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閑話①




「ヨミヒトクンって、呼び辛くね?」


「そういえば」で始まった正美の疑問に、読人本人も尋ねられた朝霞も首を傾げてクエスチョンマークを返した。

 場所は暦野北高生にはお馴染み、『無問鯛』の前。今日は今月の期間限定商品ではなく、ノーマルな小倉たい焼きに齧り付いていた。ぶっちゃけ、これが一番美味で何度も食べたくなる味である。

 で、話に戻ろう。たい焼きの話は特に関係ない。


「呼び辛いかな?」

「“読人”って四文字だろ。“君”付けすると六文字だ、正直言うと俺は呼び辛い。小学校の頃は“君”付けしたけど、呼び辛かったから直ぐに止めたんだよな」

「だから次の日から呼び捨てになったんだ、正美ちゃん」

「ちゃん付けすんな!!」


 名前だけを見れば十中八九女の子に間違われる正美は、“ちゃん”付けされるのが嫌だった。男の名前に「美」の字を入れた亡き祖母に、恨み言の一つでも言いたいぐらいである。

 頭から半分が消えたたい焼きを片手に、読人と正美がギャーギャーワーワーやり合っている。彼らの隣でその様子を見ていた朝霞の顔には、自然と笑みが零れていた。


「2人とも、仲が良いね」

「何だかんだ言って、小3からの付き合いだもんな」

「小学校じゃ一回も同じクラスになったことなかったのに、中学3年間一緒で高校でも一緒になったしね」

「何だか良いね、そんな関係」

「で、さっきの話の続きだけど。多分、マサは呼び捨てで良いじゃんって言いたかったんだと思う。だから、俺のことは“読人”って呼び捨てにして良いよ。俺も賢哉って呼ぶから」

「うん、少しずつやってみるよ」

「呼び捨てに抵抗があるなら、あだ名で呼んでみろよ。こいつ、昔はよっくんって呼ばれてたし」

「よっくん言うな!!」


 その昔、読人は両親と祖母に「よっくん」の愛称で呼ばれていたが。が、本人はそれが嫌だった。某駄菓子みたいだし。

 あだ名で呼ぶなら名前で呼んでくれ、呼び捨てで良いから。

 彼は「読人」と言う名前が好きだ。祖父が付けてくれて、生前は必ず「読人」と呼んで“君”付けもあだ名も付けなかったこの名前が良いのだ。


「よっくん嫌だよーー! イカは嫌だよーー!」

「わ、分った。読人」

「うん、賢哉!」


 朝霞――賢哉と共に昼食を食べたり、こんな風に下校時に寄り道をするようになった。簡単に言えば、友達になったのだ。

 前髪を上げた読人を見習ったと言った彼は、髪をバッサリ切ってしまった。何だか少し明るくなったような気がする。

 天気予報によると、逆戻りした冬の寒さは今日までらしい。短い2月は昨日で終わってしまい今日から3月、日曜日になれば卒業式だ。今年度の3年生にお世話になった先輩はいないが、何となく寂しくなるのは春が別れの季節だからなのかもしれない。

 正美はこれから、卒業する柔道部の先輩たちの送迎会の打ち合わせだと言っていた。1年生が企画するのが柔道部の伝統だと言う。残っていたたい焼きを一口で食べてしまってから、「また明日な」と言って手を振る彼を見送りながら、読人と賢哉も残ったたい焼きを口に詰めた。


「ところで読人、本当にあの【本】は僕が持っていて良いの?」

「うん。小さい頃から読んでいる大切な物だろ。それに、『みにくいアヒルの子』を一番大切に思っているのは、賢哉だと思っているし」

「……ありがとう、読人」


 そう言って横に置いた鞄に手を添えた賢哉は、照れ臭さを誤魔化すようにたい焼きを一気に口に頬張ってしまう。

 既に紋章がなくなり、【戦い】からは脱落してしまった【本】ならばこちらで保護する必要はないと紫乃は言っていた。だから、賢哉が持っていても特に問題はないだろう。

 あの時の辛い記憶を思い出してしまうかもしれないが、それ以上に賢哉は『みにくいアヒルの子』を大切にしていた……だから、あの白い【本】は今でも彼の手の中にあるのだ。


「あ、そろそろ予備校に行かなきゃ」

「じゃ、俺も帰ろう。じゃ、また明日」

「うん、また明日」


『無問鯛』の前で別れると、賢哉は電車で予備校へ向かい読人は駅の停留所からバスに乗り込んだ。今日はバイトがないので、このまま帰路に着く……かと思いきや、自宅の最寄り駅の一つ手前の駅の停留所で降りてしまった。

 バスのタラップを踏む足取りがどこか軽やかなのは、内心浮かれているからだろう。

 実は昨日、始めてのバイト代が出たのである。『若紫堂』の給料日は月の最終日。しかも、紫乃のポリシー故か銀行の口座へ振り込むのではなく現金の入った封筒を1人1人手渡しされて、しっかりとその存在感を噛み締めさせられた。

 バイトを始めた1月の分と、今月の分。2か月分の労働時間と時給を換算したバイト代が入った茶封筒は、隣の桐乃の物よりもちょっと厚く、掌の上に乗せられた時は実際よりも随分と重く感じた。家事のお手伝いをした時にもらうお駄賃とは違う、読人の労働が正当に評価された対価としての給料――初めて、自分で稼いだ金だった。

 深々と頭を下げてその給料袋を受け取った時の紫乃の表情は、いつも通り厳しくとも成長した孫に向けるような優しげな色を含んでいた。初給料で両親に孝行してやりなさいと、そう言った師匠の言葉に何度も頷いた読人は本日、封がされたままの給料袋を手に両親へお土産を買って帰るつもりだったのだ。


「ただいま~」

「お帰り」

「今日のご飯、うどんで良い? 冷凍庫にしまっていたうどんの賞味期限、すっかり忘れていて……あら、下弦堂の箱」

「あ、それ……お土産のフルーツロール。バイト代、出たから」

「……ありがとう。夕飯後に頂きましょう」


 ネギが二本飛び出たエコバッグを片手に仕事から帰って来た母が、読人にそう尋ねながら冷蔵庫を開けると中には清楚な色をしたケーキ箱が入っていた。

 それは、こよみ野市内でも有名な老舗洋菓子店『下弦堂』のフルーツロール。

 苺にメロンに蜜柑、パイナップルにバナナ、マンゴー、キウイの七種類のフルーツが甘さ控えめの生クリームの海に沈められ、ふわふわに焼き上げられたスポンジ生地に包まれた人気商品だ。読人も好きだが彼の両親の好物でもあるそれを、いつも買うハーフサイズではなく一本丸ごと買って来たのである。

 両親に孝行してやんなよ、と言われても、父の日や母の日にプレゼントをしたりいつもより多くお手伝いをしたりと小学生のような発想しかできなかった。正直ロールケーキは喜んでもらえるかと不安だったが、母の反応を見ればそんなのは杞憂だったようだ。


「そうだ読人、これを渡しておくわ」

「どれ? え、通帳とカード」

「その口座にバイト代を貯めておきなさい」


 冷蔵庫に買って来た食材等を詰め終った母が、居間のダッシュボードの中から取り出して読人に手渡したのは、古ぼけた預金通帳と同じ銀行のカードだった。

 口座名義人の名前は「黒文字読人」となっていて、通帳の中を開いてみたら定期的に入金がされており結構な額が印字されている。これは何かと尋ねれば、この口座は亡き祖母が作った口座だと母は答えたのだ。


