09-②




 車両と車両を繋ぐ扉を開けてやって来たのは、猫でも犬でもない。ちゃんとした人間の女性だった。


「……あら、2人もいる。貴方たちが【読み手】なのかしら?」

「ん、お姉さんも乗って来たの?」

「響平、待って……言葉が通じる」

『この女、【読み手】だ』


 読人と響平、2人の少年の前に現れたのはブロンドをスポーティなベリーショートに刈り込んだ、体格の良い白人女性だった。身長が高く肩幅が広く、コートを着た厚着の上からでもがっしりとした体躯は何かスポーツでもやっているのだろう。アスリート体型の女性と、発展途上の少年2人では前者の方があまりにも大きく見える。

 そして、彼女の口から出て来たのは流暢な日本語だった。


「正解。私も、白い【本】を持つ【読み手】よ。マーガレット・トンプソン。マギーって呼んで」

「その、マギーさん? 【戦い】さ来たの? 言っておくけど、俺の紋章を奪ったらこの鉄道も消えて落ちるよ……今、スカイツリーよりも高い場所を走行している」

「それは、怖いわね。航空事故は二度と嫌よ……なら、そちらのキャメルカラーのコートの君じゃなくて、そちらのブラックコートの君に相手をしてもらおうかしら。ごめんなさいね、どうしても紋章を集めなければならないの」

『読人』

「うん、避けては通れない」


 どちらにしろ、夜空を走る銀河鉄道の中にいれば逃げ場はない。マギーこと、マーガレットが手にした白い【本】には淡い光、裏表紙には泡に囲まれた人魚の紋章。それを確認すると同時に、読人が手にする『竹取物語』の【本】に光が灯った。


「名前は黒文字読人、【本】のタイトルは『竹取物語』! 火衣!」

『おうよ!』


 火気厳禁の車内に炎が走った。火衣の背中に燃える火の針が、直線の炎となって木造の床を這ってマーガレットへと向かって行く。

 マーガレットも手にする【本】を開いて光が溢れると、想像によって創造された銀河鉄道車内が舞台と言う、異色の【戦い】が勃発する。そして、火衣を前にしたマーガレットは真っ直ぐ迫って来る炎に驚きも怯みもせず、ただ黙って、その炎に飲み込まれたのだ。。


「っ!? 避けなかった?」

『待て、オレの炎が消火されているぞ!』


 炎に飲み込まれたマーガレットの身体は燃える事はなかった。彼女の身体からブクブクと泡が溢れ出て来ると、パチンと弾ける音を立てて身体の表面に纏わり付く炎を消火したのである。


「私の【本】のタイトルは『The Little Mermaid』。創造能力・うたかたの尾びれBubble Body――捕まえてごらんなさい」


 日本のタイトルは『人魚姫』。人間の王子に恋をした人魚の姫は、声と引き換えに脚を得た。しかし、その恋は成就する事なく、泡沫のように儚く消えて人魚姫の身体も泡となった。その悲恋の物語が書き記された【本】を持つマーガレットの身体もまた、泡となってしまったのである。

 しかも、そのまま消えた。正確に言えば、マーガレットを取り巻く泡が床に染み込み彼女の身体も同じく、染み込みように消えてしまったのである。

 どこに消えたのかと見回すが、先頭車両には座席に座ったままの響平しかいない。読人に微かな焦りと戸惑いが生まれたその時、彼の頭上の、古めかしい黄色い電燈が吊るされた天井にブクブクと白い泡が出現したのだ。


『読人、上だ!』

「っ!?」

「残念! でも、次は【本】を頂くわよ!」


 天井に出現した白い泡の中から、マーガレットが飛び出て来るとその指先が『竹取物語』の【本】に触れようとした。しなやかな筋肉が付いた脚を豪快に揺らすその動きは、人魚と言うよりは野生の鯱や鮫のような力強さがある。不意打ちと、【本】その物を狙ったが火衣の声で咄嗟に動いた読人が横の座席まで避けるとマーガレットの手は空振りに終わったのだ。

 そのまま床に着地するのかと思いきや、彼女の身体は木造の床の中にとぷんと泡と共に吸い込まれて行った。床が海面のように波紋を描き、泡が飛沫を立てて鍛えられた肢体が海ではない場所を自在に泳いでいたのである。

 そうか、こう言う能力を創造したのか……泡となった人魚姫から着想を得て、泡と共に海ではない場所を泳ぐ能力だ。再び消えてしまったマーガレットを捜して車内を舐めるように見回すが、狭い空間の中に泡の気配はなかった。


