二人の工員を前に歩かせ、私と祐二は管理室を出た。


敦は一人で管理室に残った。

敦には別の役目がある。

この隙に、総務がある事務棟に内線で連絡を取り、第二加工棟を制圧したことを宣言する。

さらに、警察にインターネットに町役場にマスメディア、と関係各所にこちらから一気に情報を流す。

普通は逆で、出来るだけ警察やメディアの介入は避けるのだろうが、私達にはまったく別のねらいがある。


いっぽう私と祐二だが、第二加工棟の追い出しと、他に二つほどの役目があった。

すっかり無言になった工員二人をせっついて、今入ってきたのとは逆に歩く。

「工員がいるところに声をかけて回れ」

「人数と配置は調べがついてるんだ。きちんと全員、集めるんだよ」

祐二がニヤニヤと釘を刺す。


工員は二人ともおとなしく歩き、順に近くの工員達に声をかけて道連れを増やしていく。

その間にもときどき敦の声がスピーカーから流れ、外に出るまでのカウントダウンをしている。自然に工員達の足がだんだん早歩きになってきた。


面白いもので坂本達二人の工員だけだったときは、あるいは二人がかりで私と祐二に反撃してくることもあるかもしれない、と警戒していたのだが、工員が増えてくるとパニックでも伝播したのか、誰も私達に逆らう気配さえなくなった。

おとなしくしている仲間たちを見ると、かえって勝手に想像してくれるのかもしれない。


そんな暗い一行の後ろから私と祐二はついていった。

除染室でめいめい白衣を脱ぎ捨て、除染室の外にいた作業着の工員達と合流する。


「ぐずぐずするな! あと三分。急げ!」

私と祐二は時折そうやって怒鳴ればよいだけだった。これという抵抗もない。

凶器の力だけではなく、持っている白い袋が圧力になっているようだった。


私と祐二は工員達とは少し離れて歩き、除染室でもモニタ装置の間は通らずに横の離れた場所を通った。

反応はなかった。反応してしまうと、逆に工員達が過剰に反応して騒ぎになりそうだったので、これはよかった。


警備員室の前を通るときには、逆に工員に声をかけた。

「おい、誰か、警備員室の床に警備員が転がってるから、そのまま抱きかかえて逃げろ」


先を行っていた工員達の中から反射的にか坂本と小菅が立ち止り、警備員室を覗いた。

「あっ……!?」

床に寝かされている警備員はムグムグとうごめいていた。

「早く連れていけ!」

私に指示されて、小菅がしゃがみこみ、警備員を抱きかかえた。


「これで全員退出だな?」

棟を出てたところで、私は工員達に確認した。

「はい」

誰かが答えた。無言のまま首を縦に振っているものもいる。


私は祐二と目を交わしてから、工員達に次の指示を出した。

「それでは今から君達は、事務棟に向かって全員、全速力で走っていけ。事務棟についたら事実をありのまま話すといい。ここから事務棟までは一直線だ。ちんたら走っている奴がいればすべて見えるぞ。では、行け、さあ、行け!」


最初は何人かがお互いに顔を見合わせて逡巡していたが、一人がおずおずと気乗りしない様子で、それでも走り始めると、あとは崩れるように全員がバッと走り出し、いつの間にか競争のようになっていた。なかなか気持ちのいい光景だった。