「読人が産まれた時から、おばあちゃんが毎月貯金していたの。読人の将来のためにって。おばあちゃんが亡くなっていてからは、おじいちゃんが」

「おばあちゃんが……これ、最初に入った2,984円って?」

「読人が産まれた時の体重よ。あと、その通帳にはおじいちゃんが書いた本の印税が入って来るからありがたく使わせてもらいなさい」

「印税?!」


 聞けば、母も祖父――蔵人の葬儀で出版社の人から聞かされて始めて知ったらしい。蔵人が昨年の終わりに、自身が出版した本の印税の振込先を読人の口座に変更したと言うのだ。

 何百万冊をも売り上げる人気漫画のように高額な印税が入って来る訳ではないが、蔵人が書いた本は大学の文学部等の講義における教科書として使用されているためそれなりに売れているらしい。なので、全く入って来ないと言う訳ではない。それでもお金はお金、蔵人が読人に遺した……否、祖父母が遺してくれた遺産のようなものである。


「……頂戴、致します」


 それを知ったら、とても軽いはずの通帳とカードがとてつもなく重く感じた。

 紫乃から手渡されたバイト代の紙袋以上にずっしりと読人の両手に沈み込んだその重量は、物質としての重さではないだろう。それに込められた、家族の想いだ。


「あとそうだ。おじいちゃんの家、梅村さんにお貸しすることになったから」

「……え、何それ」

「言ってなかったかしら? あのままにしておくのも勿体ないし、残っている本も梅村さんなら上手く使って下さるかと思ってお父さんと決めたのよ。欲しい本が残っていたら、早めに持ち出しておいてね」

「……」


 ついで、というニュアンスが込められた口調で母が語ったお知らせに、読人は酷く焦りを覚えた。

 あまりにも急に家主を失ってしまった蔵人の家は、築30年が経過しているが老朽化の気配を見せず都心へのアクセスも良い立地の一軒家だ。大きな家具や電化製品は持ち出していないし、蔵人が研究のために集めた様々な蔵書も手付かずのまま本棚に並べられている。

 だから、ただ無人で放置しておくよりも誰かに貸し出した方が家も腐らないと判断したのだろう。4月から母の名義で、他人に貸し出すことになったのだ。


『ん~……どうした読人、そんなに慌てて』

「おじいちゃんの家に行って来る!」

『ふ~ん。付いて行ってやるよ』

「うん、火衣も手伝って」

『って、何する気だ?』

「探し物!」


 焦った様子で自室に飛び込めば、『下弦堂』のフルーツロール(ハーフサイズ)に齧り付いている火衣がいた。

 丸ごとじゃなくて切って食べようよ、などとの苦言をする暇もなく読人はコートと蔵人の家の合鍵だけを引っ掴み、フルーツロールを丸呑みした火衣をフードの中に入れて家を飛び出した。

 家を貸す相手は、梅村ウメムラジュンと言う人物だ。蔵人が現役で教鞭を採っていた頃の最後のゼミ生の1人で、読人も顔を知っているし遊んでもらったことのある人だった。蔵人の葬儀にも出席していたのを微かに覚えている。

 大学院を卒業後、地方で教師をしていると聞いていたが来年度から都内の大学の非常勤講師として勤めることになったらしく、その縁で蔵人の家を借り受けることになったらしい。

 確かに彼ならば、残された本を有効活用してくれるだろう。だが、読人も蔵人の家で【本】を探そうとしていたのだ。誰かに先に発見される前に、自分が保護したかった一冊の【本】を。


「な、い」

『お前、さっきから何を捜しているんだ?』

「おじいちゃんの【本】だよ。50年前の戦いで、おじいちゃんが選ばれた『古事記』の【本】……それが、見付からないんだ」


 蔵人の書斎の本棚を全て引っくり返しても、白い装丁の美しい【本】は一冊も見当たらなかった。

 紫乃のようにどこか秘密の隠し場所にでも保管しているのかもしれないと色々と家探しをしてみたが、これと言った成果は得られずただ家の中が散らかっただけで終わってしまった。


「……どこにあるんだろう? おじいちゃんの『古事記』は」






To Be Continued……

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