『別の車両に移動したようだな。だけど油断するな、さっきみたいに不意打ちで出て来て【本】を奪う気だ』

「泡を目印にしてこちらから仕掛けないと。でも、何両もある中でどうやって捜せば」

「……『気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごとと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした』」

「響平?」

「『ほんとうのジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ者室に、窓から外を見ながら座っていたのです』……手伝うよ、読人。列車の中を“泳ぐ”のはマナー違反だ」


 白い【本】の裏表紙には、白い煙を吐き出しながら天の川の線路を走る鉄道の紋章が刻まれていた。響平が朗読する声に合わせて【本】から光が溢れ出ると、それと呼応するように天井に並んでいる電燈がチカチカと点灯し始めて、甲高く心地いい汽笛が鳴った。

 創造能力・銀河鉄道――銀河ステーションを経由して星座の停留所を巡る鉄道に憧れた響平が、想像して創造したこの鉄道は機動力に優れた創造能力でありながら展開能力の特性も持った彼の庭でもある。


「創造能力・銀河鉄道……と、黒曜石の円盤地図! 車掌さーん!」

『はい』

「車内放送して。鉄道内を泳ぐって言う、マナー違反をしているお姉さんがいるから、見付け知らせるようにって」

『了解しました』

「さて、どこにいるかな……お、いたいた。読人、見てみろよ」

「これは、地図?」

「そ、この鉄道の中の地図な」


 先頭車両にやって来た、赤い帽子の背の高い車掌にマーガレットの事を伝えると、車掌はぺこりと頭を下げて直ぐに出て行ってしまう。すると、“ピンポンパンポーン”と言う鉄琴のチャイムが聞こえてノイズが混じる車内放送が流れたのだ。

 その放送を聞いた乗客たちは、「やだ、マナー違反ですって」「迷惑だわ~」「怖いわ~」とかの会話をニャーニャーとワンワン交わしていた。

 そして、読人と火衣は響平が差し出した地図を見た。『銀河鉄道の夜』の登場人物・カムパネルラが持っていた鉄道の経路が書かれた銀河の地図だ。夜の色をした黒曜石でできた円い地図には、チカチカと点灯する数々の光が散らばりその中の一つ、アクアマリンの色に似た青い光だけが直線的に動き回っているのである。


「この動いている青い光、これがマギー?」

「そうだ。えーと、こっちの緑が俺で、黄色が読人、小さな赤いのがそっちのハリネズミ君ね」

『火衣だ。それに、見た目はハリネズミだけど、これでも火鼠の衣なんだぜ……キョウヘイとか言ったな、お前。何で読人に協力するんだ?』

「火衣!」

なしてなしてって、俺の鉄道の中で好き勝手泳がれるのも迷惑だし。それに、読人は良い奴そうだから」

「良い奴、って。それが理由?」

「他に理由付けて欲しかったか? だって、読人はこの鉄道に乗り込んで来ても、【読み手】である俺を探して車内で暴れたりもしなかっただろ。初戦でそれやられてさ、『猿カニ合戦』の【本】のオッサンだったんだけど、傭兵部隊みたいな臼・蜂・栗は嫌な敵だった……あと、伏兵の糞」

「なにそれ、見てみたい!」


 でも、結局響平が勝ったらしい。ちゃっかり紋章を一個所持していた。傭兵部隊みたいだったと言うカニの復讐代行一味はちょっと気になる。


「それに、この鉄道を見て凄いって言ってくれた。その時にさ、読人とは仲良くなれる気がしたんだよ。戦い合う【読み手】同士が仲良しでも良いだろ。読人だって、不老不死に興味なさそうだし」

「まあ、興味はないけど……」

「俺は読人と友達になりたい。さっきみたいに、他愛のない事や好きな本の事で盛り上がって笑いたい。それじゃ駄目か?」

「駄目じゃない! だよね、火衣!」

『お、おう』

「ありがとう、響平!」


 響平からもらった黄色いめんこちゃんゼリー。それをちゅるんと食べて、ゴミをコートのポケットに入れると黒曜石の円盤地図を預かって火衣と共にマーガレットを追った。

 夢の中で、過去の時代に自分の祖父を慕ってくれた青年によく似たあの笑顔に「友達になりたい」と言ってもらえた事が無償に嬉しかった。読人も思った、彼と――檜垣響平が、何者であるかに関わらず、彼と友達になりたいと。


『……お前、本当に単純でお人好しだな』

「良いだろ。理由なんて、後からでも付けられる」


 だから今は、目の前の敵に集中したい。マーガレットが紋章を集めなければならないと言うのなら、『竹取物語』の【読み手】である読人だって脱落する訳には行かないのだから。




