「二人はなにしてるんだろ?」

由希子がつぶやいた。


「二人? ああ……あの子とイソ?」

私は隣室のドアの方をなんとなく眺めた。


「たぶん、二人でゲームでもやってると思う」

「ふうん。スノはやらないの?」

「俺は……ゲームとか苦手で」


由希子が急に身を乗り出して接近してきた。

「それだけ?」

そう訊ねてきた由希子は前かがみの状態で私に近づいてきていて、風呂上がりの薄い寝間着の隙間から、白い肌と豊かな胸の谷間がいやでも目に飛び込んできた。

どうも気まずくなって慌てて目をそらしたが、由希子はそんな私の視線は気にする様子もなく。


「スノは、あの子をいま避けてるんじゃないの?」

「避ける? どうして」


少しむっとした。

目のやり場に困る由希子の姿勢もだが、自分で言い返しておきながら、由希子の指摘が図星のようにも思えたからだ。


あの一件以来、どことなくよそよそしい感じがする深美の雰囲気を私は感じ取っていた。

思春期の感情の変化は見当もつかない。そう思い、たいして気にとめずにいたつもりだったが、実は自分でも分かっていたのではないか?


深美が私に以前のような極端な依存をしなくなった、といえば聞こえはいいが、深美の心に距離を感じ取っていたように思う。


「あたしのせいかもしれないからエラそうなこと言えないけど」

と前置きしてから、由希子は肩をすくめて言う。

「スノ、こうなる前の深美ちゃんのほうが好きだったんでしょ? ああ、いいんだよ、あたしはロリコンだとかそんなこと気にしないし、そういう考え方も何となく分かる。アニオタとかもそうでしょ? 汚れなき美少女みたいな? 女の身体とかオッパイは好きだけど、生身はイヤだみたいな? あたしみたいなのはオカズにはするけど付き合う気はないでしょ」


「そんなことは」

私は言い返す。

複雑な感情だった。

深美のことを私は実際のところどう考えていたのだろうか。

生徒の延長だったのか、対等な異性だったのか、性欲の対象だったのか。


由希子の考え方は、否定してみたものの、ある面では私の心をうまく言い当てていたようにも思う。

決して性欲がすべてではないが、私は深美を神聖視していたのではないか。

汚れなきジャンヌダルクのような存在として。


深美を人形にしていたのは由希子ではなく私自身だったのではないか。

そもそも教師は大人は子どもを人形としてではなく一個の人格として本当に考えているのか。

今まで接してきた生徒たちや子ども達を思い返したとき、私は自信を持って言い切れるのか。


もちろん、由希子と話している間にこれだけのことを自問自答できたわけではなく、後になって冷静になった私が振り返ってみて今ではそう整理している、ということである。


このときは、由希子に図星を言われた苛立ちからムキになっている自分がいた。

まるでこちらこそ子どもそのものだ。

だからこそ突然あんなことが由希子との間に衝動的に燃え上がったのだろう。まさに一時の情熱としか言いようがないような。


「どうだか。イソはさ、そういうとこ、ちょっとフツーのオタと違うよね。あたしのことストレートにエロいって言ってくれる。そういうの、あたしは好き。スノは言ってくれないの?」


