23-②




 再び悲鳴、しかもたくさんの。

 スマトラトラが逃げ出し、後ろにはライオンもゴリラも控えているとなると必死に逃げるのが道理であろう。彼らのご飯にはなりたくないのだから。大騒ぎの中、引く波のように人々は散り散りに逃げ出した。


「なななな、何で動物たちが逃げているんですか!?」

「飼育員の不手際、ではないでしょうね。示し合わせたように一斉に脱走するなんて……普通じゃあ、ありえない」

「先ほど降って来た白い物体、あれが何か関係しているかもしれませんわね」


 そう言って、鞄の中から真っ先に【本】を取り出したのは紫乃だった。白い【本】を手にした彼女のボーラーハットを狙って、上空からアフリカコンドルが滑空して来る。

 危ないと、彼女を庇って誰か前に出て来る場面かもしれないが、紫乃がそう簡単に守られる女ではないとは現代の様子からみて分かっていた。『源氏物語』から想像して創造された新たな能力が花を咲かせ、アフリカコンドルを空中で雁字搦めにしたのである。


「武装能力・夕顔の白扇……やはり、妙ですね。まるで誰かに操られているかのように、動物たちが攻撃をしてくるなんて」


 紫乃の手には、女性の手には少し余る大きさの白い扇。扇にはくるんとカールした蔓と白い夕顔の花が巻き付いている。

 教科書で読んだ、『源氏物語』の一場面。民家の庭先に咲いていた花を所望した光源氏に、家主は扇に沿えて花を――夕顔の花を差し出した。そして、家の女主人こと夕顔と恋仲になる光源氏だったが、後に悲劇が待っている。

 紫乃が創造した扇は、絡まる夕顔の蔓がアフリカコンドルを雁字搦めにして捕縛し、そのまま空中へと放り投げる。どうやら、彼女の意志で蔓が自在に伸びる武器のようだ。

 異変に気付いて動き出した紫乃が創造したのは、『夕顔の白扇』だけではない。ニシローランドゴリラが剛腕を奮って来たのを、糸で動く青海波の操り人形が受け止める。

 以前見た時は紫乃が糸で操っていたが、あれから能力が進化したようだ。ある程度自分で自律できている。


「それが紫乃さんの【本】の能力ですか? 牛が網で包まれたハムみたいっスね」

「軽口を叩かない!」

「いでっ」


 夕顔の蔓でアメリカバイソンの突進を止めたら、同じく【本】を手にした龍生がそう例えた。そうしたら、横から伸びた蔓でペシっと頭を叩かれて頭の上のワークキャップが落ちた。軽口を叩いて怒られた。


「紫乃さんの言う通り、動物たちは何かに操られている可能性が高いですね……さて、光孝君」

「はい」

「お逃げなさい」

「はいぃぃぃ!!」


 この面子で唯一の非戦闘員である光孝が逃げた。直後に、背を向けた彼へ向かってグリズリーが駆け出した。


「八咫君」

『ガァ!』

「武装能力・縫合の裁縫道具Naht-Nähen!」


 蔵人の背後に現れた『八咫の鏡』から飛翔した八咫君がグリズリーの鼻先で旋回し、視線に気を取られている隙にイーリスが手繰る糸で雁字搦めにされる。

 動物たちを傷付けずに捕らえる。誰かに操られて暴れているのだとしたら、彼らに罪はない。一匹一匹は相手にしきれないので、一気に相手をする。


「龍生君、出番です」

「はい! 一寸法師の川下り!」


 サンダルを脱いだ龍生の素足に漆塗りの雪駄が創造される、ライオンやスマトラトラたち猛獣の周囲には水流が巻き起こる。変化自在な水に動きを封じられた猛獣たちを、優しく握るように水流が包み込んで流されていった。


「けんど、何でこの子らは暴れているんでしょうかね?」

「先ほど降って来た白いナニかに決まっているでしょう。興奮剤だったのかもしれません」

「こんな事をするのは、誰でしょうか」

「知りたくもありませんわ。動物たちを苦しめるような【読み手】の思考なんて!」


 蔵人に預けていたジャケットも、赤いキャスケット帽も被ったイーリスの横顔が怒りで染まっている。言葉は強いが、動物たちの動きを止める糸の動きは優しかった。

 彼女だけではなくこの場にいる面子はみんな気付いている。この騒動を起こした者は、彼らと同じ【読み手】であると。では、どんなタイトルの物語を持っているのだろうか?

