「放射能って、実際はなんなのか。なんとなく怖い有害なものとか、生き物を巨大化してゴジラにするとか、あまりよくないものだと思われている。ところがね、放射線治療っていって、ガンを治すのに使うこともある。いいほうにも悪いほうにもなる。どういうことなんだろう」


「はいっ、先生、質問」

「なんでしょう、高橋君」

私と深美は、冗談めかしたやりとりをした。

「放射能と放射線って、違うの?」


「む。いい質問だね。放射能は、あるモノが放射線を出す性質そのもののことを言う。たとえば、そこの天井の蛍光灯。蛍光灯は、光線を出す。だから、「光線能」があるって言い方をしてもいいと思う。同じように、世の中には、光線と違って目には見えない光線が出ているモノがある。その飛び出しているモノが放射線。それで、こいつは放射線を出すぞっていう能力のことを、放射能って言う。放射能がある物質のことを、放射性物質と。最近は、放射線そのものを放射能って呼ぶケースもあるみたいだけどね。たとえば『放射能を浴びて巨大化』ってのがそうだよね。本当は浴びたのは放射線なんだ」


「そういえばさ、ゴジラの巨大化はありえないって、なんかの本に書いてあった」

「ゴジラそのものはね。生物学的にあり得ない。トカゲが体長五十メートルになるような突然変異が起きる可能性は、ほぼゼロ。確かに、五十メートルに『なろうとする』可能性はありえるけど、ただそういうときゴジラトカゲは、身体が自分の突然変異に耐えられない」


「でも、チェルノブイリで奇形児が生まれたって本に書いてあった。原爆でもあったんでしょ、突然変異って」


「うん。放射線が生物に突然変異を起こすことは確かにある。実際、生物学で突然変異の実験をするときは、だいたい、放射線を当てて人工的に突然変異を起こしている。ただね、一般に、放射線が引き起こす突然変異は、生物の生存にとってプラスの方向には働かない。つまり、悪いほうにはたらくんだ」


「あたしに放射線が当たったら、足が三本になったりする?」

「それはゴジラと同じで、限りなく可能性はゼロに近い。なぜか。聞いたことはあるかもしれないけど、人間の身体にはね、DNAっていう設計図が入ってる」

「なんか聞いたことある」


「DNAとは、人間の遺伝情報を記録してある設計図のようなものだ。人間の身体の色々な部分がきちんと機能するのは、この設計図があるからなんだね。強力な放射線が当たると、この設計図がビリビリに破かれてしまうことがある。DNAが破れるとどうなるか。設計図どおりに作れなくなって、まるで違うものが出来てしまう。それが突然変異の原因になる。まあ大人は設計図が少しぐらい壊れても作り直してしまう力があるから、そんなに問題にならない。でも、まだお母さんの中にいる赤ちゃんなんかはたいへんだね。君はまだ受けたことがないだろうけど、病院のレントゲン検査も、X線っていう放射線を使ってるんだ。妊娠してるときはレントゲン検査を受けちゃいけないんだけど、そんな理由があるんだよ。卵とか赤ちゃんの細胞は、細胞分裂が激しい。だから、DNAに傷や間違いがある状態でどんどん分裂していくと、身体の基本的な構造が、正しくない設計図で作られることになる。おかしな設計図では大きなものをきちんと作ることは出来ないよね。だからゴジラトカゲが完成する可能性はほぼ有り得ないし、赤ちゃん以外で三本目の足が生えてくるようなことは考えにくい」

深美は神妙な顔をして、自分のお腹の辺りを押さえた。


「……といってもね、DNAが傷付くなんて、実はいつでも起きてるんだ」

「えっ?」


「実は、放射線というのは特別なものでもなんでもない。いまこの瞬間も降り注いでいて、我々の身体は放射線を浴び続けている。しかもDNA自体、わりと簡単に壊れるものなんだ。ただ、DNAはすごいヤツで、ちょっとぐらいなら、壊れてもすぐに元に戻るか、捨ててしまうようになってる」


「ちょっち、しつもーん!」

「はい」

「今も、放射線浴びてるって? ジャスト今も?」

「そうだよ。地面に埋まっている色々な鉱物や、太陽、宇宙、どこからでも必ず天然の放射線が飛んでいる。かつて地球が出来たばっかりの頃は、放射線はもっとずっと多かったんだ。ある物質が、安定していないときに放射線というものは出る。地球が出来たばっかりの頃は、出来たてホヤホヤだから、地球の物質は安定していなくて放射線だらけだった。ところが、ある物質が放射線を出すと、安定している別の物質に変わってしまう。これを崩壊というんだけど、地球が出来てから長い年月の間に、不安定な物質はどんどん崩壊してきた。だから、いまの地球上はもう、天然の放射線はたいした量は残っていない。でも、多くはないだろうし目にも見えないけど確実にあるよ。俺達の身体も浴びてるはずだ」


「そうなんだ……ねえ、放射線って結局なんなの?」

「うーん、そうだなぁ……。放射線とは、結論から言えば、なんでもありなんだ」

「?」


「たとえば、ここにあるこの消しゴム。これを投げると……」

「あ、痛っ」

消しゴムは深美の膝に当たって床に転がった。

「……と、君は痛いよね。消しゴムというものが飛んできたことも、ぶつかったことも分かる。次に、さっきと同じく、蛍光灯を考えてみようか。蛍光灯からは、光が出ているよね。消しゴムと違って、光は、当たっても痛いと感じることはいない。でも、人に当たれば、当たったところを暖かくするし、見れば明るいから光が当たってるかどうかは一発で分かる」