***




 車掌による車内放送が繰り返される中、響平によって創造された乗客たちは車内を見回して目印の泡を探していた。猫と犬の乗客たちは色々と特殊な火衣ほどの知能はなくとも、車内放送に反応して快くご協力してくれるぐらいには親切だったので、座席回りや電燈が光る天井を見回しながら「いないね~」とか「どこだろう」とかを、ニャーニャーワンワン話し合っている。

 マーガレットはそんな彼らの様子を鉄道の床を透視する形で伺っていた。泡と共に床の海に潜り、両脚を人魚の尾びれのようにゆらゆらと動かしながらバタフライで高速に泳ぎ回っていた。


『まさか、始めて出会った【読み手】が優勝賞品の持ち主だったなんて。不老不死は、特に興味はないけれど……紋章を集めて【本】を強化しないと、私の背骨は完全には治らない』


 マーガレット・トンプソン、愛称はマギー。彼女は、50年に一度行われる【戦い】における、最終的な優勝賞品には興味がなかった。

 マーガレットは、将来を期待された水泳選手だった。母国のアメリカでは、次のオリンピックの候補にも選出され自慢のバタフライで水を押し退けては何個もメダルをもぎ取って来た。泳ぐと言う事は、自分らしさ。マーガレットから“泳ぐ”事を取ってしまったら何も残らないぐらい、水泳選手としてのマーガレット・トンプソンに誇りを持っていた。

 そう、それらは過去形である……つい1か月前まで、マーガレットは泳ぐ事ができなくなっていたのだ。

 1年前に飛行機事故に遭った。乗客乗員に死者はなかったが、数人の重軽傷者を出したその事故によって背骨を負傷し選手生命が絶たれたのである。もう二度と泳ぐ事ができなくなった。

 この1年間、必死にリハビリを重ねても事故前のように泳ぐ事はできず、むしろ日常の生活にも支障をきたすようになった自分の身体に絶望した。それでも、直ぐに復帰できるようにと身体の筋肉量を落とさないようにはしたが、結局はコーチにももう無理だと言われてしまった。これが、昨年の12月の始めの出来事だ。

 だけど、年が明けたら非日常が現れた。

 幼い頃によく読んでいた『人魚姫』の物語。それを読みながら、人魚姫に脚を与えた深海の魔女に会いたいと思った。対価を払って、この背骨を治してもらいたい……そんな、非現実的な空想に浸っていたその時、光と共にしゃがれた老婆の声が聞こえたのである。


『お前さんの綺麗な髪をくれるなら、背骨を治してやろう』


 マーガレットは『人魚姫』の【読み手】に選ばれていた。そして、無意識に深海の魔女を創造してしまったのである。創造能力・深海の魔女Witch in Under Sea――薄暗い色の鱗を持つ老婆の人魚は、マーガレットに対価を求めた。肩甲骨付近にまで伸びた綺麗なブロンド、それを差し出せば背骨を治してくれると言ったのだ。

 最初は夢でも視ているのかと思った。しかし、魔女は現実に存在している。一筋の希望を見出したマーガレットは、自身の髪をベリーショートにまで刈り込んで切った髪を魔女に差し出し、背骨を治す薬を受け取った。

 そうすると、医者にも見放された背骨はあっと言う間に元通りになり事故前と変わらぬ泳ぎができたのだ。歓喜した、希望が灯った。これでまた泳げる、自分らしくある事ができる。栄光ある世界的な舞台で、様々な好敵手たちと共にプールで踊るように競り合うその夢へ飛び込んで行けると。

 だが、深海の魔女から聞かされた真実に再び、絶望の淵に突き落とされた。

 マーガレットの背骨は、完治していない。このまま泳ぎ続ければ、再び壊れてしまうとしゃがれた声でそう告げたのだ。曰く、今の『人魚姫』の【本】の能力では一時的な治療しかできないと言う。【戦い】に身を投じ、紋章を集めて【本】その物を強化すればもっと強力な能力となる。本当に背骨を完治させる事ができると、魔女が教えた。

 不老不死にも、それを巡る【戦い】にも興味はなかった。だが、【戦い】に勝ち抜いて紋章を集めなければ再び背骨が壊れてしまう、泳ぐ事ができなくなってしまう……こうして、マーガレットは【読み手】として参戦を決意したのである。水中を人魚のように泳ぎ回る、この幸福な瞬間を永遠に続けるために。


