第六章「決行について」

第六章「決行について」 1

翌朝八時過ぎ。

私達が乗ったハイエースは若月町を再び走っていた。


高いビルは一つもなく、ぽつぽつと民家が建ち、その合間にぼうぼうの雑木林があった。

ときどき、ドライブイン風のラーメン屋やガソリンスタンドを横目に通り過ぎていく。なんの変哲もない郊外の風景だ。


今日は、運転席に祐二が座っていた。補助席には敦。私が助手席で、皆、作業服に身を包んでいることは昨晩から変わらない。


「明るくなってから見るとさ、ほんと田舎だね、ここ。駅前過ぎるとなんもなくて、のんびりしてて」

「それが、あと小一時間もすれば、日本一有名な町になる。今のうちさ、静かなのは。あとどのぐらいだろうイソ?」

「この車の流れなら、あと十分ぐらいかな。次の交差点を折れると、すぐだよ」


私は、ごくりと唾を飲み下した。覚悟は決めてきたつもりだったが、いざその瞬間が迫ると、やはり落ち着かなくなってきた。手が震えていた。心臓がドンドン鳴っていて、作業帽を目深に被り大きく深呼吸した。早く身体を動かしたくてたまらない、うずうずした感じだった。


「青。出すよ」

祐二が言った。

ハイエースはローギアでゆっくり発進した。

右折レーンに入ると、対向車を待つために再び止まる。


私は、対向車の数を数えながら貧乏ゆすりをしていた。いらいらしてたまらなかった。

ついさっきまでたいした交通量もなかったというのに、いざとなると車が途切れなかった。対向車は八台だったことを今でも覚えている。


対向車が途切れると、祐二がやっとハンドルをきった。

国道よりやや狭い県道に入り、視界にすぐ白い建物が飛びこんできた。

それほど高い建物というわけではないが、この辺りの建築物のなかでは頭一つ背が高く特徴的だった。

「到着だ」


ハイエースは、友善元素株式会社の正面ゲートに静かに滑り込んだ。

ゲートは半分ほど閉じられていて、車が一台入れる幅だけ開いていた。そこを抜けるためには、ゲートに直結している守衛所の前を通ることになる。


祐二は守衛所の前でハイエースを停車させた。

「喋るのはイソだ。俺達は何も言わない」

敦が言い、私達は黙ってうなずいた。


祐二は、ギアをニュートラルに入れ、サイドブレーキを引いた。それからレバーをぐるぐる回し、運転席の窓を開けた。


守衛所の窓に、初老の守衛が顔を見せた。


私は帽子を目深に被ったまま、受付の反対側、つまり助手席の外にじっと視線を向けていた。

そうしながらも耳と意識は、祐二と守衛のやりとりに集中していた。


「おはようございます」

祐二が元気な声を出した。


「おはようございます。クボキさん、今日は?」

「連絡来てますかね、ちょっと不具合があって、プラグ点検と、メーターも交換しちゃうと思います」


「連絡は……来てないけど行き違いかな。じゃあ八時半からで、このバインダーに全員分名前書いて……」

「はいはい……はい、書きましたよ」


「じゃ、これゲストの名札ね。こっちに連絡来てないから、まず総務に顔出してね」

「はい」


つつがなく中に入れそうだ。何一つ荷物を見られることもない。ここまでは順調。


「磯崎さんまだいたんだねえ。この間、辞めたって聞いたけど」

ぴくっと敦の肩が震えたのが分かった。


そっと顔をそちらに向けた。車の外に守衛の顔がちらりと見えたが、にこやかな顔で、疑っている様子ではない。向こうは知り合いへのただの世間話のつもりだったのだろう。


「やだな、辞めてないっすよ」

祐二が答えた。

少しその声が上ずっているのが私にも分かった。


「チームが変わったんですよ。佐竹チーム辞めて、友善さんは来ないことになったから、そのことじゃないですかね?」

「なんだ、そう。じゃあ今日は古巣に?」


「ええ、ちょっとこれはね、デカいらしくて総出なんですよ。僕も昨日いきなり言われて、おいおいまた友善行くのかよって」

祐二と警備員が声を合わせて笑った。


「総務は、入って突き当たり右でしたよね?」

「ええ、はい」

「……じゃ、どうも!」


祐二はそう言ってギアに手を伸ばしたが、まるで見当違いの場所を探り出し、なかなかギアに届かない。見ている私にも祐二の焦りが空気を通して伝わってきた。


敦の手がすっと動いて、祐二の腕を引っ張ってギアに乗せた。さまよっていた祐二の手がギアをしっかりと握る。

ギアが一速に入ると、ハイエースはノッキングすることもなく静かに動き出した。祐二は徐行のまま工場の敷地内に車を進めた。


レバーをぐるぐる回し窓が閉まると、敦が強い声で言った。

「イソ、よくやった」


「バカ言わないでよ、ちっともよくなかった。めっちゃドキドキしたって。ギア見付かんなくて、手ぇうろうろしてたもん。あせったよマジ。ナビってくれて助かったよ、敦」

「どういたしまして。とにかくここまではうまくいったさ」


「俺、正直、今の今まで半信半疑だったよ。ホントにそんな簡単に入れるもんかなって。入れるもんだねえ」

私は率直な感想として言った。

自分が核燃料工場の敷地内にすでに入っているという実感は、まったく湧かなかった。


「経験者の言うことは信じるもんだって」

祐二は、ちょっと得意げに言う。

「厳しいのは原発ぐらいだよ。ここなんて、荷物チェックの一つもしやしないもんね」

「ほら、まだ雑談には早い。これからが肝心なんだから、気を抜くなよ」

私も祐二も黙り込んだ。敦が冷静に言うとおり、ここからが本番だった。

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