16-④




「……っ、? ……??」

「今日は4月1日だが、もう正午も過ぎた。嘘ではないよ。30年前、僕は黒文字書人を殺害してしまった」


 何て、言った?

 今、櫻庭は何を、どんな事を、一体どうしてそんな事を言ったのだ??

 理解できなかった。否、櫻庭が口に出した一言一句の単語の意味も、それが作り上げた一文の意味は理解できる。

 しかし、それを咀嚼して飲み込めなかった。自分に降りかかって来たモノだと言うのに、その言葉は身に沁みる事はなく、読人の周囲をぷかぷかと漂っていて目の前を何度も行き来しているように感じてしまった。

 目に見えないけれど、耳に残っているその一文を読み返してみる……30年前、君の伯父を……黒文字書人を殺した――

 目の前の男、櫻庭聖一朗が。


「僕もまだ若かった。感情で先走り、気がはやり、未熟故に過ちを犯した……本当に申し訳なく思っている」


 櫻庭は他人事のように、反省の気持ちなどこれっぽっちも感じられない声色でそう、言ったのだ。


「……」

「さあ、これで僕の懺悔は終わった。今日、君の家の墓に来たのは謝罪と、感謝と、宣戦布告のためだ。黒文字蔵人は50年間、姫の身を狙う暴漢から【本】を隠し通してくれた。感謝する」

「……」

「今世の最後の1人は、かぐや姫の祝福を受けるのは、この僕だ」

「……っ!!」


 櫻庭の腕が貼り付けのされた読人に伸びる。彼が抱えている【本】を奪い、「めでたしめでたし」と言いながら表紙を閉じれば『竹取物語』は彼の物になる。あとは今年の12月31日まで【戦い】を勝ち抜けば良い、最後の1人の優勝者としてかぐや姫と対面するだけだ。

 白い息の向こうに見える櫻庭の目は勝利を確信している、低体温症で虫の息となっている読人なんて既に眼中にはないようだった。

 だが、目の前でまだ息が残る獲物を無視して勝利の美酒に酔いしれるなんてなんて考えは、犠牲になったチーズケーキの何十倍も甘い話である。

 櫻庭との距離が最も近付いたその瞬間、大氷壁に貼り付いて頭を力一杯剥がして頭突きを食らわせた。

 だが、身体の芯まで冷え切って力の抜けている今の読人の頭突きなど大したダメージになる訳もなく、櫻庭が小さく舌打ちをすれば蹴り飛ばされて大氷壁から無理矢理剥がされる。そして、雪が積もった地面に転がされ、痛みと寒さに荒く息を吐きながら立ち上がろうとするが再び上質な革靴で蹴られた。

 蹴られた拍子に、前髪を止めていた夏月からもらったヘアピンが外れて地面に転がる。凍って脆くなったプラスチックの三日月は、櫻庭に踏まれてパキンと音を立てて粉々になってしまった。


「がっ、はぁ……はっ……!」

「手間をかけさせないでくれるかい」

「っ、あ、はっ……がぁ!」


 身体の下に【本】を隠してうつ伏せに転がる読人へ再び櫻庭の左腕が伸びたが、その左腕に読人が思いっ切り噛み付いたのだ。

 手負いの獣でも此処まで醜く、無様な抵抗はしないだろう。指一本も動かない極寒の中で、頭を大きく振ってオーバーコートの厚い生地に大して鋭くもない歯を立てる。残る力を全て歯に集中させるが如く、死にかけの呼吸を繰り返して櫻庭の腕を噛み続けた。

 抵抗を続けている訳ではい、【戦い】の続きをしているのではないと頭の片隅で理解していた。これが攻撃になるなんて思ってもいない。

 けれど……この男を野放しにしてはいけないと、本能的に察したのだ。

 雪と氷で真っ白になって、体温を奪われて真っ青になった読人が櫻庭を睨み付ける。そんな読人を一瞥した櫻庭は、しつこく噛み付いている少年の身体を再び蹴り飛ばして左腕から引き離し、『雪の女王』の【本】の別なページを開く。

 しつこい子供が鬱陶しくでもなったのか。雪の女王が自身の下に戻り、肩に腰かけたと同時に別の創造を始めようとした……今度こそ、こんな呆れる抵抗をさせないために、体中の血を凍り付かせんばかりの冷気を浴びせてやろう。

 何、死にはしないさ、仮死状態にはなるだろうが【戦い】が終わるまでは死なせはしない……凍死するのは、『竹取物語』が櫻庭の手に渡ったその時だ。

 もういい加減、終わりにしようとした櫻庭だったが、この場にいるのは2人の【読み手】だけではない。

 読人を守るように、彼と櫻庭の間に滑り込んで来たのは氷の中から脱出した火鼠の衣――炎の勢いが衰えつつある、火衣だった。


「どきたまえ」

『嫌だ』

「どけ」

『嫌だ!』

「ただの創造物が、【読み手】に義理立てでもしているつもりか」

『義理立てじゃあない、拒否だ……お前は、嫌だ!』

「……」

『オレたちは、他の【本】とは少し違う。創造能力として創造されたオレでさえ、こうやって意志と感情がある。オレの意志は、『竹取物語』の【本】――かぐや姫の世界その物の意志だ! お前が惚れている姫の世界が、お前を拒絶しているんだよ!』


 火鼠の衣は、背中の炎の針が鎮火してしまうほどの吹雪の中で、櫻庭を拒絶した。

 小さな身体で自身の背後で倒れている読人を守りながら、『竹取物語』の総意を告げた……櫻庭聖一朗は、嫌だと。


『お前よりは、甘ちゃんでお人好しで、思春期で悩んで惚れた女の前で恰好付けたいこいつが良い! オレたちは、黒文字読人の【本】だ!!』


 残る力を振り絞って炎を滾らせた火衣を前に、櫻庭は怯みもせず戸惑いもせずただ黙って火衣と読人を見下していた。雪の女王微笑を浮かべて頬擦りしても、その表情は変わらない。

 火衣の……『竹取物語』その物の拒絶と同時に、再び、大氷壁が砕け散る。

 吹雪を汽笛でかき消し、いくら破壊しても絶えず出現する氷の茨を一気にぶち壊した銀河鉄道が背後に停車した。それと同じタイミングで、また別方向から氷の砕ける音がすれば巨大なスズの兵隊が乱入して来て櫻庭を取り囲んだのである。


「読人君!」

「おじさんさぁ、こんな風に高校生を殺しにかかるって。大人としてどうだっきゃ」

「アンタがどこの誰かは知らねぇが、黒文字読人はオレたち得物だ」

「『竹取物語』は、渡しません。ワタクシたち、アーベンシュタインの前で横取りはさせません」

「二、三お尋ねしたい事があるのですが……過去四件の凍死事件の犯人は、お前か」


 氷の茨を突破して来た3人だけではなく、【戦い】の気配を追って来たハインリヒとビルネも侵入して来た。

 桐乃が自身の【本】を手に櫻庭を問い質そうとすれば、彼女の頭上には船をも飲み込んでしまうほど巨大なモンストロが創造され、この場は銀河鉄道と巨大なスズの兵隊と化け物鯨に囲まれてしまう。

 前者3人は嫌な予感に突き動かされ、読人の身を案じた。後者2人は、味方と言う訳ではないが櫻庭が『竹取物語』の【本】を手にするのを良しとはしていない。

 この場にいる他の【読み手】は皆敵だ。火衣が「嫌だ」と拒絶を示している今、櫻庭に分が悪すぎる。


「……疲れる【戦い】はしないようにしているんだ。歳だからね。『竹取物語』は、一旦君に預けよう。僕のかぐや姫がどこぞの馬鹿者に辱められないように、【戦い】を勝ち抜く事だね。それと、僕の能力をもう一つ教えておこう」

「……」

「『雪の女王』の物語の、悪魔が作った鏡を知っているかい? 美しいものを憎たらしく映す、何もかもを歪んだ姿にする鏡の事さ。カイはこの鏡の欠片が目に刺さり、心が歪み、ひねくれた。僕はその鏡を想像して創造したんだ」


 殆どはっきり機能していない、少しでも気を抜けば意識が彼方へ消えてしまいそうな読人の耳に櫻庭の声が届く。櫻庭の冷たい声に冷たい手、そして……氷のように澄んだ双眸には、冷たい光が宿っていた。


「創造能力・悪魔の鏡の欠片。僕はこの欠片を両目と心臓に刺している。この欠片のおかげで、僕は良心とか優しさとか、人道とか言う生温い感情を抱かなくなっている。冷酷に冷徹に冷静に、【戦い】に……かぐや姫と再会する事にだけ、集中する事ができるんだ。僕は本気だ、かぐや姫を手に入れるためならば……殺人だって厭わない。勝つのは、僕だ」


 その言葉を残し、雪の女王が呼んだ北風に連れられて櫻庭は姿を消した。吹雪の中で佇む氷の宮殿の紋章を持つ【本】がそっと閉じられ、過ぎ去った冬の物語は一旦幕が閉じられたのだ。


「読人君!!」

「読人!」

『読人! 目ぇ開けろ、オイ!』


 冬に塗り潰された春が戻って来た。

 大氷壁も降り積もった雪も、雪解け水など残さずににされて綺麗サッパリ消え去った。しかし、ひっくり返った箱の中のチーズケーキは、ぐちゃぐちゃになったままでもう食べられない。三日月のヘアピンも粉々のままで、にはならなかった。

 駆け寄って来る声と、必死に読人の身体を温めようと炎を燃やす火衣の声が耳の奥で木霊する中、読人の頭は無意識に伯父の姿を思い出していた。

 写真でしか……遺影でしか見た事のない、祖父にそっくりな顔をした少年は、母によく似た表情で読人に笑いかける。そこで、読人の意識は途切れたのだった。




***




 神田川沿いの桜並木は、都内有数の花見スポットだと多くの情報誌で記者がオススメをしている。夜になれば、闇空を背景にした桜は提灯の橙色の灯りに照らされて、艶やかで幻想的な姿へと変貌する。

 満開の夜桜に足を止めた櫻庭は左腕に目をやった。長年愛用している黒のオーバーコートは、本来ならば腕には大きめのボタンが付いているのだが、左腕のボタンをどこかで無くしてしまっていた。

 その左腕に、解れた二つの穴ができている。コートとシャツの袖を捲って素肌を曝せば、男のものにしては白い肌に薄っすらと赤く噛み痕ができている。

 コートの穴は、読人の歯によって付けられた。冬用のオーバーコートの生地を噛み抜いて貫通させるなんて、一体どれだけの力を込めて櫻庭に噛み付いていたのか。

 怪我とも言えない噛み痕を指でなぞった櫻庭は小さく笑みを浮かべ、神田川に垂れる桜の枝を見上げた。


「黒文字蔵人にも、その息子にも似ていないと思ったが……やはり、血筋か。コートは買い替えようと思っていたが、やめるとしよう。買い替えるのは来年だ」


櫻庭聖一朗

【本】のタイトル:『雪の女王』

所有する紋章の数:五個

 ・『雪の女王』

 ・『ごんぎつね』

 ・『ジャングルブック』

 ・『ナイチンゲール』

 ・『小公女』

備考:良心と人道を捨て去った、初恋こじらせたモンスター。


 噛み付いて抵抗して来た読人の目が、死に間際の抵抗を見せた書人の目と……30年前に見た目と、よく似ていた。






To Be Continued……



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