話が妙な方向に転び始めたが、このときの私には、売り言葉に買い言葉だった。

「そりゃあ、もちろん言える。ユキはきれいだし、エロい」


「……もっと」

由希子が甘え声を出して私のすぐそばまで急に寄ってきた。

由希子の肉感的な肌、谷間、首筋が、手の届く場所に来た。思わず喉が鳴る。


「スノはロリ専じゃないなら、女の子の慰め方、分かるよね?」

由希子の手が私の手に重ねられた。


「敦は手が届かなくなっちゃった。敦は私を見てくれない。……もう、壊れそう……」

由希子はそのまま私に身を預けてきた。


私は男だ。何がなんだか分からなくなっていた。

ただ由希子の暖かさと重みに安堵を感じ、抑制し続けていた何かが瞬間的に噴き出した。


自然に腕を伸ばし由希子の背に手を回し抱き寄せていた。

人が人と肌で触れ合うことで安心を得られることには疑う余地もない。

私はテレパシーだの超常現象だのは何一つ信じないが、それでも男と女が肌を触れ合わせたとき、そこに嘘偽りのない想いの行き来が生まれることも本当だと思う。

この瞬間、私と由希子は刹那的に心を通わせていた。傷つき合った人間同士の傷のなめ合い。


「スノ……」

由希子がささやきながら顔を上げる。そのままキスをするまで時間はかからなかった。

お互いに腕を回して、ほとんど本能と言ってもいいぐらい無意識に、私は由希子を抱きしめていた。


この逢瀬は始まりも衝動的に突然だったが、終わりも突然訪れた。


「あーっ、ヤバい死んだあっ!」

ドア一つ隔てた向こうの部屋から突然大声が聞こえて来て、私と由希子は稲妻に打たれた。


どちらからでもなく慌てて身体を離してバッとドアを見る。

ドアは閉まったままだった。


「ゲームか……」

私は大きくため息をついた。

しばらく二人ともそのまま動けなかった。興奮と驚きで、心臓は大荒れだった。


視線を由希子に向ける。由希子は服を整えながら何とも言えない笑みを私に返した。

「神様に警告されたみたい」

私にも急速に冷静さが戻ってきた。無言でうなずく。


「でもありがとスノ。うれしかった。男の人にギュッてしてほしかった。もう少し頑張れる元気出た」


私は唇のひきつった笑い方になった。

「……敦を裏切ったようなもんだ」


「裏切ってなんかいない。敦はあたしのことなんか見てないもの。敦はもっと全然違うものを見てるんだよ。あたしはスノにいまキュッてされてとろけそうだった。あたしは人肌が恋しくてしょうがなくて、男の人に抱かれたかった。あたしが心を許してもいい人に。それはいま、スノだったの」


「深美にも顔向けができない。俺は……彼女の信頼を……」

「裏切ってなんていない。そんな言い方しないで。あたしは後悔してないのに。それに、あの子はもうイソを見てると思うよ。これは女の勘」


「まさか……」

思わずつぶやいてから私は隣室へのドアを見た。

いつの間にかゲームの音が止み、静かになっている。


由希子が、這ってドアの様子を見に行った。

薄くドアを開けてすぐに閉じると、言った。


「気になるでしょ?」

「べつに」

「あ、そう。でもイソが深美ちゃんに手を出してるって言ったら?」

「……なに?」

「気にならないんでしょ?」


「いくらなんでもそれはダメだ」

「どうして? あたし達だってイチャイチャしたじゃない」

「それとは違う」


「違わない。スノ。キミは深美ちゃんのなんなの?」

「…………」


「確かにスノはあの子の保護者みたいなもんだったのかもしれないよ、最初は。でも、あたし達の仲間にあの子が入ったときから、もう、違うんじゃないの? 女の子は成長するんだよ」


由希子がドアをまた細く開けて、身体をずらした。

「見て。どう考えるかはスノに任せるけど、あたしはこのままにしておきたい」


そう小声で言う由希子の横から、私はドアの向こうを覗き込んだ。

二人はソファに並んで腰掛けて、ゲームをしていたのだろう。そしていまさっきゲームオーバーになり、それからいつの間にか眠ったらしい。


コントローラーを放り出してだらしなくうとうとしている祐二に、同じようにコントローラーを放り出した深美がもたれかかって眠っていた。


私は目を見張った。ただ二人が身を寄せ合っているだけなら驚くにはあたらなかったが、二人の手はつなぎあわされていた。それも、深美の手のほうが祐二の手に重ねられていた。


気がつくとその真似でもするように、由希子が私の手に手を重ねていた。

由希子はささやいた。

「この人たちは、私たちがなくしたものをまだ持ってる気がするね。人間ってさ、いつの間に大切なものをなくしていくんだろう」


私はそれに答えられなかった。

一緒にゲームをしながら、祐二と深美は何を話したのだろう。

友達とも恋人とも分からないが、二人が心を許し合っていることは見ただけでもすぐ伝わってきた。

由希子との浅ましい慰め合いのことを思うと、自分が情けなくもあり、奇妙な嫉妬も覚えた。

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