十二月のことだ。

深美が真っ青な顔をして学校に来た。まだ教師も半分しか登校していないような随分朝早い時間、職員室にいた私のところに。


「ね、先生さ、あたしにミリョク感じる?」

そう切り出してきた。

「どういうこと?」

「んー? あたし、オヤジにモテるかなって。あ、違うよ。怒らないで先生」

深美は私の考えをよんでいた。こういう洞察力が抜群だ。人が怒り出しそうな気配をよむことに卓越した能力が身についていたようだ。


「ウリするわけじゃないよ?」

「じゃあ……?」

「パパがさ、エロDVD隠してやがったの。女子校生レイプするヤツ」


私はどきりとした。

驚きで心臓が胸から飛び出す漫画的表現をよく見かけるが、あれは誤りだと思う。

本当に驚いたときには、心臓は前ではなく後ろに飛び出す。正面からズドンと、背中の後ろに吹っ飛ぶ。


それほど深美の言葉は私を動揺させた。さかのぼれば中学時代から、クラスメート達とアダルトビデオの貸し借りをしたものだ。当然、「女子校生もの」もその中には含まれていて、それこそ数えきれないほど自慰に使用してきた。


そんな嗜好が中学教師になったからといって一朝一夕で変えられるはずもなく、インターネット通販やレンタルビデオ屋でときどき調達をしていた。


自慰をした後はもちろん、少なからず罪悪感を抱いていた。

教師の立場で女子校生ものや痴漢もののを好んでしまう自分に矛盾を感じ、もうやめようと思いながらもまた手を出してしまう。そんな具合だ。


私は、これほど自分が偽善者だと感じたことはないドロドロした気持ちで、深美の話を聞いた。

自分の反応が過剰だったり普段と変わっていたりしていやしないか、そればかり心配していたのだからひどい。


「それ見付けてからさ、パパの視線がね。パパじゃなくても分かるけど。男子はいっつもだし、先生もさ、たまーにあたしのムネ見てない?」


私はぴくりとした。意識しないようにしていたとはいえ、それまでも性的な眼で自分の生徒を見たことがゼロと断言出来ただろうか。


「なーんてね。あ、でも大丈夫だよ、先生なら怒らないよ。それってさあたしにせっくすあぴーるがあるってことでしょ?」

深美は悪戯っぽく笑い、見透かされていたようでそのときの私は苦笑するしかなかった。


「先生はいいんだ、あたし先生のこと好きじゃん。でもさー、パパのは怖いんだよ。何されるか分かんなくて。お酒が入ってるときのパパ怖くて――」


「お母さんは?」

深美は首を横に振った。

「ママ、きっと何か感じてるよ。分かるんだ。でもなんかね、うまく言えないけど、ママはあたしのこと避けてる」

「――」


「学校にいるときはね、怖くないんだ。でも学校に行くのは怖くて。だって学校に行ったら、帰りたくなくなるもの」

「家に?」

「うん。メールいくらしても、写メ送ってもらっても、あたしのそばにはやっぱり誰もいない。部屋の壁がね、こう、倒れてきて潰されそうな感じがする。たまにパパと二人だけになるじゃん? そーゆーの、怖くて」


「そんなにか? そこまで感じるようなどうしてもヤバイときは、逃げていいんだ、そういうときは」

「どこへ? 中坊って家出したら、警察とかに保護されるんでしょ?」

私はうなった。


深美の場合は、警察を先頭にしたイメージで、公的機関それ自体が怯えの対象になっていた。


ではどうするか。

この当時の私は、そろそろいっぱしの教師としての自信もついてきた頃だった。

しかしたった一人の生徒の悩みが、そんな自信をあっさりと崩した。


教師など無力だという無念さだけがやってきた。そんな閉塞感を自分が味わっているとは、深美に見せられない。逃げ場がないのは深美であって私ではないのだから。


悩んだ末に私は、自分の携帯番号とメールアドレスを深美に伝えた。このままでは彼女には逃げ場がない。どんな小さなものであっても、彼女に逃げ道を作ってやりたかった。

浅はかとしか言いようがない。他にまだ方法はあったろうに。私のおごりか。


深美は、どうしても困ったときという私の言い付けを律儀に守っていたようだった。

電話がかかってくることもなかったし、メールもテストメールが来たきりだった。


思ったほど深刻ではなかったのかもしれないと気を緩めはじめた頃。

三月にしては寒い日だった。

もう夜十一時を過ぎていて、私は、TVニュースを見ながら、そろそろ風呂に入り寝ようかと考えていた。


深美から電話が来た。

「家出した。助けて」

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