13 しっかりもののスズの兵隊

13-①




 来年度への切り替え準備が始まる3月中旬、鳴田空港の国際線滑走路に一機のプライベートジェット機が着陸した。

 ドイツのベルリン・テーゲル空港から遥々やって着たその飛行機は、操縦士や客室乗務員に当たる人々を除けばたった3名の乗客しか乗っていない。少し早いイースター休暇を楽しむために来日なさった、ドイツのお金持ち家族かと思って乗客名簿を目にした航空管制員はその名前に納得したらしい。赤い頭巾を被っているかのように、機体の先頭天辺が赤く塗られているあの飛行機は、ドイツの不動産女帝と呼ばれる有名人の持ち物だ。


「此処が、今回の【戦い】の主戦場となる日本……50年前、前回の【戦い】に勝利したクロード・クロモジが生まれ育った国です」

「……」

「貴方には期待していますよ、ハインリヒ」

「……Ja, Lehrerin」

「こら、此処はドイツではありません。ローマに来たらローマ人になれ。郷に入ったら郷に従え。何のために日本語を覚えたのですか」


 どうせ【読み手】同士ならば言語が通じるのだろうと、母国語で口から出かけてしまったが寸でのところで実際に声にするのを止めた。彼女に、60歳を過ぎたとは思えない威圧感を与えて来るこの老婦人に口答えしても言い負かされるのが目に見えているからだ。

 日本語は――日本は嫌いではない。しかし、まだ上手に日本語の発音ができないので、口に出すのは少々気恥ずかしいのである。


「おばあ様、こよみ野市への車の準備も完了しているようです」

「解りました。行きますよ、ハインリヒ」

「……ハイ、先生」


 その日、一台のフォルクス・ワーゲンが鳴田空港から東京都こよみ野市へと向かった。

 そして、こよみ野市内にある『若紫堂』では、学校を終えた読人が鏡に向かっていた。


「……今回も短期間だった」

『お前、本当に前髪伸びるの早いな』


 今回も、前髪を短すぎるほど切ってからたった2週間足らずで元通りになってしまったので、鏡を見ながら邪魔になった前髪をヘアピンでパチンと止めた。読人の前髪が短い期間は本当に短期なのは今に始まった事ではないし、火衣の言う通り伸びるが早いのは今更だ。

 かつてはしょちゅう前髪を切らなければならない手間にうんざりしていたが、今はちょっと違う。今は、夏月からもらった三日月のヘアピンで前髪を上げるのが楽しみにもなっていた。好きな女の子からもらったヘアピンを身に着ける生活に戻るのが嬉しくて、前髪を上げた読人の顔がだらしなく緩んでしまう。その状態で、鼻歌なんか歌いながらエプロンを結ぶその様子は、火衣だけに目撃されていた。

 それじゃあ、今日も張り切って働こうか。


「桐乃、読人、今日の夕方は臨時休業にするよ」


 と思ったら、出鼻を挫かれた。


「え、ええ? 休み、ですか?」

「何かありましたか?」

「昔馴染みがこっちに来ていると、さっき電話があってね。20年ぶりだから会って来ようと思ったのさ。老い先短いんだ、会える奴には会っておかないとね……絶対に死なないと思っていた奴も、ポックリ逝っちまう歳になっちまったし」

「そ、そうですね」


 先ほど『若紫堂』の固定電話にかかって来たのは、その昔馴染みからのお誘いだったようである。

 本気か冗談か判断しかねる紫乃の発言の通り、会える知人には今の内に会っておいた方が良いだろう。聞けば、その昔馴染みとやらは遠路遥々東京を訪ねて来たようである。

 と言う訳で、バイトは休みになって読人は暇になったのだった。


「どうしよう、やっぱり真っ直ぐ帰ろうかな」

『この間のパンケーキ食べに行こうぜ。ベーコンエッグ・マッシュポテト添え』

「まだ食べるの? さっきたい焼き食べたじゃん」

『甘い物としょっぱい物は別腹だ』


 「もう食べられない」と言いながらデザートに手を伸ばす女子のような理論を展開した火衣であるが、このハリネズミもとい火鼠の衣は読人の言う通り先ほど『無問鯛』でたい焼きを三匹平らげている。

 3月限定、抹茶クリームたい焼き。抹茶を練り込んだ深緑の生地で小倉餡と香り高い抹茶クリームを半々に包んだ期間限定商品は、小倉の粒餡の甘さと抹茶クリームのほろ苦さのバランスが見事だと火衣のお気に入りになったようだ

 確かに美味しかった。口に入れた瞬間に抹茶の香りが鼻に抜け、頭部に詰められた熱々のクリームの苦味と旨味が口の中に広がって来る。その口で食べ進めれば、腹部から尻尾にかけての粒餡ゾーンがじんわりと舌に浸透して、しつこくない餡の甘さが楽しめる。2月、3月と期間限定商品は当たりだった。しかし、1日にそう何個も購入できないのが高校生の財布事情である。例えバイトで稼いでいても、例え一個100円のたい焼きでも、財布から出て行くお金は極力少数にしたいのだ。

 やはり桐乃の誘いを断らずに、彼女のバイクに乗せてもらって帰宅した方が良かったかもしれない。何となく、今日は寄り道をする気が起きないのだ。

 それじゃあ真っ直ぐ帰ろうと、頭の上に火衣を乗せたまま家路を急ぐ読人はアパートとマンションに囲まれた公園へと入って行った。最近発見した事だが、『若紫堂』と自宅の途中にあるこの公園を突っ切れば近道になるのだ。

 塗装の禿げた滑り台と鉄棒の横を通って反対側の出入り口へ。昼間には近所の保育園の子供たちや、親に連れられて来た子供たちが元気に遊ぶこの公園であるが、この時間帯では小学生以上の子供はあまり見かけない。少し足を延ばした隣町に本格的なアスレチック遊具を設置した別な公園があるため、彼らは学校を終えるとそちらに行ってしまうからだ。

 だから、今日もこの公園には誰もいないと思っていた。いてもジャージ姿でストレッチをする老人ぐらいだったので、ブランコの柵に座っていた彼を見た時は思わず足を止めてしまう。

 背の高い、銀色と言えるほど色の薄い髪の白人男性……本当に大きい。もしかしたら、正美よりも背が高いかもしれない。勿論体格も良く、日本人と比べれば何回りも大きく見えるため、彼の後ろにある子供用に小さく造られたブランコが余計小さく見えた。

 この近辺で彼の姿に見覚えはない。もしかして道に迷ってしまったのかと彼の様子をこっそり伺っていたら、がっつりと視線が噛み合ってしまい、日本人のものとは違う鮮やかなブルーの目がこちらに向いていたのだ。


「お前、ヨミヒト・クロモジだな」

「っ!?」

「婆さ……先生が言った通り、本当にこの公園に来たな。まあ良い」

「……貴方は、【読み手】ですか」


 外見に似合わぬ流暢な日本語で読人の名前を呼んだ彼は、質問の答えの変わりに一冊の白い【本】を見せて表紙を開いた。恐らくあちらには、読人の発した言語は自身の母国語に聞こえているのだろう。再三思うが、【読み手】同士の言語の翻訳・疎通は本当に便利である。

 そんな、翻訳機の役割も果たす淡い光を灯した【本】を開くと同時に、彼の手には二本の銀色の匙――つまり、スプーンが握られていた。その二本の匙を落とせばカランと言う金属の音がして地面に落ちる……はずだった。地面に落ちた匙は軽やかな金属音ではなく、ガチャガチャと言ういくつもの音源から発せられる金属の擦れ合う音が聞こえて来たのだ。

 その音は、詳しく描写すれば金属の間接が起き上がって両腕両足がしっかりと組み立てられる音だった……彼の目の前に、金属でできた兵隊の軍勢が姿を現したのである。


「『一本の匙から作られた25体の兵隊人形たちの内、材料の錫が足りなくなって1体だけ片脚になってしまったのだ』……創造能力・24人のスズの兵隊24 Zinnsoldat

「っ!」

「【戦い】の前には名乗れって言われてるから、名乗るぜ。オレは、アーベンシュタイン家代表ハインリヒ・エッシェ。【本】のタイトルは『しっかりもののスズの兵隊』だ」

「アーベンシュタイン!?」


 その名前は、夢の中で聞いた。ドイツが名門・アーベンシュタイン家。かつて、主君のために不老不死を求めて幾度となく【戦い】に参戦し続けた【読み手】の家系にして、50年前の【戦い】で蔵人が出会った少女の家。

 その家の代表を名乗る青年がまるで夢から飛び出て来たかのように読人の前に現れ、彼が創造した計48体の錫の兵隊たちは、同じく錫でできたマスケット銃やサーベルを片手に襲いかかって来たのである。


「火衣!」

『本当、急だな!』


 彼――ハインリヒと名乗った青年の【本】は、『しっかりもののスズの兵隊』。片脚のスズの兵隊人形と、彼が恋をした紙でできたバレリーナ人形との物語。

 確かあの物語では、一本の錫でできた匙から25体の兵隊人形が作られたが材料が足りずに一体だけ片脚になってしまったと言う筋書きだったはず。片脚のスズの兵隊は、片脚を高く上げて一本足で立っているバレリーナ人形が自分と同じだ、自分たちはお似合いだと感じて恋をした。障害多き恋をした片脚の兵隊は、窓から落とされて、紙の船に乗せられて用水路に沈み、大きな魚に食べられると言う冒険を果たしたが見事に彼女の元に戻って来る。

 これでハッピーエンドかと思いきや、片脚の兵隊は火が燃え盛る暖炉に捨てられてしまった……そして、風に飛ばされたバレリーナ人形も、彼を追うかのように暖炉の火の中へと消えてしまったのだ。火が燃え尽きた暖炉の灰の中には、ハートの形をしたスズの塊が残された。片脚のスズの兵隊と紙のバレリーナ人形が共に溶けて一つになった姿だった。

 その物語通りならば、ハインリヒが投げた匙一つで両脚が揃った24体の兵隊人形(実寸大)が現れるのだろう。匙が二本だったから、全部で48体だ。そして彼らの材質は錫、つまり火で燃える。

 相変わらず【戦い】の始まりは急だと愚痴を垂れる火衣であったが、読人の頭の上から飛び降りると背中の針はすでに轟々と音を立てて燃え盛り始めていた。瞬時に日本犬ほどの大きさに変化した火衣は、ガチャガチャと錫の音を立てながらこちらへ進軍して来る兵隊たちを背中の炎を迎え撃つと、炎の波に飲み込まれた兵隊たちはあっという間にどろどろに溶けてしまった。


「アーベンシュタイン家、代表……! 俺は黒文字読人、【本】のタイトルは『竹取物語』!」

「お前に恨みはないが、オレも戦わなきゃならなねぇ!」


 再び匙を取り出してスズの軍勢を創造したハインリヒは、火衣の炎の熱さに飲まれていない。人気のない住宅地の狭間にある静かな公園で、【戦い】が始まった。




***




 閉店の後始末を桐乃と読人に任せた紫乃は、余所行きの着物に着替えて深い赤紫色の帯を締めると、昔馴染みとの待ち合わせ場所を訪れた。『若紫堂』からそんなに距離がない純喫茶へ向かうと、店主の気遣いからか曇りガラスの入り口の扉には『本日貸切り』の札が下げられている。

 この店に来るのも久しぶりだ。ほとんど1人で客商売をしていれば気軽に喫茶店でお茶をするなんてできないのもあるが、冬の季節は寒いからあまり外には出たくないのである。自分も歳を取ったものだ。

 そろそろこの店に通うのも再開してやろうかと思いながら扉を開けば、紫乃を呼び出した昔馴染みは最奥のテーブルに座り紫の菖蒲が描かれた白いカップを手にしていた。


「本当に久しぶりだ。お前さんの長女が日本で式を挙げた年以来だから、もう21年も昔か。お互い歳を取ったね、イーリス」

「お久しぶりです、シノ」


 カップをソーサに置いてから淑やかに頭を下げた紫乃とそう変わらない老婦人が、かつては13歳の少女だったのだから時の流れと言うのは本当に早いものだ。紫乃の記憶で最も色濃い彼女の姿は、自分より10歳も年下の可愛らしくも凛々しく雄々しい少女であった。

 しかしあれから50年、自分も歳を取って婆さんになったし彼女もまた還暦を超えて婆さんとなった。

 それでも、紫がかった青い瞳に宿る闘志にも似たその光は少女時代から変わる事がない。上品な黒のワンピースに赤ずきんのような赤いケープを羽織った老婦人――イーリス・アーベンシュタインと、20年以上ぶりの再会を果たしたのだった。


「そちらは、お孫さんかい?」

「ええ、次男の長女です。ご挨拶なさい」

「初めまして。ビルネ・アーベンシュタインと申します。Frau. シノのお話は、祖母からかねがねお聞きしておりました」

「おやまあ、綺麗な日本語だ。それに、50年前のお祖母さんにそっくりだね。昔の記憶の通りだ」

「恐れ、入ります」


 少し発音がたどたどしいが、そこら辺の日本人よりも綺麗で丁寧な日本語を話す少女――イーリスの隣で、大人しく物静かに座っていた孫娘のビルネは、紫乃の記憶にある少女の姿によく似ている。ほとんど瓜二つだ。

 違うところと言えば、若草色の瞳の色と左眦にぽつんと置かれた泣きボクロぐらいだろう。

 聞けば、50年前のイーリスと同じくビルネも13歳だと言う。もしかしたら、淑やかに振る舞っていても本当はかつての祖母と同じようなじゃじゃ馬かもしれないと、こっそりとそう思った紫乃であった。


「この年に遥々日本までやって来たって事は、アーベンシュタインも【戦い】に参戦すると言う事か」

「ええ、お察しの通りです。急ごしらえでしたが、それなりに戦えるようにはなりましたわ。手始めに……クロードの孫の元へ向かわせました」

「おや、せっかちだね。【読み手】は別の孫かい?」

「Nein. お恥ずかしい話、アーベンシュタインとは縁もゆかりもない者が代表となってしまいました」


 成程、だから“急ごしらえ”か。本当はもっと早くに来日をしたかったが、縁もゆかりもないと言う【読み手】を鍛え上げるために時間を食ってしまったのでこの3月になってしまったのだろう。

 イーリスは厳しかっただろうに。きっと、ドイツ軍の訓練にも負けないスパルタ方式だったはずだ。


「シノ、貴女はクロードの孫を教えているとお聞きしました」

「情報がお早いね」

「……どんな子ですか」

「安心しな、お前さんが嫌いな蔵人さんには似ちゃいないよ。あの子は祖母似の素直な子だ」

「それなら安心ですわ」

「今でも、蔵人さんが嫌いかい?」

「ええ、大嫌いですわ。天国へ勝ち逃げされてしまいましたから!」

「同感だ」


 シュガーポットの角砂糖をカップに落としたイーリスは、少し乱暴にスプーンを動かしてカチャカチャ音を出しながら紅茶をかき回した。蔵人の事になるとムキになるのも、昔と変わらないね……彼の訃報を聞いて来日せず、手紙と献花を送って来たのはイーリスの意地なのだろう。

 2か月前、蔵人の葬儀のために岩手から上京して来た龍生とこの店で長い昔話をした時の事を思い出す。もしあの場にイーリスもいたのなら、きっと一晩では語り尽くせなかっただろう。好きと嫌いが入り混じった偲ぶ会は、色々なものがごっちゃになって酷い事になっていたはずだ。


「お待たせしました、当店自慢のアフタヌーンティーセットです。上から、スコーン、コーヒークリームとマロンのカップケーキ。サンドウィッチはソーセージとレタス、卵とポテトサラダになっております。スコーンには、こちらのクロデットクリームと苺ジャムを付けてお召し上がり下さい。紫乃さん、ご注文は何になさいますか?」

「アッサムのミルクティーを頂こう。こちらさんに来るのも、久しぶりだ」

「ええ、蔵人さんのお葬式以来ですね。そうだ、お孫さんの読人君がこの間、女の子と一緒にいらっしゃったんですよ。彼も立派に勝ち進んでいるようですね」

「お前さん、また【戦い】に首を突っ込む気かい」

「ええ、折角日本が主戦場ですからね。東京オリンピックと【読み手】の【戦い】を生で見る事ができれば、もう思い残す事はないと思っていたんですがね……二度目の東京オリンピックをこの目で見てしまったら、欲が出て来てしまいました。二度目の【読み手】の【戦い】も、こっそりこの目で見させてもらいますよ」


 ハンプティ・ダンプティ柄の皿が乗せられたケーキスタンドを持って来た、常連客には「カッちゃん」と呼ばれている純喫茶『マザー・グース』のマスターこと楓光孝は、50年前は欠片も見当たらなかった顎鬚を撫でながら少年のように笑ったのだった。




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