02-②




「ここまで、理解できたかね?」

「はい……」

「桐乃、お茶のお替わりを」

「はい」

「ありがとう。桐乃を含めた他、99人の【読み手】はお前さんを狙って来る。必然的に1対99だ。もし、お前さんが欲に駆られて不老不死を望むならば……」

「私もまた、敵になる」


 桐乃は薄緑色のお茶を読人の湯呑に注ぎ、その言葉と共に差し出した。

 彼女は紫乃の弟子と言った。ならば、50年前の紫乃と同じように不老不死の薬を封印する意志を持つ者だろう。午前中の出来事の際に駆け付けたのは読人の危機を救うのではなく、リオンの手に『竹取物語』が渡るのを阻止するためだったのだ。


「そう言えば、彼、リオンはどうなったんですか?」

「彼と長靴を履いた猫は逃げたよ。脱落もしていないから、また君の前に現れるかもしれない」


 リオン・D・ディーン――『長靴を履いた猫』の【読み手】である青年は、どこから情報を仕入れたのか誰よりも早く『竹取物語』へ辿り着いてしまい、【読み手】のない本を手にするはずだった。

 だけどその時に、読人が【読み手】として覚醒しまったのは何たる皮肉。ちなみにその時、以下のようなやり取りで逃亡した。


「まずいぞシュバリエ! 彼が【読み手】になってしまった、どうしよう!?」

『落ち着けリオン! 2対1じゃ流石のオレでも無理だ! ズラかるぞ!』

「Oui!! 『王様の馬車が通りかかるのを発見した猫は、大声でこう叫んだのです』」

『大変だ! カラバ公爵様が川に流される!!』


 リオンが『長靴を履いた猫』の【本】を開いてシュバリエがそう叫ぶと、王族が乗るような華美で壮美な細工と模様が施された、立派な馬車が創造された。凛々しい二頭の駿馬も同時に現れ、リオンとシュバリエが馬車に乗り込むと時速80kmほどのスピードで駆け抜け、あっという間に逃げ去った。

 と、一部始終を目にしていた桐乃はそう証言した。

 桐乃が新しく淹れたお茶を一口啜った紫乃は、少し息を吐き出して再び語り始める。

 100人の【読み手】たちの【戦い】は1年に渡って繰り広げられると言ったが、今年に入って既に2週間が経過しているので何人かは早々と脱落している。それに、未だ【読み手】と出会えずに能力を覚醒できていない【本】もある。

 彼らが優勝賞品を勝ち取るために攻め入って来るのなら、『竹取物語』の【読み手】である読人は優勝賞品を守る立場にあるのだ。

 99人の中には、どんな卑劣で残酷な手段を使ってでも不老不死の薬を手に入れようとする者も現れるだろう。たった1年の短い期間だが、勿論生命の危険もある【戦い】だ。

 人間は【本】を選べない、【本】が人間を【読み手】として選ぶ。50年前の蔵人は勝ち残って『竹取物語』を手に入れたが、読人は選ばれてしまったのだ。

 かぐや姫の守り人として。


「これから先の1年間、お前さんは他の【読み手】に狙われる。中には話の通じない相手もいるだろうね、今朝のフランスの坊やと猫のように」

「俺は、不老不死になりたい訳じゃないです」

「お前さんにその気はなくとも、運命は止まってくれないのさ。もう既に、ページは開かれているんだよ。お前さんの手の中に『竹取物語』の【本】がある今この状況が、紛れもない真実さ」

「……」

「尋ねようか、黒文字読人――お前さん、この【戦い】に身を投じる覚悟はあるのかい?」


 紫乃の凛とした重々しい声が、読人の耳の奥に何度も響いて胸の奥をズキズキと痛ませる。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、何もかもきちんと整理できていない。ただそこら辺に、頭の片隅に適当に片付けているだけだ。

 蔵人の死から始まって、『竹取物語』の【本】が読人の目の前に現れ、図らずもその使い手=【読み手】になってしまった。

 普通なら、生命の危険がある多勢に無勢の1対99の【戦い】に巻き込まれたくない。そんなの嫌だと【本】を床に叩き付け、早々と脱落すれば良い。【本】は紫乃にでも桐乃にでも譲り、自分はいつも通りの平凡で日常的な高校生活に戻れば今までと何も変わらないのだ。

 これ以上母を悲しませたくない、父にも何て言えばいいのだろうか。

 2年生に進学すればコース選択によるクラス替えも行われるし、そろそろ進路も真剣に考え始めなければならない。夏休みにはオープンキャンパスにも行ってみたいし、それに……気になっている女の子だっている。そんな毎日を、手放したくはない。

