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深美が彼女らしい質問をした。
「ねー、そこ、警察はいないの?」
「いない。警備は民間の警備会社がやっている。知ってるかい、警備会社は警察と違って、まともな武器を持ってはいけないんだ。装備が貧弱なんだよ。せいぜい警戒棒、つまり警棒しか持てない。そりゃあ肉弾戦なら確かに骨も折れる強さだけどね、相手が飛び道具を持っていたら何も出来やしない」
「でもさあ、そういうところの警備ってエキスパートなんじゃないの? うちの店のガードマンなんかさ、マルヤ崩れの人いるじゃん」
「そうでもないんだよ。俺は警備会社にいたこともあってね、原発関係の警備の配属も見たことあるけど、普通のヤツが選ばれてたよ。民間工場は特にね」
「ぼくが若月工場で顔見知りの警備員も、もうすぐ定年みたいなおじさんだったねぇ」
「そもそも日本は、放射性物質を扱う施設の警備なんてまともに考えちゃいないんだよ。原子力発電所は多少マシでも、民間の工場や施設には警備員しかいない。警備員なんて、警備業法でがんじがらめで何も出来やしないよ。機動隊みたいな盾だって許可されていないんだ。警備会社もそれが分かっているから、警備員には拳銃を見たら抵抗しないように教育していることが多い。へたに撃たれでもしたら補償が厄介だからね。よほど熱血漢の警備員でもなければ、ハジキを前にしたらまず抵抗はしない」
「ふうん。警備員ってもっと怖いのかと思ってたけど、そんなもんなんだ……」
「ただのサラリーマンだよ。それにね、日本ってどうしてか馴れ合うんだよね。警備員は基本的にそこの会社の人間と打ち解けて次第に身内意識が強くなって、警備がどんどん甘く杜撰になっていく。その会社と取引をしている人間も顔見知りになって、どんどん甘くなる。それだけ内部犯行が容易になる」
私は会話に割って入った。
「けどそれは、工場の敷地には簡単に入れるってだけだろ。入ってからどうする? 核燃料ってやっぱり、セキュリティが頑丈な倉庫とかに入っているんだろ?」
「確かに大部分の燃料は倉庫にある。でも倉庫は離れているし、スノの言うとおりそれなりにしっかり保管されてるから狙わないよ」
「じゃあ――?」
「狙うのは実際に処理されている最中の工程にあるウラン。週の頭には、だいたい数十キロの粉末ウランが、倉庫ではない場所に存在するんだよ」
敦は図面を広げた。
「若月工場の見取り図だ。この正門から堂々と入る。正面の建物が、受付や総務がある事務棟。そこを横目に見て左へ約百メートルで第二加工棟。この第二加工棟がポイントだ」
四人とも、図面を覗きこんで息を潜めていた。
敦が続ける。
「加工棟というのは特殊な建物でね。窓も何もない密閉された空間だ。生産に必要な分のウランが倉庫からこの建物に移されている。この、数日分の工程のウラン、これがターゲットだ。二酸化ウランというウランの粉末が、容器に入って工場内に置かれている。なんというかな、宇宙ロケットの帰還カプセルみたいな形をしてる」
「アポロチョコ?」
「そうだよ。そもそもアポロチョコの形は、あのカプセルをモデルにしているからアポロチョコって言うんだ。ウランの容器はちょうど人が抱えられるぐらいの大きさで、そんな形をしてる」
「でも、そういう容器ならカギがかかってたりするんじゃないの?」
「カギ? ないよ」
これは祐二。
「開けてるところも見たことあるよ。キャップがついてるだけだったね。その容器が、定められた一定間隔で置かれてるんだ。床にビニールテープで枠線が描いてあってね、その枠の場所に置いてある。それ以上お互いに近付きすぎないように場所が決まっているんだって」
「近づけると、バクハツする?」
「爆発は可能性が低いがな。危険はあるってことで離されている。燃料棒として完成してないから、剥き出しなんだ。もちろん、完成した燃料棒だって間隔を決めて保管されるんだけど、とにかく、工程に入ってしまうとそんな二重三重のロックなんてものはない」
「この第二加工棟っていう建物はどのぐらい広い?」
