24-②
実力行使のスタイルはよく似ているが、そう簡単に狙撃されたら面白くはない。物語はまだ途中である。
思い出して欲しい、息はできるがこの場は海の底の世界が展開されているのが。当然、水圧や抵抗もそこと同じ……ビルネが撃った銃弾は水圧に阻まれ、波に揉まれて勢いを失い、そこら辺に浮かんでしまった。
今、この場は海なのだ。暗い海の底。マリーが想像して創造した人魚が生きる海の世界では、人間は異物なのだ。上手く動けるはずがない。
「邪魔よ。【本】を持っていない子は下がっていなさい……
「……っ、デカ」
「何をしていますか。迎え撃ちなさい!」
凄く不穏な気配がした。
『赤い蝋燭と人魚』の物語の中で、人魚の少女は欲に駆られた老夫婦により見世物として香具師に売られてしまう。珍しい獣を入れる檻に入れられて、獣と同等の扱いをされて海の向こうへと連れていかれた。真っ赤に塗った蝋燭を残して。
白い【本】に光が灯る。海を照らす蝋燭の明かりとは違う光が、マリーの持つ絵筆に宿った。
彼女が空に一線を描くと小さな赤い魚が集まって群れとなり、街を一つ飲み込まんばかりの巨大な魚の姿となる。言っておくが『スイミー』ではない、黒い目はない。
赤い魚の群れが本通りを埋め尽くし、『24人のスズの兵隊』たちが先手を打って突撃していくが、赤い魚の群れはスズの兵隊に故意に衝突して一匹一匹が液体に戻って付着する。魚の一匹をデリンジャーで撃ち抜いたビルネの制服にも、赤い液体が飛び散った。
するとどうだろうか、赤い絵の具だと思っていた液体は硬度を持ち始め、身体が固まってしまったのだ。
「こ、これは……まさか、蝋?」
「ロウソクが固まって動きが」
液体が飛び散ったビルネの身体が、蝋人形になってしまったかのように動けなくなっていたのだ。
しかも、動きを制限されただけではない。身体の蝋が固まって動けなくなった途端に、息苦しくなった。徐々に徐々に呼吸ができなくなる、ビルネは咄嗟に口を手で塞ごうとしたが、蝋は彼女の身体を侵食し始め、デリンジャーを持つ右手も左手も蝋で固まってしまって動かない。
ビルネが何とかして人差し指を動かし、デリンジャーの引き金を引いて足を固めている蝋を砕こうとするが銃弾が弾かれた。獣の檻のように頑丈にできている。
「この蝋、硬い……!」
「ゆっくり、浸食されるかのように、滅びの道を辿りなさい……『幾年も経たずして、その下の町は
「めでたい訳があるか!」
「おめでたいでしょう。私にとってはHappy Endよ……よく深い人間たちは報いを向けて、滅びの道を辿る。もっと言えば、金に目が眩んだ老夫婦も津波に飲まれて溺死したらよかったのに。
人魚は香具師に連れられて、獣のように檻に入れられて自由を奪われた……人間も同じような目に合わせてやろうか、彼女が残した蝋燭で。
蝋で拘束し、テリトリーある海で溺れさせる。まるで、人魚のようだった。
ゆらゆらと、マリーのブラウンの髪が海中に揺れる。その周囲では、『人魚は香具師に連れ去られ』の被害を受けた者たちが、溺れかけて苦悶の表情を浮かべている。希望を持って人間へ娘を託し、裏切られて絶望した人魚の母親。貝殻の銭で赤い蝋燭を買い求めて、荒れた海へと還った人魚とマリーの姿が重なった。
ゆっくりと、揺蕩うが如くこちらへと近付いて来た彼女はビルネを一瞥し、パニックになる人間を嘲笑するかのように薄い笑みを浮かべた。
大嫌いよ、人間なんて。よう吐き捨てた女は、不老不死を求めていた。
「人間はみんな、自分の欲望を満たすためにしか生きていないわ。保身のために、金のために、権力のために、娯楽のために、簡単に裏切ってあることないことを積み上げて嘘を吐く。簡単に人を貶めて、赤子の首をへし折るように命を奪う。あの男を見なさい、浮いている蝋人形」
