敦が先頭に立ち、私と祐二がコンテナを持って続き、いよいよ工場内に踏み出した。


そこは工場そのものだった。

建物の外見からは想像出来なかったほど大きな空間が広がっていた。奥行きも天井も左右の幅も、驚くほど広く、一目で見渡すのはとても不可能だということがすぐに分かった。

リノリウムのような緑の床が左右に続き、複雑に入り組んだ配管と機械が立ち並んでいた。


正面には、三階建てほどの大きさはありそうな機械が何台か立ち並んでいた。

いったい何に使われるもので、どのような役割のあるものか、見当もつかなかった。


私はこの光景を見るのはまったく初めてだったので、やや圧倒された。

広さを目の当たりにして、かすかな不安がまたよぎった。

本当にこんな広さの、得体のしれない機械だらけの場所を支配下に置くことが出来るのだろうか。


「スノ。結構立派なもんだろ?」

と敦。呆けていた私はその声にはっと我に返る。

「あ、ああ、悪い。ちょっとびっくりしてた」

「心配するな。段取り通りやればまず大丈夫。ここからは集中していくからな」

「ああ、分かってる。もう大丈夫」


「あれを」

敦が指差す。


二階ほどの高さに当たる場所に、金属がむき出しになった、工事現場さながらの足場が張り巡らされていた。

機械のいくつかは、アクリルかガラスかはよく分からないが透明の囲いですっぽり覆われ、そこに、内側に飛び出す形で手袋が据え付けられていた。


まさにスパイ映画で細菌兵器などを扱っているシーンで見た、直接対象に触れないための仕組みそのものだ。手袋が茶色っぽく薄汚れているところが、どことなく空恐ろしく感じられた。


ウランを何か処理するときは、こうやって気密化された工場内でもさらに気密化された箱に手を入れて、箱内で行うようになっているのだ。


二階相当の足場の先に、窓のある小部屋があった。どうやらそこが管理室のようだった。


管理室にはちらちら白い影が見えていたが、それもやっと帽子が機材の陰から見えているだけで、顔や姿までは伺い知ることができなかった。


つまりそれは、こちらにも当てはまることだった。私達も帽子を目深にかぶり、白の作業服をまとっているのだから、遠目では侵入者であることを識別することは不可能だ。


そしてぱっと見渡した限り、管理室の他には工員は見当たらなかった。

敦や祐二が言っていたように、本当に数人の工員しかいないのだ。

そのなかでただ機械が何かの工程を続けているごうごうという音と、床から伝わってくる振動だけが不気味に感じられるばかりだ。


長い時間が経ったように思えた。始めて見る核燃料工場の場内に呆然とし、それがよく観察すれば見た目はごく普通の工場と同じであることを認識し、次に周囲に本当に誰もいないのだということを実感する間、口は金魚さながらぱこっと空いていた。


「スノ」

敦が私の肩を軽く叩いた。

「生きてるか」


「……もちろん。ちょっと呆れてた」

「無理もないよ」

祐二が同意する。

「なんか、人間ってすごいよね。機械の仕組みでなんでもやれるんだもの」


「人が少ないのはそれが裏目に出ているんだな。よし、本丸に行こう」

私が言うと、敦はニヤリ笑う。

「そうこないと。じゃあ、燃料容器へ行くぞ」



私達は右手に進んだ。


管理室は視線の左上のほうにずっと見えていたが、警報が鳴ることもなければ、誰かが動きを見せることもなかった。


なんの阻害もなく燃料容器の前に着いた。

誰か工員がいた場合の行動パターン等、いろいろな状況を想定して、事前の打ち合わせをしてきていたが、それらは不要だった。

燃料容器の前にも、誰もいない。


燃料容器は、敦から聞かされていたように、アポロなになに号の帰還カプセルのような逆すり鉢状の形、円錐型をしている。


腰の高さほどまで金属の脚があり、その上にそのカプセルが乗っていて、容器の先端には小さな蓋がついていた。宇宙戦争の火星人の機械を思わせる。カプセルは、一メートルほどの等間隔で、四個並んでいた。