 動物が登場する物語は本棚一杯に存在している。動物を自在に操る事のできる登場人物、アイテム……夢を見ている読人には、【本】のタイトルを即答できない。

 しかし謎はすぐに解決する。現れたのだ、騒動の元凶だ。

 動物たちが動きを止め、主人に首を垂れて大人しく唸り、跪く。

 アフリカゾウのジャンボの背に乗っているのに、砂漠の王の如く踏んぞり返った、濁った褐色の目をした髭面の男が登場したのだ。


「親玉の登場か?」

「イーリスさんはこう仰っていますが、物語の進行上お尋ねしておきましょうか。どうして、こんな事を?」

「あー……お前ら、中国人か? いや、日本人だな……良いよな~日本、景気が良いんだろ。金持っているんだろう~。だからガキでもこうして、海外で楽しく動物園に遊びに来れるんだろ」

「話が通じるのですか、あの男」

「良いよな~金があるって。金があれば、こんなみすぼらしい恰好じゃあなくて、もうちょっと良い服を着て、良い飯食えるんだろ。でもさ……日本には感謝しているんだぜ。こいつはお前らの国のハナシだろ、嬉しかったよ~ボロいフラットの屋根裏でこいつを見付けた時は」


 着古したコートの内ポケットから取り出した白い【本】。日本のハナシ、異国の地で眠っていたのは『Momotaro』……『桃太郎』って、海外でも同じ名前のタイトルなのか。


「モモタロー? 貴方たちの国の猛獣使いの登場人物ですか?」

「いいえ、違います。桃太郎は室町時代、今から400年ほど昔の時代を発祥とされている英雄物語です……桃から生まれた男の子が、動物たちをお供として鬼退治をする物語よ」

「凄いよな、モモタロー。どんな動物も、餌付けすりゃあいう事を聞かせられるんだぜ~命の危険もある化け物退治に、餌を一つでホイホイついてきて死ぬ気で戦うんだぜ。凄ェよな。俺や嫌だぜ、安月給で死ぬまで働かされるなんて……でも、何で犬と猿と、派手な色をした鳥なんだ。化け物退治の面子にしてはしょっぼいよな~俺なら、狼とゴリラと、アフリカコンドルにするぜ。あいつらに餌を食わせる」

「桃太郎のお供が犬、猿、雉なのは戦力的な選択ではありません。一説には鬼の位置する方角、つまり鬼門となる北東と対になる裏鬼門に位置する十二支の戌、申、酉を持って対抗したという解釈がありまして……」

「何言ってるんだ、お前」


 蔵人の解説はスルーされた。日本人でなければピンとこないし、日本人でも小難しい話になるところだった。

 先生の話は、長い。


「俺はモモタローじゃねえ。だから、3匹のしょぼい部下じゃあなくて、こいつらを連れていく……ゾウに虎にライオンだぜ。こいつらなら、俺をクビにした憎い社長なんて簡単に踏み潰せる。役立たずに食わせる飯はねぇって……! この俺をボロ切れみてぇに棄てて追い出して、給料も出さなかったあの男に! この餌があれば、あいつを餌にできるんだぜ。脂身だらけの肉に」


 男が手にする【本】の光が再び、白いナニかを降らせた。

 爬虫類の展示館から逃げ出して来たパイソンが、地面に落ちたナニかを舌で掬って口すれば、目を血走らせて牙を剥く。やはり、これが狂暴化の原因か。


きび団子Millet Boll、これを食えばどんな動物でも俺の部下になる。暴れろと念じて食わせれば、こんな風に大暴れする。本当に、モモタロー様々だ」

「……どこかで見た気がする。漫画とかで」

「龍生君、そういう茶々は後にしましょうね」


 読人も漫画とかで見た事ある。

 は、とりあえず置いておいて。つまりは、『桃太郎』の物語から動物たちを自在に操るという能力を創造したようだ。動物たちを死ぬまで戦わせる、暴れさせるという、歪んだ想像をして。

