BOOK

中村 繚

1月1日から3月31日まで

01 竹取物語×長靴を履いた猫×ピノッキオの冒険

01-①




 日常とか平凡が、裸足で逃げ出すどころか三行半を突き付けて「実家に帰らせて下さい」と懇願する年が50年に一度訪れる。実家ってどこだろうか。

 その1年を語るに当たって、どんな始まりで語れば良いのか悩むのだが、物語の始まりはいつも「昔々」から始まるので、このフレーズから始めよう。

 「昔々」……202X年、1月某日――

 世界中の四か所のほぼ同じ時間帯に、奇妙な事件が発生していた。あまりにも非現実的な、空想上の出来事のような現場だったために頭を抱えて首を傾げる者が後を絶たなかった。

 厳しい寒さに襲われたアメリカ某州の墓地では、瀕死の男が延々と口から岩やら石を吐き続け、目の前の男にこれを止めるようにと必死に懇願をしていた。岩を吐く男の傍らには、丸太を束ねたイカダが引っくり返っていた。

 真っ白な雪景色に囲まれたスイスのとある村では、真冬のこの時期にたくさんの花々が咲き、青々とした新芽が生い茂っていた。その真ん中にいた男の回りにはミニチュアのガレオン船がいくつも転がっていて、彼が手にした拳銃の銃口からは一本の双葉が顔を出していた。

 暖冬に見舞われた日本の片隅の港町では、ずぶ濡れになった男が細い糸に雁字搦めにされ、まるで操り人形のように港の倉庫の天井から吊るされて悪態を吐いていた。男の足元には巨大な金棒と、憎らしく睨み付けるその先にはまだ若い女性がいた。

 南半球に位置するオーストラリアの人目に付かないビーチでは、霜が降りて大寒波に見舞われ、雪なのか砂なのか見分けのつかないそこに動かなくなった女性が横たわっていた。腕には小さな狐を抱え、薄着の彼女の腕も唇ももう動く事はなかった。

 共通していたのは、どれも現実では起こり得そうのない物であったと言う事と、2人の人間と二冊の本があったと言う事だ。

 戦意を喪失している者から奪ったと思われる、表紙とページが開かれているその本は、この場における勝者が手にしていた。


「地の果てまでも、奴を狩る……!」

「こんなものなのか。正直、拍子抜けだ」

「思ったより、ハードなのね」

「始まったばかりですよ、戦いは」




「めでたし、めでたし」




 【本】を手にした4人は、その言葉と共に【本】を閉じたのだった。




 ***




 202X年、1月14日――

 東京都こよみの市の外れの月山寺に置いて、黒文字クロモジ蔵人クロウドの葬儀が行われていた。

 喪主は故人の娘である黒文字クロモジシオリ、哀しみに塗れたその表情は月の沈んでしまった空のように暗くもやがかり、夫に支えられながら遺骨を大事そうに抱えている。娘夫婦の隣で遺影を持つのは、故人の孫である彼――黒文字クロモジ読人ヨミヒトであった。

 暦野北高校1年生。まだ16歳の彼にとって葬儀に参列する機会と言うのは滅多になかった。以前に参列したのは、10年前、蔵人の妻であり読人の祖母が亡くなった時だ。

 あの時はまだ幼かったため祖母が亡くなったと言う実感もあまりなかったが、両親と祖父が酷く悲しんでいる空気を感じ、祖母にはもう逢えないと言う事実を徐々に感じ取り……この月山寺にて大声で泣いてしまったのを、今でも覚えている。

 読人にとっては二度目の経験。そして、敬愛していた――大好きだった祖父の死が、長い前髪を隠れた彼の目に暗い影を落としていた。

 黒文字家の墓に彫られている名前は、10年に亡くなった祖母と読人が産まれる前に亡くなった伯父の名前。もう少し経てば、此処に祖父の名前も並ぶのだろう。まるで、新しい住居に表札を立てるように。そこが、次の家であると言わんばかりに。

 今年の冬は暖冬と言われていたが、その日は雪が降っていた。パラパラと降る雪は、読人の高校の制服にも落ちて来る。父の黒いネクタイを巻いた濃紺のブレザーに白い粒が落ちると、彼の体温によって一瞬で水になってしまった。


「読人、お前も」

「……うん」


 蔵人の死因は急性心不全であったが、何かがあった時のために言付けのような遺言を残していた。その中に、自分の骨は四十九日を待たずに墓へ納骨して欲しいとあったので、栞に運ばれた骨壺の中の遺骨を生前縁のあった人々が一つ一つ、箸で摘んで墓に納める。

 父から箸を受け取った読人も、バラバラの小さな欠片となってしまった祖父の、その中でも小さな一つを摘まむと……ゆっくり箸を動かして、ポッカリと空いた墓の中へと落とした。


「バイバイ、おじいちゃん」


 黒文字蔵人、享年77歳――

 生前は大学教授を長く勤め上げ、文学に関する数々の本を出版し、その道では中々の有名人であった。

 引退後も本に囲まれながら孫を可愛がって余生を過ごした。読人も、祖父が大好きだった。

 両親が共働きだったため、保育園から帰って来ると自宅から数km離れた祖父母の自宅に預けられていた。特に、おじいちゃんっ子と言って差し支えないほど蔵人に懐き、彼が本を読み聞かせてくれるのが大好きだった。

 流石に中学生になってからは家を訪れる回数も減ってしまったが、それでも、読人が一番尊敬していたのは祖父の蔵人であったのは間違いない。だから、亡くなったと実感したその日は、自分の部屋でみっともなく大泣きした。

 あれだけ泣いたのだから、この納骨ではもう涙は流さないと決めていた。笑顔は無理だけど、せめて……幼いあの頃、母の迎えが来て祖父の家を去るあの時のように、別れを告げたのだった。

 翌日、ちょっと遅めの朝8時30分に自室で目を覚ました読人は、ゆっくりと階段を下りて洗面所へ向かった。本来ならば、冬休みも成人の日もとっくに終わってしまった平日なのであるが、忌引きやその他諸々の後始末のため今週いっぱいは高校を休んでいる。

 顔を洗ってからリビングへ向かうと、母がボーっとテレビを眺めながら椅子に座っていた。父は、もう既に昨日の後始末やらのために月山寺へ向かった後のようだった。


「おはよう」

「おはよう、読人。お味噌汁、温めるわね」

「うん」


 いつも通りに振る舞っているかもしれないが、やはり母に元気がない。父を亡くしたのだから当たり前だろうが、頑固なところがある母があんな感じだとこっちも調子が狂ってしまうと、読人は頭の片隅で思った。

 朝食のおかずは思いっ切り手を抜いて、昨日の葬儀の食事会で出た折詰の中身をレンジで温めただけ。油まみれのべしゃべしゃになってしまった海老の天ぷらは、あんまり食べたくないので箸を付けない事にする。


「読人」

「何?」

「今日、先におじいちゃんの家に行って。お母さん、ちょっと調子が悪くて……少し、休んでから行くわ」

「……解った。無理、しないでね」

「うん」


 今日の予定は、祖父の家の片付けだ。家主の急死により、色々のところが手付かずのまま放置されてしまっている。それに、あそこに置いてある仏壇も移動する事にしていたから、粗方片付け終わったらトラックでも借りて読人の家に運び入れなければならない。

 母が温め直した味噌汁に口を付けると、中から甘海老の頭がこんにちはと顔を突き出していた……他の具は細切りの大根、つまりツマである。どうやら刺身を再利用したらしい。意外と出汁が出ていて美味しかった。


「母さん」

「何?」

「おじいちゃんの本、何冊かもらっても良い?」

「良いわよ。読人がもらってくれれば、おじいちゃんも喜ぶと思うわ。それも仏壇と一緒に運び込みましょう」

「うん。先に行って、どの本を持って来るか決めておくよ」


 今日は昨日と比べて暖かいので、コート一枚で良いだろう。マフラーもいらない。昨日の雪は直ぐに溶けてしまって積もる事はなかったので、読人はいつものように自転車を引っ張り出して蔵人の家へと向かった。

 最寄りの駅から電車で一駅、車で10分足らず、自転車ならば……赤信号の連鎖に引っかからなければ、20分ぐらいで到着する。幼い頃から通った、築30年ほどの黒文字家の庭に自転車を置いた。

 読人の家にあるこの家の鍵には、貝でできた鈴のキーホルダーが付いている。それをからからと鳴らして家の鍵を開けると、玄関には主を喪った上質な皮靴がきっちりと並んでいた。何となく、下駄箱にはしまいたくなかったので、母と読人は蔵人の靴をそのままにしておいたのだ。


「おじいちゃん、来たよー」


 いつも癖で……条件反射のようにその言葉が出て来て、読人は蔵人の家に入った。

 蔵人は孫を可愛がったが、甘やかしはしなかった。今の読人のようにスニーカーを脱いで揃えずに家を訪ねると、どこからともなく、湧いて出て来るように玄関に現れて「靴を揃えなさい」と言わんばかりの無言の圧力をかけていたものだ。

 まさか、今もどこからか現れるのではないかと警戒したがそんな事はなかった。もう、そんな事はないのだ……。

 結局、スニーカーをきっちり揃えてから読人は蔵人の書斎へと向かった。

 大学の文学部の教授であった彼の書斎は、出入口と窓を除いた壁の四方が本棚でできていると言っても過言ではないほど、本に溢れていた。そこには一枚のローテーブルと、質の良い黒檀でできたデスクと座り心地の良さそうな大きな回転椅子が置いてある。

