「スノ、どこまでやる気がある?」

「やる気?」


「この子をどこまで自分で守りたいか、だ。理屈とかじゃなく、感情のレベルで」

「そら、出来るもんなら守ってやりたいよ」


すると敦は微笑んだ。

「どの選択が正しいかなんて、終わってみるまで分からない。少なくとも、お前がついてこいって言えば、この子は多分どこまでもついてくるぜ、きっと。この子、ホントにお前のこと好きなんだよ」


「その気持ちを利用するようなやり方はしたくない。中学生は、まだ人格としては発達段階にあって、大人と比べると判断力も完全とは言えない。つまり……」

「ウンチク垂れるなよ」

「そんなんじゃない」


「そうだろ。ヘタな大人より中学生のほうがずっとマシな物の見方してるって。大人でも、正しい判断して生きられるヤツなんて、そうそういないぜ? いや、大人になればなるほど周りを見過ぎて、判断なんて間違っていくもんさ。俺は、この子のいまの気持ちを尊重してあげるのが一番だと思うがね。たとえそれが世間一般から間違ってると思われても」


敦はいつでも正論を言う。それがだいたい的を射ていることが多いだけに、いつもうまく反論が出来なくなる。このときはそれが少し自分を苛立たせた。


「じゃあどうすればいい? この子のために何かしてやりたいのに、教師もクビになって無力で。何かがおかしいってはっきり分かってるのに、何も出来ないなんてな。いっそ拉致監禁でもするか」


私は冗談半分に投げやりな口調で言ったのだが、急に敦の表情があらたまった。

「なあ、スノ」

声色まで変わっている

「今日、お前を呼んだ理由な。イソが潰れたから、肝心のことをまだ話してないんだけどさ」

「?」


敦は当たり前の口調で続けた。

「俺な、大事件を起こすつもりなんだよ。確実にトップニュースに出て、世の中大騒ぎになるようなヤツ。ユキと、イソは仲間に決まってる。スノも仲間になってほしくてな。それに、この際だからこの子も入れて、全部で五人でどうだろう?」


私はぽかんと口を開けた。

「なんだそれ?」

「もう一回言うか? 大事件を起こそうって誘ってるんだよ」

敦は自信に満ちた顔をしていた。


「大事件……? ハァ、なんで?」

「だいそれた理由はない。強いて言えば、俺は色々と世の中に言いたいことがあるんだ。今の日本で、カネも地位も権力もないヤツにとって最高の表現手段は事件を起こすこと、つまり犯罪だ。大事件を起こせば、頼まなくても勝手にマスコミとインターネットが事件を伝えて、犯人達のメッセージをどんどん広めてくれる。犯罪は弱者のメディアだ」

敦は不敵に笑っていた。決して妄想や空想で話しているようではなく、いつも通り自信に満ちた口調だった。


「少数の意見を押し通すために事件を起こすなら、それは犯罪じゃなくてテロって言うんだ」

「いいよそんなの、どっちでも」

敦はあっさりと笑って受け流す。


「呼びたいヤツには呼ばせればいい。やるほうはそれがテロなのか普通の犯罪なのかなんて考えてないだろ。むしろテロと呼ばれるほうが話題性があっていいな。みんなさ、表面ではテロとか犯罪を恐れているけど、実はときどき起きてほしいって潜在的には期待している。自分が巻き込まれるのはイヤだ、でもテロとか凶悪犯罪のことをニュースとかワイドショーとか週刊誌で楽しむのは大好きだ。むしろ起きないと退屈だ。自分が巻き込まれるはずはないから、安全な場所で映画感覚で見ていたい。そんなもんさ」


私の心は揺れた。

犯罪やらテロやらに荷担しろというのは、どう考えても私がそれまで教師として築いてきた価値観に矛盾する誘いだが、話を聞くのをやめようとは思わなかった。


犯罪や事件が劇場化されているというのは私も思っていた。

私と深美の事件も、仮にメディアの波に乗っていたら、はたしてどれだけの人が正しい意味で事件を理解するだろうか。

大半の人は興味本位、退屈な日常を紛らわす面白い事件が起きた、という程度の見方をするのではないか。


私が知っている敦は平凡な人間ではない。

その敦が大事件と言うからには、本当に、世の中を大騒ぎさせることをするつもりだ。そしてやるというからには、私が手伝うかどうかに関わらず必ずやるだろう。


「何をするんだ?」

私が訊ねると、敦はなんでもないように言った。

「核燃料の製造工場を乗っ取る」

「核燃料……?」

私は裏返った声を上げた。まったく予想もしていない言葉が飛び出してきた。


「核テロってこと? 確かに核ジャックが日本で起きれば大騒ぎだろうけど、核兵器なんて……」

「なにも核兵器を奪おうとか、原発を襲おうとか、そういうわけじゃないよ。そんなことはプロのテロリストがやればいいさ。俺達はプロじゃない。素人なんだ。素人がやるから面白い」


「核燃料なんか……どういうこと?」

「友善元素株式会社って知ってるか?」

「ゆうぜんげんそ? いや聞いたことないけど。でも名前からすると、友善グループの会社? あの、銀行とかの?」


「そうだよ。原子力発電所というのは、ウランを加工した燃料棒を使って発電する。その燃料棒を製造しているのが友善元素だ。静岡県の若月町というところに工場があって、日本の原発で使う燃料棒の三割はそこで製造されている。俺達は、その燃料工場に堂々と入り、燃料棒に加工される前の粉末ウランを確保する」


敦の言葉は滑らかで迷いがなく、正気を疑うにしてはあまりにも落ち着いていた。

「たった五人で?」

「そうだ。最低催行人数は二人かな。四人でも三人でもいい。銃だのマシンガンだのなんて物騒な武器を使う必要もない。俺が考えているのはナイフとモデルガンだけなんだよ。もちろん運が悪ければ失敗する。けど運が良ければ成功する。成功すれば日本中大騒ぎになる。うまくやればパニックを引き起こせる」


私は考えた。日本で核ジャックが起きれば大騒ぎになることは間違いないだろうが――。


「もしそれが出来たとしてどうするの? 何が目的? カネ?」

「いや、どうせならすべてに常識外のことをやるほうが面白いだろ? 楽しくパーッとやりたいんだよ。だからさ、ナンセンスな要求が面白いんじゃないかな」

「ナンセンス?」


「そうだなぁ、たとえばさ、なんかのアイドルトレカのレアカード集めて持ってこいとかさ、超人気のお取り寄せスイーツを山盛り持ってこいとか、駄菓子の味を全部揃えろとかどうだ?」


私は吹き出した。

「なんだそりゃ。核燃料奪って、脅迫するのが駄菓子?」

「くだらなくて前代未聞だろ?」

「そんな犯人聞いたことがないねぇ……」


「それに、もしこの子が入ってくれると、もっと楽しいよな。中学生が一味にいたら、ほっといてもワイドショーが大騒ぎしてくれるだろ? よくわからない研究家の肩書きつけた連中が、俺達の事件をメシの種にして、少年犯罪がうんたらかんたらとかさ、見当外れのことをいろいろ熱く語ってくれるよ」


敦は畳み掛けるように訊ねてきた。真剣なのに、どこか悪戯っぽいような笑みを浮かべて。

「な、俺と一緒にやろう。結果としては確実につかまるだろうけど、楽しいぜ?」


私は即答で拒否できなかった。犯罪と分かっているのに、ノーだと即答ができなかった。敦の誘いを「救い」だと考えようとしている自分にも気付いていた。


「ま、すぐにゃ難しいか。たださ、どっちにしてもお前、この子はどうするつもりだよ。このまま家に帰すのか?」

「いや。それはさすがに。もう少しそばにいてやりたい。けどどうしたものか」


「ちょっと考えたんだけどさ、いい方法があるんだよ。俺とユキ、同棲してるんだけど。俺の部屋に二人いるから、ユキが借りてるマンション空いたままなんだ。お前とこの子、明日からそこに隠れたらどうだ?」


「マンション? 場所は?」

「日暮里から歩いて十分ぐらい。そんなに遠くないだろ?」

「日暮里。行ったことがない街だ」


「心配するなって、俺とユキが面倒見るさ。そう決まれば早速、ユキに朝迎えに来いってメールしとくよ。起きたらすぐ出よう。今度は、この子がここにいることも、どこに行くのかも、誰にも見られないようにやるんだ」

「分かってる。やってみるさ」


翌朝は、腕の痺れで目を覚ました。コートを床に敷き、その上に横向きで眠ったのだが、床の堅さを凌ぎきれなかった。


「おはよ、先生」

重い目で横を見れば、深美がすでに起きており、ケロリとした顔で笑っていた。


「おはよう」

挨拶を返してから、私は昨晩の話を思い出した。

敦のマンションという選択肢を深美本人がどう考えるか。


「高橋君。今の君は家出をしていることになるわけだけど、これからどうするつもりなんだ?」

深美は目をぱちくりした。

「んー? 先生と一緒に日暮里ってとこに行く」


今度は私が目をぱちくりする番だった。

「なんで日暮里のことを?」

「あとさー、カクネンリョウってゆーのはいつやるの?」

深美の発音は、カクネン=リョウという中国系の人名のように聞こえた。


「起きてたんだな?」

「最初寝たんだけど、先生達の声でときどき起きてた。聞いちゃったもんね、大人の内緒話。あたしさ、楽しそうだからそれやってみたい」


「あのねぇ、犯罪だよ? 悪いことをしようってんだ」

「うん、オッケー。だって先生もやるんでしょ? 一緒ならいいもん」


敦がいつの間にか起きていて、私に並んだ。

「いざとなると、子どものほうが度胸がある。大人みたいにいろんなことに縛られてないからね。スノ、決まりだろ。その子とお前は、俺の仲間だ」


敦の言うとおり。

話を聞かされてから寝ている間に色々なことを考えていた。

自分のこと。深美のこと。敦のこと。祐二や由希子のこと。昔の恋人のこと。親のこと。つかまったときの取調室や刑務所のこと。見たこともない核燃料工場のこと。原発のこと。


私にブレーキをかけさせるものはたくさんあったことになる。

だが私は返事の代わりに敦と握手していた。深美がその上に手を乗せた。


私は我慢出来なくなって声を立てて笑い始めた。教師を辞めてから、こんなに弾けたように笑ったのは、初めてだった。


まだ夜明けの空気が残っているうちに由希子が車で迎えに来て、私と深美は、日暮里に移った。


十階建てマンションの八階に由希子の部屋はあった。

私のアパートの優に倍は家賃がかかっていそうな快適な部屋だった。広さは2LDK。六畳一間にキッチンだけだった私のアパートとは大違いで、深美と二人でいても充分に余裕がある広さだ。


マンションの入り口はオートロックになっていて、監視カメラと管理人室がある。

だが管理人は通いで、平日の日中に数時間来るだけなので、夜は誰にも見咎められず出入りが出来る。

深美の存在を考えると私は監視カメラの存在が気になったが、問題にならないと敦が言った。

実際にやってみるとその通りで、もともと大人びていた深美は、大人ものの服を着せられると女子大生ぐらいに見えた。

さらに帽子を目深に被せると、監視カメラはまったく問題でなくなった。隠れて住むには好都合だった。


こうして、私と深美は奇妙な共同生活を始めた。

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