スマホのイヤホンを耳に突っ込んでワンセグ中継を見ていた敦が、顔を上げた。

「スノ、そろそろ八時だ」


私も腕時計のバックライトを灯して時間を見た。七時五十分。

「工場に変わりはない?」

「ない。夜中は向こうも様子を見たかな。これから警察がどう動くか、はっきりした情報は特に流れていない。ただ、やっぱり中部国際空港と、空港にアクセスする名鉄、新幹線、あと東名、第二東名、中央道も東京からの下り方面と関西からの上りには規制入れるらしい。軽い規制入れてこちらの出方を見る、もし突っ込まれたら混乱防止のためとかそんな弁解でしのぐつもりだろ」


「規制敷いても強い抵抗がないと分かれば、突入する可能性もあるわけだ」

「そうだな。そろそろ情報も揃って、俺達に持ち出せた可能性がある二酸化ウランの量もおおよそ見当がついているだろう」

「ふふ、実際は1グラムも持ち出してないんだけどね」


そうなのだ。二酸化ウランの容器は蓋を開けただけで、中身を取り出してはいない。放射性物質を抱えて行動なんて、誰もしたいわけがない。


私が工場外のユキに渡した白い袋も、ただの空箱が入っていただけ。

散布なんてしたくても出来ない。もし突入されていればあっけなくおしまい無血開城だったのだ。


「それと、情報が流れてないだけで、俺やスノのことが割れている頃かもしれない。イソは日暮里に出没していたし、最初の居酒屋、あのときのタクシー、まあその気になればどこにでも名探偵がいるはずだ。これは視聴者参加型のゲームみたいなもんだからな」


「じゃあだいたいそれも計画どおりってとこだなあ。そろそろ捕まえに動いてくれないとね。せっかく名古屋を選んで東京からも関西からも集まってくるように見せかけてるんだし。で、結局現金はいくらが?」


「昨日の段階で五百万円だと。残りは稟議通すから今朝になると言っている」

「五百万……キリがいいね」

「だな」

「新聞紙かな?」

「雑誌の束かも」

私は敦と顔を見合わせて笑った。


「トラックはいまどこを?」

「順調だよ。携帯ナビだと、さっき用賀から首都高三号に入った。事故でもなければ、三十分もあれば日本橋に着くさ」

「そうか。じゃあ、そろそろ最後の支度する頃か」

「ああ。準備運動をしないと」


敦が、ペンライトを灯した。小型だがLEDを使用していて、相当な光量がある。私も倣って明かりを灯した。


小さい段ボールを開けて、中からビジネスバッグを取り出した。


鞄の中には、薄っぺらなビニールに包まれた服の塊を入れてあった。百円ショップで手に入れた衣類圧縮収納袋だ。

袋を開けると、シュッと少しだけ音がして、中の衣類が元通り膨らんだ。

ビジネススーツ上下に、白のワイシャツと地味なネクタイ、ベルトに革靴まで揃っている。


「先、着替えていいよ」

敦がライトで私を照らした。

私は乏しい光源のなかで、これまで着ていた作業服を脱ぎ、下着の上に素早くスラックスとワイシャツを身につけた。

「おかしくないか?」

「大丈夫。普通の先生ヅラだ。先生は少しぐらいくたびれた服のほうがそれっぽいさ」

「違いない」


私が着替え終わると、敦も同じようにスーツに身を包んだ。


「足を慣らしておこう」

敦が言う。

「どうやって? この狭いのに」

「なにも走ろうというわけじゃないよ。足首を回したり、ストレッチをしたり。急な運動に備えとこうぜ」


「分かった。そうだ、目も明るさに慣らしておかないと」

「外に出た瞬間目がくらんだ、じゃあダサいからな」

敦が私にペンライトを向ける。厳密にはここは真っ暗ではなく、すでに夜も明けていてうっすらと壁の隙間からは光も射していた。しかしペンライトの白い光は別格で、明るさに慣れるには手頃だった。


「それで?」

足首を回しながら私は敦にさらに訊ねる。

「外に出てからのおさらいは要らないの? 敦は急にこっち担当に変わったんだし」


「おさらいねえ。特に、ないだろ。最初の方向だけすぐ把握して、あとは自分の足を信じて一直線。スノは地下鉄、俺は車」


「トラックがどういう向きで止まるか、は?」

「向きは大丈夫だろう。車線の進行方向以外にはあそこは停められないよ。止まる位置も、イソが指示出し続けてるからそんなにずれはしないだろう」


私は、何度もイメージトレーニングした現地の配置を念入りに頭の中で反芻した。地図サイトの写真でも確かめたし、そもそも自分で何度か通ったことはある場所だ。自信はある。スーツの財布にはICカードも入っている。改札口もタッチアンドゴーだ。


「あとは? ユキは?」

つい訊ねていた。現状がほとんど分からないのは、残るはユキだけなのだ。

「ユキは姿を現さないことが何より大切だ。大丈夫、メールは時間通りに来ているから、何も起きてない」


「じゃあ、本当にあとは到着を待つだけなんだな?」

「イエス」


私はため息をついた。

「どうしたスノ?」

「終わるんだな」

「感慨深い?」

「なんともジェットコースターみたいな数ヶ月だった」

「早かったな」


「ふっと思うと、なんで俺はこんなことをしてるんだろうって気もしてくる。でもこの妙な高揚感みたいなものは、ずいぶん久しぶりだ。ここまで来ればあっけないものだったけど、すごいことをやってしまったんだよな」

「そう。やれたんだよ。スノのおかげで。やっぱりお前がいるからうまくいったんだって、そう思えてしまうよ」


「ありがとう。まだもう少しあるけど、今はその言葉は素直に有り難く受け取っておくよ」

以前の私なら敦から私への賛美はまともに聞く気にはなれなかったが、今はそれが敦の心からの言葉だと感じられた。


「もう、会えなくなるな」

私はつぶやいて、もう一度ため息をついた。

「しばらくな。でもまた会えるときもあるさ」


「高橋君はどうなるかな。あの子の中では警察と少年院は別らしい。そもそも高橋君にどういう決定がされるのかは興味深い」

「それは俺達もな。こんだけ世の中騒がせたが、一個一個の犯罪は軽い。どういうことになるかね」


「軽くても刑は刑だ。俺は、自分はともかく高橋君を入れたのは本当に良かったんだろうかって、まだ割り切れていないのかもしれない」

「正しかったかどうかはあの子自身が大人になって自分で判断するまでは分からないだろう。大人が子どもにしてやれることなんて、いつだってそんなもんじゃないか?」


「それはそうだけどね。彼女のこれからを決めたのは俺達だって思うと、俺は教師だったときも、本当に生徒達の未来のことをそこまで考えられていただろうかって、今さら自問自答だよ」


「また~。小難しく考えるなあスノは……ま、それがスノの持ち味だけどな」

「なんか、もっといい方法はなかったかって、どうしても気になるタチでね」


「そう悩みなさんな。俺は満足してるよ。少なくない人達に、何かモヤっとしたものは残せていると思う。これからお前の手記が出ていけば、あとに続くようなヤツも出てくるかもしれない。そうなれば俺は目的達成だな」


私は、インターネットでの私達への反応を思い返した。

興味本位、批判、嘲笑、賞賛、色々とあったが、興味をもっていた人達は多かった。

報道もこれだけされていれば、記録に残される事件の一つになったことは確かだろう。


こんな、素人が遊び半分のように起こした事件が世の中を大騒ぎさせたのだ。

本気で悪意を持った人間がこれをやっていたら?

二酸化ウランも持ち出されていたし、散布もされて、取り返しのないことが起きただろう。


そういう後追いはうれしくないが、何かエネルギーを秘めているなら、それを解放させる。

みんながやり出してくれたら、それは世の中全体に響くだろう。

革命が是だとは私は思わないが、もっと日本には、世の中を変える方向に注げるエネルギーが残っていると思う。


「俺はな、思うんだが」

と敦。

「うん?」


「イソと高橋君はある種の答えだと思う。俺が今回やりたかったことへの。言っちゃ悪いが俺やスノやユキは、なんつーかね、もう染まってるんだ。これが最後の抵抗だったかもしれない。でもあの二人は違う。いま一緒にいられる時間は少しだけど、仲良くしててほしいな」

私は思わず何度もうなずいた。


それからしばらく会話が途絶えた。自然、目がスマホ画面に向く。

私の画面はニュース中継になっていて、目新しい情報は特に流れていなかった。

意味があるのか分からないが、日本橋の銀行前にもカメラが張り付いていた。これは私達にとっては大変好都合だった。


やがて敦が言った。

「首都高下りる。もうすぐだぜ」


私は、敦をまっすぐ見た。

「元気でな」

「スノも」


別れの挨拶は、それだけだった。

静かに私達は時を待った。

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