 少なくとも読人はそんなタイプの人間だ。好き好んで刺激と危機一髪のスリルを求めて、映画や漫画の世界でありそうな世界に飛び込まない……平和万歳、平凡万歳、モブ人生万歳。

 だから、「覚悟はない」と告げれば良かった。

 なのに、彼の口から出たのはこの言葉だったのだ。


「……少し、考えさせて下さい」

「良いだろう。急かして返事をもらって良い話でもない。桐乃、帰る際には送って行ってやりな」

「いえ、大丈夫です。おじいちゃんの家に自転車、置いたままだし」


 バイクで送って行くと言った桐乃の申し出を断り、蔵人の家まで歩くことにした。

 冬の乾燥した冷たい風は、オーバーヒート寸前の読人の頭を程良く冷やしてくれるだろう。自分の中で色々整理するためにも、ちょっと歩くことにしたのだが……そう言えば、ここは一体どこだという質問をするのを忘れていた。


「すいません、小野寺さん。ここは奥島さんのお宅ですか?」

「そうだよ。師匠の住居兼お店。靴が置いているのは、こっち」

「っ、うわぁ」


 桐乃に玄関まで案内されて居間の奥にある木戸が開かれると、読人は思わず感嘆の声を上げた。上品な香とちょっと埃っぽい古い紙とインクの匂いが漂うその空間は、正に本の洪水だったのだ。

 年代物の本棚には数多の本が収められていた。日の当たらない位置にかけられた額縁には十数年前の音楽雑誌が大切に納められ、価値のありそうなハードカバーの分厚い本はビニールに包まれている。

 蔵人の書斎とは違う。ここは時代を経た本が辿り着き、次の読者を待つための宿だったのだ。


「ここは古書店『若紫堂』。大正時代創業のちょっとした老舗さ」

「古書店、『若紫堂』……ああ!」


 店と母屋を繋ぐ玄関に揃えられていた靴を履いた読人は、デジャブと懐かしさに襲われた。

 そのまま本棚の間を縫って外に出ると、店の前には『休憩中』の木札が下げられ年季の入った『若紫堂』の看板が下げられていた。


「俺、この店に来たことがあった……おじいちゃんが、連れて来てくれたんだ」


 幼い頃、小学校に入学する前の記憶が蘇る。あれは確か、暑い夏の日だった。

 蔵人と手を繋いてこの『若紫堂』を訪れ、先程のように感嘆の声を出してはしゃいだのだ。

 そうだ、紫乃はあの時確かにこう言った……今も昔も、顔は蔵人には似ていないと。それはつまり、幼い頃の読人を知っていたから出た台詞である。


「すっかり忘れていた」

「思い出したなら、蔵人さんの家まで帰れるね」

「はい。そんなに遠くないですよね」

「うん、歩いて10分もかからないよ。これ、お店の名刺。何かあったら電話でも良いから連絡して。もし君に戦う意志があるなら、きっと師匠は色々教授してくれると思う。言い方はちょっとキツいけど、基本的には優しい人だよ」

「はい、ありがとうございました」


 薄紫色のショップカードを桐乃から渡され、読人はペコリと頭を下げてから『若紫堂』を後にした。左手には『竹取物語』がしっかりと握られている。

 1月の寒空の下。白い息を吐きながら蔵人の家を目指し、コートのフードを被ろうと手を伸ばしたが止めた。フードはシュバリエに切り裂かれ、ボロボロになっていたのを思い出した。

 確かにボロボロだ。被れない。

 白い【本】の裏表紙に刻まれた物語を象徴する紋章。【本】が選んだ人間の手に渡ると、この紋章が現れて50年に一度の【戦い】への参加申し込みをしたことになるらしい。

 選ばれた時点で強制参加だ、辞退することもできない。何て人間に優しくないシステムだろう。

『竹取物語』の【本】の真っ白な裏表紙には、既に参加申し込みを受領してしまった紋章がしっかりと刻まれてしまっている。雲に隠れる満月が竹に縁取られた、家紋のような紋章だ。その紋章を眺めながら、読人は白く染まった溜息を吐いた。

 目の前の信号が青に変わったので横断歩道を渡り、右折すれば閑静な住宅地に入って蔵人の家が見えて来るはずだ。


「あー……そうだ、おじいちゃんの家の玄関、母さんに何て説明しよう」

『大丈夫だ、もう元に戻っている』

「え、本当?」

『ああ。【読み手】同士の戦いは、想像力が根源にある。【戦い】が終われば、創造されて実体化したものはただの想像・空想に戻り、それによってもたらされた結果もになる。ただし、生物の死はその限りではない』

「そうなんだ。じゃあ、おじいちゃんの家の玄関は壊れていないんだね」

『そのはずだ』

「良かった~……って!」

『よっ』


 何だか普通に会話をしてしまったが、読人の隣には誰もいない。

 そもそも、前も説明した通りお昼の時間帯においてこの近辺の人気のなさは異常だ……なのに、誰かと会話をしてしまった。ついでに、読人の右肩がホッカイロを貼り付けたようにぬくぬくと温かくなった。

 首を右に動かすと、そこにいたのは軽い挨拶をしながら短い手を伸ばしたハリネズミ――読人の想像力が創造した、火鼠の衣がいたのである。

 あれ、ちょっとサイズが小さくなってないか?

 カピバラサイズから肩に乗るぬいぐるみサイズになっているぞ。


「何だかさっきより小さくない?」

『大きさぐらい自由に変えられる。本気を出せば、軽自動車ぐらいの大きさにもなれるぞ』

「そうなんだ。あの、火鼠……君?」

『何だ、オレにも質問か?』

「まあ、他にも色々あるけれど……俺は、この【戦い】に参加して良いのかな?」


 読人の質問に火鼠の衣は円らな両目をパチパチと瞬きさせて彼の顔を見た。

 まだ子供の丸みを残した少年の顔、その長めの前髪は何とかならないのか?目が隠れているぞ。


『お前、変わっているな。歴代の【読み手】の中でもそんな事を言う奴はいなかった』

「歴代……君は、以前の戦いを覚えているんだ」

『ああ、この【本】が少々特殊だからな。創造されたオレみたいな奴らにも、多少の記憶が蓄積されている。前の【読み手】はイギリスってところにいた白人だったが、随分と欲の皮が突っ張った奴だったぞ。あいつよりは、優勝者だった蔵人の方がマシだった。大体の奴らは嬉々として参戦した。1年間、この【本】を守り通せば不老不死だ。事情を知らずに巻き込まれた奴も、直ぐに【本】を捨てて逃げた奴もいれば、初陣でぽっくり逝った奴もいた。その度に、この【本】は色々な人間の手に渡って来た』

「……俺、この【本】を守る理由も、手放す理由も分からないんだ」

『……』

「きっと、理由が欲しいんだ」


 覚悟と理想を背負って【戦い】に身を動じる理由か。それとも、罪悪感も後腐れもなくこの【本】を手放す理由が。

「不老不死の人間を生み出さないため」は、倫理的だけど彼の中では芯がない理由だ。「生命が惜しいから」では、罪悪感にも似た感情が湧き上がって来る。


「はっきり決められないんだよね。【戦い】に参加する勇気もないし、逃げる勇気だってない。どうしようって考えて、今も君に答えを求めている……50年前、おじいちゃんはどんな気持ちで【戦い】に参加したんだろう?」


 真上に広がる冬空を眺めても、蔵人は答えてくれないし火鼠の衣だって沈黙を保ったままだ。読人の中ではっきりとした答えが出る訳でもない。

 でも、これだけは解る。50年前、不老不死の薬を悪しき意志を持つ者へ渡らないように、若き日の紫乃が【戦い】に身を投じたのは正解だった。不老不死なんて幻想が実現するなんて、駄目なんだと……。


「そうだ、もう一つ訊いても良いかな?」

『今度は何だ?』

「君の姿って、俺だけに見えている……とか、そんな状況じゃないよね?」

『他の奴らにも見えているぞ』

「ええっ!?」


 それはそれで驚く。

 読人だって、今日の出来事がなければ燃えて喋るハリネズミがいれば仰天するし、言葉も失う。しかも、傍目から見れば今の読人は肩に乗せたぬいぐるみに話しかける、ちょっと可哀想な男子にも見えてしまう。


「変な目で見られてなかったかな?」

『安心しろ。お前が考えているより、他人はお前に興味がない』

「あーー! 本当に玄関が!?」


 蔵人の家に辿り着くと、大破して擦り硝子も粉々になったはずの玄関は何事もなかったかのように元に戻っていた。火鼠の衣の言った通りならば、玄関の破壊も最初からになったのだろう。

 俄かには信じられないが、本当に何事もなかったかのように蔵人の家は静寂を保っていたのである。


「何大声出しているの。奥島さんにお礼は言った?」

「っ、母さん……うん」

「ほら、片付けするわよ。それと、ちゃんと鍵は閉めなさい!」

「ごめん母さん。片付けよう」


 まだまだ悩みたいことはあるけれど、先ずは出迎えてくれた母と共に本来の予定であった蔵人の家の後片付けをしよう。

 ああ、そうだ。切り裂かれてしまったコートのフード、これは何と言って説明しようか。ってか、コートはにならないんかい。

 読人が再び蔵人の家を訪れると、火鼠の衣はもぞもぞと動いて、再び『竹取物語』の【本】の中へ消えてしまった。

 まだ、彼の中で答えは出ていない――






To Be Continued……

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