『……来た、ブラックコートの男の子!』


 何両目か解らない車両の海で、扉を開いてやって来た読人と火衣の姿を見付けた。あちらには自分の存在を捉え切れていないはず、再び不意を突いて【本】を奪い「めでたしめでたし」と言いながら表紙を閉じれば【戦い】は終わる。マーガレットは読人が持つ紋章を手に入れる事ができる。そう、誰も傷付かない。響平に手を出さなければ、この鉄道も墜落する事だってない。

 「覚悟を決めなさい」……世界的な大会で泳いだ時よりも緊張した頭にそう言い聞かせて、マーガレットの身体は読人の背後の壁に移動して、彼の右手にある【本】を狙ったのだ。


「火衣!」

『後ろか!』

「っ!?」


 壁の表面に泡が湧き出た瞬間、柴犬ほどの大きさになった火衣がマーガレットが潜伏していた壁一面を燃やしたのである。煮え滾る熱湯に放り込まれたように周りが熱い、炎を消火する泡でも追い付かないぐらいの火力に耐え切れなくなり、壁から這い出て来てしまった。


「~~! な、何で私の場所が解ったの?」

「これ、響平から預かった地図でマギーさんの居場所が解る」

「キャメルカラーの男の子……私は、完全にアウェイだったって事ね。でも、私は! 紋章を集めなきゃいけないの!」

「っ!?」

「これからも泳ぎ続けるために!!」


 読人の方を掴んだマーガレットの全身から泡が溢れ出し、小柄な少年の身体までを浸食して車両全てが泡に呑み込まれてしまったのだ。


『お客様にお知らせします。弐八号車において【読み手】同士の【戦い】が発生しました。乗客のみなさんは直ちに他の車両へ避難して下さい。繰り返します……』


 車掌による緊急放送が繰り返される中、乗客たちはニャーニャー!ワンワン!と焦り、急ぎながら前後の車両からドタバタと避難をしていた。2人の【読み手】と1匹の火鼠が残された車両は泡だらけ、しかもこの泡に触れた座席がずぶずぶと床に沈んでいるではないか。そして、マーガレットに肩を掴まれ泡だらけになっている読人も足からずぶずぶと床に沈んでいるのだ。


「ごめんなさいね! この【戦い】は、私に勝たせて!」

「っ、俺だって此処で負けたくない!」


 この【戦い】は、一度敗れたらそこで終わりだ。読人が此処で脱落すれば、『竹取物語』と不老不死の薬は誰かの手に渡る。

 それだけは、できない。


「火衣!」

『っ、良いのか読人!?』

「お願い、やって!!」

「何をする気? 素直に【本】を渡してくれたら、解放してあげるから!」

『……やるしかないな!』


 泡だらけになって膝まで沈んだこの状況で、読人の頭の中には乱暴な打開策が想像されていた。火衣にも伝わったその策は実現できる、だが、危険だ……それでも、読人自身はやれと言う。こうなりゃ、自分も腹を括ろう。読人の頭の上に飛び乗った泡だらけの火衣は、背中の炎を更に燃え上がらせ読人の黒いコートに火を纏わせたのである。

 マーガレットの身体が泡になるのなら、その瞬間の読人の身体は炎になった。身体全部を這い回る炎の熱さに顔を顰めたのはマーガレットも同じ、湧き出る泡を読人に集中させて消火を試みようとするが泡と炎は相殺されるだけだ。


「~~~! 熱っ……!」

「君、どうしてそこまで…!?」

「強いて言えば、可哀相な化け物を生み出したくはないんだ!!」


 読人が纏った炎がより一層燃え滾ったその瞬間、車両を呑み込んだ泡を今度は炎を呑み込み辺り一面は白い煙が発生したのだ。

 炎も泡も全てが相殺されて、生み出されたのは水蒸気の濃い白煙。視界を全て封じるこの中で、読人はマーガレットの手から逃れて煙の中に姿を暗ませていた。


「どこに行ったの!? こうなったら……っ!!」


 一旦、擬似的な海に隠れようと身体を捻らせたマーガレットの背中に激痛が走った。まさか、このタイミングで背骨に限界が来たのか?ズキズキと痛む背中に焦りと絶望が蘇り、震え始めた身体を両腕で抱き締めるために『人魚姫』の【本】から手を放してしまったのだ。


「めでたしめでたし」

「あ……!」


 白い煙が晴れると、読人の手には『人魚姫』の【本】があった。泡に囲まれた人魚の紋章はもうない。『竹取物語』に吸い込まれ、読人は二個目の紋章を手に入れた。自身の物を合わせれば計三個となった。

 【本】が閉じられて“なかった事”になった。読人のコートは丸焦げにはならなかったが微かに焦げ臭さが残ってしまった。やっぱり、このコートはろくな扱いを受けていない。やっぱり次の冬は買い換えよう。