最初に蝋人形にした男。展示場から海に浸食される前に、マリーの隣にいた男。マリーに個展の提案をして、銀座まで引っ張り出して来た男だった。
「あの男……もう、名前も忘れちゃったわ。私の過去を調べて見当違いの強請りをしてきたの。お金と私の身体を要求してきたわ。結局、人間はそれしか考えられないのね。下に見た他者から搾り取れると理解したならば、金とセックスに思考が直結する。私の過去が真実なのか虚構なのかお構いなしよ」
「だから、人間が嫌いなの……ですか?」
「そうよ。たくさん裏切られて、傷付いて、泣かされたわ。だから私は不老不死になりたいの。人間とは違う化け物になるの。化け物になって、人間とサヨナラするの」
人間じゃないモノになりたい。魚になりたい、人魚になりたい……化け物になりたい。
マリー・ゴールドマン
【本】のタイトルは『赤い蝋燭と人魚』
獲得した紋章は、自身の物以外には『フランダースの犬』と『笠地蔵』の計三つ。
人間を捨てて、不老不死バケモノになろうとした女……。
「化け、物」
「死なない、老けない、時の流れに逆らう化け物。八百比丘尼の伝説は知っている? 人魚の肉を食べた人間は、八百年もの時を生きる不老不死の化け物となり、時代に取り残された。人魚の肉を食べて、身体の内側から人魚バケモノになったのでしょう」
ビルネの背筋が凍った。痺れにも似た悪寒が走ったのだ。
本気で化け物になろうとしているマリーの姿を見て、彼女が抱いている人間への嫌悪を自分の身に真っ直ぐに向けられて。13歳の少女の中に、得体の知れない恐怖が芽生えたのだ。
「結局アンタも、復讐したいのか」
「復讐?」
「自分を裏切った人間への復讐、世間への復讐……もう、復讐は腹いっぱいなんだよ」
「ハインリヒ」
「アンタが不老不死になって復讐したいのはよーく分った。なら、オレだって主張しても構わねぇよな……与えられた恩を返さなきゃならねぇ。恩返しの邪魔をするなら、徹底的に叩きのめす!!」
ハインリヒは蝋の被害を受けていない。【本】を持つ右手も動くし、詠唱のための口も開く。『しっかりものスズの兵隊』を握り直し、光が灯った【本】は新たなページが開かれる……新たな想像が創造されたのだ。
「創造能力・
頭上にある海面に、巨大なナニか飛び込んだ。白い飛沫に揉まれて世界が揺れる。
ハインリヒの声に呼応して新しく創造された新しい登場人物は、染金属のような光彩の鱗と黒曜石のような円らな目を持った巨大な金属の魚だった。
子供部屋から落とされて、紙の舟に乗せられて側溝の水路に流された片脚のスズの兵隊。舟は川まで流されて、滝から落ちて横転した。スズの兵隊は巨大な魚に食べられてしまうのだが、その魚が漁師の網にかかって持ち主の少年の母親に買われたことによって見事な生還を果たした。
その場面から想像して、現実に創造されたのは市場で買えるようなサイズの魚ではない。24体合体の巨大なスズの兵隊さえも丸呑みできそうな、本当に巨大な魚だった。
「魚……」
「やれ、
「
マリーの絵筆の動きに合わせ、赤い蝋燭から再び赤い魚の群れが創造される。しかも今度は明確な敵意を察知したのか、赤い絵の具で描かれた海洋生物は牙を剥いた鮫の姿をしている。狂暴度がアップした。
赤い絵の具を血液で更に赤黒く染めんばかりの狂暴な形相の鮫が、『兵飲みの大魚』へ魚雷の如く突撃して行ったが、大魚の尾びれがスイングして薙ぎ払うとあっという間に海中に霧散してしまう。物量的な意味でも敵ではない。巨大故に攻撃力は桁違いだ。
赤い鮫たちを蹴散らすと、大魚は尾びれのスイングでハインリヒとビルネを固めていた蝋を粉砕してくれる。蝋の檻から解放されれば、海中の息苦しさもなくなり溺死の危機は免れた。
「げほっ……はっ、はぁ……ハインリヒ、その魚は?」
「『しっかりもののスズの兵隊』に登場する、片脚の兵隊を飲み込んだ魚だ」
「それは分かります。どんな能力なのですか?」
「こうするんだよ」
ハインリヒの背後に仁王立ちの巨大なスズの兵隊。その兵隊が右腕を大きく掲げれば、『兵飲みの大魚』が海中で尾びれを翻し、蒸気音を立てて三枚におろされた。自主的に。
そこから始まったのは怒涛の金属合体。胴体から切り離れた大魚の頭はスズの兵隊の右腕に装着し、骨はホースのように背中に伸びる。残る身は、二枚とも酸素ボンベのように背中へ。最後に、背びれがゴーグルとして頭部に装着される。すると、武骨な錫製の兵隊人形が水中の抵抗を受け流すためのアタッチメントと、右腕に巨大なバズーガ砲が装備されたロボットへとメタモルフォーゼしたのだ。
その姿は、正に日曜日の朝から放送している戦隊もののロボットだ。序盤で基本の合体ロボットに強化アタッチメントが装着され各々の場面で役に立ち、玩具のオプション購入品として財布を圧迫するロマンの姿だった。
「スズの兵隊、
「……まあ、シンプルな能力で良しとしましょう」
「シンプルって単純って意味だろ! 単純で悪かったな! オレはお前と違って頭が良くねぇからな。シンプルに、力と物量で押す」
「ええ、それが貴方らしい。恩には恩で返す。己を歩みの前に立ち塞がるなら容赦はしない。愚直に自身の考えを口にした貴方なら……アーベンシュタイン家の障害となるものは、全て叩き潰しなさい!」
「Ja. 水圧砲、発射!」
ごちゃごちゃしているのは次々合体が増えていくロボットだけ。だが、増えれば増えるだけ強くなっていく。シンプルで良い。シンプルな能力ほど、応用が効くし分かりやすい。
スズの兵隊・海フォームのバズーカ砲――大魚の口から海の中を突き進む衝撃が、簡単に海の藻屑となる必殺技が発射された。
「展開能力・
「一発で駄目なら、二発、三発、いくらでも撃って!」
「仰せのままにお嬢様、ってな! 押せ! ふんばれスズの兵隊!」
マリーの描くちっぽけな魚たちが簡単に海の藻屑となる必殺技だが、向こうはそう簡単に藻屑になるような相手ではない。寒い冬の海はマリーへの攻撃を阻み、大きく荒れて高く波が立つ。赤い蝋燭からは海の住人たちが続々と生み出され、スズの兵隊に立ち向かい攻撃によって海に散った。
一発、二発、三発、ビルネの言う通りいくらでも撃てる。背中のアタッチメントは反動噴射によって転倒しないようにする補助装置だ、それぐらいを想像する頭はある。
「発射! 発射……もう、一発!!」
「海よ怒って、嘆いて、泣いて。あの子を、連れて行かないで……!!」
「悪いな、化け物志望のFrau. こんな序盤で負けたら、先生に怒られるんでね」
荒れ狂う波を前にして愚直に突き進む、届くまで何発も何発も発射される必殺技は遂に荒波を突破した。海の世界を灯す赤い蝋燭も、赤い絵の具の海の住人たちも、絵筆を落としたマリーの身体そのものを水圧砲で吹き飛ばしたのだ。
華奢な身体は水圧によって展示場へと突っ込んだ。ガラスのエントランスを突き破って、建物の柱に彼女の身体が叩き付けられれば、その衝撃で彼女が描いた絵画が壁から落ちた。その手からも、『赤い蝋燭と人魚』の【本】が零れ落ちた。
潮騒がマリーの悲痛な叫びにも聞こえた。
「めでたし、めでたし」
「貴女が得た紋章は我らアーベンシュタイン家がいただきます。【本】その物はお返ししますので、化け物になるという夢は諦めてください」
「ふふふ、あははは……やっぱり嫌いよ、人間は。帰るわ、海に。もう二度と、陸に上がったりは……」
【本】を閉じて、『赤い蝋燭と人魚』の紋章がハインリヒの【本】へ移れば、全てはなかった事になる。しかし、マリーの破れたブラウスの被害はそのままだった。左の肩口にイクトゥスと『CARTA』とタトゥーがある。
