21-②




「娘さんたちを……その、捕食した狼は遺伝子操作による、人工的な種であると判明しました」


 当たり前だ。あんな化け物、野生にいたら保護するどころか真っ先に撃ち殺してやる。


「あの狼は、娘さんたちを捕食したうえで死亡したものを見られています。死因は恐らく、銃殺でしょう」


 できる事なら、自分がそいつを撃ち殺してやりたかった。野生なら、の話だが。あの化け物の影には、悪意を持った人間がいる。人工的な、人間によって造られた種である以上、その狼を造った奴がいる。そして、狼を娘たちに向けて放った奴がいる。


「死亡推定時刻は、夕方の3時から5時の間。上の娘さんが3時10分発のスクールバスで下校しているので、帰宅後4時から5時に絞られます。失礼ですが貴方はその時間、何をしていましたか」

「……俺を疑うのか」

「形式的なものです」

「俺が! 妻をミンチにして! 娘たちを畜生に食わせたというのか!! 誰が、そんな気が狂った事をするというんだ!!」

「落ち着いて、オーキッドさん!」

「ケイティは、8歳だった。ジェナは、まだ……4歳に、なったばかりだったんだぞ! もうすぐ、クリスマスだった……イルミネーションを、ツリーを飾って、プレゼントも……っ」


 刑事の胸倉を掴んで怒鳴り、喚き、嗚咽を上げて膝から崩れ落ちる。

 あまりにも異常で凄惨な事件は全米を震撼させた。母を原型がなくなるまで撃ち殺し、幼い2人の娘を狼の餌として食わせた上で狼を殺した。

 狼に食べられる。まるで絵本の中の物語……非日常的で、頭のおかしくなった、悲劇の物語。

 家の中には、複数人が押し入った形跡があった。夫婦の寝室のみならず子供部屋も酷く荒らされていたため、物取りの犯行かと思われたが現金にもカードにもハンナの宝石類にも手を付けられていなかった。しかし、毛髪や指紋の類の証拠は見付かっていない。

 ただ一つの手がかりは、ケイティの部屋にあった一つの足跡。右脚の、8インチサイズのピンヒール。

 一般家庭の家の中を地獄の如き景色へと変貌させ、高いピンヒールでそこに乗り込んで来るという頭のおかしい奴が犯人という事しか、分からなかった。


「……何が、いつでも助けに行く、だ。悪い狼も誰も! 俺は、狩る事ができないのか……!」


 オーキッドの元に残ったのは、ケイティとジェナに読み聞かせた『赤ずきん』の一冊だけだった。ケイティが学校のロッカーに忘れていったと、葬儀の日に担任の教師が届けてくれたのだ。

 全米が涙を流す悲劇さえなければ、家族4人で幸せなクリスマスを過ごせたはずだった。明るいイルミネーションに囲まれた家で、みんなでクリスマスツリーを飾りつけて、母と娘たちは一緒にクッキーを焼いているはずだったのだ。

 12月のオーキッド家からは、光が消えた。残された父は、毎日が暗闇に支配された、絶望の家のただ1人の住人になってしまった。

 犯人も見付からず、行き場のない怒りをぶつける対象もないオーキッドは抜け殻だった。陳腐な表現であるが、それ以外には言いようがない。意志も感情も消えた濁った目で家を出れば、無意識の内に家族の墓の前へと辿り着き、ただ唯一手元に残った『赤ずきん』の物語を娘たちの墓へ向けて読み聞かせる。

 そんな毎日。周囲の人々もかける言葉が見付からない、下手に慰めの言葉もかけられない。


「……『ああ、食った食った。2人も食って満腹だ』狼は、すっかりお腹が大きくなったので、そのままベッドでイビキをかきながら眠ってしまいました。そこへ、いつも森で狩りをしている猟師が通りかかりました。『おや、おばあさんが大きなイビキをかいて寝ているぞ。いつもと様子が違うようだが……見てこよう』……『これは、狼ではないか』……、猟師は、眠っている狼を殺してしまおうと、鉄砲をかまえました……」


 既に年が明けた。人々は新年を祝い、賑わう中でもオーキッドはいつも通りの最低限の荷物を手に家族が眠る墓地を訪れていた。

 昨年から、新しい年を迎えてからも彼は毎日、何時間も墓の前に蹲りって延々と『赤ずきん』を朗読し続ける。そして毎回、猟師が登場するページで堪え切れなくなり、か細い悲鳴を上げる。

 彼の時間は11月28日で止まったままだった。


「やあ、可哀そうなパパさん」


 オーキッドの止まった時間を動かしたのは、墓地に響いた軽薄そうな声であった。


「……誰だ?」

「僕はポール・錦木ニシキギ。貴方の哀しみを取り除いてあげようと思いましてね。辛さを思い返させるその【本】、譲ってくれませんか」


 オーキッドを「辛気臭い」と笑い飛ばしそうなほど軽い口調でそう言ったのは、眼鏡をかけたアジア系の男だった。


「……嫌だ」

「何で。もう、読んであげる相手もいないでしょう。それとも、そんなに『赤ずきん』ちゃんがお好きですか?」

「……」

「金が欲しいなら、いくらでも出してくれると思いますよ。好きなだけ」

「……」

「……っち、面倒な事は全部下請けに任せやがって。血だらけの自分のケツぐらい自分で拭えっつの。殺して遊んで、後始末もしないで終わりかよ」


 突如現れた男・錦木が小さな呟きを滑らせたその刹那……傍の荷物を手に取ったオーキッドは、錦木へ向けて発砲した。手にしていたのはM16A2――海兵隊時代から愛用するアサルトライフルの銃口が鋭く、獲物を発見した猟師のようにギラギラとした光を放っていたのだ。

 墓地に通う際、オーキッドは最低限の荷物として仕事道具と言うべき武器を必ず持参していた。いつでも犯人を狩れるように、家族の仇が目の前に現れたら直ぐにでもぶち殺せるように。


「今、お前、言ったな……殺して遊んで、と。何を知っている。まさか、俺の家族を殺した犯人を知っているなんて、とびきりの朗報を教えてくれるんじゃないだろうな!!」

「さあ、僕は何も知らないよ。ただの下請けだから。けど……ボスが恐いから、ちょっと乱暴に仕事しますよぉ!」


 オーキッドの放った弾丸は、錦木の頬を掠った。

 この男はナニかを知っている。殺して遊んで、血だらけになったケツの持ち主の事を。その血は一体、誰のものなのかを。

 錦木が反撃して来るかとM16A2を構え直したが、手にしたのは拳銃でもナイフでもなく一冊の白い【本】だった。オーキッドの手に残った、娘たちの形見となってしまった『赤ずきん』と同じ表紙の白い光を放つそれを手にすれば、背後には巨大なイカダが姿を現した。

 タイトルは『トム・ソーヤーの冒険』……そうか、そういう事か。

 かつては兵士として修羅場を潜り抜けて来た杵柄か。それとも、あまりにも非日常的で非常識で突拍子もない事実に、驚愕して否定するどころか、一周を経てクールになったのか。

 オーキッドは【本】を手にした。狼に襲われそうな赤ずきんと、狼に銃口を向ける猟師の紋章が裏表紙に刻まれた『赤ずきん』を。


「お前には、いくつか訊きたい事がある……俺の家族を殺した奴は、誰だ」

「がっ……じ、じらなっ、い……!」

「嘘を吐くな!」


 錦木の口からは、拳大の石がボトボトと吐き出され続ける。創造能力・石吐き狼Werewolf on the Rock――オーキッドが最初に創造した能力の餌食となり、後頭部にはM16A2の銃口が突き付けられた。

『トム・ソーヤーの冒険』の【本】を手にし、調子に乗って舐めてかかってきたようだが見事に返り討ちに合っている。オーキッドが『赤ずきん』の【読み手】として覚醒した誤算のみならず、保安官であり元海兵隊という下地の違いから見ても、勝てる相手ではなかったのだ。


「僕は、ほんとにっ……ただの、じだうげだがっら……うおぇ。ハァ、ハァ……でも、組織の人間が、あんたが持つ【本】を回収するだめに、派手にやったって。狼が好きな、狂った奴が」

「狙いは、この【本】だったって言うのか!」

「やめ、やめて……そうだよ! その【本】、不思議な能力があって、今年一年は魔法の【本】になるんだ。ボスは、大元の組織のボスが、【本】を何冊も集めている。僕みたいな、【本】の能力を使える【読み手】を高額で雇ってもいる。理由は知らない!」

も、お前と同じ雇われの下請けか」

「さ、さあ……っ、がぁ、ゔぉぇ……! 詳じぐは、じらない! 組織の、結構上の地位で……【読み手】になっだって。噂じゃ、早速、大好きな狼を創造したってしか……た、頼む、止めでぐれ。この石を……!」