「ん。小さい建物とは言えないな。どの加工棟も、だいたい100メートル四方はある。天井も高い。4メートルの高さがある燃料棒の上に、その燃料棒を吊り下げるクレーンがあるんだから、7、8メートル」
「そんなところにさ、どうやって入るのさ」
「僕が知ってる。第二加工棟に入るとすぐ受付があって警備員がいる。でも警備員って言っても、事実上、カギの保管係だね。何回か見たけど普通のおっさん警備員だった」
「その警備員は、ナイフがあれば問題ないだろう」
「――と思うよ。それで、警備員室を抜けると、除染室っていう部屋に入る。ここで専用の白衣に着替えるようになってて、ハンドフットモニタを通過する」
「じょせんしつ? モニタ?」
「汚染を除くって書く部屋だ。ハンドフットモニタというのは、放射能が身体に残ってないかどうかをチェックする機械。とは言っても、放射能が残ってたら警報が鳴るだけで、勝手にゲートが開じて閉鎖されるとかそういうようなものではない。まあ、この辺の話はすべてイソからの受け売りだがね」
「そして僕の情報は、現場の工員との雑談の受け売りなわけだが」
祐二が丸くまとめたので、深美以外が笑った。深美は何がおかしいのかわからなかったようだ。
「除染室からさらに実際の作業場への入場には、IDカードが必要になる。しかしそれは、入退場の履歴を残すためのものに過ぎない。派遣で個人情報のチェックがやたら厳しい会社に入ったことがあるけど、ああいうところに比べたらザルもいいとこだな。原子力関連でも民間はたいしたことない」
「僕が補足するよ。実際に見た人間だし。あのね、IDカードの装置はあるんだけど、IDカードがなくても開けられるスイッチが横にあるんだ。非常ベルみたいにガラス割って押すボタン。それ押すとドアが手動になるって書いてあった」
「なんで? それって、IDカードの意味ない」
「僕もそう思ってさ、工員に訊いてみたことあるんだよ。そしたらね、すごい皮肉なんだけど、非常時のためにね、逃げ道を作ってあるんだってさ」
「あ、そっか。爆発起きたら、IDカードどころじゃないもんね」
「放射能の害から逃れるのにいちばん有効なのは、とにかく一刻も早く離れることなんだよ。重大事故だと、一秒の違いが本当に生死を分けかねない。IDカードなんて、机に置くこともあるだろうし、慌てたら床に落とすかもしれない。そう考えたら、非常装置を作るのは、万が一のときの工員の安全のためだろう」
「それを逆手にとるなんて、結構卑怯じゃない? 悪の香りね」
「ふふ。まあ、この問題の本質は、非常装置の存在じゃないな。そこまでの侵入を許してしまう時点でおしまいなんだ。友善の工場や会社レベルでどうこうではない。個々の会社や工場や警備員を責めるのは酷ってもんだな。日本の核施設に共通していることはね、放射能汚染を外に出さないこと、それに異常なほど気を遣うくせに、外からの侵入と、放射性物質そのものの持ち出しには、逆に異常なほどルーズということなんだ」
「そういえば何年か前、コバルトなんとかっていう放射線源が盗まれたってニュースに出てなかった?」
「あったなぁ」
「川に放射線源が捨てられてたなんてのも」
「まあ、いくら根っこが深いところにあると言ったって、どうせマスメディアは工場や会社を糾弾して終わりだろうがね。メディアというのはそういうものなんだよ。攻撃しにくいものは攻撃しない。攻撃対象とはっきり姿が見えるものしか攻撃出来ない。自分達が攻撃しているってことをはっきり見せられないと大衆を味方につけられないからね。歪んだ正義の味方なんだ」
敦は吐き捨てるように言った。
私は敦のその言葉をうなずきながら聞いていた。
仮に私の事件が明るみに出ていたら、いったい誰が本質的な問題を報道してくれただろうか。
教師と生徒のいかがわしい関係、というような観点がクローズアップされ独り歩きしていたのではないだろうか。
そう考えると、ふつふつと苛立ちのようなものが湧いた。
私は自分でも穏やかな性格だと自覚しているが、それでも自分の中に隠れていた衝動的な何かが胃の底の辺りからどろどろせり上がってくるような、そんな感じがした。
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