入り口のドアをくぐるとロビーになっていた。


リノリウム風の床を蛍光灯が照らしていて、右手に更衣室と便所、左手は休憩室。

静かで、まるで病人がいない病院のロビーだ。

工場というからにはもっと騒々しいものを予想していただけに意外だった。


正面には鍵の管理をしている受付があり、初老の警備員がテレビを見ていた。


辺りに他の工員の姿はない。シフトが入れ替わったばかりで、ほとんどの工員が持ち場についている時間帯だろうと予想を立てていたとおりだった。


敦と祐二はためらう様子もなくまっすぐに受付に向かった。


私は更衣室や休憩室にも視線を飛ばして、確かに誰もいないことを逐一把握しながら、少し遅れて二人に続く。


受付は対面のカウンターでガラス窓で仕切られており、警備員とはカウンター越しに会話をするようになっている。


警備員の後ろの壁には、鍵やカードが何枚か見えた。

祐二は心得た様子で台車ごとカウンターに向かい、発電器を床に置いた。敦がカウンターに入る横手のドアにぴったりと身を寄せる。


私は引き続き二人からやや離れて、他の場所に気を配っていた。侵入が成功するまでの段取りと役割分担は、幾つものパターンに応じて想定して組まれていて、これは最も順調なパターンだった。


