1-5

 ようやく多目的ホールで教科書の配布を受けた僕達はそのまま流れ解散となった。二人分の教科書を持って歩いていると隣に立った冴香がこちらを見上げる。


「重たくない? 別に自分の分くらい持つよ」

「大丈夫だよこれくらい。ほら」


 僕が小指をぴんと伸ばして二つ分の紙袋をそこに引っ掛けると「ホ、ホントダネー」と棒読みで冴香が言った。おかしい。どうも力を発揮すると皆の反応が薄くなる。

 昇降口で外靴を履いて校門を出ると何やら騒ぎが起きていた。新入生と思しき女子達が皆一様に困惑した表情を浮かべてそこに立ち尽くしている。前が動かないからどんどん道が詰まる。僕は河にゴミが溜まっていく光景を思い出した。


「や、やめて下さい!」

「いいじゃんちょっとくらい。お茶しよって言ってるだけでしょ。華高の女の子と仲良くなりたいって思ってるだけなんだから」


 声が聞こえる。わずかに様子が見えるがハッキリとは分からない。

「何? 喧嘩?」冴香が不穏気な表情を浮かべた。辺りを見回すと人ごみの最後尾に見知った後姿があったので声を掛けた。


「花咲さん。これはどういう事ですか?」

 振り向いた彼女は僕の姿をみて「おぉ、覇王立花」と眉を上げた。

「いやね、どうもこの高校、ヤンキーのナンパスポットになってるらしいんだ。今日って入学式だから、入りたてで右も左も分からない一年生を狙って飢えたヤンキーが来てるって訳だよ」

「先生は?」

「いま誰かが呼びに行ってるんじゃないかな。果実をもぐには早いと思うんだけどねぇ、私は。毛が生え揃ったばかりのお子様なんて一緒にお茶して何が楽しいんだか」

「へぇ……」


 まだ毛が生え揃ったばかりなのか、と僕が心の中で何度も復唱していると冴香が僕のシャツの袖をギュッとつかんだ。


「お兄ちゃん、助けられない? 怖いよ。せっかくの入学式なのに」

「冴香……」


 そんな顔で頼まれると断るわけには行かない。仕方なく僕はその場に荷物を下ろした。


「ちょっと行って来る。教科書見といてくれ」

「うん」

「行くんだぁ。さすが覇王」


 すいません、通してください、道をかき分けて進むとどうにか騒ぎの中心部まで辿り着く事が出来た。大きな中型バイクが連なっているのかと思いきや、派手に損傷したスクーターが三台ほど止まっているだけだ。五人の男子が一人の女生徒を取り囲んでいる。腕を掴まれた女子は嫌そうにもがいている。

 彼らは僕の姿を見ると動きを止めた。


「なんだぁ、お前」

「嫌がってるじゃないですか。やめたらどうですか」

「あ? やんのかコラ」

 途端にヤンキー五人に囲まれる。


「あなた、あぶないから逃げなさ……」

 絡まれていた女子が心配そうにこちらを見たが、僕の姿を見て自信がなくなったのか途中で黙った。どこかで見たことがある女子だ。まぁ今はそんな事はどうでも良い。

「格好つけてんじゃねぇぞ」

 胸倉を掴もうとして届かなかったのかお腹の辺りを引っ張られる。グイと引っ張られてそのままわき腹に一撃を入れられた。

「こんボケが」


 別の一人に股間への蹴りを入れられる。そのままなし崩し的に五人からしこたま殴る蹴るの暴行を受けた。背中への蹴り、腹へのパンチ、肘打ち、膝蹴り、裏拳、ブラジリアンハイキック、様々だ。僕の股間へ執拗に蹴りを入れていた一人が不可解そうに首をかしげた。おかしい。何故崩れないのか。そう言いたげだ。