「あれ、マギーさん髪が……」

「……やっぱり、空想の存在に縋り付いちゃ駄目って事なのね。痛っ」

「大丈夫ですか?」


 ベリーショートだったはずのマーガレットの髪が、肩甲骨の辺りにまで伸びた綺麗なブロンドになっていた。対価として深海の魔女に払った髪だったが、となったために髪を切った事も、一時的に背骨が治った事もリセットされてしまったのである。

 読人に肩を借りて座席に腰を下ろすと、背骨が酷く痛んだ。彼女の心もまた、ズキズキと痛んだ。


「ごめんなさい。この背骨を治したかったばかりに」

「【本】の能力で怪我を治療していたんですか? ……それって、謝るのは俺の方ですよ、ね……にしちゃったし」

「良いの。スッパリ諦めるわ。人魚姫みたいに綺麗な心で競技人生を終わらせる」

「……でも、今までの経験や想い出は、泡になって消えませんよね」

「……そうね」


 消させはしないわ。小さくそう呟いて顔を俯いたマーガレットの表情が、最初よりも柔らかくなっていたのはきっと、気のせいではないだろう。【本】を閉じれば空想も幻想も終わってしまう。そこから脱却してこれから、現実を生きよう。おとぎ話が与えてくれた夢の時間を原動力にした。


「読人~【戦い】はどうなった……って、マギーさん髪増えてない?」

「響平! こうなった」

「そっか、おめでと。マギーさん、ドンマイ。そうだ、窓の外見てみろよ。凄いぞ」


 やって来た響平に、『竹取物語』の後ろのページを見せると、白いページには泡に囲まれた人魚の紋章が増えていた。この【戦い】は読人の勝利。次の【戦い】に駒を進めていた。

 そして、響平の言葉通りに窓の外から見える景色に目をやると、そこには天の川銀河が広がっていたのだ。


「……Wow」

「気付いたらさ、こんなところまで来ちゃった。日本三大夜景の内の一つ、札幌の夜景だ」

『本当に凄いな!』


 闇色の海に細々としたネオン光が、札幌の街を真冬の天の川へと変貌させていた。氷点下の空から落ちる小粒の雪が宇宙空間に流れる星のようだ。幾千、幾万もの人々が生きる光が作り出す、人間たちの天の川の美しさに感嘆の溜息も言葉も出なかった。

 胸の内から痺れがゾクゾクと這い上がる。【戦い】を終えた後の興奮がサーっと頭から過ぎ去って、窓の外を眺めている響平と目が合うと、夢の中で視た青年と同じ笑顔で彼はニカっと笑ったのだ。


「響平、友達になってくれる?」

「良いよ。よろしくな、読人」


 スマートフォンって便利だと思う。東京と岩手と言う距離があっても、声も写真も動画も届くのだから。

 その日、読人のスマートフォンの中には新たに『檜垣響平』の名前が追加された。




***




 時刻は10時51分――あ、思った以上に夜遊びをしてしまった。夜遊びと言っても、東京や札幌まで夜景を見に行ったぐらいだけど。

 響平の地元である岩手県内陸中部は、他の地域に比べれば積雪量は少なめだが全く積もらない訳ではない。今日は朝から綿雪が降っていたから、履いているブーツがしっかりと雪に埋もれてしまうぐらいに積もってしまっている。

 読人とマーガレットを、それぞれの停留所で下車させた響平と彼が創造した銀河鉄道は、白に染まった朱色の鳥居を跨いで雪の地面に着陸した。『天流神社』と書かれた石碑が建つ此処が、響平の家である。

 母屋から離れた場所に着陸して【本】を閉じ、両親に見付からないようにこっそりと裏口から自分の部屋に戻らなければならない。非現実的な夜の散歩がバレてしまったら色々と面倒な事になるだろう、きっと、祖父が説明したって理解してくれない。

 ちょっと慣れ始めた抜き足差し足で裏口の扉を開けた響平だったが、今夜は彼を出迎えてくれた人がいた。飼い猫を抱いた響平の祖父が、裏口にいたのである。


「響平、今日は遅いな」

「じいちゃん、もう寝てるかと思った……あ、そうだ。じいちゃんの知り合いの人、珍しい名字の人がいたよな?確か、クロモジって?」

「黒、文字……?!」

「同じ名前の奴と友達になったんだ。黒文字読人って言う」


 孫からその名前が出ると、響平の祖父であり『天流神社』が宮司・檜垣龍生は、飼い猫の背を撫でる手も止めて大きく目を見開いたのだった。






To Be Continued……


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