 明らかに食道よりも大きな質量の石が、胸と喉の激痛と唾液と共に吐き出される。自分の意志に関係なく、耐えられない嘔吐感に絶えず襲われ錦木は瀕死の状態だった。止めてくれてとオーキッドに懇願するが、彼は『赤ずきん』の【本】を閉じてはくれない。

 犯人の目的はオーキッドが持つ【本】だった。自分が娘たちに買い与えた、『赤ずきん』……事件があった日、ケイティが学校に忘れてしまっていたため、いくら家探ししても見付けられなかったのだ。

 その結果は、オーキッドが【読み手】に選ばれた。彼は、おびき寄せる餌と、奴を撃ち殺すための能力を同時に手に入れたのだ。


「……ケイティ、俺の長女だ。あの子は幼い頃から病気がちで、喘息も持っていて、1日中ベッドの上で過ごす事の多かった。本が大好きで、小さい頃は何冊も読み聞かせをしないと満足してくれなかった。次女のジェナは、ケイティとは正反対だ。身体を動かす事が大好きなお転婆で、誕生日に欲しがっていたトランポリンをプレゼントしたら、毎日嬉しそうに跳ねていたよ。ハンナとは、彼女の前の職場で出会った。彼女がいたから、片道40分の遠くの歯医者に通った」


 妻を、娘たちを殺した奴は、狼の能力を創造した【読み手】……そして、背後には末端の【読み手】を何人も抱える組織がある。組織の目的は十中八九九分九厘、勝者にもたらされる不老不死だろう。犯罪に手を染める秘密結社が欲するものなんて、それしか考えられない。


「狼、か……」

「ハっ、ハァ、ハァハ……この、野郎がぁぁぁ!! 墓場の殺人鬼インジャン・ジョー!」


『石吐き狼』を解除し、錦木を解放してオーキッドは背を向けた。搾るだけ情報を搾り取って吐き出させ、もう用はないと言いたげに。

 しかし、錦木が持つ『トム・ソーヤーの冒険』はまだ閉じられてはいない。背を向けたオーキッドを狙って創造されたのは、物語の中に登場する殺人犯。黒いもやのような影に身を潜めてツルハシを大きく振り上げ、オーキッドの頭をかち割ろうとしたのだ。

 深夜の墓地に響いた音は、ツルハシが頭蓋を突き刺す音でも墓石に血が飛ぶ音でもなかった。一発の銃声が銀の弾道を描き、インジャン・ジョーの持つツルハシを貫いて殺人鬼の眉間が撃たれたのである。


「あ」

狼殺しの弾丸Silver Breadか。こりゃあ良い」


 古来より、人狼を殺す聖なる弾丸――魔を払い、物語の悪役を確実に葬るための特攻エフェクトが付加された銀の弾丸は、オーキッドのM16A2によく馴染む。

 狼に襲われた赤ずきんのピンチに猟師が登場しないのならば、自分が猟師になるしかない……否、ならなければならないのだ。

 狼を創造したタイトルも知らぬ【本】の【読み手】を、家族の仇である奴を、この手を狩らなければならい。


「地の果てまでも、奴を狩る……!」


 以上が、カリフォルニア州ベイモンドで起きたオーキッド家の惨劇と報道された事件の全貌である。同時に、残された父親が綴る、復讐の物語の序章だった。




***




 ホルモンを網から上げるタイミングを逃してしまった。カラカラになってしまったコブクロが、網の目から落ちてしまう。早く食べなければ炭になってしまうが、この状況下では我先にと箸を伸ばす事を躊躇してしまう。火衣でさえ、箸を止めてしまっていた。

 だって、この状況だぞ。

 オーキッドの妻が殺されて娘たちが狼の餌となって胃の中から発見されて、彼は家族の復讐のために【本】を手にして、とある【読み手】を追っている。胃の中から人肉の破片が発見されたという話を聞いて、「美味そう」という感想を抱きながら牛や豚の内臓を口にできるだろうか。

