第37話 最終話





「…新しい学校でも頑張れよ」


「はい」


「たまにはこっちに遊びに来たりしないの?」


「する…と思います。寺ちゃん達と約束しとるし」


「そうか…」


「はい」


「…なら美術室にも顔出せよ?」


「――っ」



恥ずかしそうに伏せられた眼。


俺が息を呑むと、先生は後頭部をガシガシと掻いた。



「…そういう反応するなよ。別に良いだろう…?可愛がっていた生徒に会いたいのは、普通だ」


「あ、は…はい。そですね…」



可愛がっていた生徒。

会いたいのは、普通。


嬉しい様で悲しい言葉。


いや、素直に喜べば良いんだけど。

だって、ちゃんと好意を向けられているんだから。



けれども喜べない俺は、図々しくて。

俺が望んでいたものは、それじゃなかったんだ。





先生の奥さんと、同じ場所が欲しかった。





俺は、小さく自分を笑った。

胸が痛いって、こういう事なんだな。



「顔、出しますよ。俺も先生に会いたかけん、当たり前です」



ぱっと満面の笑みで先生を見ると、先生も顔を上げ、こちらを嬉しそうに見てくれる。


可愛いんだよな、その顔が。



「崎本ってさ、将来は絵の仕事に就くつもり?」


「はい…出来れば、そうですね」


「そうか…!因みに、どんな?」



次に尋ねられたのは、将来のこと。


俺が頷くと先生は、ぱぁっと更に顔を明るくさせた。

やっぱり、絵の事になると目を輝かせるなぁ…。


俺は、恐る恐る言葉を呟く。



「……中学の、美術の教師です」



出来れば、この学校の。


付け加えたその言葉を、先生はどう思っただろう。



諦めの悪い俺。

人生で一番の恋をして、人生で一番の失恋をした。


それでもまだ好きで。



もし、もしも俺が、高校を卒業して大学も卒業して、それでも先生の事をまだ好きだったら。





その時は、此処に来る為に頑張っても良いだろうか。





うちの学校は私立で、空いた席には募集が掛かる事を、俺は知っていた。


中学の美術教師は中々その席が安定せず、来年度からまた空いてしまう様な状況だ。

俺の時も、空いているかもしれない。



ぼんやりと考え込んだ俺のあたまを、先生はぐしゃぐしゃと撫で回した。



「わ、ちょ…先生!?」


「崎本」


「は、はい…」



今度は優しく撫でられて、髪を整えられる。

あ、先生は、ちゃんと直してくれるんだ。


前に女子が言っていた。

髪くしゃくしゃするのは、直すのも込みだと。

…先生は、やっぱりモテる人だ。



「良いじゃないか、それ。母校に戻っておいでよ。その時まで俺も此処に居るから…一緒に働こう」


「――っ……せ、んせ…」



一緒に働こう。



その言葉が、どんなに嬉しかったかなんて。


誰にも解らなくて良い。

誰にも知られなくて良い。

俺が大事にする、俺だけのものだ。


俺は、何度先生に恋をすれば良いんだろう。



「…ありがとうございます。俺、頑張って先生の所に帰って来ますね」


「おう」



泣きそうな俺の笑顔が先生の目に映っては、彼も満面の笑みを浮かべた。


放課後の誰も居ない、二人だけの教室。

窓の外には運動部の声が広がり、山の上まで建てられた家々が見える。

少し遠くには、港だってあるだろう。


其処で交わされた、有り触れた約束。

でも、俺にとってはこの先の人生、ずっと大事な約束。



別れ際はこの時間が、死ぬ程嬉しかった。



ねぇ、先生。


俺がもし、高校を卒業して大学も卒業して、色々な奇跡が重なって貴方の隣で働けたら。


その時は








貴方に好きだと言っても良いですか。













【END】


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実らない話 丹桂 @10s

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