私は、運んでいたコンテナから、大きな袋を引き出した。サンタクロースが持っていそうな、白く大きな袋。

その袋に、同じくコンテナから出した、五十センチ角程度の木箱を入れた。


「袋は準備出来たよ。蓋、開けるのかい?」

「おう。絶対、吸うなよ。眼も気を付けろ」


「了解」

うなずいてはみせたものの、戦慄した。

写真では見たことがあるとはいえ、実際にこの容器の中に何キロかのウランがあり、放射線を出しているのかと思うと、蓋を開けるには自然に腰が引けてくる。


何より、ずぶの素人集団がなんの誰何もなくここまでたどりつけてしまった、そのことが一層非現実感を高めていて、何とも言えない思いでまた胸やら胃やらがきしんだ。


容器のキャップを外し、蝶番になっている上蓋を開くと、二酸化ウランの粉末を扱うトレーが置かれていた。


卵焼きを作るトレーのような形と大きさをしていた。トレーには茶色の粉末。


「これがウラン……?」

隣では少しは予備知識があったはずの祐二も息を呑んでいた。


目の前という無距離で実物を見るのはどんな経験とも違う。

昔の人は偉い。百聞は一見にしかず。

どんなにインターネットだデジタルだと世の中が変わっても、そういう根本的なことはこれからもずっと変わらないのではないだろうか。


敦が、噛みしめるように言った。

「早く、袋を」


私は我に返り、袋を持ち上げて容器のすぐ横で作業をした。

作業はあっという間のものだった。


用を済ませると、袋を手に持ったまま、すぐに容器のそばを離れた。ここまで順調に予定通りに来て、そして二酸化ウラン粉末が視界から消えたことで、いい意味で緊張感がとれた。


いまだに誰も私達のことを咎めには来なかった。

どうしても私は地に足がついていないような非現実感を味わいながら行動していた。

工場の機械は動き続けているのに、それを動かしているはずの人間達はいったいどこへいるのか。


おかしな行動をしている三人がいるというのに、誰もなぜ気付かないのか。

実はすでに通報されていて、いままさに警察が工場を包囲しようとしている頃なのではないか。知らぬは自分たちばかりで。

そんな疑心暗鬼にまでとらわれかけたが、ちらり見ても敦は冷静な表情を崩していない。


敦は工場に入ってからここまでずっと落ち着いていて、いつもの敦だ。そんな敦を見ていると少し救われた。

祐二は引きつった感じの顔をしているが、勝手を知っている工場内にいるためだろうか、おそらく私よりは余裕があったようだ。


敦に続いて祐二、私の順で鉄階段をカンカン上がり、管理室のドア前に出た。

祐二がコンテナを下ろし、必要なものを取り出した。私は下げていた白い袋を、コンテナの空いたスペースに戻す。


「ここをクリア出来れば、ほとんど決まりだろう」

「うん」

「いいな、はったりかましていくぞ」

「オーケー!」

祐二が軽快に言う。

私は喉が渇いて声を出せずに、代わりにうなずいた。


管理室のドアは、乱暴に開け放たれた。

敦を先頭に三人で中に押し入り、私は最後に素早くドアを閉める。


管理室は横長の部屋で、場内の工程を見渡せるように、正面が大きなガラス張りになっていた。

SF映画に出てきそうな、据え付け型の大型コンピュータが、壁面に沿って二台並んでいた。その他に、小型のモニターとコンソールがガラスの下に一面に並ぶ。


室内にいた人間は、たった二人だった。

一人はコンピュータのパネルに向かい、もう一人は壁面の計器を見ていた。

二人は音にびっくりしたらしくこちらを向いたが、私達の姿を認めると、すぐに自分の作業に戻ろうとした。

私達が彼らと同じ作業服に身を包んでいたために、同僚がやってきたと思ったのだろう。


ほんの一瞬だが、確かに時間が停止したように感じた。

呪縛を破ったのは、やはり敦だった。


「動くな!」

驚くほど強く大きな声で怒鳴ると、手にした大型のサバイバルナイフを前に突き出した。コンテナから取り出したものだ。


「そのまま両手を壁につけて立て!」

敦が声を張り上げている間、私と祐二はというと、コンテナから取り出したモデルガンと出刃包丁をそれぞれ構えながら、祐二は男達を、私はガラス越しにドアの外の様子を、それぞれ注意深く見張っていた。


敦の計画は大胆不敵だった。ナイフと包丁が一本ずつ、そしてモデルガン一つで、工場を丸ごと占拠しようというのだ。

抜き身のナイフと包丁をちらつかせることで、工員達の注意はそこに集中する。

特に包丁は効果があるだろうと敦は予測していて、刃物によって動揺すれば、モデルガンと本物の銃の区別も付けにくくなり脅しの効果は増す、というのが考えだった。


ここに来るまで私はその楽観には半信半疑だったのだが、いざこの場に立つと、なるほど持っている自分でさえも、モデルガンとは思えなくなってきた。

ドラマや映画でよく見るように両手でしっかり構えて銃口を工員達に向けると、銃から魔力が身体に流れてきた。


突然入ってきた白衣に帽子という同僚達が突然怒鳴り、刃物と銃を向けて来たのだ。

工員二人の思考を止めるには十分だったようだ。


「な、なんだ……?」

おそらく、私達が部外者であることさえまだ気付いていない。

二人とも困惑した様子で立ち尽くしている。


敦はナイフを突き出したまま一歩踏み出した。

今度は前よりも声が沈んでいた。

「動くな。さっさと手を挙げろ……死ぬぞ」


やっと工員の一人が、私達が仲間の工員ではないことに気付いたらしく、震える声を上げた。

「だ、誰だお前達?」

「誰でもいい。死ぬか、手を挙げるか」


さらに敦が踏み出すと、男はおずおずと手を顔の前まで挙げた。

それを横目で見てもう一人も手を挙げる。

「なんだ、君達、どこから……」


敦はそれを無視した。

「後ろを向いて壁に手をつけろ!」

「……わ、分かった」


まだ二人の工員は事情を呑み込んでいない様子だったが、それでも、従うほうが賢明だという判断はしたようだ。

のろのろ動いて壁に手をつき、こちらに背を向けた。


「これは訓練ではない。第二加工棟は占領した。我々はすでに、保存容器から二酸化ウランを抜き取っている。ウランは同志の手によって外部に運び出されるだろう。我々の目的は、二酸化ウランの無差別散布だ」

分かっていた私でさえ、敦の独特の深い声でその言葉を聞くと、鳥肌が立った。


「……」

工員達は無言だった。おそらく敦の言葉が意味としては理解出来ても、実感としてピンと来なかったのだろう。


「我々には要求がある。要求がかなえば散布はしない。したがって、邪魔だてせず、おとなしく指示に従っていただきたい」

「で、でまかせだ。ウランを持ち出せるはずがない。だいたい、警備員がいるんだぞ」

「警備員は寝てるよ。そうでなければ我々がここにいるはずがないだろう? 我々は外から来たんだ」


うってかわって、噛んで含めるような口調で敦は続ける。

「もう一度言うが、指示にしたがっていただきたい。まず、お前達がこれから誘導して、第二加工棟場内の工員をすべて退去させろ」

「退去……? そんなことが出来るはずがない!」

「出来るさ。これから我々が、場内放送を使用して工員すべてに話を伝える。お前達は第二加工棟の工員達を全員集め、事務棟に行くだけでいい。簡単なことだ」


「持ち場を離れるわけにはいかない。ラインは動いているんだ、監視する人間がいなくなったら、たいへんなことになる……」


「調べていないと思っているのか? 今日の工程は、止めたところで事故につながるようなことはない。停電でも支障がない工程だろ」

「…………わ、私達の一存ではそんなことは決められないんだ!」

「まだそんなことを言っているのか? お前達は、建物から退去すればそれでいい。上の許可なら今からこっちでとるんでね」


敦は、手だけでこちらに合図を送ってきた。

その合図を見て祐二が壁の電話機をとり、慣れた手つきでボタンを操作した。

すると、天井のほうのスピーカーから、騒々しいノイズが発せられた。


「場内にいるすべての工員達に連絡する」

祐二が受話器に向かって話したその声が、スピーカーから割れて聞こえてきた。制御室だけでなく、部屋の外でも同じ声が響いていた。

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