02 竹取物語

02-①




 黒文字読人は夢を視ていた。

 視ていた夢の内容をはっきりと口で語ることはできないけれど、頭の中ではどんな夢だったかをはっきりと把握しているという不思議な夢だった。

 先日亡くなった祖父・黒文字蔵人と同じ名前の青年が登場した、この夢は。


「……おじい、ちゃん」

『……』

「……」

『やっと起きたか?』

「……ひぃぃぃぃ~」


 プールの中から水面に顔を出す時にも似た感覚で目を開けた読人だったが、起床早々情けない声で腰を抜かすこととなった。

 だって、目の前に自分の胸の上にサイズが大きいハリネズミがいたんだ。しかも喋っているし、背中の針が燃えている。寝起きじゃなくても普通に驚くだろう。

 まさかまだ夢を視ているんじゃと思って首を左右に動かしてみると、ここは祖父の家ではなかった。

 和室の真ん中に布団が敷かれて、その上に自分は寝かされていた。そして、右側……朝顔が描かれた襖の前にちょこんと、小柄だが凛々しい空気を纏った老女が座っていたのに気が付いたのだ。


「ひぃぃぃーーー!?」

「失礼だね、お前さん」

「っ、ご、ごめんなさい! あの、ここは? 俺、何があったんです……か?」

「お前さん」

「はいっ」

「今も昔も、顔はじいさんには似ちゃいないが……癖は同じだね」

「っ!」


 無意識に癖が出ていた。申し訳なさそうにしている読人の頭が傾いて、右手が首に添えられている。

 老女の言葉で思い出した。確か、祖父――蔵人も読人と同じ癖があったと母から聞いたことがあったのだ。

 蔵人は左利きだったので、首に添える手は左手だった。

 寝起きの頭でそこまで思い出してから、読人の頭はしっかりはっきりと覚醒した。

 起き上がった彼の膝の上には、背中の炎が燃える大きなハリネズミ。知らない和室の布団の上で寝ていて、祖父を知っていると思われる老女が1人……これって本当に、どんな状況なんでしょうか?


「あ、あの……」

「腹は減っているかい? もうお昼だよ」

「え?」

「色々喋りたいこと、聞きたいことがあるだろう。私たちもお前さんに説明しなきゃならないことがある。だけど今は、腹を満たしなさい」


 読人の感覚では、ついさっき朝食を食べたばかりだが、部屋にある時計を目にして気付く。あれから時間近くも眠ってしまっていたのである。

 あれから……蔵人の家で長靴を履いた猫と本を手にした青年に襲われて、同じく本を手にした女性がバイクに乗って登場したあの出来事から。

 はっと気付いて辺りを見回すと、『竹取物語』――リオン、と名乗ったあの青年が言っていた優勝賞品とやらは、畳まれたコートやスマートフォンと一緒に読人の枕元にきちんと置いてあった。

 そして安心したのも束の間、食べ盛りの男子高校生の腹は空腹を訴えて鳴いた。空気を読まない内臓から情けない音が鳴ったのだ。


「焼きそば、好きかい?」

「……はい」

「それと」

「それと?」

「随分前からお前さんの電話が鳴っている。母親からだろう」

「あ」


 慌ててスマートフォンを手に取ると、30分前から何度も母から着信が入っている。蔵人の家に行ったら玄関大破しているし、読人はいない事態で突っ込みどころは満載だ。

 どうしよう、何て説明すれば良いんだろう……それが解らなくてリダイヤルをするのを躊躇っていたら、タイミング良く再び母からの着信が来た。しかも、うっかり条件反射的に電話に出てしまったのだ。