 幼い頃の読人は、この書斎に入るのが好きだった。遊園地やゲームセンターに行くよりも、蔵人に導かれてこの書斎の扉を開ける方がよっぽど楽しかったのだ。


「懐かしい……全然変わってないな、おじいちゃんの仕事場は」


 学術論文にエッセイに小説。小説だって、推理小説にノンフィクション、コメディ、ホラーも恋愛小説も何でも揃っている。もちろん、幼い頃の読人が読めるような童話も絵本も、ちゃんと読人専用本棚に几帳面に並べられている。

 この書斎にない本は、最近人気の漫画コミックぐらいだろう。蔵人は漫画も嫌いではなかったが、やはり彼にとって、物語が文字の羅列のみで綴られた“本”と言うのは特別な物であったようだ。

 読人は何気なく、本棚に収められている一冊の本を手に取った。タイトルは『ライ麦畑でつかまえて』――中学生の頃に読んだきりで、大雑把なあらすじしか覚えていないその本をパラパラめくりながら、祖父の椅子に座り込む。

 読人が椅子に座ったため、書斎の椅子は小さくギシリと音を立てると……薄手のカーペットの上に、カランと何かが落ちた音がした。


「? 何か、落ちた……鍵?」


 落ちていたのは一本の鍵だった。家の鍵でもない、机の鍵のような小さな鍵には黄色く変色したセロテープが貼られている。

 椅子の下を覗き込んでみると、キャスターの付け根にセロテープの跡を発見。どうやら、此処に鍵を貼り付けていたようだ。

 何の鍵だろうか?まるで、この部屋の主だけが解るように隠されていたこの鍵は?

 鍵のセロテープを剥がして鍵を見詰めていたら、甲高いインターフォンの音が読人の耳に飛び込んで来た。あまりにも不意打ちだった。まだ椅子の下を覗き込んでいた読人は、突然のインターフォンの音に驚いて椅子に頭をぶつける。

 頭の痛みに数秒悶絶し、慌てて玄関へ走り件の鍵は咄嗟にコートのポケットに入れておいた。


「黒文字さーん、宅急便でーす」

「宅急便?は、はーい。今開けます」

「おはようございます。荷物でーす」

「おはようございます……あの、荷物ってどこから?」

「海外からです。ハンコかサイン、頂けますか?」


 伝票に書かれた国の名前は、なんとスイス……宛先は勿論、黒文字蔵人だった。どうしてヨーロッパから宅急便が届くのか疑問にも感じたが、宅配業者を待たせるのも悪いので、ボールペンを借りて「黒文字」とサインして荷物を受け取る。しかし、本来この荷物を受け取るはずの人物はもういない。伝票には「本」と書いているが、わざわざヨーロッパから本を取り寄せたのか?

 読人は首を傾げた。ちょっと困った時とかに右手を首に添えてしまうのが彼の癖であるが、しっかりと右手を首に添えて困っていた。


「あり得る。おじいちゃんなら……中身は、『ハイジ』の初版本とかじゃないよね」


 そんな高価そうな物、本人がいなくなってしまった今となっては扱いに困る。カッターを拝借して箱を開けると、中には本……ではなく、小型のジェラルミンケースが入っていた。ちょっぴり、拍子抜けした。

 ならば、このケースの中に本があるのかと思ったが、鍵がかかっていて開けられない。箱の中を探してみても鍵らしき物は入っていない、荷物の中身はこのケースだけだ。


「……まさか」


 そのまさか、椅子の裏に貼られていたこの鍵が、ケースを開ける鍵なのでは?

 コートのポケットから件の鍵を出した読人は、恐る恐るケースの鍵穴へ近付けて……ピッタリと合致した鍵を回せば、小さな音を立ててケースは口を開けた。


「……やっぱり本だ」


 やっぱり中身は本だった。ケースを開けた読人が見た物は、B6版コミックと同じ大きさの白い裏表紙の本だった。立派で汚れ一つない白い裏表紙は金糸で縁取りされ、同じ金糸で本のサイズよりも二回り小さく長方形が描かれていた。

 触るのに躊躇しそうになるぐらい綺麗なその本をしばらく眺めていた読人は、手汗を服で拭ってからゆっくりとその本を持ち上げる……裏表紙をひっくり返してみると、そこには流暢な筆文字で本のタイトルが書かれていた。その物語は読人も知っていた。否、彼だけではなく、日本で生まれ育った者ならば一度はその名前を聞いて、読んだ事もある物語だろう。


「『竹取物語』――」


 それは、日本最古の物語……かぐや姫を巡る、『竹取物語』であった。

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