彼女が何故人間嫌いになったのか……『赤い蝋燭と人魚』に感情移入をして、人間に裏切られた人魚の母親の現身となったが如き叫びで海を荒れさせたのには、何か過去があるのだろう。
だが、今のビルネやハインリヒには関係がない。知る由もない……今は、【本】を閉じて帰るだけだ。
「Eins, Zwei, Drei, Vier, Fünf……全部で五つか。結構貯まっただろ」
「浮かれてはいけません。まだ序の口、最終目標はヨミヒト・クロモジの持つ『竹取物語』です。行きますよハインリヒ、まだ五つです」
「Ja」
ハインリヒ・エッシェ
【本】のタイトル:『しっかりもののスズの兵隊』
所有する紋章の数:五個
・『しっかりもののスズの兵隊』
・『ヘンゼルとグレーテル』
・『赤い蝋燭と人魚』
・『フランダースの犬』
・『笠地蔵』
備考:ビルネ・アーベンシュタインとの距離が少し縮まった。
To Be Continued……
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
マリー・ゴールドマン(45)
中部地方の日本海が見える寂れた漁港に住む女性。アメリカ出身だが、全てを捨てて淋しい海に流れ着き、絵を描きながら20年以上を世捨て人のように生きている。
若い頃は世界的な有名企業のエリートキャリア。結婚はせずに精子バンクからの提供で息子のカルタを産み育てるシングルマザーでもあった。
が、ある日息子のカルタが誘拐され、後日近所のゴミ捨て場で遺体で発見される。カルタの面倒を見ていたベビーシッターは、マリーがカルタを虐待していたと証言した。警察だけではなく、マスコミにもその証言をしたためマリーがカルタを殺したと世間からの誹謗中傷を受けた。
後に真犯人が逮捕された。ベビーシッターの恋人であった。マリーは何も関係なかった。
犯人が逮捕され、裁かれてもカルタは帰ってこない。未だに誹謗中傷が続くマリーの心の傷も癒えない。それどころか、マリーが悲劇の母親を演じるために犯人を金で雇ったなどという、根も葉もない虚言を人々は信じた。
マリーは全てを捨てた。人間でいるのも嫌になった。
人間よりは化物になりたい。人魚の肉を食べて化物になった、八百比丘尼のように。
『赤い蝋燭と人魚』の【本】は不法投棄されているゴミの中から見付けた。
展開能力・
『赤い蝋燭と人魚』の結末を現実に展開する。
人魚の少女を裏切った人間たちの営みを飲み込む嵐の海。暗く寂しい水の世界へ人間を引きずり込む。
大量の海水に都市も何もかもが沈むが息はできる。しかし、場は完全にマリーの支配下にあるため気が向けば嵐が起きて荒れて飲み込まれる。
創造能力・
巨大な赤い蝋録に火を灯し、人魚が描いた海の生物を作り出す。
赤い絵の具で描かれるのは、魚に海老に蟹に貝にと多種多様。一匹一匹は小さく非力だが、蝋燭の火が消えない限りは無尽蔵に沸いて出て来る。『スイミー』戦法もできる。
創造能力・
絵の具で出来た海の生物たちを蝋へと変換し、それに触れた人間を蝋人形のように固めてしまう。
基本的には『欲深い人間は海に沈んで』と連携する能力。蝋で固められてしまうと展開された海で息ができなくなり、対象は悲鳴を上げることもできずに溺れ死ぬ。
人魚の悲鳴はこんなものではない。信じていた親に裏切られ、胸が張り裂けそうになる悲しみにひれを濡らし、それでも未だ希望を捨てずに縋り懇願しても、人間は人魚を檻に入れた。
温かい世界は欲望に穢れた陸地。陸など消えろと、荒波の向こうから女の悲鳴が聞こえた。
人間はクソ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます