16-③




古賀柚子:日本国籍

 社会人3年目。念願叶って初の海外旅行、及び夢見た海外での年越しのためにオーストラリアへ渡航。

 現地のフリーマーケットで『ごんぎつね』の白い【本】を発見し、迷わず購入。小学生の頃、国語の教科書にこの物語が掲載されていたのだが、授業中に泣いてしまったのを今でも覚えている。


楊洪瑶:韓国籍

 一児の父、シングルファーザー。某医療機器メーカーの営業部勤務。本社上層部の密命により、息子の好きな『ジャングルブック』の【本】を手にフィリピンへ向かう。

 息子は免疫系等の難病が発覚したばかり。会社からは、多額の治療費を肩代わりしてもらう契約だった。


メアリー・コットン:アメリカ国籍

 アメリカの裕福な家庭の10歳の少女。実は養子であり、2年前に現在の両親に引き取られたがその愛情に疑問を持っていた。

 香港旅行の最中、養父母の愛情を確かめるべく家出を決行。荷物の中には財布とお気に入りのぬいぐるみと、孤児院から持って来た『ナイチンゲール』の【本】があった。


金沐婧:中国籍

 中国の貧しい農村の産まれ。男手が欲しかった両親に邪見にされて育ち、年頃になると強制的に家から追い出される。

 金のために日本に密航。暴力団系列の風俗店で働く予定だったが、容姿を理由に低賃金の飲食店の下働きへ回された。村のゴミ捨て場に埋もれていた『小公女』の【本】の物語に憧れ、いつか自分も物語のヒロインのように希望を捨てなければ幸せになれると信じていた。


 以上が、今年に入って起きた連続凍死事件の被害者たち……【読み手】の名前と【本】のタイトル以外の事は、知る由のない者たちである。




***




 春の陽気に似合わない巨大な氷河が如き大氷壁は、新生活が始まる4月1日に突如出現した非日常だった。

 時間は正午を過ぎていたので、エイプリールフールはとっくに終わってしまっている。嘘を吐いたって、こんな非現実的な嘘なんて誰も信じないだろう……その目でしかと大氷壁を捉えたって、夢だと思って頬を抓るだけさ。【読み手】以外は。


「……【読み手】が現れた。ハインリヒ!」

「ん?」

「行きましょう。【戦い】が、始まっています」

「氷……Ja」


 こよみ野市の外れ、小高い山の上にある寺に出現した巨大な大氷壁はハインリヒとビルネの住むマンションのベランダからもよく見えた。気のせいか、窓から吹き込んで来る東風が冷たくなっている。


「へっ……くしょ!」

「一瞬で、氷の壁が……」

「氷の【読み手】、か……嫌な予感がする」


 勿論、『若紫堂』からも大氷壁の姿を確認できていた。

 冬の匂いを含んだ風が響平の鼻を擽ってくしゃみを一つさせれば、大氷壁を目にした夏月の背筋には嫌な悪寒が襲って来て、無意識に『燕の産んだ子安貝』を握り閉める。そして桐乃と紫乃の脳裏に蘇ったのは、今年から各国で起きている連続凍死事件だった。


「桐乃!」

「はい!」

「桐乃さん、私も行きます!」

「良いよ、乗って!」

「待って。送って行きますよ……これで」


 エプロンを脱ぎ捨ててバイクに乗り込もうとした桐乃は、予備のヘルメットを夏月に投げて大氷壁の元へ急行しようとした。が、山の麓の民家までをも飲み込んで氷の世界と化している現場へ、バイク一台では無理だろう。

 それを察したのか、それとも本当にただの善意からなのか。響平が開いた『銀河鉄道の夜』の【本】が光り輝けば、裏表紙の紋章と同じ空の線路を走るSLが北空の彼方から汽笛を上げて『若紫堂』の前で停車する。

 この白昼堂々と……なんて、呆れている時ではない。響平に誘われ2人は銀河鉄道に乗車した。


「……何が起きているって言うんだい。今年の【戦い】は」


 明確な殺意と、自身の欲望に従った冷徹さ……かつてのロンドンでも感じたソレが、50年前の時を経て再び紫乃の肌に突き刺さった。

 大氷壁は瞬く間に人々の注目の的となる。スマートフォンを向けて写真・動画を撮る者、SNSを発信する者、現場へ向かおうとする者などが行動を始めていたが、原因の正体を拝む事はできないだろう。

 人々の注目の的となった大氷壁の根本、現場となった月山寺の墓苑は氷点下マイナス二桁の極寒世界に変貌していた。遠目と違わない分厚い大氷壁と、凶器にもなる鋭い氷柱に阻まれたそこは敵の侵入を許さない城壁とも化していたのだ。

 息は白くなり涙も凍り、身体は痺れんばかりの冷たさに襲われてガチガチと歯が噛み合って音を立てる。春の装いではとっくの昔に凍え死にしていただろうが、読人には火衣がいる。炎を滾らせる火鼠の衣が冷気を和らげてくれていた。


「火衣、来る!」

『おう!』

「……ふふ」


 氷河に飲み込まれかけた読人が火衣の火柱によって脱出できたのも束の間、間髪入れずに次の攻撃が始まった。櫻庭と彼に寄り添う雪の女王が薄っすらと微笑むと同時に、白い吹雪が巻き起こる。雪を孕んだ小さな旋風が実体を持てば、雪でできた狼の群れが飛び出して来たのだ。


雪狼せつろう、行きなさい」

「っ! 火衣、あれと同じ事、できる?」

『全てはお前の想像力次第だぜ、読人!』

「なら、できる!」

『想像できたら名前を叫べ。名付ければ意味を持つ、真名を核として空想が形と姿を持つ……姿と真名を持った攻撃は、今まで以上の威力になる!』


 櫻庭を前にして感じた……彼は、今までの【戦い】と同じやり方で勝てる相手ではないと。

 抽象的では駄目だ。もっと具体的に、形を作って想像して創造したものに名前を付ける。櫻庭と雪の女王がやったように、雪が狼になったようにこちらも炎をナニかに変化させた。


鼠花火ねずみはなび!」


 攻撃名を叫ぶなんて、少年漫画の主人公のようだが不思議と羞恥は感じなかった。読人の中で想像した攻撃に名前を付け、その名前から姿を確立させた攻撃は言わば力を凝縮させた形だ。

 ただの炎と、炎を凝縮させた弾丸ではどちらの威力が上かと尋ねたら断然後者である。雪の狼を真似して、読人に創造された炎の鼠の群れが狼と衝突すると雪と火花が弾け飛んだのである。その攻撃はまるで散弾銃だ。

 何発もの弾丸として撃ち出された小さな鼠たちが狼の眉間を貫き、それによって散った粉雪の幕を突き破ったのは一点集中の巨大な炎の針だった。


火針ひばり!」

氷針ひばり


 針なんて生温い、櫻庭を貫こうと火衣の背中から発射されたのは巨大な炎の槍だ。高温を凝縮させた、刺されば燃える炎の槍が冷気を貫いたが櫻庭もほとんど同じ物を創造していたのだ。

 こちらは、巨大な氷柱と言えばいいのだろうか……火針とほぼ同じ大きさ・直径の鋭い氷柱が火針を迎え撃ち、熱気と冷気は相殺し合って一瞬にして蒸発してしまう。

 再び白く染まる視界、だけど鼻から入って来る匂いは未だに冬の乾燥を孕んだままだった。まだ、雪解けを迎えていない。


「成程、流石はかぐや姫の守り人と言ったところか。正直舐めていたよ」

「これでも、いくつかの【戦い】を潜り抜けて来ましたから! 貴方みたいに不老不死を欲した人や、【本】の能力に溺れた人と」

「不老不死を欲した、か……少し、違うな」


 櫻庭の頬を撫でた白い手が宙を舞い、地面からは氷の剣山が飛び出て来て危うくスニーカーが串刺しになるところだった。寸でのところでお墓の土台へと避難し、墓石に刻まれた『斉藤』さんに失礼しますと、心の中で念じておく。


「僕が欲しいのは、不老不死なんかじゃない。欲しいのは、『竹取物語』に眠る美しい姫――かぐや姫だ」

「?」

『かぐや姫……?』

「なよ竹のかぐや姫……しなやかな竹の、揺れ光る輝く姫」

「っ!」


 最初に創造された大氷壁が櫻庭の背後で動き出し、バラバラと氷の粒が降り落ちれば氷が巨大なトナカイの姿を写し取る。

 無数の氷柱が垂れ下がった角が牙を剥いて、読人たちへ向かって突進してくれば、最大サイズまで巨大化した火衣が受け止めた。


「君のお祖父さんが優勝者となった50年前の【戦い】……幼い頃の僕は、その【戦い】の終結をこの目で見た。最後の2人として残った黒文字蔵人と、僕の父による最後の【戦い】の勝者は黒文字蔵人だ。そして、彼は君が持つ『竹取物語』の【本】でかぐや姫を召喚した。勝者へ不老不死の妙薬を授けてくれる、美しい姫を、ね」


 そして、【戦い】の盛大な音をBGMにして櫻庭は語る……一点の曇りのない、冷たい目で彼は少年のような表情で言葉を、“想い”を紡いだのだ。


「闇をかき消してしまうほどの眩い光の中で、僕は見たんだ……コノ世のモノとは思えない美しさを、太陽も月も星も、どんな光も霞んでしまうほどの美しい光の輝きを。たった一言、「美しい」としか表現する事のできない圧倒的な美を持った姫だった……当時5歳の僕は、彼女に心を奪われた。否、今でも奪われ続けているよ。かぐや姫に!」


 初めて、櫻庭が自身の言葉に感情を込めた。

 淡々と、まるで感情を凍り付かせたかのような口調で胡散臭い言葉を並べた印象を持った彼が初めて、語尾を上げて、熱っぽい愛の告白の如き言葉を叫んだのだ。

 50年前に目にしたかぐや姫に心を奪われた。否、今でも奪われ続けている……当時5歳だった男児は、美しい姫に心を捕らわれ続けている。


「恋を、してしまったんだ……かぐや姫に。年齢を重ねても、50年の月日を経ても、どんな女と寝てもこの胸のざわめきが収まる事はなかった! そうだよ、僕は! 愛しているんだ……彼女を」

「……はぁ?」

『オイ読人、コイツ……ヤバい奴だ』


 櫻庭聖一朗と言う男は、黒文字蔵人が召喚した『竹取物語』の主人公・かぐや姫に恋をした。幼い頃の初恋は未だに彼の心を捉え続け、50年間拗らせ、60歳をあと少しのところで……狂愛にレベルアップしてしまった。

 火衣の言うように“ヤバい奴”であるが、こんな理由で【戦い】に身を投じている人間の方が危険だと読人の脳内で警告音が鳴る。富や名声のために不老不死を求める者よりも、【本】の能力を己の欲望のために使おうとする者よりも、頭が完全にイカれてしまった者よりも。

 初恋とか言う、純情で純真な理由で此処まで冷徹になれる人間の方が、遥かに危険だ。

 氷の巨大トナカイを撃破して、櫻庭が自身の心の内を吐露して墓苑と氷壁の中心で愛を叫ぶと、読人は【本】を持ち直してベストのボタンを全て閉める。初恋の女性に会いたいと言う、死期を悟ったご隠居のような願いは叶えさせられない。

 次の一手は、こちらが先に動く……【本】の光を一層輝かせて、読人も火衣も臨戦態勢に入ったその時、上空から汽笛が聞えて来た。見覚えのあるSLが大氷壁へ盛大に突っ込んで来たのである。


『えー、前方突っ込みますので、お客様はしっかりとシートベルトをお締め下さい』

「車掌さーん、この列車吊革しかなかったわ」

「きちんと創造しておきなさい!」

「え、え、え、ええええぇぇぇーーー!?」


 読人には聞こえなかった3人分(+創造された車掌さん)の声がドップラー効果を生み出して、大氷壁へ突っ込んで行った。


「……響平?」

『何しに来たんだ、アイツ』

「【戦い】の最中に余所見とは、余裕だね」

「っ!!?」


 住宅地の方から暴走して来た銀河鉄道に気を取られていたら、既に背後を取られてしまっていた。櫻庭の隣から姿を消していた雪の女王から読人へ、凍て付く抱擁を贈られたのである。

 細く白い身体が背中に密着して豊満な胸が当たるが、柔らかさよりも刺さるほどの冷たさしかなく艶やかな仕草で腕が回されて胸をまさぐられても、指先が触れた部分から氷が張って行く。本当の意味で、背中が凍り付いたのだ。


『読人!!』


 雪の女王が密着した背中に感覚がない。頬に触れた冷たい指先から霜が付着して、嘲笑が降る髪には氷柱が垂れ下がり始める。

 読人の氷像が、できつつあった。


「勢いに任せて突っ込んじゃって、ごめんなさい」

「解ればよろしい」

「……寒い」


 一方、盛大に大氷壁へ突っ込んで来た銀河鉄道はと言うと、【読み手】である響平が桐乃に説教を食らって謝っていたところだった。

 大氷壁に衝突事故の痕跡を残した銀河鉄道は無傷であったが、乗客はしっかりとその衝撃を受けてしまっている……これでも、安全装置でも作動したのか、リアルの衝撃よりも大分軽減されたけれど。

 夏月が氷の世界に降り立てば、冬に逆戻りした冷たい風が身に染みた。それと同時に、女王の世界に侵入して来た闖入者を出迎えるべく、雪狼の群れが降り積もった雪から湧き出て来たのだ。


「早速敵のお出ましか」

「嘘吐きの鼻!」

「燕が産んだ子安貝!」

「……」


 響平が【本】を開くよりも、桐乃と夏月の方が早かった。

 ピノッキオの鼻のトンファーが伸びて雪狼を砕き、燕が飛翔したと同時に出現した薙刀が同じく斬り・薙ぎ払う。そして、ちまちま相手をするのは面倒だと言わんばかりに創造された、『ピノッキオの冒険』のモンストロによって雪狼は一掃されてついでに進路が拓けてしまった。


「行こう!」

「はい!」

「……はい」


 女性陣の勢いに押されかけた響平も彼女たちを追って氷の欠片が散らばる石畳を駈け出せば、大氷壁の中心部となっている墓苑で【戦い】に興じている2人の【読み手】の姿が確認できる。

 季節外れの、それでいてこの場ではとても温かそうな黒のオーバーコートを着た男性と、彼の肩に白魚のような白い手を乗せた雪の女王。そして……大氷壁に貼り付けられていたのは、真っ白な霜が纏わり付いた読人と火衣だったのだ。


「っ、読人!!」

「「読人君!?」」

「邪魔をしないでおくれ」


 あまりにも冷たい声が発せられたと同時に、駆け出した夏月の前に氷の茨が生い茂り彼女の進路を塞ぐ。今度の氷は、雪狼のように斬られても霧散してそのままではなく、直ぐに再生して茨には氷のバラが咲いた。

 これで、邪魔者はいない……櫻庭の腕が真っ白になった読人に伸びて『竹取物語』を奪おうとしたが、霜まみれの身体が微かに動き必死に右腕の【本】を庇ってもがく。

 まだ、少しの体温が残っている。まだ死んでいないから、抵抗ができる。


「がっ……はぁ」

「冷たいかい、苦しいかい? でも、まだ死ぬほどの寒さでじゃあない。安心しなさい、感覚も脳も麻痺を起こして温かく気持ちよく錯覚して苦しむ事はない。そのまま、気付けばアノ世だ」

「はぁ、はぁ……っ」

「かぐや姫は、僕が守ろう」

「……や、やぁ……だっ」


 身体に能力が入らない、頭も正常に動かない。櫻庭の声も、今の読人には遠くから叫ばれる木霊のようにしか聞こえない。

 そんな状態でも『竹取物語』を渡すまいと必死に手を動かそうとするが、小さな氷の欠片が落ちるだけで動かす事すらできなくなっている。火衣も、小さな身体を氷に飲み込まれて閉じ込められてしまっている。

 これが、絶体絶命と言う事か……昔、四文字熟語を間違えて×をもらったのを、何故かこんな時に想い出した。


「そうだ、想い出した。最期に一つだけ、僕は君に謝らなければならない事があったんだ」

「……?」






「僕なんだ。30年前、君の伯父を……黒文字書人を殺したのは――」






 殺害の告白と共に、白い息が口から洩れる。今日は何月何日なのか錯覚してしまう季節の中で、櫻庭は感情も何も込めずに、本の一文をただ朗読するだけの口調でそう、言ったのだ。





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