0-3

 毎日僕は薄暗い部屋で膝を抱えていた。

 何もせずに食事だけは摂取したので、体は肥えた。


「もう終わりだよ……もう終わり。早く死にたい。いつ死のう」


 虚空を眺めながら何度もそれだけを呟いた。ベッドの上だけが僕の生活スペースだった。しばらく座りすらしていない勉強机にはうっすらと埃が積もっていた。


 そして、ある日それは来た。



「僕にはもう何もない。死にたい。何も残ってない」


 ──筋肉があるじゃないか。


「……ん?」


 ──筋肉がある。まだ筋肉が残っているじゃないか。



 そう返事をしたのはまごうことなき僕の思考だろう。

 我ながら何故筋肉に答えが行ったのかはわからない。

 しかしその一言は、僕の人生を変えるには十分すぎた。


「そうか、僕には筋肉が残っているじゃないか」


 一体どう納得したのか今となっては微塵も理解できないが、どうやら大いに納得したらしい僕は立ち上がった。そして窓を開けた。部屋の空気を入れ替えた。




 それから一年と十ヶ月経った。




 部屋の前に晩御飯が置かれる音がした。

 不意に思い立ち、僕は部屋の扉を開けた。

 扉の向こうには、冴香が立っていた。見るのは登校拒否して以来だ。

 僕の姿を見た冴香は絶句していた。まるで物の怪でも見たような顔だ。


「今日は下で食べるよ」


 僕はフッと微笑んだ。

 今宵、僕の肉体と精神は完成したのだ。


 久々に家族と食べる食事は妙な緊張感に満ち溢れていた。

 本来穏やかでなければならないはずのリビングが、糸を極限まで引っ張ったかのように張り詰めている。暖かい電灯の光とテレビの音がまるで氷の様だ。


 母も、冴香も、父も、誰も僕に話しかけはしなかった。

 ただ、何か異形を見るような目でチラチラとこちらの様子を伺っていた。


 非常に気まずい空間ではあった。

 が、欠かさず行ってきたメンタルトレーニングのおかげでそのような物は屁と変わらん。


「ゆ、幸久も随分大きくなったなぁ」


 ようやく声を出した父さんがタハハと笑う。

 何の脈絡もなかった。しかし冴香と母も無理やり頬を緩める。


「ほ、本当。しばらく見ないと思ったら、随分大きくなって」

「私、最初全然知らない人がお兄ちゃんの部屋に居座ってるものだと思っちゃったよ」

「こ、こらー、冴香、そういう事言っちゃあ駄目だぞう」

「あ、本当だ。ごめんなさいー」


 大根役者を束にして作ったホームドラマみたいな口調で家族が会話する。

 非常に興味深かったので、僕は顎に指を添え、観察する姿勢へと移った。

 すると目の前のクマが動き出したかのように家族全員ががたりと椅子から立ち上がる。


「や、やだわぁびっくりした。驚かせないでちょうだい幸久」

「ほんとうだよおにいちゃんー」

「ははは幸久こやつめはははは」

「父さん、母さん」


 僕が声を出すとぎこちない笑みを浮かべていた家族三人の動きがピタリと止まった。


「まだ高校に間に合うかな」

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