21 赤ずきん【THE HUNTER】

21-①




 肉が焼ける匂いがする。

 灼熱の炎に焼かれ、空気を吸い込めば食道も胃も熱くなって煙が若干目に沁みる。

 ジュウ……と音を立てて、焼けた。

 タン塩が焼けた。

 薄切りのタン塩は、片面が焼けたらもう片面は炙るだけ。貴重な肉汁が零れないように慎重に網の上から掬い上げて、レモンを絞れば捕食準備完了。


「焼けたぞ。どうしたの? 食べないのか?」

「あ、いや……」

「日本人の若者は、みんな焼肉が好きだと聞いたが違ったか? まさか、そのガタイでベジタリアンとかいう冗談は言わないよな」

「肉、好きです。焼肉大好きです。けれど……状況が追いついていません」

「右に同じ」


 読人とハインリヒの皿に乗せられるタン塩。丁寧にそれらに肉を焼いた男――トマス・オーキッドと名乗った『赤ずきん』の【読み手】はトングを箸に持ち替え、レモンをたっぷり絞ったタン塩に齧り付き、生ビールで喉を潤した。


「Excuse me, 生ビール、もうイッコ」

「かしこまりました」


 通りがかった店員へ、きちんと日本語で生ビールをもう一杯注文した。

 状況説明をせずとも察してくれるとは思われるが、一応説明する。此処は廃ビルではない、上野駅前に群衆している焼肉屋の内の一軒である。読人とハインリヒはあの後、オーキッドに連れられてこの店に入り、何故か焼肉を振舞われていた。

 タン塩を片付ければ、豚バラカルビからの牛カルビに入る。半個室席の中央に乗せられた七輪の上で、下味のタレが揉み込まれたカルビたちが蠱惑的な匂いと音と音が、炭火の煙と共に五感を刺激した。


「箸、お上手ですね」

「ありがとう。昔、沖縄に派遣されていて現地の婦人に習った。小さな焼き肉屋の女将だ。若者はみんな焼肉が好きというのも、彼女に教わったよ。先日、十年以上ぶりに訪れてみたが既に店を閉めていた……もう一度食べたかったのに、残念だった」

「いただきます」

「……イタダキマス」

『読人、オレにもライスをくれ。この昔話盛りで』

「Excuse me」


 火衣の白米も、オーキッドが注文してくれた。絵本に出て来そうなこんもりと山型に盛られた超大盛ライスがやって来て、このハリネズミは躊躇せずに箸を手に「いただきます」と食事に入った。短い腕で器用に扱う箸捌きは、まだぎこちないハンリヒよりも上手だった。

 この状況でも、焼肉は美味いのである。

 タン塩から始まって次は豚バラカルビ、待っていましたメインの牛カルビ。醤油ベースの甘辛い付けダレが白米に良く合う。オーキッドが勝手に大盛りを注文して辟易したが、これならペロリと丼一つを平らげてしまいそうだ。

 大切な事なのでもう一度言う、焼肉は美味いのである。


「で、オレたちにメシを食わせて、どうしようって言うんだ? まさか、太らせて食うつもりなんて馬鹿な事を言うのか?」

「まさか。俺はお菓子の家の魔女じゃない。俺は」

「トマス・オーキッド、『赤ずきん』の【読み手】だろ。その【本】をよこせ。元々はうちの先生の持ち物だ」

「……こいつは、ナーサリーのバザーで購入したものだ。1月1日に紋章が現れ、『石吐き狼』の能力が創造された」

「肉を片付けたら、【戦い】でぶん獲っても良い」

「悪いな、アッシュブロンドの坊主。見逃してくれ」

「この肉で買収されろって言うのか」

「見逃して欲しい理由は三つある。一つ、俺は無駄な【戦い】はしたくない。二つ、今、脱落する事はできない。三つ……俺は、殺さなければならない狼と、その飼い主がいる。脱落できないのは、そのためだ」

「っ!」


 オーキッドの発言に横で聞いていた読人がカルビを喉に詰まらせかけて、急ぎウーロン茶で流し込んだ。オーキッドは三杯目の生ビールを注文する。

 ついでにホルモン系も何皿か、他に食べたい物はあるかと聞かれたので読人はウーロン茶をもう一杯お願いした。火衣が石焼ビビンバのチーズトッピングをテーブルの下から言って来たら、店員は事務的に注文を聞き流す。

 炭水化物、採りすぎでは?


「俺は狼を追っている。【本】の能力で創造された狼と、その飼い主である【読み手】だ」

「それじゃあ、彼の前に現れたのは……」

「残念ながら、彼は違った」


 だから、狼違いという訳か。

 狼が登場する『三匹の仔豚』の物語から、ミハエル・エボニーは狼を……妹であり親友であった飼い犬・ベラの姿をトレースし、彼女の記憶と面影から突風の狼を創造した。だが、彼とベラはオーキッドが追っていた狼とその飼い主ではなかったのだ。

 三杯目の生ビールと読人のウーロン茶が来た。石焼ビビンバチーズトッピングは、もう少しお時間いただきます。


「そいつを見付けて、この手でブチ殺すまではこの【本】を渡せない」

「……聞かせて下さい。」

「読人、お前は黙っていろ」

「どうして、狼を追っているのか。オーキッドさん、貴方の身に何があったのか。何故、【本】が必要なのか」

「……」

「ハインリヒ。彼の目的を聞いてからでも遅くはない。焼肉、まだ残っているし」

『ほらほら、ホルモンも来たぞ』


 ハラミとレバー、ミノ、シマチョウ、コブクロ。

 ホルモンはよーく焼かなければならないので、カルビを粗方食べ尽くした今となっては焼き上がるまで手持ち無沙汰になってしまう。ちなみに、サラダなど草食系メニューなどない。キムチもない、完全なる肉食の食卓だった。

 内臓が焼けるまで、昔の話をしようか。昔と言っても、つい半年ほど前に起きたばかりの……オーキッドの中では風化する事のない、忌々しい悪夢の話を。


「この『赤ずきん』は元々、うちの娘たちのために買った物だった。特に、長女のケイティが大好きだった……」

「だった?」

「……もう、誰もいない。誰もいないんだよ。奴のせいで」




***




 トマス・オーキッド

 元はアメリカ海兵隊に所属、沖縄への派遣及び中東への従軍経験あり。

 長女のケイティが小児喘息を患い、彼女の傍にいてやるべく海兵隊を退役。その後はカルフォルニア州の自然保護区の保安官となり、海兵隊で磨いた狙撃の腕で密猟者どもとの仁義なきバトルに身を投じる。

 両親の献身もあってか、ケイティの喘息も成長に従って完治に向かい、次女のジェナも産まれた。家族4人幸せに暮らしていた。

 オーキッドが白い【本】と出会ったのは初夏の季節。ジェナの通うナーサリーで行われたバザーで売られていたそれをケイティに強請られ、真っ白で綺麗な表紙のそれを20ドルで購入した。

 タイトルは『赤ずきん』。アーベンシュタイン家から盗まれた【本】は、長い年月と人々の手を経て海を渡り、ドイツからアメリカまで遥かな旅をして小さな姉妹の手に収まったのだ。


「『おばあさんの手の大きい事。おばあさんの手は、こんなに大きかったかしら?』『そうだよ。大きくなくても、お前を抱き締めてやれないからね』『おばあさんのお口は、とても大きなお口ね。とても大きくて驚いてしまったわ』『それはね……大きくなければ、お前を一口で食べられないからさ』!」

「きゃー」

「パパの狼、こわーい」

「俳優みたいだろう。パパはハイスクール時代、舞台に立った事があるんだ」

「それ、前も聞いた。ボランティアでイエス様の人形劇をやったんでしょう。それも厩の馬の役だったって、ママが言っていたわ」

「パパ、早く次!」


 ソファーに座り、オーキッドの膝の上にはジェナ。隣から覗き込むのはケイティ。

 挿絵がなく、文章だけの本はまだ幼い彼女たちには難しかったが、オーキッドが大げさな演技で朗読してやれば彼女たちはとても喜んだ。

 赤ずきんは、おばあさんのナイトキャップを被った狼に一口で食べられてしまった。おばあさんと赤ずきんと完食した狼はベッドに横になり、食後の昼寝とぐーぐー寝ていたところ、そのイビキを聞き付けた猟師によって発見される。その後は皆さんご存知だろう。猟師はハサミで狼の腹を裂いておばあさんと赤ずきんを救出し、空っぽになった腹の中にたくさんの石を詰め込んで縫合したのだ。


「やっと目を覚ました狼は、喉が渇いて表の井戸へと向かいました。『うう、お腹が重い……少し食べ過ぎたかな?』水を飲もうと井戸を覗き込んだ狼は、お腹の重さにバランスを崩して井戸の中へドボンと真っ逆さま! そのまま、溺れてしまいました。悪い狼がいなくなってみんな一安心。『ああ怖かった。わたし、二度と寄り道なんてしないわ』赤ずきんは、自分にそう言い聞かせたのでした。めでたし、めでたし」

「猟師さんって、パパみたい」

「そうか? パパの方がカッコいいぞ」

「パパも猟師さんもカッコいい。だって、赤ずきんがピンチの時は助けてくれるもん」

「パパもオオカミ、やっつけるの?」

「パパがやっつけるのは、悪い狼だけだ。お前たちがピンチの時は、いつでもパパが助けに行くからな。勿論、銃とハサミと、ナイフも持って完全武装して行ってやる」

「絵本は読み終わった? もう遅いわ、おやすみなさいの時間よ」


 ケイティとジェナの頭を撫でて『赤ずきん』を閉じれば、彼女たちの母であり、最愛の妻であるハンナが時計を指さした。父母におやすみなさいのキスをして、父から受け取った本を抱き締めたケイティは自分の部屋へ。ジェナもハンナに抱き上げられて、夢の世界へと誘われた。


「ハンナ、そろそろクリスマスイルミネーションの準備をしようか」

「もうそんな季節ね。どおりで近頃、肌寒くなったと思ったわ。今年はどんなイルミネーションにする?」

「サンタをメインにしよう。ジェナが好きな宝石みたいに、キラキラとしたストーンをたくさん光らせるなんてどうだ?」

「あまり予算をかけないでね」

「分かった分かった」


 11月26日、クリスマスまで1か月を切った。庭先のクリスマスイルミネーションと、クリスマスツリーの準備をしなければ。

 クリスマスプレゼントのリサーチも重要だ。海兵隊出身のオーキッドでも、娘たちがサンタにお願いするプレゼントを聞き出すミッションは困難を極める、難易度SSランクの最重要任務である。

 娘たちが寝静まった後、茶目っ気たっぷりに笑うハンナと共に少しの酒を飲み交わす。変わらない日常であり、次も日も同じ温かさがオーキッドを包んでくれた。

 11月28日。仕事を終えた後、クリスマスイルミネーションの電飾をたくさん買い込んで、家路に着こうとして自動車に乗り込んだその時、オーキッドのスマートフォンに着信が入った。

 顔見知りの警察官から、自宅で妻と娘2人が殺されていると着信が入ったのだ。


「母のハンナの死因は失血死! ガトリングか何かで、細い身体に何発も撃ち込まれている。銃弾数は……ああ、数えきれない! おおよそ五十発以上!」

「玄関は血の海だ。何か犯人に繋がる痕跡は」

「トマス、見るな」

「マリオ……ケイティとジェナは!? 娘たちは!」

「トマス!」


 ハンナの遺体は原型を留めていなかった。数えきれないほどの銃弾が撃ち込まれたせいで、胸から下の下半身が引き千切られたようにぐちゃぐちゃになっていた。

 警察官の静止も聞かず、オーキッドは血の海を飛び越えて娘たちを探しに家の中に飛び込んで、ケイティの部屋へと向かった。部屋へ向かって延々と続く、血の足跡に導かれるように。

 巨大な肉球はイヌ科の特徴。大型犬でもこんなには大きくない。

 ハンナの血で付けられた足跡が、ケイティの部屋の前に大量に付けられている。破壊されたパステルピンクのドアに、血飛沫が飛んだ四葉のクローバーの壁紙。天井だけは、汚れ一つない快晴のスカイブルー。絵本が好きな少女のための優しい空間だったはずの中心に、白いシーツのベッドの上に、巨大な狼の亡骸が横たわっていた。


「何だこの狼。3m以上あるぞ……!」

「部外者は出て行ってくれ!」

「娘たちはどこだ! ケイティ! ジェナ……っ!」

「出て行け! 頼むから……見るな!」

「父親のお前さんは、見るんじゃない!!」


 ケイティのベッドからはみ出した、体長3m以上ある巨大な化け物。絶命している。頭部に数個の銃創、撃たれたか。

 密猟者から動物を守る保安官として、オーキッドは優秀だった。だから、気付いてしまった。悪魔の如き巨大な狼の口が血塗れで、娘たちと同じ色の髪の毛が牙に大量に挟まっていた事に。

 寝る前に撫でた。2人とも、妻と同じ亜麻色の髪をしていた。ジェナは少し癖があった。猫のようにふわふわした髪を、ケイティはよくブラシで梳いてあげていた。

 赤ずきんを食べてしまった狼のような、小さな少女たちを一口でぺろりと食べてしまいそうな巨大な狼。その狼の牙に挟まった、亜麻色の髪の毛。開きっぱなしのクローゼットの内部に、血の付いたひっかき傷。血塗れの小さな、短い指で必死に縋り付いたのだろう……何度も何度も、父に助けを求めて、叫んだのだ。


「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!! ケイティ! ジェナ!! 俺の娘はどこに行った!! 何で娘の部屋に畜生がいるんだ!! ケイティ! ジェナ!」


 理解してしまった。けれど、信じたくない。真実であって欲しくない。

 半狂乱となって叫ぶオーキッドは警察官に取り押さえられ、現場から退場させられる。まだ、少しの希望を抱いていた……否、その希望を抱かなければ、正気を保てなかった。

 娘たちは、攫われただけだ。まだ、生きている。どこかで生きている、生きている、生きているんだ。


「……狼の胃の中から、人肉と思われる未消化物が検出されました。残念ながら」


 進んでDNAも提供した。別人だという、希望を持って。

 だが、現実は心無い暴力以上にオーキッドを蹂躙した。

 現実は、おとぎ話とは違う。赤ずきんとおばあさんは、狼に食べられても腹を裂けば生きて出て来られた。だが、狼の腹を裂いても娘たちは生きては帰って来なかった。

 化け物の胃の中には、娘たちだった肉片と、娘たちのお気に入りの衣服の破片が出て来た。

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