場にいたら誰もがそう考えてもおかしくないと思うんだ。男子って女子の一挙一動を深読みしてやきもきする人が多いけど、実は女の子って本当に好意のある人に対しては分かりやすすぎるくらい分かりやすい人が多いしね」


 そうだったのか。僕は肝に銘じる事にした。


「あの時覇王立花を食事に誘ってた古寺嬢は正にその分かりやすい女の子だったよ」

「勘違いですって」


 すると冴香は「そうかなぁ」と呟いた。


「絶対その人お兄ちゃんの事好きなんだって」

「どうしてそう思うんだ?」

「だってあの時のお兄ちゃん、格好良かったもん」


 言ってから失言に気づいたのか、冴香は顔を真っ赤にして不機嫌そうな表情をするのだった。彼女は重度のブラコンである。相違ない。


「吊り橋効果と言う考え方も確かになくはないが……」


 危険な境遇に陥った男女はいつしか恋に落ちる。恐怖のドキドキを恋愛のドキドキと勘違いするのだ。

 僕が呟くと冴香は「それそれ」とうんざりした様子で呟いた。


「まぁ確かに? きれいな人だとは思うよ。ずっと芋ってきたお兄ちゃんからしたら人生最大の大々々チャンスなのかもしれないけれど」

「おいおい、冗談はよせよ。人生はまだ始まったばっかりだぞ。最大なんて大袈裟すぎるだろう」


 僕が明朗快活に笑うと窓が揺れクラスメイトがどよめいた。


「まぁまずは昼休みになるのを待とうじゃないの。もしかしたら覇王に何か頼みごとがしたいだけかもしれないし」

「それはそうだけど……」冴香は不服そうだ。

「ふふ、言っちゃあ悪いかもしれないが、何だか昼休みが楽しみだな。ふははは」


 僕が笑うと草木が揺れ鳥が飛びクラスメイトがどよめいた。


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