 その目的は、復讐だ。だが、愛する人の弔いではない……自分を切り捨てた雇い主への。ある意味、不景気な当時のイギリスへの復讐だった。

 虚しく、自分勝手な欲望に動物たちのみならず『桃太郎』までは利用されている。

 非常に業腹だろう。紫乃もイーリスも、龍生さえも顔をしかめてジャンボの上に我が物顔で踏んぞり返る男を睨みつける。

 蔵人だけは表情がよく分らない。帽子を深く被り直してしまい、表情が定かではないのだ。


「この男、私が仕留めてもよろしいでしょうか?」

「あら、抜け駆けは禁止ですよ」

「イーリスちゃんも紫乃さんもおっかねぇ。でも、ワシも腹、立ってきた」

「まあまあ、みなさん落ち着いて」

「ガァ!」

「時に、桃太郎の原型はどんな伝承かご存知ですか?」


 八咫君が帽子の上に止まり、蔵人が一歩前に出る。ジャンボの前に、男の前に、『古事記』を手に革靴の音を響かせる。

 仕立ての良いスーツを着た身形の良い男。この時代では景気の良い日本からやって来た、金のある暇人の【読み手】……ジャンボに乗る男には、蔵人の姿はそう映ったのかもしれない。

 髭面の顔があからさまに嫌悪感に染まった。


「桃太郎の伝説は日本各地に根付いています。その中で最古のものは私の持つこの『古事記』に記された吉備津彦命の伝承が、元となっていると言われています。そのため、きび団子は黍の団子ではなく、吉備という国の団子という解釈もできます」

「蔵人、貴方こんな時に何を……」

「吉備津彦命は、温羅という名の鬼の討伐のために派遣されました。神の子孫である彼は、鷹や鵜に変身して温羅を追い詰めました。この伝説が各地へ口伝され、桃太郎は現在まで武勇の物語として日本中に愛されています。知名度は№1でしょう。なので……はあ」

「何で溜息を吐く」

「出会えた桃太郎の【読み手】が、薄っぺらくて想像力が貧相で、誠に遺憾です」


 嫌味すぎるほど丁寧に、凄く爽やかに煽った。

 帽子の下から見えた蔵人の表情は、非っ常に残念だという、がっかりした顔をしていた。男には青筋が浮かんでいる。

“面白そう”を理由に渡米してきた蔵人にしてみれば、一体どんな『桃太郎』の世界が創造されるのか、ドキドキワクワクだったのだろう。けれど蓋を開けてみればこんなんだ。能力の使い方も残念だ。

 期待していた分、がっかりの落差が大きかった。やっている事はそこら辺のチンピラが考えそうな事件だ。

 黒文字蔵人は、とても残念がっている。ぶん殴ってやりたいほど腹の立つ表情で。


「ああ、あと。武勇と暴力は180度違うものなので、『桃太郎』を利用して浅はかな事はやめていただけますか。どこかの誰かさん」

「……っ! 俺は、ジャスティン・カーリンだ!!」


 自身を誇示するように名を叫んだ男――カーリンは、自分の拳で蔵人をぶん殴りはしなかったが、変わりにジャンボに命令した。長い鼻で、鼻のほとんどが筋肉でできている鼻で蔵人を薙ぎ払えと。

 帽子の上の八咫君は飛んでいった。おい、どこに行く。

【本】を手にしただけの蔵人に、龍生も紫乃も、イーリスさえも焦りを見せてそれぞれの得物を手に取った。


「失礼しました。Mr.カーリン」


 静寂を切り裂く音が聞こえた。

 涼やかな金属の音。剣戟を表現する、キン!と、冷たい刃物の音がした。

 なのに、次のページをめくっても誰も斬られていない。蔵人を攻撃したジャンボは、伸ばした鼻を曲げて頭をかくような仕草をした。暴れていない、興奮していない。

 元に戻っていた。


「おい……どうした、暴れろ! あいつを踏み潰せ……っ、わあぁぁ?!」

「クロード、貴方……何をしましたの?」

「強いて言えば、きび団子を斬りました。ジャンボたちの体内にあるきび団子を……魔を、邪魔なモノを祓ったとでも解釈して下さい」


 彼らの周囲にいた動物たちが正気を取り戻し、あんなにも唸っていたスマトラトラは大きく欠伸をした。イーリスの足元には、ペタペタと足音を立ててケープペンギンが近寄って来る。

 ジャンボも背中にいる不審者を邪魔と思ったのか、大きく声を上げて背中を振るわせればカーリンが『桃太郎』の【本】もろとも地面へと落下した。

 蔵人は「邪魔なモノを祓った」と言った。斬った?何か、刀でも創造したのか……?

 見えなかった。一体何があったのか、読人は理解できなかった。否、彼だけではなくこの場の誰もが、何が起きたか理解できていない。

 紫乃も龍生も、唖然とした表情で悠々と【本】を閉じる蔵人を目で追うしかできていない。

 唖然としていたせいで、カーリンへの対応が一拍遅れた。落下の痛みを堪えてふらふらと立ち上がり、『桃太郎』の【本】を両腕で抱えて逃走したのだ。


「あ! 待て!」

「奪われて、奪われてたまるか……! これは俺の能力だ!」


 真っすぐに出口へと走って行く。まだ紋章を手にしていない、別の動物に『きび団子』を食べさせればさきほどのような事が起きてしまう。

 龍生が水流に乗って真っ先に追いかけるが、建物の狭い通路に逃げ込まれれば川如きの水は侵入できない。蔵人たちも追いかけるが、必死の逃走は非常に速い。


「畜生! みんなブっ殺してやる! みんな俺を馬鹿にするんだろ、笑うんだろ!! 役立たずなんて言わせねぇ!」

「っ、危ねぇ!!」

「え……」


『LONDON ZOO』の門を抜けて真っ直ぐ突き抜けたカーリンへ、龍生の声が聞こえたが間に合わなかった。振り返ったその先、右方を振り向いたその瞬間にカーリンの身体が大きく飛んだ。車道に飛び出た人間が、直進してきた自動車に轢かれたのだ。

 急ブレーキをかけても間に合わなかった。

 撥ねられたカーリンの身体は対向車線まで飛んで、頭から着地した。交通安全教室で轢かれるダミー人形のように、生身の身体は作り物のように飛んで、壊れた。

 蔵人は咄嗟に、両手を伸ばして紫乃とイーリスに目隠しをしていた。見てはいけないと、首が真逆の方向に曲がった姿を、見せないように。


「だ、駄目だ……首が、変な方向に……」

「……」


 龍生がカーリンの死亡を確認した。轢いてしまったドライバーが頭を抱えて公衆電話を探しているが、呼ぶのはパトカーだ。

 両腕には『桃太郎』の【本】を抱えたまま。

 イーリスが蔵人の右手を振り払ったその時、【本】は最後の光を灯した。『桃太郎』の裏表紙に刻まれた紋章――刀を掲げて旗を背負った桃太郎に、その背後に控えるお供たちのシルエットが裏表紙から抜け出て、空を浮遊する。

【戦い】を終えたら、勝者の【本】へ紋章は移動する。なのに、【本】が閉じられて紋章を得る前に【読み手】が死んでしまった。

 この場合はどうなるのか?

 裏表紙から抜け出た紋章は蔵人の『古事記』へと移動せず、そのまま水に溶けるかのように、姿を消してしまったのだ。


「き、消えた……?」

「どこへ行きましたの? 【読み手】が亡くなった後の紋章は、一体どこに?」

「……還りましたか。調停者の下へ」


 左手を首に沿えながら空を見上げた蔵人だけは、確かにそう言った。

 新しい言葉が出てきた。何だそれは……不老不死を巡る【戦い】に、関係があるのだろうか?

 そこで、夢は醒めた。


『調停者』


 この言葉は、忘れない。






To Be Continued……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます