04-②
『今すぐ迎えに行く』『駅の東口のロータリーで』
次いで桐乃から連絡をもらった読人は、駅の中を抜けて『無問鯛』がある駅前とは反対側、東口のロータリーへやって来た。
タクシー・バス乗り場の横を通って辺りを見回して見ると、向こう側に停まっていたバイクのライダーがコンコンとハンドルを叩いて音を鳴らしている。女性には珍しいあの大型のスポーツバイクは、連絡をくれた桐乃の物だ。
「桐乃さん!」
「直ぐに鼓草町へ行くよ……ん? そのヘアピン」
「コレ、ですか? もらったんです」
「良いね。顔が見えてスッキリする。さ、行くよ」
「はい!」
読人にヘルメットを渡してバイクの後ろに乗せると、虎を使った銀行強盗が起きていると言う鼓草町へとバイクを走らせた。
『犯人は虎と一緒に銀行に押し入った』とメッセージにはあったが、犯人グループがタイガーマスクとかを被って押し入ったと言う訳ではないらしい。むしろ、銀行強盗は人間1人で残りは虎……動物園の檻の向こうにいる、本物の虎が銀行を襲ったのだ。
「本物の虎、って……どんな【本】の持ち主でしょうね?」
「まだ分からない。だけど、【本】をこんなにも分かりやすく悪用する【読み手】だ。あんまりロクな奴じゃないのは確かだろうね」
「……」
「恐いかい?」
「ちょっとだけ。でも、俺、やります」
桐乃の肩に置いている両手が震えていたとか、声に恐怖が滲み出ていたとか言う訳ではなかったが、一応読人に訊いてみた。本格的に【戦い】に身を投じる事が、【読み手】と戦うことが恐くないのか、と。
紫乃に弟子入りし、【本】に対する基礎知識を叩き込まれた後に言われたのだ。次に【読み手】が現れたら、それが読人の初陣だと……虎の銀行強盗は十中八九、創造能力で虎を創造した【読み手】による犯行だろう。
相手の【本】の物語を「めでたしめでたし」で終わらせて、相手の紋章を手に入れろ。それが、師匠から課せられた第一の課題だった。
桐乃のバイクが自動車の間をすり抜けて件の事件が起きているこのみ野市鼓草町へと到着すると、既にパトカーが銀行の周りを包囲していた。そして、猛獣等が動物園から逃げ出した時に出動する特殊部隊も、スタンバイ済みである。
「こんなに人が多い中で【戦い】を始めて大丈夫なんでしょうか?」
「師匠は大丈夫って言っていたけど、確かにこれじゃあ……っ!」
フルフェイスのヘルメットを脱いだ桐乃が全てを言い終わる前に、取り囲まれている銀行の窓ガラスが派手な音を立てて破壊された。
特殊部隊が突入したのではない、銀行内にいた犯人――巨大な虎が、外に出て来たのだ。ポストカードの写真のように美しい縞模様と虎目石の目を持った雄々しい虎が、都市のど真ん中に現れたのである。
しかも一頭、二頭ではない。次々と現れた虎はなんと十頭。これは流石に、厳しい訓練を受けた特殊部隊も小さく悲鳴を上げて身体を強張らせる。
そんな彼らの怖れを目にした虎たちは、低い唸り声と雄叫びを上げて一斉に襲い掛かって来た。
「総員退避ーー!」
「っ、桐乃さん、あれ!」
「っ! あいつが【読み手】だ!」
襲い掛かってくる虎たちをシールドで必死に抑えつつも、2mを越える巨大な体躯と牙と爪に人間は歯が立たない。だが、何名かの隊員は手にした獣で虎を狙撃する事に成功した。虎は見事に眉間を撃ち抜かれたのだが、その場には虎の死体は残らず、隊員たちの足元にひらひらと落ちて来たのは穴の開いた虎のポストカードだった。
そんな乱闘の影で、卑怯にも逃げ出そうとしている者を読人が発見する。
虎の背に重そうなボストンバッグを何個も乗せ、同じく虎の背に跨ったニット帽の男が銀行から逃亡したのだ。
間違いない、あいつが銀行強盗であり虎たちを創造した【読み手】だ。
再びヘルメットを被った桐乃は、バイクを走らせて逃亡する犯人と虎を追う。銀行の前では、十頭いたはずの虎たちは全て狙撃され、ポストカードになっていた。
「待て! そこの虎!! お前、白い【本】を持つ【読み手】だな!」
車道を走る二頭の虎に、それらと虎に乗る人間を追うバイク。本当に、普通ではありえない光景である。
ニット帽の男は桐乃の声に気付いたらしく、一度後ろを振り返るとニヤリと笑った。
虎たちの進路を変更してバイクもそれを追跡すれば、ビルとビルの間にある月極駐車場に誘い込まれてやる。
駐車場に辿り着くと虎は姿を消した。札束等がパンパンに詰められているボストンバッグは地面に置かれ、銀行強盗はバイクを降りた桐乃と読人の前にあの白い【本】を見せたのだ。
「お前らも、俺と同じ【本】を持つ【読み手】って奴だろう。他の奴らを倒し続ければ、不老不死になれるっていう。良いな~不老不死、なりてぇな~」
「知っているなら話は早い。【戦い】を始めましょうか……この子が」
相手も、てっきり桐乃が相手をすると思ったらしい。背負っていたリュックの中から【本】を取り出した読人を見た瞬間、小馬鹿にするように吹き出してゲラゲラと下品な笑みを浮かべたのだ。
今回の桐乃は裏方に徹するように紫乃に言われているが、相手が1対1の正々堂々とした勝負をするに値しない人物であった場合は、2人で叩きのめせとも言われている。【本】の能力を悪用して私欲を満たすその姿を見れば、早々と桐乃もこの【戦い】を首に突っ込むことになるだろう……だけど、これはあくまで読人の初陣なのだ。
「このガキが? こんなガキが? こいつが??」
「ガキでも関係ないだろう。【読み手】同士の【戦い】は、想像力がものを言う」
「っち、じゃあ、さっさと倒して不老不死になってやろうか!!」
忌々しそうに舌打をした男が持つ【本】を開くと、着ていたダウンジャケットのポケットから数枚のポストカードが取り出される。
ポストカードの絵柄は虎だ。大きくて立派な、美しい縞模様の虎。ポストカードの虎が【本】の光と呼応するようにぬるぬると動き始めると、本物の虎がはがきサイズのカードの中から飛び出て来たのだ。
【本】のタイトルは『一休さん』……屏風から飛び出て来た、虎だった。
5枚のポストカードから飛び出て来た五頭の虎を前にして、読人の頭は高速で回転し紫乃に教授された事を必死に思い出しながら自問自答をしていた。
問1 どうして相手は、不老不死の事を知っていた?
答→初めて【本】が光って紋章が現れた時に、【本】の最初のページにこの【戦い】の説明が浮き出るからそれを読んだ。(読人は気を失ったため、その説明を読んでいない)
問2 どうして相手は、【本】の文章を読まずに創造できたのか?
答→文章の朗読は【読み手】の中のイメージを固定するための予備動作に過ぎない。自身の中で創造したいモノのイメージがはっきりとしているならば、朗読の手間を省ける。
問3 相手は朗読なしに創造能力を発動させた、つまり?
答→屏風(ポストカード)の虎が実体化すると言うイメージが確立されている。つまり、それだけ【本】の能力を使用している。
イコール……今回の銀行強盗だけではなく、【本】を悪用して他にも犯罪に手を染めている可能性が高い。
五頭の虎を前にして、読人が手にした『竹取物語』も光が宿り彼はページを捲った。
創造のイメージがはっきりしていない内は文章を朗読する動作が、創造能力を発動させるトリガーとなる……読人が想像した「火鼠の衣」を創造するため、声を紡いだ。
「『右大臣阿倍御主人様は、火にくべても燃える事のない火鼠の皮衣をお持ちになって下さい』……!」
『よっ、呼んだか?』
「お願いします!」
読人の足元から炎が渦巻き塊として集まると、炎のハリネズミ……火鼠の衣が創造される。
掌サイズのハリネズミに襲い掛かる五頭の虎を前にして、火鼠の衣はフンと鼻を鳴らした。虎なんて取るに足らない相手であると言わんばかりに、身体を丸めて火の玉と化して虎たちの間を縫うように転がれば、虎たちの自慢の縞模様の毛皮が燃え出したのだ。
火でできた衣を纏っているかのように明るい赤と橙色の炎が虎たちの身体を包み、虎たちは苦しそうな声を上げる前にポストカードの燃えカスになって駐車場の地面に落ちた。
「やっぱり、虎が攻撃されれば元のカードに戻るんだ」
『何だか呆気ないな』
「何だそれはぁ? ゲームか何かのモンスターか?」
「彼は、火鼠の衣君。俺は黒文字読人、【本】のタイトルは『竹取物語』」
「『竹取物語』……って、不老不死のアイテムじゃねぇか! こんなに早く向こうから来てもらえるなんて、ラッキーだな俺は!」
「『一休さん』の【読み手】、読人君が名乗ったんだ。自分も名乗りなさい……【読み手】同士の【戦い】は先ず、名乗るのが礼儀だ」
「はぁ?! 誰に向かって口効いてるんだ、この女……」
「名乗りなさい!」
「……っ、
桐乃の険しい言葉に気圧されたのか、『竹取物語』を目にして舌なめずりをしていた男は【読み手】の礼儀に従って吐き捨てるように自身の名を口に出す。
寅井満作、【本】のタイトルは『一休さん』。
銀行強盗と言う分りやすい悪事に加担してしまったとなっては、モデルとなった一休禅僧も草場の陰で泣いているかもしれない。てっきり、とんちでも効かせた創造でもするかと思ったが、実際は数に物を言わせて猛獣を実体化させると言う力技だ。
発想としては面白い。だが、【読み手】本人はとんちの一つでも吟じられる人間には見えない。
「読人君、さっきも言ったけれど【読み手】同士の【戦い】は想像力がものを言う。師匠から叩き込まれたことを念頭に入れて、想像力を広げて!」
「はい!」
「遊んでやるよ、ガキが!『このはし、わたるべからず』!!」
「っ!」
【本】を手にした【読み手】の頭の中で想像されたモノが創造され、現実に影響を及ぼす。頭の中で勝利への道筋がしっかりと想像できたならば、その道は現実にも拓かれるのだ。
だけどそれは、相手――寅井も同じこと。【本】のページを捲って物語の場面が切り替わるのと同じく、現実世界の場面も変わろうとしていた。
白いラインが引かれたコンクリートの地面に木目が現れ、サラサラと水が流れる音も聞こえて来る。続いて擬宝珠の付いた立派な欄干が両サイドから生えて来ると、その場に立派な橋が展開されたのだ。
横幅5mはあるだろう、緩くアーチになっている橋の両端に寅井と読人が立っていた。
これは展開能力だ。『一休さん』を知る者ならばお馴染みの場面だろう、端ではなく真ん中を渡った橋だ。『このはしわたるべからず』と書かれた立札も、読人の隣に創造されている。
「物語の場面を現実に展開する、これが展開能力」
「これはな、追って来る警察をまくためにちょーっと考えたらできたんだよ。渡ってみろよ、はしを!」
『来るぞ読人!』
「っ!?」
再び、ポストカードがばら撒かれて五頭の虎が実体化する。
先ずは一頭目の虎が橋の真ん中を渡り、読人に向かって襲い掛かって来た。あまりにも直線的な、真ん中を渡って真っ直ぐ読人に向かって来たので避けるのは簡単だったのだが……左に避けて欄干を背中にしたその瞬間に、足の下でカチっという音がした。
嫌な予感がした。スイッチか何かを踏んづけたような音がしたその瞬間、橋の端が爆発したのである。
「え……っ!!?」
「読人君!」
「ほら、看板の通りだろ。『このはし、わたるべからず』って! 注意書きはちゃんと読めよ」
背景に効果音を付けるとしたら、“ぎゃーっはっはっはっは!”だろう。読人が爆風に飛ばされて転がる姿を見た寅井が、ゲラゲラと笑い転げている音である。
『このはし、わたるべからず』、だから真ん中を歩いて来たというのが物語の中のとんちであるが、この橋の端は本当に危険だから渡るなと言う意味なのだ。
真ん中以外は全て地雷原。しかし、唯一のセーフティゾーンである真ん中は虎たちが犇めき合い、涎を垂らしながら牙を剥いている。
そんな虎たちの前に、爆発で吹っ飛んだ読人の身体がゴロゴロと転がって来ると、二頭の虎が一斉に襲い掛かって来たのだ。
「っ、火鼠君!」
『はいよ!』
「このガキ! 『屏風の中から、虎を追い出して下さい』!! 出て来い、虎!」
読人が声を張って火鼠の衣を呼ぶと、彼の大きさは読人がイメージした通りの大きさに。虎たちと同じ2mにまで大きくなった。
再び身体を丸くすれば、今度は大玉転がしで使う大玉ほどの火の玉となって橋の真ん中をゴロゴロと転がって虎たちの毛皮を燃やして行く。
無駄に飛び散らず、揺らめかず、標的の表皮だけを燃やすかのように身体に張り付く炎は、本当に炎の衣を着ているかのようだ。
虎たちは次々に橋の真ん中を渡り始めるが、それと同じく火鼠の衣によって次々とポストカードの燃えカスに代わって行く中で、読人は身体を起こして走り出した。
木目の地面を蹴って橋の真ん中を真っ直ぐに飛び出し、一気に寅井と距離を詰めようとするが、まだまだポストカードの在庫があったようだ。
寅井はヤケクソ気味にダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、残り全てのポストカードをばら撒いて十五頭の虎が実体化した。
「大丈夫、大丈夫だ……あの大きさの虎が真ん中しか移動できないなら、大混雑になる!」
『お、良い感じだな読人!』
やっぱりそうだ、自分が考えた事が火鼠の衣にも以心伝心で伝わる……読人が頭の中で想像した流れが、【本】の能力によって『火鼠の衣』として創造されている。だから、声に出して指示を出さずとも火鼠の衣も読人が想像した動きを、1mmの狂いもなく再現してくれているのだ。
それだけ、読人の想像しているイメージがはっきりしているということだろう。
彼のイメージはこうだ。
本物のハリネズミサイズになった火鼠の衣が、橋の真ん中で渋滞を起こしている虎たちの足元をすり抜ける。そして、背中に背負った炎を滾らせて足元から一気に炎上させるのだ。
「『偽物の火鼠の衣は、火にくべた瞬間に燃えてしまいました』!」
『ファイヤーー!』
一網打尽とはまさにこのこと。虎たちが混雑を起こしている橋の真ん中はバーベキュー状態だ。
小さくなっても火鼠の衣の火力は変わらず、橋の上はあっと言う間に火の海に……そして、虎たちが熱さに悶えてポストカードの燃えカスに戻って行くその中を、読人は走った。
開いたままの自分の【本】はコートの下にしまい、炎上に驚いて次の手に入るのが遅れている寅井めがけて走り出し、橋の真ん中を渡って向こう岸に辿り着いたのだ。
そして、開いたままの『一休さん』の【本】に手をかけ、そのまま奪い取ろうとしたのである。
「っ! 放せ、このガキ!」
「嫌だ! もうポストカードはないんだろ。もう虎を実体化できないはずだ!」
「本当に、そう思うか……!?」
『読人!』
そう、もうポストカードはない……しかし、“虎”がいなくなった訳ではなかった。寅井が着ていたダウンジャケットのファスナーを全て開けると、その下に来ていたアウターは虎がプリントされていたのだ。
それに気付いた火鼠の衣が飛び出て来るが、タイミングが合わなかった。
火鼠の衣が飛び込んだその瞬間に虎が実体化し、寅井の胸から飛び出て来た虎は小さなハリネズミを弾き飛ばしたのである。
しかも着地点は橋の端。小さくなっていた身体は、地雷の爆発によって天高く吹っ飛ばされたのだ。
『みぎゃーー?!』
「火鼠くーーん!?」
ハリネズミの体重は500~700g。簡単に爆風に乗るほど軽かった。
そして、次は読人の危機である。
アウターのプリントから実体化された虎はポストカードのものたちよりは小さいが、立派な牙も爪もある。その牙で読人の腕に噛み付き、【本】から引き離そうと小柄な身体をぶんぶんと振り回し橋に放り投げた。
幸いにも真ん中部分に投げ捨てられたのだが、噛み付かれた左腕はじくじくと痛みコートには血が滲んでいる……厚手のコートを着ていなかったらもっと酷い有様だっただろう。季節が冬で良かった。
「い、っ……!」
「俺の、勝ちだな。このまま不老不死にならせてもらうぜ」
「……何が、したいの?」
「ああ?」
「不老不死になって、何がしたいの?」
「何って、決まってるだろ。若いまま、ずっと死なねえんだぜ! この金で、永遠に楽しく暮らすんだよ……こんなスゲェチャンス、逃す訳がなえだろ!!」
「……永遠なんて、ないよ」
ゆらりと、左腕を抑えた読人が立ち上がったが腕の痛みを我慢しているのが息は荒く、膝が笑いかけている。だけど、その言葉を寅井に向けた時の視線があまりにも鋭く、冷たく……悲しい色だった。
ヘアピンで長い前髪を上げた事によって、いつも隠れ気味の読人の顔がしっかりと見えているのだがその表情はつい最近、彼の顔にも宿っていたのだ。その時の、蔵人の葬儀の時に宿ったあまりにも悲しげな視線は、前髪に隠れて誰にも見られてはいなかったが。
「暮らせないよ、永遠に、楽しくなんて、暮らせるはずはないんだ。置いて逝く方も、行かれる方も……」
「何言ってんだお前! 訳分かんねえよ!! やれ!!」
「火鼠君!!」
読人自身、頭の中が燃えているような感覚だった。
腕の痛みを抑えるために脳内ではアドレナリンがドバドバと放出され、火鼠の衣が熾した炎の熱に浮かされる。何が言いたいのか自分でも分からない。思い付いた単語をぶつぶつと呟くしかできないのだ。
でも、これだけは解る。
不老不死の人間を、中途半端な覚悟で面白がってその薬を手にする人間を生み出していけないことは、何故か分かっていた。
痺れを切らした寅井が、虎を嗾けようとした。
橋の向こう側で傍観していた桐乃も危ないと思ったのか、自身の【本】に手をかけていたがその必要はなかった。
寅井と虎の頭上に大きな影ができたかと思い上空を見上げた時には、もう遅い……そこにいたのは、火鼠の衣。
爆風で吹っ飛ばされたハリネズミサイズの火鼠の衣が、今度は軽自動車と同じサイズと質量で盛大で派手で嫌な音を立てて上空から落下して来たのである。
上から聞こえるのはヒュルルル~と言う、気の抜けるようでそれでいて、結構な重量を持った巨大な物体が落下して来る音だ。しかも重力を味方に付けてしまい、落下の際の破壊力は計り知れないほどにまで成長してしまっている。
それが落ちて来た。火鼠の衣は大きさを自在に変化できると言っていた、吹っ飛んでいる最中にその中で一番大きな軽自動車サイズへ変化して寅井と虎の頭上に落下して来ると言うイメージが読人の中に浮かび、見事に現実となったのだ。
「……中々にエグイ」
一部始終を見届けた桐乃の感想だが、確かにその通りである。
火鼠の衣が落下したコンクリートは陥没し蜘蛛の巣状のヒビが入ってしまい、オマケに落下した時はボキボキボキっ!と言う音までした。
例えるならば、棒状のお菓子を袋のまま叩き割るような……そんな音である。一体何の音であるかは、あえて言わない。
『おー……どうする読人、死んでないぞ』
「殺さないで!! 十分だから!」
火鼠の衣(軽自動車サイズ)落下によって寅井が潰されてしまい、アウターから飛び出て来た虎は消えてしまう。そして『一休さん』の【本】は落下に巻き込まれた衝撃で【読み手】から離れてしまい、開いたまま放り出されていた。
「めでたしめでたし」
そう言いながら『一休さん』の【本】のページを閉じると、白い【本】からは光が失われ裏表紙に刻まれていた紋章が宙に抜け出て来た。虎の描かれた屏風を前にして縄を構える一休がモチーフの紋章、それの行先は読人の本だ。
紋章が『竹取物語』の【本】の中に吸い込まれ、後ろのページに同じそれが現れた。【読み手】同士の【戦い】で読人が勝利した証……初陣を白星で飾った証明である。
【本】が閉じられれば物語は終わる。創造されたものはただの想像に戻り、なかったこととなりただの日常へと戻るのだ。
火鼠の衣が小さくなって寅井の上からぴょんと跳び下りると、蜘蛛の巣状のヒビが入っていたコンクリートは元の状態に戻り、読人の腕の噛み傷から痛みが引いてコートの血も消えて行く。そして、月極駐車場に展開されていた『一休さん』の物語の風景も消え失せ、『このはし、わたるべからず』の看板も消えてしまったのだった。
「……チクショウ」
「っ」
「チクショウ……不老不死なんてモン、手に入れられれば……俺のクソみたいな人生、少しはマシになるかと思ったのによう……」
「……」
地面に伏せたまま肩を震わせる寅井は、下敷きになった痛みに震えているのではない……火鼠の衣が落ちて来た際の怪我は、なかったことになっているはずだから。
自分で「クソみたいな人生」と言い切った。彼の人生はどんなものだったのかは色々想像できるが、きっと子供である読人が想像し得ないほどのものだったのかもしれない。
安易に不老不死を望むような、空想に近い逃げ道に足を踏み入れるような。
読人は、裏表紙に紋章がなくなった『一休さん』を寅井の前に置いた。もう想像力を創造力に変える能力はない、汚れも燃えも破けもしないちょっと不思議な【本】になっている。
「もっと、この【本】を読んであげて下さい」
「……」
「クソみたいな人生をマシにするヒントが、あるかもしれないから。本は、読まないと意味がないから」