 読人とハインリヒはそこまで肝が据わってなかったので、箸を再び手に取る気にはなれなかった。内臓だけに。


「……以上だ。簡潔に言えば、俺は家族の復讐のために【本】が必要だ。これがあれば、いつか奴と巡り合える」

「……どいつもこいつも、結局復讐かよ。仇を討つために、巨大な能力が欲しいって事かよ」

「ハインリヒ」

「悪いか。装備も能力も、多いに超した事はない。奴が【読み手】として狂った狼と一緒になって、黒魔術か何かのような魔法でも使って来るんだったら、こちらも同じ能力を手にする。じゃないと、確実にれない……! 以前、『ロビン・フッド』気取りの青いガキが問答無用で【戦い】を挑んで来た。紋章をぶんどってやったがそのガキは、俺になんて言ったと思う? 「復讐なんて、死んだ家族は喜ばない」と言ったんだ。ふざけるな! 俺の妻は、粘土細工のように身体を引き千切られた! 娘たちは、生きたまま畜生の餌にされて糞にもならずに内臓の中で殺された!! 自然の摂理でもねぇ、悪意ある人間の所業だ! 確かに、妻も娘たちもパパが人殺しになったら悲しむだろう……だがな! 家族の無念を、名誉を、誰が雪ぐ。俺が奴を狩らなければ、彼女たちは穢されたままなんだよ!! 永遠に、畜生の胃袋の中で苦しみ続けるだけだ!!」

「……石焼ビビンバチーズトッピング、お待たせしました。申し訳ございません、お客様。少々、お静かにお願いします」

「Sorry, ヒートアップしてしまった。こちらこそ、申し訳ない」

「いえ、ごゆっくり」


 オーキッドが手にしたビールジョッキを感情のままにテーブルに叩き付け、内面に秘めていた憤怒と憎悪を爆発させた。

 他の客や店員が聞けば、外国人が怒鳴りながらスラング交じりの英語を早口でまくし立てているようにしか聞こえない。彼の身に起きた悲劇も、現実にはあり得ないような惨劇も何も理解できない人々は、驚きと興味と嫌悪感他、様々な視線を読人たちのテーブルへと向けていた。

 肉を焼く音と換気扇の音しか聞こえない沈黙の中、石焼ビビンバチーズトッピングを持って来て声をかけて来た店員さん、本当に申し訳ありません。接客アンケートには、貴女がとても丁寧で笑顔だったと書いておきます。


「……貴方は、猟師なんですね」


 この人は猟師だ。おばあさんも赤ずきんも、誰も救えずに満腹で満足した狼を逃亡させてしまった……何もできなかった猟師だ。かつての【読み手】であるイーリスが自身と主人公の赤ずきんを重ね合わせたように、オーキッドは登場人物の猟師に自分を重ねてこの【戦い】へ――復讐の1年に、身を投じたのだ。

 一言。ホルモンを焼く音にかき消されてしまいそうなほど小さい読人の声は、オーキッドには聞こえなかったようである。


「ハインリヒ、肉が焦げるよ。勿体ないから、食べよう……っ、熱!」

『石焼ビビンバ、食うか?』


 すっかり食べ頃を過ぎてしまったミノを網から上げて直接口にすれば、当たり前だが熱かった。火衣から一口もらった石焼ビビンバも、やっぱり熱かった。

 読人は何かを振り払うかのように肉と白米をかっ込んだ。やっぱり、こんな状況でも焼肉は美味しいのだ。食わなければ生きている人間は動けない。復讐もできないし、許す事もできない。


『俺は、お祖父ちゃん……いや』


 母さんの言葉を信じたい。


「ハインリヒ、オーキッドさんと【戦い】で【本】を奪おうとしても今は無理だよ。返り討ちにされるのが目に見えている」

「しゃあない。先生には黙っておくか」

「もっと重要な報告ができるよ。今回の【戦い】には、不老不死を求める巨大な組織があるって」

「あ……」


 今まで、読人が対峙して来た【読み手】は個だった。櫻庭でさえも、彼個人の欲望で勝ち進んでいる。しかし、オーキッドが襲われたのは、個をまとめた集団だ。【本】を集め、【読み手】を集め、目的のためには殺人という手段も厭わなければ、狂った物語さえを創り出す組織が今世の【戦い】には存在している。


「人生の先輩として、一つ忠告をしておこう。組織には気を付けろ。特に、ヘアピンの少年」

「黒文字、読人です」

「ヨミヒト。君がかぐや姫へ至る道を手にしている限り、組織は必ず接触してくるはずだ。お前たちが生きる世界は、既に戦場と化している……生き残れ」


 戦え。己の【本】と生命と、誇りプライドを賭けて。

 狼を追う猟師の物語と、読人の物語が一瞬のクロスオーバーを魅せた。そして、大盛りライスと肉を全て平らげて、またそれぞれの物語へと進んでいった。


「申し訳ありません。当店は電子マネー決済に対応しておりません」

「Whattt?!」

「「!!?」」






To Be Continued……

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