0-4
卒業を控えた三年生は自由登校となっており、週に一度の登校日以外は学校にいかなくてもよくなっていた。仕方なく一週間は家の外を軽く散歩して過ごした。義務教育のため出席日数が足りてなくても一応卒業扱いにはなるようで、今はクラスも最後の公立高校受験でピリピリしているのだと言う。
電話で担任と会話したが、あまり僕が学校に行く事は歓迎されていないようだった。
「卒業式には出たいけれど、ちょっと無理そうだな……」
二月の寒空の下、僕はプロテインとコーヒー牛乳の入ったコンビニ袋を持って呟く。近くに公園があり、そのベンチに座り込んだ。お尻がビックリするほど冷たい。冷気を孕んだ空気は僕の筋肉をより一層硬くする。
実を言うと外に出るのは久々じゃない。平日昼間、度々近所にある個人経営の薬局に足を運んではプロテインを買っていた為だ。おかげですっかり薬局のお姉さんとは顔なじみである。
コーヒー牛乳を袋に入っていたストローで飲んでいると、どこからか聞き覚えのある声がした。目を向ける。公園の前を見慣れた制服が歩いていた。
あのショートカットヘアー、間違いない。冴香だ。
「おい、さえか……」
声をかけようとして咄嗟に黙った。一人で歩く彼女を、背丈の高い男子が呼び止める。
「立花、立花冴香」
男子達を視認した冴香は脅えたように肩をビクリと震わせて立ち止まった。それを見て、男子がニイッと意地悪い顔を浮かべる。
「な、何か用ですか、先輩」
「何か用、じゃないだろ」
男子が冴香の肩に手を回す。
「や、やだ、放してよ」
「お前にそれ言う資格あると思ってんの?」
「もうやだぁ、毎日毎日、私は何もしてないのに」
「兄貴がいなくて寂しいだろ? だから代わりに俺がお前の事を可愛がってやってんだよ」
「もうやめて、やめてください」
「うっせぇ! 口答えすんじゃねぇ! 大人しくキスさせろオラァ!」
実際聞こえた訳ではなかったが場の状況から察するにその様な会話が行われているのだろうと僕は予測した。
あの顔、忘れはしない。僕をイジメていた奴の一人。
怒りに拳が震え、僕は大きく息を吐き出すとベンチの背もたれを握り締めた。まるでスポンジでも握っているように手ごたえがない。おかしいな。木造のベンチなのに。
助けを求めて視線をさまよわせた冴香と目が合った。
「お兄ちゃん!」
冴香が男子を振りほどいてこちらにかけてくる。僕は立ち上がった。
「助けて、お兄ちゃん。あいつが」
「お前、イジメられていたのか。僕のせいで」
「えっ……」
僕の質問に冴香は黙った。沈黙は肯定を意味する。僕は自分の胸筋がうねるのを感じた。
「ごめんな、冴香、今まで」
「おい立花、その一人でベンチの三分の二を占める男は誰だよ」
「私のお兄ちゃんだよ!」
「お兄ちゃん? お前兄貴二人いるのか?」
「何言ってるの。あなたがイジメていた立花幸久、その人だよ!」
「へっ?」
驚いた顔で僕を見上げる奴に、僕は深々とお辞儀した。
「どうも、ただいまご紹介に預かりました立花冴香の兄で、立花幸久と申します」
僕は奴の肩を掴んで視線が真っ直ぐ合うように持ち上げた。必然的に、奴は地面から一メートルほど浮かぶ形になる。
「それとも、久しぶりと言ったほうが良いかな」
「ひ、ひぃ……化物!」
「化物とは言ってくれるじゃないか。二年前の便所コオロギよりはマシなあだ名だ」
腕に力を入れる。ミシリミシリと目の前にいる男子の肩が粉砕する音が聞こえた。悲鳴を上げる奴を、僕は黙って見つめた。なんと脆い存在なのだ。こんな奴に僕は貴重な青春を二年近くも潰されたのか。
「このまま二度と腕が使えなくなっても構わないかもしれないな。君は確かサッカー部のフォワードだ。腕が使えないのは不便かもしれないが、サッカーは出来るだろう」
「ぐぅっ、助けてっ」
「助けて? 今まで僕が何度それを言ってきたと思っている。君はその時助けたのか?」
「ぐっ、ご、ごめん、悪かったよ」
僕は溜息を吐いた。
「どうやら分かってないな。誠意の見せ方って奴を」
ズボンを脱がせて下半身丸出しの状態で地面に頭をこすり付けてやるつもりだった。
でも、急に馬鹿らしくなって僕は奴の体を開放した。奴は地面にしりもちをつき、脅えた目つきで僕を見上げる。
「行きなよ。これで分かったと思うけど、今後何百人連れてきても僕に対抗出来るわけがないから。二度と僕や冴香に関わるな。今回だけは見逃してやる」
慌てて逃げていく奴の後姿を見て、冴香がこちらを見上げる。
「いいの? あんなにあっさり見逃して。復讐できるチャンスだったのに」
その質問に、僕はゆっくりと首を振った。
「そのために鍛えたんじゃないんだ」
この二年間、筋肉トレーニングに費やした時間と、消費したプロテインと、メンタルトレーニングに費やした時間はいくらでもあった。
僕は、復讐がしたかったんじゃない。
弱さを克服したかったんだ。
「冴香、お前、何もされてないのか?」
「……胸まで」
「ん?」
「胸まで触られた」
「キスは」
「された」
「一つ聞くが、それは合意の上でか?」
「違う」
「冴香」
「何」
僕は、九十度の角度で彼女に頭を下げる。
「今まですまなかった。もう二度と、お前を悲しい目に遭わせたりはしない。絶対にだ」
「うん」
手をギュッと握られる。
「期待してる」
その年、僕は高校受験を見送った
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