「うん、そりゃそうだ」


「ところが放射線というのは、普通は目に見えない。だから、あるのかないのかよく分からないし、浴びているのかどうかもよく分からない。でもとにかく、何かエネルギーを持っているものが飛んでいることは確かなんだ。地球上には、目には見えないけど色々なものが色々なところから降り注いだり、飛んだりしている。そういうのをひっくるめて放射線と呼ぶ、と。でも、普通の物質は放射線は出さない。だからこの消しゴムも放射性物質とは言わない。しかし、放射線を出す物質もある。ウランもそうだし、もっと種類がある」

「プルトニウム」


「お、よく知ってた。プルトニウムもそうだね。じゃあ、放射性物質と普通の物質は何が違うのか。何が違うと放射線が出るのか。ここが肝心なんだ」

「ふんふん」


「あらゆる物質は、砕いていくとそれ以上砕けない大きさになると言われている。そのいちばん小さい粒を、『原子』と言う。この『原子』は、積み木の部品だ。我々の目にいま見ているいろんなものは、積み木で出来たお城だと思えばいい。お城は意味がある形に見える。でも一個一個の積み木は、四角だったり三角だったりで、お城の形はしていない。組み合わせてはじめてお城になる。世の中のあらゆる物質は、原子という積み木によって形作られているんだよ。意味が分からない形の原子が集まって、組み合わせ方によって色々なモノの形ができる。ここまで、分かる?」

「うん、まだ大丈夫だヨ」


「よし。原子という積み木の形は、百種類程度。つまり地球上のあらゆる物質は、つきつめるとこれらの原子のうちのどれかなんだ。俺達の身体だって、バラバラにしていけば、いつかは原子、つまり積み木のバラバラのパーツに行き当たる」

深美は、びっくりした様子で自分の身体を見回していた。


「ところが、この部品の原子もさらに、細かく部品に分かれる。原子は太陽系にたとえるとわかりやすいから、まあ、こんなイメージだ……」


私は、空いている紙に、太陽系の模式図を描いた。

「原子の中心は、太陽の位置。ここには太陽の代わりに、原子核という核が存在する。これは太陽と同じで、とても重い。原子の重さは、ほとんど原子核の重さで決まると言っていい。その原子核の周囲を、決まった軌道をもって、電子という、原子核よりもずっと軽い粒が常にぐるぐる回っている。電子はちょうど、太陽系の惑星に当たる」

私は、太陽に当たる真ん中の部分にペンを刺した。

「放射性物質で放射線が出るのは、ここ原子核からだ。エネルギーをもった何かが、原子核から飛び出していて、それが放射線になる。普通の物質では飛び出さない、でも放射性物質では飛び出す。では、いったい何が出ているのか。ちょっと難しくなるよ。いいかい?」

「うん」


「この、原子核の周りをぐるぐる飛んでいる電子。これはマイナスの電気を持っている。でも普通の原子全体は、電気がない状態だ。消しゴムや10円玉にさわるたびに感電したりはしないよね。ということは、電子のマイナス分の電気が帳消しになってるんだ。マイナスを帳消しにするにはプラス。つまり真ん中の原子核はプラスの電気を持っていなければいけない。原子核と電子のプラスとマイナスの電気が、ちょうど釣り合いが取れて差し引きゼロだ」

「うんうん」


「そして原子核には、実はこれまた内部構造がある。原子核には、陽子という粒が含まれていて、この陽子がプラスの電気をもっているんだ。陽子と電子の電気の量は釣り合っている。だからプラスマイナスでゼロ。ところが原子核の中の陽子をすべて足しても、原子核の重さには足りない。つまり原子核というのは、プラスの陽子の他に、電気は持たない何かが一緒にくっついて出来ていることになる」


「何が?」

「原子核は、『陽子』と『中性子』という二種類の粒子が、ギュッと隙間なくくっついたお団子になっているんだよ。陽子と中性子は、常にハイパワーの押しくらまんじゅうをしたギュウギュウの状態で原子核を作っている。押しくらまんじゅうの状態で崩れないでいるから、遠目でみると大きな一個の塊に見えるんだね。けど、何かのはずみに、このおしくらまんじゅうのバランスが崩れてしまうことがある。たとえば、押しくらまんじゅうで誰か一人が、猛烈ヒップアタックかましたら、バラバラになっちゃうでしょ?」

「グチャグチャになるよ」


「そうだね。もし押しくらまんじゅうでバランスが崩れたときは、バランスを崩したものを外してしまえばいいよね。ヒップアタックした空気読まないアホを仲間外れにすればいい。それと同じように、外にはじき出された余計なもの、それが放射線の正体だ」


「余計なものなんだ」

「そう。それでね、放射線として飛び出す余計なものには、具体的には、三つの種類がある。まあ、アルファ、ベータ、ガンマっていう三種類があるってぐらいで覚えておけばいいかな」


そのとき、インターホンが鳴った。

「見てくるね」

深美が玄関に飛んでいく。


私は伸びをした。久々に教師らしいことをしたような感じがして、いい気分がした。

「榊原さんが来たよ」

「そうか。じゃあ今日のお勉強はここまでにしておこうか」

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