工員達がまっすぐ事務棟に向かって走っていくのを見届けて、私と祐二は次の行動に移った。


祐二はハイエースのところまで戻り、開けっ放しになっているバゲッジスペースを物色すると、超小型の監視カメラを取り出した。

全部で四つ。

これを第二加工棟の入り口から管理室まで、角を曲がるポイントごとに設置し、無線で映像を飛ばすように設定する。

それが祐二の次の役目だ。


祐二は早速ハイエースから今度は脚立を取り出して、第二加工棟の入り口の天井に取り付けようと支度を始めた。


さて、私はというと。

場内からここまで抱えてきた白い袋を持って、第二加工棟から離れた。

工場の入口から第二加工棟までの道は、建物と反対側に緑地とフェンスが続いている。

このフェンスの向こう側は、実に驚くべきことに私道を一本隔てるだけですぐに民家が建っている。


腕時計を見ながらフェンスに近付いた。

およそ十時。まだ一時間足らずしか経っていない。

長い一日になる、と思った。私達にとっても、友善元素の人間にとっても、日本という国にとっても。


フェンスの前に立つと、その向こう側に目を凝らす。

見覚えのあるホンダフィットが私道の傍らに止まっていた。

時間に合わせ予定通り。


だが、まだ行動には早い。

もう一つの動きを待つ必要があった。

ここまで予定通りならば、そろそろ目の前のフェンスの向こうに、近くの住人が姿を現す頃だろう。


フェンスの正面にある私道は、川田という家族の持ち家だ。川田家は三人家族で、日中は専業主婦の淳子が留守を預かっている。


前もって敦が調べてきたところによれば、平日は毎日ほぼ一定のリズムで川田淳子は生活している。

夫が朝七時半に出勤してから、八時に小学生の娘が家を出る。

それから、ちょうど十時頃に淳子が家を出る。十一時開店の駅前のスーパーでパートをしているためだ。つまり、ちょうどこの時間に川田淳子は家を出て、自転車でスーパーに向かう。それは時計のように正確で、いつもほぼ十時五分までには家を出ている。


フィットのドアが開き、そこから、作業帽を深く被って顔を隠した由希子が出てきた。由希子はどこにでもあるようなカーキ色のツナギを着ていて、まっすぐ私の立っているフェンスに向かってくる。


由希子が出てきたということは、川田淳子が家を出た、ということだ。フィットは運転席から、川田家の玄関がよく見えるように停めてある。


私は下げていた白い袋をよいしょと肩に担いだ。

由希子が最後は小走りに近づいてきて、私達はフェンスを挟んで向かい合った。何とも言えない妙な感傷が訪れたが、話をする前にやることがある。


少し身をかがめて勢いをつけて、白い袋を放り投げた。二メートル少しぐらいあるような高さのフェンスの上を、放物線を描いて白い袋が飛ぶ。

袋はしっかりフェンスを飛び越え、由希子の傍らの地面に落ちて乾いた音を立てた。


由希子がさっとしゃがんで袋を取り、すぐにフィットに入れる。順調だ。

由希子がフェンス越しに私に訊ねた。

「敦は?」


ああ、この一言。

私は思う。私は何をやっていたのだろうか。この事件を起こしたことが、私達にとってどんな意味があることだったのだろうか。


もちろん由希子は敦の恋人のままであって、私と由希子の間はあの夜の一件以上には進展していなかったとはいえ、それでも、私にもおかしな自尊心のようなものはあった。


偶然とはいえ袋の受け渡しを行う役目になっていた私と由希子。

私達が工場内に侵入してから初めて会った、その第一声で由希子が案じていたのは、私ではなかった。


「大丈夫。元気だ」

「みんな?」

「みんな。ああ。川田は?」

「時間通り、ちょっと立ち止まって、私達のこと見てた。バッチリ」


「工場のほうも、ここまではすべて計画通り、順調だから」

私は少し引きつった笑顔しか作れなかったが、由希子は気にしなかったようだ。今まさに計画真っ最中なのだから、緊張で笑みが引きつっているとでも受け取ったのだろう。


幸い、ここで会話をできる時間は限られていた。大切なことは、短すぎず長すぎない時間。そして、川田淳子に目撃されること。


「じゃあ、戻るね」

「気を付けてな……」

私は、由希子の車が出ていくまで見守った。

そういえば聞こえがいいが、実際のところはため息が出て、少しぼうっとしていた。

やがて自分を軽く笑って、場内に戻った。

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