01-②
「ひぃぃぃぃーーー?!」
『ニャニャニャニャニャ……やっぱり、可愛い猫ちゃんが可哀そうに鳴いていれば、手を伸ばしてあげちゃうのが男だよな、ボウズ』
「喋った?!」
「自分で可愛いとか言っちゃうんだ」
『ゴラァ!! このオレに猫撫で声出せるなんて……! くっ、猫生一生の恥だ!』
「だ、誰……?」
「そうだそうだ、【読み手】同士の決闘は先ず初めに名乗るのが礼儀だ」
『礼儀とか躾とか、【戦い】の前では腹の足しにもならねぇぞ。それより、オレはカリカリの方が良い。よっこいしょ』
「……猫? 喋って、立って、なんだかオヤジ臭い」
『ダンディと言え! ダンディと!』
粉々に砕け散った磨り硝子が玄関に散乱し、きっちと並べていた蔵人の靴に大きな破片が突き刺さっていた。
着ていたコートの生地が丈夫だったお陰で、読人は破片を被っても大きな怪我はなかったが現状を全く理解していない……でも猫はいた。
黒と白のハチワレの猫が、年寄り臭い仕草で手に持っていた長靴を履いて二足歩行をしていた。しかも喋っていた。
無駄にオヤジ臭いし(本人?弁では、ダンディらしい)、挙句の果てには煙草を喫い始めた……あ、マタタビの臭い。これ煙草じゃない、マタタビスティックだ。
猫にばかり視線が向いてしまうが、猫の隣にいた青年だって目を引く容姿をしている。
白い肌によく映えるプラチナブロンドにミントグリーンの瞳は、明らかに日本人ではない。日本語は話しているけれど、その大げさな身振り手振りはどう見てもアメリカやヨーロッパ諸国の住人だった。
色々と理解しがたい単語が飛び交っているが、どうやら向こうは名乗ってくれるらしい。そりゃどうも。
自分だけが置いてけぼりにされて何も解らない現状だったが、読人は妙に理性的だった。
「僕は、リオン・D・ディーン。生まれは愛と芸術の都・パリ。手にする【本】は『長靴を履いた猫』」
「『長靴を履いた猫』……あ、履いてる!」
「そして、僕のパートナーである賢く愛らしい長靴を履いた猫・シュバリエだ」
『悪いなボウズ。玄関を壊しちまって……だが、弁償はできねぇぜ』
「渡してもらおうか。美しい姫の宿る【本】を……前回の【戦い】の優勝者、黒文字蔵人!」
「??」
有名な童話の主人公がそのまま抜け出て来たかのような、騎士の名を持つ長靴を履いた猫・シュバリエに、祖父の名前を口にした彼――リオン。
彼の狙いはこの本なのか?
ガラスの破片から守るために、咄嗟に胸にギュっと抱き締めた『竹取物語』が?
この本は遠いフランスから日本に乗り込んで来るほど、他人の家の玄関を大破させるほど価値のある物だと言うのか?
が、一つ訂正しておく必要がある。
「黒文字蔵人は、先日亡くなりました」
「……え? じゃあ、君は誰?」
『アホかてめぇ! このボウズが50年前の【戦い】の参加者な訳ねぇだろうが! ちっとは頭を使え頭を!』
「ちょ、ちょっと間違えただけだろう! 猫に頭を使えって言われたくない!」
『んだとゴラァ!』
『最初は怖いと思ったけど……いや、そうでもない』
今なら逃げ出せる気がする。
駅前の交番に逃げ込んで助けを求めよう。猫が喋って二足歩行して、しかも長靴を履いていると言う非現実的なことも起きているけれど、今の読人の中には「警察に駆け込む」と言う選択肢しか浮かばなかった。
リオンとシュバリエがギャーギャーニャーニャー言い争っているその隙に、読人は『竹取物語』の本だけを抱えて逃げ出したのだ。
「っ! 逃げた!」
『追うぞリオン。優勝賞品を易々と逃がすんじゃねぇ!』
「だから! サッパリ話が分からないんだけど! 何だよ、優勝賞品って」
庭に停めた自転車の存在も忘れて必死に走る。
今は走るしかない。蔵人の家の周辺は都心に通勤する者たちのベットタウンで、平日の昼間は空き巣の注意報が出るほど人通りがない。大声で助けを求めるよりは、その分の酸素を肺に回して脚を動かせ。
後ろを振り返る労力も使わないとしていたのに、一瞬だけでも気になって振り返ってしまったのが運の尽き。目を疑う光景を見てしまったのである。
あの先の十字路に刺さっているような道路標識……あれぐらい巨大な槍を手に、西洋の騎士の鎧を着込んだ鬼――デモンが、読人の脚を狙って、投げ槍の如くコンクリートの地面に槍を突き刺した。
読人に命中はしなかったが、抉れたコンクリートの破片が飛んで、バランスを崩した身体はゴロゴロと道路に転がった。
「ひぃぃぃぃーーー?!」
『また同じ悲鳴か……泣き叫んでばかりじゃ、男は上がらねぇぜボウズ』
「『その城には、姿を変える魔法を操り、領民たちを支配している恐ろしいデモンが住んでいました』――創造能力・
「っ、『長靴を履いた猫』に登場する……城に住む、どんな姿にでもなれる魔法使いの鬼?」
「正解。僕が好きな物語を知っていたんだね。Merci」
でも最後には、長靴を履いた猫に唆されて鼠に変身してしまい食べられてしまう鬼である。この鬼は全然そんなマヌケな気配はない。
鬼の肩に乗るシュバリエも両手に爪を伸ばし、冬場の微かな太陽光でも十分に鋭く光っている。
シュバリエに鬼に、彼らは全部『長靴を履いた猫』に登場するキャラクターたちだ。そして、リオンの手には『竹取物語』と全く同じ装丁の本がある……白くて綺麗なその本。
違うところと言えば、タイトルが『長靴を履いた猫』である点と淡く光っている点。そして、裏表紙には黒い紋章のようなシルエットが描かれている。袋を担いで長靴を履いた猫のシルエットが、その本の物語を象徴するかのように白い裏表紙に刻まれているのだ。
「一体、一体なんだ!? 何でおじいちゃんの名前を知っている……それに、この本が何だって言うんだ!?」
「君は黒文字蔵人の孫か。【本】を持っているのに、何も知らなかったのか。なら、教えてあげよう。君は【読み手】ではないようだしね」
「【読み手】……?」
「今、世界中に僕のような【本】を持った人間がいる。想像力を創造力にする【読み手】同士が【戦い】を始めたのさ……その、『竹取物語』を巡ってね!」
「優勝賞品って、そういう意味か」
リオンが見せびらかす『長靴を履いた猫』の【本】と同じような物を持つ者が、世界中に姿を見せている。
彼らが『竹取物語』を狙うの理由は、これが彼の言う【戦い】の優勝賞品だからだ。読人がその本を抱き締める力が少しだけ強くなる。
先ほどの会話の中で、彼は“前回”と言った。シュバリエは”50年前”と言った。
前回の【戦い】の優勝者、黒文字蔵人……【読み手】同士の【戦い】とやらに、蔵人が関わっていたのだ。
「だから、僕に大人しく【本】を渡してくれれば、これ以上君に関わることはない。僕だって、【戦い】が始まってすぐに暴力沙汰を起こしたくないんだよ」
『の割には、玄関大破なんて無茶振りをオレに押し付けたじゃねぇか』
「時には思い切りが大切なんだよ、シュバリエ。それじゃあ、『竹取物語』を渡してくれ」
「……嫌だ」
「……聞こえなかったな。もう一度」
「嫌だ!!」
「っ!?」
しっかりと本を抱き締めた読み人が一歩踏み込むと、ガクガク震える脚を気合で誤魔化してリオンへタックルを決めた。
運動経験もない文学少年が、ありったけの力を込めて目の前の障害へ立ち向かったのだ。
読人の急な反撃に驚いたリオンだったが、驚いただけだ。読人のタックルを受けても、すぐに体勢を立て直せる……そして、『竹取物語』の本がぼんやりと光った事には気付いていなかった。
「シュバリエ! デモン!」
『大人しくしてなボウズ!』
「っ!!?」
鬼の持つ武器が槍から棍棒へ変化し、シュバリエの鋭い爪が読人を狙って振り下ろされる。
先に爪がコートのフードを切り裂き、棍棒が足元を狙ってコンクリートを穿つと、読人の身体は再びゴロゴロと転がった。それでも、『竹取物語』の本はしっかりと腕に抱いたままだ。
例え彼が車道に放り出されて、後ろから速度を上げたバイクが迫って来ようとも。
「っ、マズイ!」
「あ……」
迫り来る黒いスポーツバイクにフルフェイスのヘルメット。あまりの唐突な出来事にリオンの反応が遅れ、読人もバイクを目の前にして身体が強張ってしまう。
腕の力だけは抜かず、長い前髪の下にある目をギュっと瞑ってしまった。
しかし、バイクは……当たり前と言うかなんと言うか、読人の存在に気付いてブレーキをかけた。タイヤとコンクリートの摩擦する甲高い音が響いてバイクの車体が斜めになると、読人の手前で土煙と共に止まったのだ。
普通なら、このライダーは悪態を吐いてもう一度走り出すなり、読人を心配してバイクを降りたりするだろう。当然、読人はそんな反応(主に前者)をすると思っていた。あわよくばこの人に助けを求めようともした。
だけど、ライダーの次の行動は読人の思惑からは外れていたのだ。
グローブを嵌めた小さくて薄い手が読人の肩に置かれると、ライダースジャケットの下から三冊目の白い本が登場した。ライダーの反対側の手には、淡く光る白い【本】を開いていたのだ。
「『荒れ狂う海の底から姿を現した化け物は、渦巻く波と暴風と共にピノッキオを呑み込みました』――創造能力・
「っ、新手か!」
「この【戦い】において、名乗るのが礼儀ならば名乗りましょう。名は小野寺桐乃、【本】のタイトルは『ピノッキオの冒険』。以後、お見知り置きを」
白い本の表紙に書かれたタイトルは『ピノッキオの冒険』。裏表紙の紋章は長く伸びた鼻を持つ人形と、切られたマリオネットの糸。
子供たちがよく知る絵本の『ピノキオ』の原典である『ピノッキオの冒険』の【本】を手にしたライダーは、ヘルメットを脱ぎ捨てその正体を顕にした。
髪をバレッタできっちりとまとめた若い女性……名は、小野寺桐乃。しょっぱくて冷たい海の飛沫が舞う中で、彼女の背には人間もぺろりと呑み込めそうな巨大な鯨。物語の終盤で、ジェペット祖父さんやピノッキオを舟ごと呑み込んだ海の化け物が出現したのだ。
『リオン! 他の奴に見付かっちまったぞ!』
「しょうがない、優勝賞品を目の前にして戦闘は避けられない。悪く思わないでくれよ、Mademoiselle……! 僕はリオン・D・ディーン、【本】は『長靴を履いた猫』!」
棍棒を手にした鬼の一撃が巨大な鯨の頭部へ放たれるが、惑星のようにぐるぐるとした瞳孔を持つ鯨はそんなのではびくともしない。
鬼を足場にして爪を剥いたシュバリエが飛びかかっても焦ることはなく、ピノッキオもジェペット爺さんも呑み込める大きな口を開くと、その口からはこれまた巨大な鮫が魚雷の速度で飛び出て来たのだ。
「おいおい、魚は猫の好物だぜMademoiselle」
『こんな生臭い鮫は、可愛いキティが「あーん」してくれない限り食う気がしねぇぜ』
「それじゃあ、彼女には早々と退場して頂こう! デモン!」
「気を付けて! 相手の鬼には変身能力があります」
「っ」
もう遅い。
鯨と対峙していた鬼が姿を消したと思ったが、今度は大蛇に変身して桐乃の足元に現れたのである。ぬらぬらと光る鱗の大蛇の目はあの鬼と同じ、その蛇が鎌首を垂れながら桐乃の身体に巻き付いて牙を剥いたのだ。
毒蛇か?それとも獲物を丸呑みする奴らか?
顔の直ぐ横にいる大蛇がチロチロと舌を動かしながら、顎を裂いて大きく口を開けた。桐乃は手にある『ピノッキオの冒険』の別のページを開き、【本】には再び光が宿る。
絶体絶命の場面だが、当事者的にはまだ絶体絶命ではない。だから彼女は冷静にページをめくったのだが、第三者から見ればとんでもないピンチだった。
桐乃のピンチに、読人は叫んだ。
「止めろぉぉぉーー!!」
「っ、君!?」
「この光……まさか!? 嘘だろ、このタイミングで!?」
桐乃を捕えた大蛇へ向けて、力の限り叫んだ……本当は、叫ぶだけでは何も変わらない。だけど、読人の叫びに呼応するかのように『竹取物語』が眩く光始めたのだ。
輝く光と共にこの道路の一帯に炎が灯る。明るく轟々と燃える真紅の炎がユラユラと燃え盛り始めると、鬼が変身した大蛇は低い声で怯え始めたではないか。
「【本】を読んで!」
「え……?」
「早く! 開いて最初に目に付いた一文を!」
「は、はい!」
桐乃に言われるまま光る【本】を開くと、最初に目に付いたのは「昔々」の始まりの一文ではなかった。
それは、主人公であるかぐや姫が求婚する貴族へ、幻の宝を見せてくれと言う難題を吹っかける場面であった。
「『右大臣阿倍御主人様は、火にくべても燃える事のない火鼠の皮衣をお持ちになって下さい』……!」
読人が最後までその一文を読み終わったその刹那、ユラユラと漂う炎が全て意志を持ち始めたように動き一か所に集まり始めた。
炎と言えば良いのか、それとも火の玉と言えば良いのかよく解らないそれらは、呼吸をする暇もない一瞬で桐乃の身体に巻き付いている大蛇の身体だけに燃え移り生臭い煙を醸し出す。あまりにも高温の炎は、あまりにも素早く大蛇だけを焦がし、鬼が変身した大蛇はピギャアァァア!と言う太く苦しげな断末魔を上げて桐乃の身体からずり落ちたのだった。
「『竹取物語』で、炎か」
「な、何が起きたんだ今のは?!」
「炎……火……」
黒焦げになった大蛇が元の鬼の姿に戻ると、そのまま煙も何も残さずに消えてしまう。
桐乃はどこか感心したように呟き、リオンは焦り。読人は炎を目で追った。
桐乃の周りから遠ざかった炎が読人の前に集まって来れば、それらは小さな一つの塊に形を整える。
まるでボールのような丸い身体は小型犬くらいのサイズだろう、短い手足が伸びてコンクリートの地面に下ろされると、黒くて円らな双眸が上目使いに読人を捉えている。
それを動物に例えるならば、鼠……鼠と言っても、ハツカネズミ等の鼠ではなく大きなハリネズミだった。針の代わりに背中に炎を滾らせた、巨大なハリネズミが読人の前に現れたのである。
『……お前が、今代の【読み手】か』
「え……」
子供のようにあどけないが、はっきりと大人と分かる声が聞こえたその時までだった、読人の意識が保たれていたのは。
祖父の死から始まって、リオンとシュバリエの襲撃、桐乃の登場……そして、炎のハリネズミ。
それらが一気に雪崩れ込んだ彼の脳のキャバシティはとっくの昔にオーバーヒートしており、『竹取物語』を抱えたまま意識を失って倒れてしまったのだ。
なので、この時は気付いていない。『竹取物語』の本の白い裏表紙に紋章が刻まれていた事を。雲がかかった満月が竹に囲まれたシルエットの紋章が、裏表紙に描かれた【本】となった事に。
「昔々」――あるところに、不思議な白い【本】がありました。星の数ほどの【本】は、コノ世に存在する星の数ほどの物語を書き記した不思議な不思議な【本】でした。
ある一冊の【本】に登場する姫は、月の世界からやって来た輝かんばかりの美しい姫。光り輝く美しい姫は、白い手である薬を差し出した。その薬は、かつて日の出る国で最も高い山の頂で焼かれ、天へ捧げられたもの。
その薬の名から、その山は「不死の山」と呼ばれるようになった。
かぐや姫が帝に捧げた不死の薬を焼いた、富士の山と――
***
夢を、視た――
頭の中がぐちゃぐちゃになって、インフルエンザの高熱に魘されるようにフワフワと意識が浮上する。パラパラと本のページをめくるような音が聞こえて来た。
もやがかってぼんやりした視界がだんだんはっきりして来ると、読人が見たのは飛行機だった。随分とレトロな空気を纏った飛行機が集まっている。それじゃあここは空港か。
だけど、読人はこの空港内を探索している訳ではない。テレビ番組を見ているように自身の視界だけが動いている。
本当に、ココはどこだろう?
そもそも日本ではないかもしれない。先程からいくつかの看板や案内表示を目にするが、日本語が一つも見当たらない。看板の言語は全て英語。そしてその中に、Englandと言う地名を見付けたのだ。
「こんにちは」
「ようこそ、イングランドへの長旅お疲れ様」
徐々に聴覚も動き出して来た。聞こえたのは英語……のはずだけど、読人にはしっかりとした日本語に聞こえた。でも、その言葉を口にしたのは顔の堀が深く、ブラウンの髪を撫で付けた異人だった。
彼は「こんにちは」と挨拶をした、仕立ての良いスーツを来た男性からパスポートを受け取って表紙を開く。どうやら入国の手続きをしているようである。
何故読人はこんな夢を視ているのだろうか?
彼は海外に行った事がなければ、国内旅行も片手で数えるほどしか行った事がない。なのに何で、こんな異国情緒溢れるイングランド――つまり、イギリス(暫定)の夢なんて視ているのだろうか?
「クロード・クロモジ……1年も滞在するのか、長いな。目的は? まさか1年も観光する訳じゃないよな」
「ええ、この地には【戦い】に来ました」
怪訝そうな表情の後に呆気に取られ、次はおかしそうに顔を綻ばせた入国管理官に対し、彼――若き日の黒文字蔵人は、苦笑いしながら首に左手を添えて首を傾げたのだった。
To Be Continued……
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