3
深美は私にしがみつくなり、服を引っ張って抗議した。
「ばか、ばか」
「悪い。ほんとにごめん。友達が倒れて」
中学生相手に大人が弁解するのは見苦しかったが、つい言い訳が口をついて出た。自分の不甲斐なさが苦しかった。
「友達?」
深美は泣くのをやめた。
私は、後ろの敦と祐二を顎でしゃくった。
今度は深美が頭を下げた。
「ごめんなさい」
「な、何が?」
「あたしまたワガママだった。先生も大変だったんだ」
私は息を呑んだ。愛おしさが急に沸き上がってきて、必死に心を落ち着かせた。
「違うよ。君の電話に出なかったのは、先生が悪い」
「ううん、もういいんだ。だって会えたもん」
私は苦笑いした。深美の屈託のなさが苦しかった。
「それで? また何かあったの?」
深美は、今日も寝間着姿だ。
私はあえて詳しく聞くつもりはなかったが、相当に切羽詰まった状況だったのだろう。
「うん……。もう、ゼッタイ帰らない。イヤだ。アイツ最低だよ」
「……」
私と深美の間に沈黙が流れると、敦が口を挟んだ。
「スノ、とにかく部屋入ろう。この子がいるの見られるのはまずいし、イソも早く寝かせないと。ここは寒い」
「あ、ああ」
私はうなずいてから気付いた。
深美は、酔った父親が怖くて逃げてきた。
ここに、泥酔して人事不省の祐二がいるという状況は好ましくない。
「友達の人どうしたの?」
深美が、不安げに祐二のほうを見てつぶやいた。
私は、曖昧な言い方はしないことにした。
深美には、嘘偽りがない態度で接するべきだと思った。
「俺の友達で、酔っぱらってる。まともに立ってもいられないぐらい。だけど……」
「先生が言いたいことぐらい分かるって。あたしは平気。酔っぱらいでもいろんな人がいるってことぐらい分かるもん。先生の友達なら酔っぱらいでも大丈夫だから」
深美の洞察力はなんと鋭いことかと私はほとほと感心した。
「ありがとう 」
「ううん、いいんだ。だからその人、早く中に。自慢じゃないけどあたし酔っぱらいの世話なら得意だよ」
私は苦笑いするしかなかった。
敦と二人で祐二を部屋に運びこむと、あらためて深美に訊ねた。
「高橋君は、どうするつもりなんだ?」
「泊まっても大丈夫?」
「こんな時間だ。泊まっていくしかない。な、スノ?」
先に敦に言われ、私はため息をついた。
「そうだね。あと一つ布団あるから出すよ。高橋君はそこで寝るといい」
「先生は?」
「俺はそのへんの床で寝る」
「あたしと一緒に寝ればいいのに」
「それはまずいっての」
「どうして?」
「どうしてって……」
「お前の部屋なんだから、好きなことしていいんだぜ、スノ。俺にはかまうなよ」
「そういうことじゃないだろ敦」
「ゴムおいてないのか?」
「だからそういうことじゃなくて。ごめんな高橋君。こいつヘンなこと言ってるんだ」
「ヘンなことなの? あたしいいのに」
「あのな」
「ホントだよー? だってあたし、このままじゃ最初がパパになりそうじゃん。そんなら先生がいい」
「俺は教師で君は教え子」
「もう先生じゃないんでしょ?」
「はっはっ、スノ、押されてるぞ」
敦が楽しそうに笑った。
「スノは真面目君だからな。あのな、高橋ちゃん。大人はさ、中学生とエッチなことをすると捕まるんだよ」
「ふーん。ラブラブで愛し合っててもダメなの?」
「だーれが愛し合ってるんだ?」
「あたしは先生が好き。先生は?」
「好きだけど、恋愛感情とは違う」
「ちぇっ。けち」
「けちと言われてもなぁ……」
「いいもん、じゃああたし寝るもん」
「うん、わがまま言ってないで、早く寝なさい」
「はーい……」
深美は布団に潜り込み、顔だけ覗いて言った。
「ありがと先生。大好き」
ふと見れば、敦がニヤニヤと笑っていた。
「なんだよ、感じ悪いな」
「いやね、微笑ましいなぁと思ってさ。ちゃんと助け船出してやったろ?」
「ちぇっ」
さっきまで騒がしかった深美は、布団に入ると、たちまち眠ってしまっていた。
「寝つき、いいな。安心して気が抜けたか?」
「たぶんね。この間のときもそうだった」
「で、スノ? どうするんだこれから?」
「どうするって?」
「この子。放ってはおけないだろ?」
私が腕組みをして返事に詰まる様子を見せると、敦は急に真顔になった。
「本音、どうなんだ?」
「何が?」
「この子にどういう感情を?」
私はため息をついた。
「混乱してる。自分でも分からなくなってきたよ。好きは好きだけど、生徒としてなのかどうかも。確かに可愛い子だと思うし、大人びたものの考え方をしてるから、つい中学生なのを忘れそうになる」
「そうだな。変わった子だけどいい子じゃないか。どうするつもりなんだ?」
「どうしたもんだろう」
私は迷いを隠せなかった。自分が手を出すべきことではないと分かっているのに、このままではいけないとも強く感じていたのだ。
「分からないんだ、どうするのがいちばんいいのか」
「児童相談所に連れてくのは?」
「あまり意味がないと思う。児童相談所は、基本的に親と子がどっちも虐待の事実を認めないと役に立たないんだ」
「事実はあるじゃないか。DVってヤツだろう」
「でも親が認めない。いや、この子だって認めるかどうか。アダルトチルドレンって知ってる?」
訊ねながら私には分かっていた。
敦は知っている。敦が知らないことなどないのではないかと、崇拝に近い信頼を私は敦に抱いていた。敦にも限界があることを知るのは、まだしばらく先のことだ。
「概念ぐらいは。自分のせいで家庭に問題が起きてると思って大人びちゃう子どもだろ?」
「うん。この子は典型的なアダルトチルドレンだと思う。ときどきビックリするぐらい冷めた考え方するんだよ。だから、自分が悪い子です、で終わるかもしれない。可哀相でならない。何かしてやりたい」
「してやれよ。どうせ教師クビになったんだから、おまえが一個人としてこの子のために動くのは勝手だろ。ま、することするなら、つかまらないように気を付けろってとこだけどさ」
「それはおいとけっての。けど逆に考えると、教え子でもない今、俺は本当にただの一個人であって。それが、親権がある親を敵に回して勝てるかっちゅう話で。父親が警察だからますます手ごわいだろうな。そしてこういう状況になってはっきり分かるけど、今の児童福祉じゃ子どもの逃げ場なんて本当はありゃしない。守れない。だから悩んでる。どうすればいいか、正直さ、見当もつかないんだよ」
「このままここにおいておくことは出来ない。それははっきりしてるな。二度目となりゃ親もすぐここを疑うだろう。それこそ今この瞬間にお怒りのチャイムが鳴らされてもおかしくないんだ」
「それはきっと一日ぐらいは平気だと思う。この間、高橋君からあとで聞いた話だと、父親が世間体を気にしてたらしくて、高橋君が帰ってくるまでどこにも連絡してなかったらしい。警察の人間ってことが逆に足枷になったんだな」
そこで会話は途切れ、しばらく二人とも沈黙した。
やがて、敦がぽつりと言った。
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