「こいつ全然金的くらわねぇんだけど。何で?」

「実は女なんじゃねーの?」

「このなりで? ありえねぇ」


 下品な笑い声が響く。以前漫画で読んだ睾丸を下腹部に収めると言う技を試してみただけなのだが、まさか成功するとは思っていなかった。

 しばらく殴る蹴るの暴行に耐えていたが、やがて疲れたのか彼らは手を休めた。息が荒れている。僕の横では駆けつけた教員が呆然と状況を眺めていた。先ほどの生徒指導の先生もおり、唖然とした顔をしている。


「誰から先に死にたい?」


 尋ねると彼らはギョッと互いの顔を見た。すると前にいる一人がどこから持ってきたのか鉄バットを構える。

「調子こいてんじゃねぇぞ!!」

 大きく振りかぶったバットが腹部に直撃する瞬間、世界が大きくスピードを落とした。


 花の香りも、風の流動も、人々の声も、何もかもが遠くなる。それはまるでスローモーションで映像を見ているみたいだった。

 僕は大きく息を吐き出し外腹斜筋と腹直筋に思い切り力を込めた。丹田が燃える様に熱くなるのを感じる。血が滾ってくる。

 ガン、とコンクリートに思い切り接触したような鈍い音が鳴り、僕の体を深い振動が襲った。少し横腹がひりひりするが、大事はないようだ。


 目の前のヤンキーは肩が不自然に飛び出ており、叫び声を上げてその場に倒れた。思い切りバットを振りぬきぶち当てた対象から反動が来た場合、想像を絶する衝撃に襲われるはずだ。僕は身体を軟化させバットを体の深い部分で受け止めた後、思い切り力を込めてそれを行った。まさか上手く行くとは思わなかったが。


「痛ぇ、肩が……死ぬ」


 地面に転がったバットは僕を打った部分がひしゃげていた。目の前にいる男たちの息を呑む音が聞こえる。

 僕はバットの先端を掴むと思い切り力を込めた。ミュッと、歯ブラシ粉でも絞るかのようにいとも簡単に鉄バットが握力で縮む。円柱みたくなった。


「次来たらお前らもこうなる」

「ば、化物だ!」


 ヤンキーたちは僕に背を向けるとスクーターに乗り慌てて逃げていった。肩を負傷した一人も仲間に担がれてスクーターで走り去った。

 スクーターのエンジン音が完全に途絶え、場には沈黙が漂った。振り返ると目を点にしてこちらを見る人々の数々。妙な居心地の悪さに戸惑った。やりすぎたか。

 どうしようかと考えていると背中を強く叩かれた。


「冴香……」

「お疲れ、お兄ちゃん」


 わっと拍手が上がる。すごい、やばい、えげつない、なにやら賛辞なのか悪口なのか分からない言葉が次々と飛んでくる。


「お前どんな筋肉してるんだ。世紀末覇者みたいな奴だな。怪我ないか?」

「大丈夫です」


 生徒指導の先生が僕の腹をバンバンと叩く。今日一日で色んな人が僕を叩いてくる。

「さっすが覇王。手を出さずに帰しちゃったよ」

「見直したでしょ」

 驚きを隠せない花咲さんに何故か冴香は得意気だ。花咲さんは「見直したどころじゃないよ」と大仰に腕を振り上げる。

 拍手喝采と桜吹雪に包まれる中、ヤンキーに絡まれていた女子が僕に近づいてきた。

「その、打たれた所は……」

「無傷です」

「すごい……」


 彼女は感心したように僕の腹部を撫でた。無意識の行動だろうが思春期真っ盛りの男子にしてはいけない行動である。思わず吐息が出ちゃいそう。喘ぐのをなんとか堪えていると、次にがっしりと手をつかまれた。しっかりと両手で包み込むように。思わず心臓が高高鳴る。「あっ!」と冴香が声を上げた。


「あの……」

 僕はゆっくりと彼女の手をほどくと静かに首を振った。

「名乗るほどのものじゃないです」


 そう言うとさっさとその場を後にする。あの刺激の強い行為をあのまま継続されていてはいくら鉄の心を持っている僕もどうにかなってしまうところだった。実に危なかった。


「ちょっとお兄ちゃん! これ重いんだから持ってよ! うぉにぃいちゃーん!」

 触られた腹部はずっと熱を持っていた。

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