「も、もしもし……」

『読人! あんた今どこにいるの?! おじいちゃんの家は鍵が開いたままだし、自転車もそのままだし』

「ご、ごめん……えーと、その」

「貸しな」

「か、母さん。ちょっと電話変わるね」


 一言一句に冷や冷やしながらしどろもどろに母へ返事をしていたら、電話に代われと手を出した老女へ縋り付くようにスマートフォンを渡した。


「もしもし、黒文字さん? 私、奥島です。『若紫堂』の……はい、先日ぶりです。実はですね、蔵人さんの家の前を通りかかったら読人さんと会いましてね、話し相手になってくれたんですよ……はい、はい。ええ、折角だからお昼を一緒にとなりまして、私が引き留めてしまったんです。申し訳ありません。ええ、蔵人さんの話に花が咲いてしまいましてね。読人さんはちゃんとお帰ししますので……では、本人に代わりますよ。ほら」

「え、はい……母さん?」

『読人、奥島さんと一緒だったのね。お昼をご馳走になったら、ちゃんとお礼して、早めにお邪魔しなさいよ』

「うん、解った」


 じゃあね、と母からの電話が終わった。老女は奥島と名乗った。彼女は母と知り合いなのだろうか?


「ほら、顔を洗って来なさい。話はお昼を食べながらにしよう」

「はい」


 スマートフォンを手に未だぼんやりしている読人へ、奥島と名乗った老女は綺麗な仕草で和室を後にした。

 そして、やっと思い出した……この膝の上の、生温かい重みの原因であるハリネズミの存在を。ずっといたんだね、君。


「あ、あの……」

『今まで大人しくしていたオレを、褒めてくれ』

「はい」

『まあ、お前は何も知らないんだ。現状を理解できたら、またオレは現れる』

「待って! きみは、何者……?」


 のそのそと読人の膝から退いたハリネズミは、背中の針が炎になっているが火傷するほどの高熱ではなく、触れたらほんのり温かい。針と言いつつも硬くはなく、柔らかい灯が揺らめているようだった。

 だけど、何故こうやって喋って話ができているのかと言う疑問さえも吹っ飛ばし、ハリネズミはやっぱりのそのそした動きで『竹取物語』の本へと近付いた。その炎は、本に燃え移らない。


『何者と言われたら、オレには名前はまだない。しかし正体は、お前が創造した”火鼠の衣”だ』


 そう言って、火鼠の衣は鼻先で器用に『竹取物語』の表紙を開いてもぞもぞとその中へ潜り込み、パタンと表紙を閉じてしまったのである。

 火鼠、火の鼠、火の針を持つハリネズミ……何だろう、安直なのか捻っているのか解らない、お粗末な連想ゲームのような結果は。

 まだ頭の中がぐちゃぐちゃしている。奥島と名乗った老女からたくさん聞きたいことがあったし、夢で視た、黒文字蔵人と名乗った青年の事も気になっている。

 だけどそれ以上に今の読人に必要なもの。それは、腹の虫を黙らせる昼食である。

 空気を読め、胃。

 それから、色々なやり取りを省いて本題に入れば、読人は焼きそばをご馳走になって食後のお茶を啜っていた。

 樫のローテーブルの向こうには、奥島と名乗った老女と彼女の右隣にはあの時バイクで颯爽と登場した女性・小野寺桐乃が座っている。

 好きなだけ使いなさいと、セルフサービスでテーブルに置かれていた紅ショウガの瓶の蓋を桐乃が閉めたタイミングで、シンプルな絵柄の湯呑でお茶を飲んでいた老女が口を開いた。


「さて、先程は名字しか名乗っていなかったね。私は奥島オクシマ紫乃シノ。こっちは、うちのアルバイト……と言うより、私の弟子の小野寺桐乃。桐乃とは、さっき会ったね」

「はい。黒文字読人です……今朝は助けてくれてありがとうございました。お昼、ご馳走様でした」

「いいえ、私も君に助けられた」


 深々と頭を下げた読人に照れ臭そうに微笑んだ桐乃は、ライダースーツを着てヘルメットを手にしていた時とは随分印象が違う。薄手のセーターに細身のパンツを着たその姿は、化粧っ気はないけれど人の良さそうな普通の女子大生のイメージの方が強い。

 ご馳走になった焼きそばも彼女が作った物だった。

 キャベツに玉ねぎ、もやし等の野菜が豊富で、細切りのウインナーが具として入っていたのは初めての経験だ。黒文字家の焼きそばよりも甘めの味付けで、紅ショウガが良く合う……と、陶器に入った紅ショウガの入れ物を眺めながら、頭の片隅で思っていた。


「さて、どこから語ろうか? あまりにも多すぎるもんだからね……お前さんが一番訊きたいことは何だい?」

「一番訊きたいこと、ですか? あの……奥島さんは、祖父と知り合いなんですか?」

「そこからか訊くのかい。蔵人さんとは、知り合いと言うか腐れ縁だよ。もう50年になるね。先日の葬儀にも参加したんだけど、お前さんは覚えていないだろう」

「ご、ごめんなさい」

「良いさ。ずっと俯いていたしね」


 確かに、蔵人の葬儀の最中の読人はずっと俯いて上の空だった。蔵人の旧友が「この度は……」とお悔みの言葉を告げていても、その時のことはあまりよく覚えていない。

 彼女――奥島紫乃は蔵人の50年来の知人だった。故人の娘である読人の母も彼女の事を知っていたのだろう、だから先程の電話のやり取りに繋がったのだ。

 納得したと同時に新たな疑問が読人の中に生まれた。紫乃が言った「50年」と言うワードが引っかかったのだ。50年、その年数をついさっき聞いた気がする……そうだ、リオンがとシュバリエ言っていたんだ。


「もしかして、リオンと長靴を履いた猫が言っていたことに何か関係があるんですか? 祖父が、この本を所持していたことにも」

「中々鋭いね。桐乃」

「はい」

「これから私は、突拍子もない夢物語のような話がする。だけど、それは全て真実だ」

「真実……」

「そう、50年前の話と、何十世紀も昔から続いている馬鹿げた【戦い】の話だよ」


 桐乃がテーブルの上に二冊の本を置いた。一冊は、午前中の出来事で彼女が手にしていた『ピノッキオの冒険』の白い本。もう一冊は、これまた同じ白い本……タイトルは『源氏物語』とある。

 書かれた年代も国も違う二冊の物語だが、同じ装丁の本と言うのは共通していた。読人が守った『竹取物語』の本もまた、同じ姿をしている。


「世界中には、この白い【本】が何千冊と存在している。誰が作ったのか、どこから現れたのかは誰も分からない。だけど50年に一度、その中から百冊の【本】と【読み手】と呼ばれる使い手が選ばれ、1年に渡る【戦い】が行われるんだ……その、『竹取物語』を巡ってね」


 何千冊もの不思議な能力を持つ【本】には、何千話もの物語が刻まれている。【戦い】のある1年間以外では美しい本のままであるが、50年に一度だけ使い手に巡り合うと裏表紙に紋章が描かれて、魔法のような不思議な能力が溢れ出す。

 その能力とは、人間の想像力を創造力に変える能力。

 読人も既に目にしただろう。『長靴を履いた猫』が実体化し、同物語の鬼が魔法で姿を替え、桐乃の背後には化け物の鯨も鮫も現れた。

 空想の世界が、現実に顕現する。つまり、自分が手にしている【本】の物語のモチーフを顕現させて戦うと言うことだ。


「【本】に綴られた物語を読んだ【読み手】が想像したものが、現実に創造される。桐乃の【戦い】を見ただろう。『ピノッキオの冒険』に登場する化け物鮫を。この子なりに想像して創造したんだ」

「まあ、アニメ映画の印象が強くて外側は鯨ですけどね。君が見た荒波の鯨鮫モンストロは、私の想像の中の、ピノッキオとジェペット爺さんを呑み込んだ化け物鮫だったの」

「想像して、創造する……まさか、あのハリネズミも?」


 そこまで頭の中で整理して、読人は思い当たる節があった。幼い頃、蔵人に『竹取物語』もとい『かぐや姫』の絵本を読んでもらった時のやり取りを思い出したのである。


「おじいちゃん、“ひねずみのかわごろも”ってなにー?」

「火鼠と言う生き物の毛皮だよ」

「ひねずみってなにー?」

「火を吐く鼠のだよ」

「ネズミが『かえんほうしゃ』するんだ!」

「何かのゲームのモンスターみたいだね」

「じゃあ、ハリネズミがもえてるの!」

「読人、おじいちゃんはさっきと同じ感想しか出ないよ」


 幼い頃の自分は、物語に出て来る「火鼠」をゲームに登場する炎タイプのモンスターか何かだと思っていたのだ。

 幼い頃の想像が無意識に反映され、あの燃えるハリネズミが創造されたのである。


『想像してた! 思いっ切り想像してたよ……!』

「お前さん、聞いているのかね?」

「はい! この、不思議な能力を持つ【本】で【読み手】同士が戦うことは理解しました。でも、この『竹取物語』が優勝賞品ですよね? 何で、この【本】が優勝賞品なんですか? これだけ、何か特別な物なんでしょうか」

「正確に言えば、その【本】から創造されるモノが優勝賞品さ。お前さん、『竹取物語』のラストは知っているかい?」

「はい……かぐや姫は帝の求婚を断り、満月の夜に月に帰ってしまう。ですよね?」

「その先の話さ。絵本じゃ省略されている物も多いが、『竹取物語』のラストはこのような形になっている……かぐや姫は月の世界の薬を一口舐め、残りを地上の帝に献上した。帝はその薬を口にはせず、かぐや姫に届くようにと日本で最も高い山の頂でその薬を燃やした。それ以来、その山は『富士の山』と呼ばれるようになった。【戦い】に参加する【読み手】たちが狙うモノ。それは、かぐや姫が最後の1人に与える不死の薬だ」


 不死――

 コノ世に生きる人間は、富める者も貧しい者も、善人にも悪人にも皆平等に死が訪れる。

 だからだろう、古代の権力者たちは死から逃れる方法を模索し続けていた。時には錬金術や黒魔術のような空想を駆使し、幻想の世界で存在する不老の薬に憧れ、それを実現しようとした。

 誰もが咽喉から手が出るほど欲するその薬が、【本】を手にする者たちの【戦い】の優勝賞品だ。

 50年に一度、100人の中から勝ち抜いた1人が、かぐや姫からその薬を授けられる……不死の権利を得ることができるのだ。


「不死……って、不老不死と考えれば良いんですか?」

「そう考えて構わない。人間の細胞の劣化が肉体的な死ならば、その劣化を止めて老いを止めることもまた不死さ。今年の1月1日から12月31日までの1年間、100人の【読み手】が戦い続け、残った1人に不老不死の薬が与えられる。50年前、お前さんのじいさんがその優勝者だった。私もこの『源氏物語』の【本】と共に【戦い】に参加していた」

「……」

「しかしまあ、分かってはいると思うが、蔵人さんは不老不死を選ばなかった。私たちやあの人は、薬を封印するために戦っていたんだよ」


 老いず、死なず。

 生者の理から逸脱した者が50年に一度ずつ増えていったら、世界の理そのものが崩壊してしまう……それを危惧した者たち。若き日の蔵人や紫乃を始めとした彼らもまた【読み手】として、【戦い】に参戦し続けていたのだ。

 そして50年前の【戦い】では、黒文字蔵人が100人の中の最後の1人となった。同時に、『竹取物語』の所有者となり【本】その物を異国の地に保管していたのである。

 50年の月日が流れ、また再び【戦い】の年が来た。

 蔵人は【本】を自分の手元に置いておこうとしたのだろう。しかし、日本に届く前に蔵人は急死してしまい、読人が偶然にも手に取ってしまったがために、彼は『竹取物語』の新たな【読み手】として選ばれてその能力を覚醒させたのだ。


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