そう言って、【戦い】の勝者はこちらに迫って来るパトカーのサイレンの音を背景に、駐車場から退場したのだった。
『……お前、素直と言うかお人好しと言うか、とんでもない甘ちゃんだな』
「自分でも、そうかな~って思うよ」
『でも、嫌いじゃないぜ。お前の甘ちゃん具合は』
「……ありがとう」
「読人君、取りあえず初陣、おめでとう」
「ありがとうございます」
桐乃が出る場面はなく、読人と彼の肩に乗る火鼠の衣だけで初陣を勝利した。
彼女から差し出された手を取って握手を交わすと、ヘルメットを被ってバイクの後ろに乗り込む。向かう先は彼らのバイト先である『若紫堂』だ。初陣の結果を師匠――紫乃に報告しに行かなくてはならない。
だが、火鼠の衣が読人のコートの中に潜り込んでから桐乃の肩に手を置いたその時、気付いてしまった……虎の牙で空いてしまったコートの腕の部分の穴が、なかったことになっていなかった事に。
「またコートが!」
『ドンマイ』
「コート一枚で済んで良かったじゃないか」
フードはボロボロで左腕には穴。このコート、次の冬は着られないとガックリ頭を垂れた読人を乗せて、桐乃のバイクは走り出した。
こよみ野市鼓草町の銀行に、虎のハリボテを使って銀行強盗を働いたと言うニュースが放送されたのは夜の時間帯だった。しっかりと、寅井の名前も顔も画面に映ってしまっている。
読人はそのニュースを直接観ていなかった。その時間帯は、湯船に浸かってぬくぬくと温まっていたからだ。しかも、【本】が濡れないのを良いことに湿気たっぷりの風呂場に持ち込んでいた。
ついでに、火鼠の衣も一緒に温まっていたのである。温泉に浸かっているカピバラみたいだ。
『ぷはぁ~』
「火鼠君」
『何だ~?』
「やっぱりさ……君に名前があった方が良いよね」
『読人がオレの名前を付けてくれるのか?』
「嫌じゃなかったら」
『良いぜ』
どんな名前を付けてくれるんだ?
読人の方を向いた円らな双眸がそう語りかけると、彼に相応しいと思った名前を口にする。明るい炎が身体を這って、まるで火の衣を纏っているかのように燃えるその光景を表す名前を……。
「“
『……安直だな』
「ええ?!」
『でも、オレは好きだぜ。オレは、今から火衣だ』
「っ! よろしく、火衣」
『1年間よろしくな、読人』
吾輩は火鼠の衣である。名前は火衣である。
『読人、知っているか? ハリネズミって鼠じゃなくて、モグラの仲間なんだぞ』
「え!? そうなの?」
今回の1年間は、このお人好しの甘ちゃんと一緒なら退屈しなさそうである。
To Be Continued……
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寅井万作(22)
アル中・ギャンブル狂・暴力とクソ役満な父親と、そんな父親の実家に彼を預けたまま失踪した母親という両親ガチャでクソを引いて人生をスタートさせた。
祖父母に育てられたが、祖父が亡くなってからは生活が困窮。
しかも、中学卒業のタイミングでクソ父が祖母を殴り倒して彼の高校入学の資金を持ち逃げ。
進学を諦め、中卒で職業訓練校に入学したが怪我が原因で祖母も亡くなる。
卒業はしたが、勝手にクソ父の借金の保証人にされたために仕事先で上手くいかず、クソみたいな人生を送る。
『一休さん』の【本】は祖父母の荷物を整理していたら見付けた。
創造能力・飛び出ろ虎!
屏風から夜な夜な脱け出して徘徊する虎……というホラが実現した能力。
ポストカードでもトレーナーでも、二次元の虎ならそこから抜け出て実体化する。が、耐久は元の素材に依存する。
ちなみに、虎のリアル具合も素材に依存するので、可愛い絵本の虎を出せば可愛い子が出て来る。
展開能力・このはしわたるべからず
端じゃなくて真ん中を渡れば良いというとんちの場面を現実に展開する。
この橋は端を踏めば危険が待っているのでマジで真ん中を歩かなければ危ない。戦略的には、橋の真中を虎が占領して端に寄らせるのを想定している。
攻撃は爆発のみだが、その内、橋の端から刃物が飛び出たりとか過激なものになっていたかもしれない。
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