テレビを見ていた警備員は、近付いてくる気配に気付いたようで、顔を上げた。


「こんにちは、クボキです」

祐二が、帽子を取って挨拶する。


「総務のほうから聞いてますかねー? リコール交換頼まれて来たんですけど……」

「ああ、そうですか。はいはい。……えっと、管理区域は入るのかな?」

「いえ、本体は配電盤の裏にあるんで、そこの更衣室からやります。除染室にも入りません。図面出しましょうか? これです」


と、祐二はしゃがんでコンテナに手を入れた。

自然、警備員はガラス窓越しに身を乗り出して、その様子を覗き込もうとする。


そのタイミングを見計らって、隠れていた敦が動き、ドアを開けサッと受付に入った。

あっという間に警備員に身を寄せ、ナイフを首に押しつける。祐二に注意を向けていた警備員には抵抗する間もない。


そして、しゃがんだ祐二がコンテナから取り出したものは図面などではなく、黒く光るピストルだった。

首にナイフの刃を当てられ、銃口まで向けられれば、誰でも思考が停止するもの。警備員は身動き一つしない。


敦は、警備員の腰から警戒棒を抜き取って、ドアの向こうに放り投げた。

転がったそれを私が回収する。


「クボキさん、なんの冗談です?」

警備員がやっと言った。声が乾いていた。


祐二は答えない。代わりに敦が言う。

「両手を壁につけて背中を向けろ。おとなしくすれば何もしない。余計なことをすれば殺す」

深く低い声をしているだけに、敦が言うと凄味がある。


警備員はおとなしく壁を向き手をついた。

「ガムテープを」

私が動いた。

受付に入り、ガムテープを警備員の口に巻く。


おそらく、この事件で私達から肉体的な被害を最も被ったのは、この初老の警備員だ。

剥がしたときにはさぞ痛かっただろう。

ついで私はロープをコンテナから出して敦に渡した。

敦はそれで瞬く間に警備員の手と足を縛り、受付内の床に転がした。


そうするとカウンターの内側になるため、ちょっと廊下を通りすがったぐらいでは、まさか床に警備員が寝ているとは気付かない。


「しばらくそうしていろ」

これで警備員の始末はついた。私達の手際がよかったのか、警備員に冷静な行動をさせる隙も与えず、あっけないものだった。


受付の壁にぶらさげてある鍵とカードを片っ端からかっさらい、私達は先に進んだ。


受付のすぐ横のドアを入ると、そこは入り口のような場所で、靴を脱いで一段高い床に上がるようになっていた。


片側の壁に寄せて靴箱があり、外履きと上履きが混在しながらも整然と並んでいた。いよいよ病院のようだった。


「ここからは、僕が案内する番だね」

祐二がそのまま土足で進んで、正面の引き戸を開けた。


「更衣室だ。奥が除染室。除染室の向こうは、いよいよ放射線管理区域、もう場内だよ」


更衣室には誰もいなかった。きれいな白い防護服がたたんで棚に積まれていて、マスクに帽子と、必要なものはすべて揃っていた。


「人が来ないうちに着替えよう」


私達の着替えは簡単なものだった。

着ている作業服はそのままで、上から白衣の防護服を重ね着しただけ。


作業服の帽子は脱ぎ防護服のものに入れ替え。今までの帽子は洗濯かごとおぼしいコンテナに入れた。

「洗濯してもらおう」

「どうかな、放射性廃棄物で処分されるのかもしれないぜ。それならそれで好都合だけど」


こうして私達はあっという間に上から下まですっかり白衣に身を包んだ。

少し着膨れしているとはいえ、帽子、マスク、防塵ゴーグルもあり、遠目にはまず工員と見分けがつかない。これで行動の自由が大きく広がった。


祐二は、除染室に続くドアの前に立った。

このドアはロックされた引き戸になっていて、ドアの脇に、セキュリティカードを通すスリットがあった。

「普段はIDカードでここを開ける。それで、出入りした人間の履歴が残るようになっている」


それを受付で奪ったのだろうと私は思った。ところが、祐二はカードを持たずにドア脇にしゃがみ込んだ。そこに黄色いボタンがあった。


「カードで開くの試すなんて面倒でしょ。このボタンを押すと、セキュリティが解除される」


目を凝らすと、なるほどボタンの横に張り紙がある。電車のドア脇にある非常用ドアコックのようなものだ。


祐二はボタンを押した。

何か音がするかと思っていたが、なんの音もしなかった。


敦がドアに手をかけ引くと、ふわっと吸い込まれるような風が起き、妙に無機的な感じがする部屋への道が開いた。


すうすう風を感じながら除染室へ入った。

どうもこの部屋のドアが開いてからというもの、耳鳴りを感じていた。首を傾げ耳をほじっていると、敦が言った。


「減圧されているんだ。風は気圧の高いところから低いところに吹くから、この部屋の気圧を下げておけば、風がいつも内側に向かって吹いて、放射性物質の粉塵が外に出にくくなる」

「へぇ……」


除染室といっても、レントゲンのような奇妙な機械が二台置いてあるだけで、あとは他の部屋と特に変わりはないように見えた。

そういえば匂いさえもどことなく病院のようだった。


部屋の入り口は音があまりなく静かだったが、部屋の奥のほう、黄色と黒の放射線マークが大きく描かれたドアのほうからは、ごうごうと大きなうなりが聞こえてきた。

人の少なさに錯覚を感じそうになるが、この工場は稼働しているのだ。


二台の機械は部屋の中央付近に部屋の幅いっぱいに並べて置かれており、機械の前を通らずには移動が出来ないようになっていた。

踏み台と等身大の柱が一体になっており、ちょうど腰のあたりに手を置く台もあった。


私達が前を通過しただけでは何も反応は示さなかった。

「007で、こういうの見たような気がする」

「これが、ホールボディカウンタとハンドフットモニタだ。工場から外に出るには、ここで身体や衣服に放射能が残留していないか検査する」


「しっかし、見事に誰もいないな」

「いいのかな、こんなすんなり進めて」

「こんなものだよ、現実は。映画のほうがよっぽどドラマチックさ」


放射線管理区域への境界を示す異様な雰囲気のドアの前で、私達は顔を見合わせた。


「ドアの向こうはすぐに生成工程のラインだ。中二階構造になっていて、一階と二階の間にハッキリした床はない。入ってすぐ右、二十メートルぐらいで、二階への鉄階段がある。そこを上ると管理室に出る。だがそこに行く前に、何気ない顔で階段を下りる。半地下になっているところに、粉末ウランの燃料容器があるからだ」


「そこに立ち寄ってから、管理室だね」

「ああ。燃料容器には、一週間分のウランがすでに運ばれている。トータルで数十キロになっているはずだ」


敦はそこでいったん言葉を切って、あらためて声色を変えて言った。

「いいな、絶対に吸うなよ。ウランの放射線はアルファ線だから、防護服ですぐに遮蔽される。だけど、呼吸器から体内に入ったら終わりだぞ。直接内臓に来るから、どんなひばくになることやら」

「うん、そういう恐怖が狙いの一つなんだもの、ミイラ取りがミイラにならないように、だね。気を付けるよ」

「くれぐれも、な。……よし、じゃあ開けよう」

敦は、ドアを横に引いた。


ドアが開くと、当然ながら、ごうごうという音が大きくなった。また弱い風が起こり、空気が工場内に流れていくのが分かる。こちら側に空気が流れてくることがないのだ。

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